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なりそこないの物語  作者: 徳野壮一
1/1

プロローグにはなりえない

 社会人になってに三年が過ぎた倉敷善士は、疲労困憊だった。連日に及ぶ残業のため会社への泊まり込み。上司の無茶振り、それなのに薄給。彼が勤めている会社は俗に言うブラック企業だった。転職を考えたことは何度もあるが、自分が抜けると他の社員に迷惑が掛かると思うと辞めるに辞められなかった。そして今回も文句の一つも零さず納期までになんとか仕事を仕上げた倉敷は徹夜で重い足を無理矢理動かして、久々に家絵の帰路を付いていた。

 時刻は午前七時。今から仕事に向かう人や学生とすれ違う。朝から一日が始まるという事が、いかに恵まれているのかを理解していない怠そうな顔をしている彼らに倉敷は苛立ちを覚えた。

(自分は家に帰ってもたまっている家事があるというのに)

 倉敷は妬む気持ちを首を振って頭から追い出した。

(ネガティブなことを考えていてもいいことはない、ポジティブなことを考えよう。せっかく明日も有給取ったんだから、やりたいことは何かないか……)

 しかし、ポジティブなことややりたいこと考えようとしても、思いつくのはやらなければいけないことばかりだった。

(自分の人生はこれでいいのだろうか?)

 倉敷はふと、そう思った。

 情熱はなく、ただ漫然と仕事をするだけの自分は人間と呼べるのだろうか、自分の代わりはいくらでもいる。なんなら、もうすぐロボットにとってかわられる。それなら自分の存在意義は何だろうかと彼は考える。

 信号が赤に変わり、倉敷は足を止めた。後ろから歩いてきた女子高生が隣に並んだ。

 倉敷は何となく、本当に何気なく彼女に視線を向けた。彼女は美人ではなく、ブスでもない。なんとも普通の容姿をしていた。地味というほどでもないが目立ちもしない。本当に普通そうな少女だった。校則はそこそこ守ってるいるのだろう。黒髪は肩につかないぐらいで切られているが、うっすらと化粧をしている。先生に目を付けられない程度にオシャレをしていた。

 どこにでもいそうだ彼女だが、彼女は今時の子にしては珍しく文庫本を読んでいた。内容が面白いのか彼女は微笑んでいた。

 そんな彼女を見て倉敷は自分の学生の頃を思い出していた。

 ほどほどに勉強して、そこそこ部活を頑張り、友達と遊んでいた毎日を。馬鹿げた夢をひっそりと胸の中にしまっていた子供の頃を。

 上京すれば何かが変わると思っていた昔の自分を思い出し、自嘲した。

(あの時に戻れたらどれほどいいだろう。……もしくはネット小説の主人公のように、特別な力を貰って転生で来たら素晴らしい人生を歩めるのだろうか?)

 目の前片側二車線ある道路では車やトラックが勢いよく走っている。

(もし、いま暴走したトラックに轢かれたら……)

 信号が青に変わった。

(って、何を馬鹿なことを考えているのだろう)

 女子高生を含めた歩行者が歩き出す。

 足を止め自嘲していた倉敷も、少し遅れて歩き出した。

 帰って寝て起きたらネット小説でも読もうかと考えていた倉敷の目にふらふらと走行しているトラックが目に入った。

 危なっかしいなと思っていた――その時だった。

 そのトラックは急にタイヤの向きを変え、減速なく倉敷が歩いていた横断歩道に突っ込んできた。

 倉敷は覚束ないトラックを訝しんでいたし、出足が遅かったので立ち止まれば当たらないだろう位置にいた。他の歩行者もあのトラックが危険だと思っていたのか、慌ててはいるが迅速に轢かれないであろう場所に避難していた。

 文庫本を持った女子高生以外。

 彼女は本に夢中で、トラックが迫っていることに気が付いていなかった。

 このままだと確実に轢かれる。

 トラックに横から衝突された彼女は吹き飛ばされ、道路に打ち付けられ、足や手が変な方向に曲がりながら血の海に沈む姿が容易に想像できた。

 倉敷の身体は勝手に動いていた。身体の重さなど感じずに、彼女の元まで走った。

(何やってんっだ、俺は)

 自分に関係ない人を助けようと必死に動くからだとは裏腹に、心は酷く落ち着いていた。

 時間の進みが、何故だかゆっくりと感じられていた。

(ああ、これが走馬灯ってやつなのかな?)

 何となく倉敷は悟っていた。

 ここまま全力で走って突きとばせば、彼女は助かる。が、自分はギリギリ助からないと。

(まあ、それでもいいかな。もう会社行かなくていいんだ。人を助けて死ねるんだ。金使ってればよかったな。存在意義としては十分だろ……それに来世はきっといい人生に……)

 どこからか悲鳴が上がった。

 トラックはもうすぐそこに。

 彼女の元まで来た倉敷は、走りの勢いそのまま彼女を突きとばした。

 ゆっくりとした時間の中で突きとばした彼女が、驚いていた顔を倉敷に向けた。

(そりゃそうだ、急に突き飛ばされたんだから)

 驚いた顔も何とも普通だったのが倉敷は少しほっとした。

 時間が引き延ばされた何もかもがスローモーションに見える世界で、彼女がトラックにぶつからない位置まで動いたのが何となくだが分かった。

 倉敷も後二歩、いや一歩あれば助かるかもしれないが、間に合わない。

(……親不孝者で悪いな、親父、お袋……)

 諦めた倉敷が目を閉じようとした、その時。

(っ!?)

 ガシっと強く倉敷の腕が掴まれた。

 突きとばしたはずの女子高生が、態勢を崩しながら倉敷の腕を掴んでいた。

 女子高生は倉敷の腕を思いっきり引っ張った。

 けれど腿のあたりには当たる。

(よくて下半身不随かな……)

 そう思った倉敷の腹に女子高生の彼女は足の裏を付けた。

「えっ?」

「はいや!」

 彼女は倒れかけの態勢を利用して、巴投げの要領で倉敷を自分の後ろに投げ飛ばした。

 トラックは倉敷の靴のつま先をほんの僅かに掠めて通過した。

「グッ!」

 倉敷はトラックには何とかぶつからずに済んだが、受け身も取れず、背中からアスファルトに叩きつけられた。思いがけない衝撃に自分の意志とは関係なく、肺にあった空気が口からすべて出たかのようだった。

 倉敷が上手く息が出来ずあえいでいると内に、トラックは曲がり切れずにガードレールに大きな音をたて衝突し、そして止まった。

「あの……大丈夫ですか」

 トラックの行方など気にしていられないほどに痛みで悶絶していた倉敷に、助けようとして助けてもらった女子高生が駆け寄った。

「すいません、思いっきり投げ飛ばしちゃいまして……」

「い、いや。ありがとう。おかげで助かったよ」

 なんとか空気を吸い、痛みを我慢して倒れたままの倉敷は精一杯取り繕った――周りから見たらひきつった――笑顔を彼女に向けた。

「あっ、お礼がまだでしたね」

 姿勢を正した彼女は、倉敷に深く頭を下げた。

「命を救っていただきありがとうございました」

「あ、いや……こちらこそ」

 倉敷もお礼を返すと、彼女はにっこりと笑った。

「ほんと、お互い生きててよかったですね。死んじゃったら終わりですから」

 そう言うと、事故で慌ただしくなったことは関係ないと、落ちた文庫本を拾った彼女は歩き去っていった。

 背中の痛みでまだ起き上がれない倉敷は、雲一つない晴天を見上げ、

「もう少し頑張ろうかな」

 と呟いた。





 数年後。

 死を覚悟し、生を実感した倉敷善士は会社を辞め、かつての夢だった探検家になる。いくつかの発見と学説を発表。ある女性に気に入られスポンサーに、後に結婚し、家庭を築く。二人の子供が生まれ。幸せな家庭を築く。



 IF。

 実はあの暴走トラック。とある人物が倉敷を異世界に転生させようとした工作であった。もし倉敷善士がトラックに轢かれていたら、異世界に転生して、その世界を謳歌していたかもしれない。


 

 

 

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