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中編 クロエ姉様


 扉の奥から吹き込む、さわやかな風。流れゆく風の色は、


 黒い。


「お帰りなさい、黒影姉様!」


「ただいま、アオイ」


 少し癖の付いた長い髪を風に揺らし、太陽のように光る黄色の瞳をこちらに向けて姉さまは帰宅の挨拶を交わす。

 クロエ姉様。ハクア姉様と同い年の、次女に当たるお人です。


「お荷物、お預かりいたしますね」


「いいわ。貴女も帰ってきたばかりで疲れてるでしょう? それよりも今は――」


 グイッと。ほんの少し痛みを感じる程度の力で、姉様は私の腰を引き寄せる。切れ長で、落ちついた雰囲気の姉様の顔。その瞳の奥に、一瞬艶やかな色が映し出されたのを私は感じた。


「もっと、貴女を感じさせて」


「っ♡」


 ハクア姉様よりも一回り大きい姉様の抱擁は、いとも簡単に私のすべてを包み込む。確かに感じる甘い匂いにつられてぴったりと張り付けば、抱きしめる力がより強くなった。

 クロエ姉様は、人一倍スキンシップを好まれるお方だ。クールでミステリアスな姉様はあまり感情を表現することが得意ではないらしく、代わりに行動で、深い愛情を私たちに伝えてくれる。今もあまりわかりやすくはないものの、よく見れば口角が僅かに上がっているのが見て取れた。


 私の体で、姉様が喜んでくれているんだ。……嬉しい


 ――するとそこへ


「お帰りなさい、クロエ姉さま」


「ん、ハクア。今日は早かったのね」


 先ほどひと悶着のあったハクア姉様が、遅れてクロエ姉様に挨拶をしに来られた。気恥ずかしいような、照れを含むむず痒い感情に支配された私は、クロエ姉様の胸元に顔をうずめたまま横目にその姿を捉えることしかできない。


 ――それでも私は、姉様の純白の頬が淡いピンクに染まっているのを見逃しはしなかった。


「ハクアも、おいで?」


「! は、はいっ!」


「あ……」


 ハクア姉様が呼ばれたたタイミングで、私は自らクロエ姉様のお側を離れる。

 クロエ姉様は、私と同じようにハクア姉様やコガネ姉様のことが大好きなのだ。毎日の抱擁は姉様の癒しの時間で、私は姉様の邪魔にならないようお気持ちを察して場所を開ける。


 本音を言えば、もっともっと姉様のぬくもりを感じていたかった。しかし、


「き、今日もお疲れさまでしたわ! 姉さま!!」


「ふふっ、ありがとう。ハクアもよく頑張ったね。よしよし」


「あっ♡ あ、ありがとうございましゅ♡」


 私に対しては慈愛の笑みを浮かべるハクア姉様が、クロエ姉様の腕の中で幸せそうに破顔する様子を見るのは、これはこれで尊さを感じて幸せに思える時間。クロエ姉様の嬉しそうなお顔といい、お二人の幸せを思えば、私のほんの少しのわがままなどどうでもいいことだ。


 お二人の尊い時間が過ぎ去り、私たちは改めてリビングへと戻る。


「どうぞ、お召し上がりください」


「ありがとう、いただくわ」


 ハクア姉様には改めて適温に温め直した紅茶をお注ぎし、クロエ姉様には今朝引いた豆を使用したコーヒーをお持ちする。本当は毎度引き立てをご用意したいところではあるが、何分手間と時間がかかりすぎて姉様の気分を逃してしまう恐れがある。

 所詮は素人のコーヒー。ならばせめて、飲みたいと思われたその時にお出しできなくては。


「うん、美味しいわ」


「ありがとうございます、クロエ姉様。それぞれのお飲み物に合うお茶請けはこちらに置いておきますね。それでは私はお夕食の準備に入りますので、ごゆっくりどうぞ」


「いつもありがとう、アオイ」


「いえ、これが私の幸せですから」


 この言葉を最後にお二人の空間から離れ、私はキッチンという名の戦場へと向かう。給仕として飲み物の管理をしつつお二人の会話を聞くのも楽しいが、今晩は少しだけ特別な料理を拵える予定なのだ。手際の悪さや不測の事態に備えて早めに取り掛かっておかなくては。


 クロエ姉様に作って頂いた世界に一つだけのエプロンを着けて、、、


「よしっ!!!!」


 袖を捲って気合は十分! さっそく作っていこう。


 今日の献立はビーフシチュー。料理自体は特に難しい工程も必要とせず、何度となく作ったことのあるものだ。でも、今日のシチューは少しだけ違う。


「ふっふっふ」


 調理台に所狭しと並べられた食材の山の中にあって、一際存在感を放つものが一つ。上質の紙に丁寧に包まれたそれは、私のお小遣いから出して買った高級すね肉。しっかりと煮込まれ柔らかくなったその肉感は、きっと姉様方にも満足していただけるはずの一品。


 お金を自分の財布から出したことがバレれば、その先には姉様方に不要な心配とお説教という名の甘やかし生活が待ち受けていることだろう。……それはそれで幸せだが、とにかく姉様方にバレないよう少し遠出して購入したものを、今日まで極秘に保存していたのだ。


「これで姉様方の下を唸らせ、最高の気分のままに今日という一日を終えていただきますっ!」


 あぁ、これを食べる姿を想像しただけで興奮が収まらない。このお肉さえあれば、ただのビーフシチューでも一日の疲れなど容易く吹き飛ばしてしまうほどのコクとうま味を実現できるはず。待っていてくださいね、姉様!


 まずは綺麗なまな板で、玉ねぎを始めとした野菜類を切っていく。にんじんは乱切り、たまねぎはスライス、ジャガイモは大きめのブロックに。我が家ではハクア姉様に合わせてマッシュルームは入れません。


 ちなみに、我が家で一番好き嫌いが激しいのはハクア姉様だったりします。姉様は山菜類がとにかくダメで、しいたけなどのキノコ類はもちろん、ゴボウやレンコンも苦手です。ですので我が家の献立は、洋食を基本に私が組み立てております。和食類を望まれるときは、その都度個別に調理してお出しする形ですね。


「えーっと、お肉に下味の塩コショウ……っと」


 ボールペンと赤ペンで色々と書かれた紙に目を通しながら、高級すね肉の処理をしていく。


 逆に、何でもよくお食べになるのはクロエ姉様です。私がお作りした料理は毎回綺麗に完食してくれますし、海のものも山のものも、苦手なものは聞いたことがありません。

 ……あ、いえ、甘いものは苦手でしたね。カレーは必ず中辛以上で、ゼリーは甘さ控えめのコーヒーゼリーしか食べません。


 コガネ姉様は……なんでしょう。クロエ姉様と同じくなんでもよくお食べになりますが。

 そういえば、味の好みとは違いますが、あまり外食してきたとは聞きませんね。もしもそれが、私の料理を楽しみにしてくれているのだとしたら、料理を作る人として、何よりも妹としてこれ以上ない喜びですね。


「熱した鍋に多めのバターを落として、すね肉に焼き目を付けて――」


 ジュージューと香ばしい香りがキッチンに広がり、上下を返した肉の表面の焼き目の素晴らしさに目を奪われる。

 この後の煮込みのことも考えて、両面にしっかりと焼き目が付いたところで、野菜類を投入し、赤ワインと少なめの水を入れる。野菜から美味しいスープが出るので、水は少ない方が美味しく仕上がるのです。


「ん~♪ いい匂い」


 コトコトと鍋が煮立ってきたら、浮いてきたアクを取り除きつつワインの酸味とアルコールを飛ばし、フォンドヴォーの代わりにコンソメと、黒コショウを少々。


 三十分このまま煮込んだ後、まろやかさとコク、そして表面の照りのためにはちみつを入れて、蓋をして中火でじっくりコトコト三十分煮込みます。



 ガチャリ



「!!」


 立ち上る蒸気とグツグツの沸騰音に紛れ、二度目の玄関の開閉音が聞こえてきた。続いて、玄関に向かう二種類の足音も。


「お帰りなさいませ、お姉さま!」


「お帰り、姉さん」


 私達四姉妹の長女、コガネ姉様が帰ってこられたのだ。でも、今回は私は向かわない。

 それは決して会いたくないという意味ではなく、今晩の料理を仕上げているためだ。一度姉様の元に向かってしまうと、多分料理のことなど忘れて姉様に甘えてしまうから。だから我慢だ、私。

 シチューの加減を見て、付け合わせの温野菜を作り、バターライスやフランスパンの盛り付けを行う。


「いい感じ。火の通り具合も完璧だし、あとはこれを盛りつければ――」




 ――ギュッ




「はぇっ!?」


 ――突然、背後から伸びた二つの腕が私の上半身を覆いつくし、背中には大きくて柔らかい二つのナニカを押し付けてきた。

 完全に不意打ちを食らった形だが、一段と強くなったシチューの香りに負けず劣らずの良い香りが鼻を突き、ようやくその正体を理解した。


 この果物のような香りと、視界の端に映る琥珀のように美しい髪は。間違いない……!



「こ、黄金姉様!?」



「ただいま、私の宝物」

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