夏のやしろの神隠し
「夏のホラー2021」企画に応募しようとして、かくれんぼというテーマで書きました。が……壊滅的にホラーが書けない(汗)
ほとんど怖くなくなってしまったので、ジャンルはファンタジーとさせていただいています。が、最後のシーンだけは(ほとんど苦し紛れ……)ちょっぴり怖いかもです。
ホラーという点ではあまりうまくはありませんが、和風ファンタジーとしてお楽しみいただけると幸いです。
アドバイスをいただけると嬉しいです!
実家に帰省し、裏山の神社に足を踏み入れると、いつもあの時のことを思い出す。もう十年近く経とうというのに、未だ色褪せない色彩。木漏れ日の清々しい緑も、鳥居の紅も。そして、くすんだ茶色をした注連縄に、僕たちがつけた小さな傷も、わずかに綻びたままそこにある。――色褪せないのは、景色だけではない。僕の記憶もそうだ。
☆
そう、あれは、僕たちが小学四年生の時だった。
今となっては離れ離れになってしまった、あの頃の遊び仲間。学校帰りは、家の近い五人で、いつも馬鹿をやっていた。
僕――千颯と、瑞、彗冴、樹、そして佑介。
ケイゴはいつも、僕たちのリーダーだった。成績優秀、スポーツ万能、そのうえ義侠心があって、カッコいい奴。けれど、優しさでユウスケに勝てる奴はいないだろう。いつも細かいところまで気遣ってくれて、しかもこの小柄な体格と人一倍の童顔ゆえに僕らの癒し担当だ。それで、僕とミズキ、タツキは、このふたりについていく感じだった。そんなこんなで、この五人は幼稚園の頃からいつも一緒にいた。
夏休みだっただろうか。いつものようにみんなで誘い合い、揃ってタンクトップに短パンという格好で外に飛び出した。昆虫採集すれば自由研究にもなるし、木陰は涼しいだろうし、というケイゴの思いつきで、それまで行ったことのなかった裏山に足を運んだのだった。
少し山を登ると、不意に朱の鳥居が姿を表した。鮮やかな朱塗りだが、所々に傷みが目立ち、よほど古いものだとわかった。その何処か神秘的な雰囲気にほだされて、僕たちはその鳥居をくぐり、御影石の敷き詰められた階段をのぼり始めた。
鳥居と同様、他の建物――当時はわからなかったが、今でこそ本殿とか神楽殿とか名を挙げることが出来る――もガタガタに傷んでいた。誰も管理をしていないのだろう。それでも、かつてはとても、それはもう教科書で見るような神社と同じくらい立派な神社で、すごい神様が祀られているのだろうと、幼心に感じた。伝説とか神話とか、そういうのにちなんだゲームをしていた僕たちを興奮させるには充分なほど、ロマンのある場所だった。
そんな特別感のある場所でさえ、少し慣れると遊び場になる。
「もーういーいかい!」
「まーだだよ!」
タツキがオニになって、いつものような「かくれんぼ」を、いつもと全く違う場所で遊んだ。
ボロボロになった、誰もいない建物たち。一体いつから生きているのか、ぽっかりとうろを空けた大木の数々。そんなものがたくさんあるこの場所で、身を隠さずに何をせよと言うのか。
「見いつけた!」
「うわあ、タツキはやっぱりすごいや」
ひとり、またひとり、と見つかっていく。頭の回転が速いタツキは、かくれんぼのオニがとても強いのだ。僕はすばしっこさを生かして木の上に隠れていたのだが、ものの数分で見つかってしまった。ケイゴは死角を計算しつくして茂みに擬態していたし、ミズキは持ち前の怪力で河辺の岩をずらしてその隙間に居たらしい。ミズキは細身なのにどうしてこれほどに力が強いのやら。
「そりゃあ、もう俺ら何年一緒にいるんだよ?」
「そうだな!」
強い絆が裏目に出る。考えていることはお見通しらしい。僕は悔しくなりながら、笑ってオニに加勢した。
しかし。
「あれ、ユウスケは?」
「うーん……あんまり遠くに行けるとは思えないんだけど……」
ユウスケが見つからない。
初めは、小柄だしうまく隠れてるなあと笑っていたのだが、日が暮れそうになってもまだ見つからない。そこで、僕たちは焦り始める。
彼は気弱だから、いつもなら、かくれんぼをしてなかなか見つけてもらえない時は自分から最初の場所に来ていたものだ。「よかったぁ……みんな、どこに行ってたのさ? 僕を置いてっちゃったのかと思ったよ」と、いじらしい涙を目に浮かべながら。
ケイゴが、何か嫌な予感がするといってケータイを開き、彼に電話をする。
果たして、その電話は一向に繋がらなかった。
そこでようやく事の重大さを感じた。一気に顔から血の気が引く感覚は、今でも覚えている。
「神隠し……ってやつか?」
彼は年齢より幼い見かけをしている。神様が気に入って連れ去ってしまったのかもしれない。
「もしそうなら……ここの神様に頼み込んであいつを返してもらわないと」
四人、血相を変えて神社の本殿に駆け出した。なぜそうなったかわからない。土足で上がるなど無礼かもしれないのに。しかし、ただ、その一番大きな建物に行けば何か手がかりがあるという直感が、全員一致したようだった。
真ん中に、縄のかけられた岩が鎮座していた。
「これが……神籬、かな」
やはりケイゴは、難しい言葉を知っている。これが、祀られている神様の宿る岩らしい。
僕たちは、何もわからないまま、ただ両手を合わせた。ユウスケが無事であるように。もしあなたが隠したなら、返してください――
その時。
岩が燐光に包まれたかと思えば、本殿を中心として、四本の道が現れる。
膝ぐらいまで生えていた草が突然地面に吸い込まれ、代わりに御影石の道がすらりと伸びたのだ。
ここを進めばいいのだろうか? でも、四つも道がある……
「役割分担をしよう。ひとりがひとつの道を進む。そうだな……チハヤが東、ミズキが西、タツキが南で、俺が北に行こう。二本道に分かれていたとか、他になんでも、何かあったらすぐ、大声で助けを求めるんだ。ユウスケが見つかった時はもちろん教えてくれ」
「了解!」
☆
僕は、東の方へと歩いて行く。夕日は西に沈むから、神社の影も長く伸びてすっかり暗くなっていた。
幸いにも、道はずっと一本だった。両側に蛍が飛んでいて、幻想的な光の舞が見えた。
道を進むにつれて、光の粒は増えていく。……いや、よく見ると、これは蛍ではない。青白い光。狐火というやつだ。
どうしよう……ここは、本当に人間が来ていい場所なのだろうか。そんな不安がチラリと現れたけれど、でも、このまま引き返すわけにはいかなかった。
「少年よ。お前はなぜここにいる?」
「ひっ?!」
しわがれた声が聞こえ、ふと顔を上げる。
すっかり藍色に変わりつつあった空の中、目の前の景色は一際輝いていた。木の橋が架けられていて、いくつもの提灯で照らされている。そして、橋の先には、何やら街が広がっていて……綺麗な和服に身を包んだ首長娘、頭に葉っぱを乗せた狸、大百足……そんな奴らが、あちらこちらで闊歩していたのだ。
しかし、肝心の声の主が見当たらない。
「わしじゃよ、わし」
「……ぇ……」
「上を見なさいな、全く……」
言葉通りに目線を上げれば、橋の欄干で足を組んで座っている影があった。眩しい街の逆光でよく見えなかったが、彼は山伏の格好をして、赤い顔に、ぎょろりとした目。そして何より、長く伸びた鼻や、手に持っている羽団扇……
「……天狗?」
「いかにも。して、少年の名はなんじゃ? なぜここに居る?」
「ぼ、僕はチハヤ。ユウスケ……友達を、探してるんだ」
少し怖かったけれど、なるべく毅然とした態度を装う。対して、相手は少し訝しげな顔で「ほぅ?」とこちらを見つめた後、何か合点がいったというふうに「ああ!」と声を上げた。
「何か、知ってるのか?」
「ああ、わかるとも。迷い込んだんじゃな。かえして欲しければ、わしと少しゲームをしようじゃないか」
「……は?」
僕は少し苛立っていた。大切な友達を奪っておきながら、ゲームなんて楽しげに提案するのだから。
しかし、それに乗らないわけにはいかなかった。
相手は、黄金色の何かを手元でひらひらさせながら提案する。
「次に日が昇るまでにわしに追いついて、わしからこのお札を奪ったら少年の勝ちじゃ。よぅい、どん!」
「おい! 抜け駆けするなよ!」
天狗は、一方的に掛け声をするや否や、ひらりと翼をはためかせて空へ舞い上がり、吸い込まれるように森の木々の中へと姿を隠してしまった。
負けるものか。運動神経には自信があるのだ。僕は木に登って、奴がどこに飛んでいったかを確かめる。方向がわかったらそこへ向かって駆け抜けるばかりだ。
途中何度も転びそうになった。時はすっかり夜。その上さっきの妖しい街から離れて灯りといったら星の光だけなのだ。――月明かりは? そう思って天を仰げば、見慣れた光ではなく、真っ赤で薄暗い光。月食だ。――いや、空を見上げる時間なんてない。
ひたすらに走る。ぬかるみ、倒木、生い茂る草。何度も地面に足を取られた。それでもなんとか避けて時には巨木の枝をうまく使って飛び石のように木々を転々としながら駆け抜けた。
一体どれ程の時間、走っていただろう。
すっかり息が上がり、肩で息をつく。ふと顔をあげると、そこには見覚えのある翼。
「見つけた!」
思わず、そう声を上げた時。
「おや、もう来たのかい」
奴は、そう言って、また飛び立ってしまったのだ。
絶望と苛立ちとで、呆然とする。しかし、そんな暇はなかった。
ユウスケを助けるためなら、なんだってやってやる。
僕は再び駆け出した。小川を、丸太を、水たまりを、いくつも飛び越えた。
うっすらと空が赤らみ始める。約束の時間は夜明けまで。急がなきゃ。
遠くに山伏の服を見た。今度は、もう気づかれてはならない。しかも奴は居眠りをしているらしい。
そぉっと、足音を立てないように背後に回り込んで、じりじりと近づき……
「とった!」
僕は、その左手から黄金色のお札を奪い取った。
両手に掴むのが早いか――
「えっ、なにこれ」
――それは、突然鋭い光を放ち始める。
眩しさに目を開けていられず、僕はぎゅっと目を閉じた。
☆
「……あ、あれ?」
目を開けると、そこは神社の本殿の中だった。
もう石畳の道はない。周りは草むらに囲まれていて、何事もなかったかのように神籬が鎮座している。
「みんな……?」
「あれ、お前も、いつの間に?」
「そっちこそ」
「みんな、無事だったんだな」
僕たちみんな、いつの間にか戻ってきていたのだ。
「さっきのは……夢だった、のか?」
「そんなことはない。ちゃんとここにお札がある」
みんなそれぞれ、手にあのお札を持っていた。書かれている印はみんなバラバラだったけれど。
ミズキは、池のほとりで河童に出逢ったらしい。行く道を阻まれたが、その先に何か光るものが見える。あれは何だと聞けば、相撲に勝ったら教えてやると言われた。果たして、怪力の彼にとって妖怪ごときは敵ではなかった。それで、その光に手を伸ばし、気づけばお札を持ってここに居たというわけだ。
タツキは狐に出逢った。悪賢い狐は、お札をエサにして罠を作っていた。しかし、タツキはその仕掛けに気づいたのだ。それは、狐の口ぶりとか、言葉の裏を掻いて。さらに機転を利かせて、彼は狐をすかしてお札を奪うことに成功したという。
ケイゴはといえば、鬼に出逢った。彼の身長の何倍もある人外にも怯まず、ユウスケはどこだ、と凄むと、鬼はこう言う。雨垂れの岩を穿つとき、道は開けるだろう、と。ケイゴのような小さな身体でも、時間をかけて鬼を倒せばその先で尋ね人に出会える、ということだろうとはわかった。彼はそれを理解した上で、そんなに待てない、と叫びながら鬼に臨戦態勢をとった。合気道の心得がある彼は、重心を瞬時に判断し、鬼の足元に体当たりして倒してしまった。鬼は大柄で屈強であるがゆえ、動きが粗い。それを利用したのだ。それで、その反動でさらに走れば、お札が浮いていて――その先は、もう言うまでもない。
「でも……これが、どうなるんだろう?」
「うーん……」
その時。
各々の手から、スルリとお札が浮き上がる。
四枚のお札は、ひらりと舞い上がったかと思えば、空中で円をなして回り始めた。
かと思えば、それは列になって揃ってどこかに飛んでいき――
「あ、待って!」
――僕たちは、それについていくように走り出す。
浮かぶ札たちが立ち止まった場所、それは、あの始まりの鳥居であった。
ここから、何が起こるんだろう……そう思うや否や。
黄金色に光る札が、突如、鋭い刃のように妖しい輝きを放ち始める。ちょうど昇り始めた朝日の光と呼応するように、あるいは台風の日の雷光のように、ぎらぎらとしていた。鳥居の周りを、五枚のお札が取り囲む。
そして――光の刃は、鳥居の注連縄に踊りかかり、確かな五筋の傷をつけたのだ。
何か取り返しのつかないことをしてしまったような気になって、顔から血の気が引く。それは、僕たちみんながそうだっただろう。
しかし、その恐れはすぐ、吹き飛んでしまうことになる。なぜなら――
「おーい!!」
――鳥居の向こうから、良く知った声が聞こえてきたからだ。
「ユウスケ!」
「よかったぁ……よかったよ……!」
「ああ、本当によかった。お前が無事で」
いつもの五人だが、いつになく強く抱き合った。泣きじゃくるユウスケを見て、きっと僕たちは彼を助け出すことに成功したのだと思った。
……の、だが。
「みんな、どこに行ってたのさ? みんな、目の前でいきなり、煙を出して消えちゃうから、僕、怖くなって……」
「……え?」
どういうことだろう。そう思ったとき。
ユウスケの後ろから、人が走って集まってくるのが見えた。朝日が昇り、もう青空のかけらが見え始めていた。陽の光に照らされた顔を見れば、どれも知った顔――親に、先生、近所の人。そして、みんな、泣いていた。僕たちの顔を見て、よかった、よかったと、口々に叫んでいた。
――ああ、そうだったのか。
あの道の先で、僕たちは妖に出逢った。その時点で、気づかねばならなかった。
異界に迷い込み、神隠しに遭っていたのは僕ら四人の方だったのだ。
ユウスケこそ現世にいて、大人たちを呼んで助けようとしてくれていたのである。
いや、さらに気づく。ユウスケの手にも、あのお札があった。
「これ、街の中をあちこち走り回ってたとき、ふもとのお寺のひとに事情を話したら、僕にくれたんだ。『あの神社の結界を破るには五枚のお札が必要だが、一枚は外界にある。それをお前に託そう』って言って……」
そうか……ひとつ増えている気がしたのは、そういうことだったのか。
「ユウスケには敵わないな」
ケイゴが笑いながらそう言うと、ユウスケは「笑い事じゃないよ!」と泣きながらやはり笑ってしまった。仲間の無事がわかったいま、もう憂いはない。安堵の笑みと涙が溢れる。
すっかり日が昇れば、初めの時のように、鳥居の朱も、森の緑も、青空の中できらきらとしていた――
☆
何とも懐かしい。少年の時の思い出。
あれは結局、現実だったのか、幻だったのか。大人の仲間入りをした今では、判別が出来ない。
けれど、ただ、この眩しく鮮やかな色彩が懐かしい。
……と、鳥居の向こうをふと眺めると、ちらりと人影が見えた。
本殿の陰と木陰に包まれたその空間は、眩しい昼間の光に慣れた目にはあまりにも暗い。
それでも目を凝らすと、彼はこちらを見ていた。
見覚えのある山伏の格好をして、ぎょろりとした瞳をこちらに向けていた。
いや、それだけではない。
狸も、狐も、河童も……さらにその先には、もっと大きな影が動いている。
振り返れば、目の前にあったはずの鳥居は背後にある。
「やっと修理が出来たよ……」
「ほんとにさ。何年かかったろう」
「誰かが突然紛れ込んできてあれをめちゃくちゃにしてから、もう十年になるのかのぅ。本当ならこっちで働いて埋め合わせてもらうところ、現世に残る子が哀れだったから、こんなにも働いて待ってやったんじゃ」
よく見れば、あのぼろぼろの注連縄があった場所には、いつの間にやらぴかぴかの真新しい縄が掛かっていた。
「そろそろ、お招きしてもいいと思うがねぇ」
聞き覚えのあるしゃがれ声が、森の中にこだましていた。