3
次の日の朝。
グラスはカタリナたちに叩き起こされた。
本当に扉を改造するらしい。大工が来て、テキパキと仕事をこなす。グラスは髪と顔を隠し、作業の邪魔にならないようベットに座っていた。
素材が木材なのは変わらないが、本当に内側から開けられないようにされた。
この扉を開けられるのは、世話をしてくれるココと家族のみ。
「……本当にやるとは思わなかった。暇人なのかな、あの人たち」
内側にはドアノブさえない。
(どうやってこんなもの、作ったのやら)
押しても引いても開かない扉。
中から見ればもう壁と同化している。
静かで、まるでここだけ世界が切り離されたみたいだ。
(あの時、外に出なければよかった)
そうすれば、今でも家族がいなくなれば外に出られていたかもしれない。希望なんか見つけなかったかもしれない。
(でも、あんなこと言ってくれる人に出会えたことだけは……)
本当にそれだけは、今生きている人生で一番良かったと、幸福だと思えることだった。
お昼。ちょうど昼食を食べて一服着いた時間。
外でガラガラと馬車の走る音がする。
グラスはああ、珍しいなと思って耳を澄ました。ガラガラという音が妙に心地良い。もっと聞いていたいと思いながら目をつぶると、馬車の音が止みチリンチリンと鈴の音が鳴る。
(お客様だったんだ……)
なんだか残念な気持ちが、じわりと身体を支配する。
けれど、それを上書く程の感情がすぐにやってきた。
門から屋敷まではさほど遠くない。けれど外の話し声は大きなものや張っているものじゃないとはっきりとは聞こえない。
なのに、その人の声はやけにはっきりと聞こえた。
「グラス嬢のお見舞いに来ました」
ぱっと立ち上がり、窓の方へ急ぎ足で向かう。もっと、はっきりとあの人の声を聞きたい。
「応接室へご案内致します」
執事の声がする。
今日はエリザベートが屋敷にいる。きっと彼女が彼の相手をするのだろう。
(嫌だ。私も会いたい……一瞬でもいいから)
ギリっと窓の棧を握りしめる。
せめて声だけでも聞こうと、扉の方へ近づく。
ツンっと足になにかが引っかかり、バタンと大きな音を立てて倒れてしまった。
「痛っ……」
倒れた拍子に膝と手のひらを床にぶつけてしまった。膝はまだ赤くなる程度ですんだが、手のひらは少々擦りむいてしまった。
「これだから、知らない人を部屋に入れたくないのよ」
グラスは他人が部屋に入ることをとても厭う。
こんなボロボロの部屋にいることを知られたくないことはもちろん、物の配置が多少変わるからだ。
憂鬱な気分になりながら、ゆっくりと立ち上がる。また躓かないように注意して進む。
ドアにたどり着くと、それを背にして座り込む。
彼は今、エリザベートと何を話しているんだろう。何をしているんだろう。
そればっかり気になって、どうにも落ち着かない。
「グラス嬢は今はどうしていますか」
「今は落ち着いていて部屋で休んでおります」
「そうですか。一目見たいのですが」
「ですが……病が伝染ってしまいますわ。そのお気持ちだけいただきます」
「残念です。ではこれを彼女に渡してください。颯」
「はい」
「あら、こんな素敵な花束を……妹に変わりお礼を申し上げます」
エリザベートは花束を受け取り、使用人に預ける。
「申し訳ないのだが、御手洗を貸してくださいませんか」
「もちろんですわ。あちら側の廊下の突き当たりでございます」
「ありがとう」
(お見舞いに来てくれたんだ……)
実際にはグラスは病気にかかってなどいないのだが、心配してきてくれたのだと思うと心臓の辺りからふわりと温かい何かが身体を包んだ。
☆☆☆☆☆
「さてと……グラス嬢はどこかな」
低い目線はあまり慣れないなと思いながら、清夏は屋敷の人間に見つからないように進む。
「こういう時、変化があってよかったって思うなぁ」
今の清夏の姿は、猫だ。
トイレで猫に変化し、グラスを探している。
彼女にまた来ますと言って、二日が経った。早く会いたくてたまらなかった。彼女は自分のものだと、初めて会った時に強く思った。
(彼女には僕と共に帝国へ来てもらう。あんなに強い力の持ち主は初めて見た。逃してはならない!)
清夏は強くグラスに執着していた。本能が逃してはならないと叫んでいる。
けれど、どこかそれに抗いたい自分もいる。
初めて彼女を見た第一印象は、白い人間っているんだというものだった。
髪も肌も白い。けれどそれが真っ赤な瞳を強調している。
よく見れば服はボロボロだ。何度も繕ったようでもう布が薄くなっているところが多々あり、学園で見る令嬢たちと比べ、痩せているように見えたのだ。
優しくしないとすぐに壊れて消えてしまいそうだった。
そんな脆そうな見た目とは反して、グラスの周りには強い力が漂っている。いや、正確にはグラスから漏れ出ているという感じだった。
清夏はその強い力の残滓を追っている。
たどり着いたのは、ごく最近付け替えられたであろう木の扉と古そうな部屋だった。
周りに誰もいないことを確認し、コンコンとノックをしてから扉を開ける。
扉を開けると、入口に彼女が座り込んでいた。
具合が良くないのにベッドにいなくていいのか。そもそもなぜこんなところで座っているのか。
「あの……」
声をかけるとビクッと肩を揺らし、ビクビクしながらゆっくりと清夏の方を向いた。赤い瞳が清夏を見つめる。
正確には、ほとんど見えていないが何となくいるであろう方を向いて、相手を見ようとしているだけなのだ。
グラスは清夏以外の気配がないことに心底ホッとした。
「あの大丈夫ですか?具合が宜しくないのでしょう?」
「あ、いえ……その」
「あの、ここで話すのもなんですし、移動しませんか?」
「そ、そうですね。申し訳ありません」
グラスはばっと立ち上がって、くらりと目眩がした。体が傾き倒れそうになるのを、清夏が支えてくれる。
「急に立ち上がったら、そりゃクラっとします。気をつけて」
「ありがとうございます。あと、扉は閉めてはいけません」
清夏はギョッとする。確かに閉めようと思って扉の縁を掴んでいる。
けれどグラスからは死角になっていて見えないはずだ。
「出られなくなりますよ」
その一言でぴしりと清夏の動きが止まった。
後ろを振り返り、扉にドアノブがないことに気づく。
「あなたはいつもここにいるのですか?」
「……」
「沈黙は肯定なり、ですよ」
はあ、と大きな溜息をすると清夏は立ち上がった。グラスは手を伸ばし、清夏の服を掴む。
「ど、どうかここに来たことは……」
「……言いませんよ。この事を彼女に話せばあなたはもっと酷い扱いを受けるでしょう。僕だってそこまで馬鹿じゃないですよ」
目線を合わせて、ぽんぽんと頭を撫でられる。清夏がふっと笑う気配がした。
何をされたのかよく分からなくて、グラスはポカンとする。
それを見て清夏は頭を撫でるのを辞めた。
「あ、ごめん。つい癖で」
「いえ……」
頭を撫でられた経験などないグラスは、なんだか恥ずかしかった。けれどやめないで欲しかったとも思う。
「そろそろ僕、行くね。次は直接君のもとへ手紙が届くようにしよう」
そう言うとしゅるっと姿を猫に変えて、去っていった。
書ける時と書けない時の差が激しい……。(やはり眠い時の方が書けるのだろうか……)