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前編 ハクア姉様



「今日どこに行こうか? せっかく部活も休みになったんだし、カラオケにでも行こうよ!」


「それいいねぇ! 採用っ!!」


「ありがたき幸せーっ!」




 ――”幸せ”、か――




「あ、あの子……」


「うそぉ、なんでついてきてるの~?」


 幸せと聞かれて、周りの人たちは何と答えるのだろう。


 ――愛する人と一緒にいること?


 ――美味しいものを沢山食べること?


 ――人よりも優れたものを持つこと?


 多分、全部が正解なんだと思う。幸せは人の数だけあって、それはきっと、優劣や善悪なんかで決めつけちゃいけないものだから。


「家がこっちなんじゃない? うわぁ最悪。今まで気づかなかったよ~」


「あいつと仲良く見られるとか勘弁してほしいわ~。あいつ、ちょっと顔がよくてモテてるからって調子に乗ってるよね」


「私興味ありません~って顔して、ムカつくのよね」


 だから、私はこの人たちの幸せを否定しない。私を貶して彼女たちが報われるならいくらでも罵ってくれていい。



 ――それでも、人としての心は傷つくけれど。



「あ、あいつ曲がったよ」


「よかったぁ~家が隣とかそんなんじゃなくて!」


「それはラノベの読みすぎだよ~」


「「あははははははははは!!」」


 車の往来も激しい道を逸れて、いつもの道へと入った私は家路を急ぐ。心が癒しを求めて、乾ききった砂漠に一滴の水を求めるように、私の足はスピードを上げていく。


「はぁっ はぁっ はぁっ!」


 ”幸せ”


 もしも誰かに尋ねられたら、私は迷わずにこう応える


 ”姉様たちとのひと時”


 だと。


「っ!! はぁぁっ」


 はやる気持ちを押さえ、早くなった鼓動を落ち着かせる。何処にでもある普通の一軒家と、我が家であることを示すネームプレート。かけがえのない場所を目の前にして、今一度自身の身だしなみを整える。


 ともすれば家を出る時よりも念入りに整えた格好を確認し、一呼吸を置いてからドアノブを回す。


 ――ガチャリ――


「っ!!」


 軽い。扉のロックには引っかからなかった。


 ――つまり今日は、すでに誰かが帰ってきているということ……!!


 誰が帰ってきているのか。その答えは、扉を開いたその瞬間に判明する。


「お帰りなさい、”葵”」


 絹のように白く長い髪を後ろで束ね、きらめく雪のような衣服を身にまとったその人は。


「”白亜”姉様っ!」


 私より一つ上。三女のハクア姉様に違いない。

 放り投げる一歩手前の速度で手荷物を置き、埃を立てないギリギリを見極めつつ愛する姉の元へと走る。見るだけで頬が熱くなる整った顔が鮮明に瞳に映し出され、にこやかに浮かべられた笑顔は、それだけで死にそうなほど私の心臓をどきどきと脈打たせる。


「姉様っ!!」


「ぁっ」


 先ほどまで曇りかけていた感情が、姉様の香りに包まれて浄化されていく。普段はこんなに大胆なことはしないけれど、姉様のぬくもりに飢えていたせいか思わず抱きしめてしまった。

 降ってわいた幸福半分、抱き着いたことへの不安感を半分に、姉様の柔らかい胸元から視線を上げる。


 心なしか、姉様の頬も赤みがかっていた。


「ただいま帰りました、姉様。ご、ごめんなさい……急に抱き着いてしまって」


「――ふふっ、謝らずとも構いませんわ。そんなに私のことが恋しかったのですか?」


「っ! ……はい♡」


 あぁぁっ! 姉様ぁっ!

 急に抱き着いてしまった私のことを咎めることなく、その体に触れることを許していただいたばかりか抱きしめ返してくださるなんて!


 サラッ サラッ


「っ!?」


「私の、私たちの大切な葵。目に入れてもいたくない、可愛い可愛い葵。生まれてくれてありがとう、生きててくれてありがとう。――大好き」


「!!???!?!?!?!!?!?!?」


 これは……ダメだ……!


 そんな優しい手つきで撫でられたらっ! 甘い言葉を囁かれたらっっ!!


「葵の髪、いい匂いですわ。引っかかりも全くない、なんて素敵な触り心地かしら」


「姉様の手、気持ちいいです。……にゃぁぁ」


「っ」





 私は、葵は、幸せすぎてどうにかなってしまいそうです……姉様。




 柔らかく甘い香りを漂わせる姉様の胸元に顔を埋め、与えられ続ける幸せを享受すること数分。どうにか現実へと戻ってくることができた私は、制服から室内用の服に着替えリビングにてお茶の用意に取り掛かる。


「テイストはいつものでいいですか?」


「えぇ、貴女に任せますわ。最高のものをお願いね」


「お任せくださいっ♪」


 姉様に任されてしまっては、頑張る以外の選択肢はない。この葵、最高の一杯を約束します!

 姉様の好きな紅茶。沸騰したお湯にお茶の葉を入れて蒸らし、先に温めておいた姉様お気に入りのティーカップに注ぐ。


「どうぞ、姉様」


「ありがとう、いただくわ」


 私の持てる知識を総動員して、可能な限り風味と味を損なわせないようにお淹れしたこのお茶を、姉様は静かにお飲みになる。


 お湯の温度は適切だろうか、香りに満足していただけただろうか。何度お注ぎしようとも、カップに口をお付けになるこの瞬間だけは、いつも緊張が体中を駆け巡る。


「――ほっ。美味しい」


「! よかった」


「毎度のことながら素晴らしいお手並みですわ。家でも私ぐらいしか飲まない紅茶ですらこの仕上がり。一体どうやってこの味を?」


 姉様の口から零れるお褒めの言葉で、ようやく肩の荷が下りた。姉様の毎夕の楽しみであるお茶の時間を邪魔しないために、万が一にも失敗してはならないのだから。


「姉様に気に入っていただけるように、いっぱい練習しましたから」


「私のために? ……まったく、貴女という子は」


 コトリッ。カップがテーブルに置かれる音を耳にした。紅色に染まっていたはずのカップから白い底面が見え、それをおかわりの合図と受け取った私は台所へと向かおうとした。


 ――けれど姉様は、振り向こうとした私の腕を掴み自らの元へと引き寄せた。


「ぇ?」


「アオイ、いつもありがとう」


「そ、そんな。私はただ、姉様に喜んでほしいから」


「その純粋な思いも含めて、ですわ。私の紅茶に始まり、貴女はこの家のすべてを引き受けてくれているでしょう。この床も天井も、新居となんら変わらないくらいにピカピカですわ。私達ももう大人、十数年も暮らしているというのに」


「引き受けるだなんて。私なんて、まだまだ姉様達から学んでばかりで……――ひゃ!?」


 姉様の言葉が嬉しくて、つい卑下と謙遜で言葉を返そうとした時、姉様の指が、優しく顎の下の撫でる。一見主人が飼い犬にするようなそんな動作一つであっても、私の体は、どうしようもなく反応してしまうのだ。


「謙遜も、あまり酷いようでは嫌味ですわよ。素直に受け取っておきなさいな」


「は、はいっ。あの、指っ!」


「……どうしてでしょうね。貴女や姉様方を見ていると、まるで夢の世界の住人に会っているような気がするの。一歩外に出ればそこは現実で、街行く人々はちゃんと人間だというのに」


「!!」


 その目には、見覚えがあった。どこか遠い場所を見つめるような、疲れ切った表情。


 ――同じだ。姉様方を支えにして、日々の陰口に耐える私と。


 疲れていらっしゃるのだ、ハクア姉様の心が。

 ……癒して差し上げたい。僅かでもその心が癒されるのなら、私は私のすべてを使って姉様のことをっ!


「……姉様。どうか、どうか今は。外のことなど忘れ、私を見てください」


「アオイ?」


 顎を這う優しくも繊細な姉様の手を、自らの手で包み頬へと移動させる。一連の動作に驚いたような表情をした姉様は、自身よりも低い位置に移動した私の両目を見る。


「アオイはいつまでも、姉様の味方です。どんな心無い言葉を投げかけられようとも、姉様は私の誇りであり敬愛すべきお姉さまです」




「っ!! ……アオイ」


「姉様……」



 不甲斐ない私の言葉に耳を傾け、僅かでも辛い思いを忘れることができたであろう姉様は、その瞳を潤ませ、少しずつ私との距離を縮めていく。椅子に座り上半身を傾ける姉様と、片膝を立て愛おしい方を待つ私。さながら姫と従者のような姿勢となる。


 もう少しで、私と姉様の顔が重なる。互いに言葉は交わさずとも、その先に願うのは同じこと。今はただ、姉様の心のままにそれを受け入れるだけ。


 あと少し――


 もうちょっと――


 あ、あ――






 ――ガチャ――



「「!!??」」


 両頬に手を添えて、あと僅かで届くはずだったタイミングで、玄関の扉が開く音がした。

 その音が私たちを現実に引き戻し、途端に距離を開かせた。


「……姉様が帰られたようね。アオイ、先に行っててもらえるかしら」


「! は、はい!」


 あれほど待ちわびた光景だったというのに、一度空気が壊れると途端に気まずい空気が流れてしまう。そんな空気に流されるままに、私は一目散にリビングから玄関に通じる廊下へと飛び出した。

 心にはすっきりとしない、もやもやを抱えながら。














 ――一方、


「……」


 すでに空となったカップに口をつけ、動揺からか二度目の空振りを味わうハクア。


「……まぁ、構いませんわ。いまさら”初めて”という訳ではないのですから。―― ”おかわり”はいつ、いただこうかしらね? ふふっ」


 お預けをくらい悲しげな表情を見せるアオイから一転。愛する妹の優しさに心を温めながら、”おかわり”を頂く機会を淡々と狙い澄ませていた。

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