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鈴谷さん、噂話です

呪いと賄賂と過酷な介護

 ――2016年2月3日の夜。

 兵庫県赤穂市である殺人事件が起きた。

 山間の民家に住む老夫婦が、同居している養子であり孫でもある19歳の少年に殺されてしまったのだ。

 犯人の少年は、老夫婦を殺した後にお金を奪って逃走しており、これだけを見るのなら凶悪な強盗殺人事件に思えてしまう。ところが少年が犯行に及んだ事情を知ると、この事件はまったく別の姿に見えて来る。

 どんな取引があったのかは不明だが、彼の母親は少年を老夫婦の許へ養子に出していた。そして老夫婦は、少年に生活費を稼がせていて、そればかりか、介護、病院への送り迎えまでさせていたのだという。

 つまり、少年は老夫婦の家で半奴隷のような扱いを受けていたのだ。

 口論の末、少年は激昂し、犯行に及んでいるようだが、その心中は察するに余りある。一体、誰に彼を責められるというのだろう?

 

 そして、“もしも”とボクは思う。

 

 ――もしも、この世の中の高齢者達が、全てこの老夫婦のようになってしまったなら、絶対に、この社会は衰退していってしまうのだろう、と。

 

 ボクは主に生物学の方面から心理学にアプローチをする事に興味があり、その関係で民俗文化研究会という大学のサークルに所属している鈴谷君と知り合った。

 彼女…… あ、鈴谷君は鈴谷凛子という名前の女学生なのだけど、彼女はそんなサークルに所属しているほどだから、社会科学関係の知識に詳しく、その知識が何かの役に立たないかと思ったボクは、彼女と近しい関係になろうと試みたのだ。

 もっとも、彼女はとても魅力的だから、そんな事はまったく関係なしに仲良くなりたいとも思っていたのだが。

 

 「……だから、そんな誤解を生むような説明は止めなさいな。あなたは女でしょう? 菊池さん! しかも彼氏いるし」

 

 なんて事を言っていたら、彼女からそんなツッコミをされてしまった。まぁ、この一連の流れは恒例のイベントみたいなもんだからあまり気にしないでくれ。

 それから鈴谷君は、軽く首を傾げるとこう尋ねて来た。

 「ところで、今日はどうしたの? また何か意見が欲しいとか?」

 ボクは首を横に振る。

 「うんにゃ。今回は違うんだよ。実は君の社交能力を期待して来た」

 そう言うと、鈴谷君は「は?」と思い切り変な表情を浮かべた。

 「自分で言うのもどうかと思うけど、私、社交能力は壊滅的に低いわよ?」

 「そうかい? ボクはやる気の問題だと思うけどね。

 でも安心してくれ。ボクは別に一般的な人との仲介役を君に期待している訳じゃない。君は特殊な人との関りはあるじゃないか。普通の人はあまり交流がないような」

 「……安心って、別に不安は覚えていないけど、私が仲介役を果たせると言ったら、佐野君くらいしか思いつかないわね。佐野君と交流したいの? 菊池さん」

 「いやいや」と今度はボクが変な表情を浮かべる番だった。

 「どうしてボクが、わざわざ君を取り合うライバルである佐野君と交流しなくてはならいんだい?」

 佐野君というのは、鈴谷君に付き纏っているいかがわしい男生徒で、ヘタレである事を意外に特にこれといって特徴がない。何か危険が及んだ際には人間の盾くらいの役割は果たしてくれるかもしれないが、他にあまり利用価値はないだろう。

 「君は大学の図書館を根城にする呪術師の黒宮君と付き合いがあるのだろう? 彼女と普通に話せるのは君くらいだと、誰かから聞いたのだけどね」

 鈴谷君はそれを聞くと目を丸くした。

 「呪術師? 確かにあの人には呪いが使えるって噂があるけど、そんな風に思われていたの?」

 「いや、呪術師ってのは、ボクが勝手に付けた肩書きだけど。呪いが使えるからには呪術師だろうと」

 「それを聞いたら、あの人、きっと怒るわよ」

 「そうなのかい? じゃ、もし会えたなら言わないようにしよう。

 それで、何とかして彼女にコンタクトを取りたいのだけど、どうにかならないだろうか?」

 それを聞くと、軽くため息をついてから鈴谷君はこう言った。

 「断っておくけど、私、黒宮さんとそれほど仲良くないわよ? 高校が偶々同じで、高校時代は図書室でよく顔を合わせていたってくらいで、滅多に話した事もなかったし。

 ……まぁ、極稀には、協力し合ったりしたこともあるにはあったけど」

 「しかし、それでも話しかけられるくらいの関係ではあるのだろう? ならば、是非とも力を貸して欲しいな」

 鈴谷君はそれを聞くと、机を軽く指でトトンと叩いてから、やや警戒したような表情でこう訊いて来た。

 「それくらいは別に良いけど、あなた、一体、黒宮さんに何の用があるの? まさかとは思うけれど、呪いを頼みたい訳じゃないわよね?

 もしそうなら、彼女、呪いなんか使えないって言って怒ると思うわよ」

 ボクは「まさか」とそう返す。

 「鈴谷君の目には、ボクがそんなタイプに思えるかい? ボクには呪いたい相手もいないし、仮にいたとしても呪いになんか頼らないよ」

 「でしょうね。でも、だからこそ疑問なのよ。どうして、黒宮さんに会いたがっているのか」

 そこで言葉を止めると、鈴谷君はやや真剣な表情になってこう続けた。

 「実は“呪いが使える”なんて噂があるけど、黒宮さん自身はそもそも“呪い”なんてもの信じてすらいないの。彼女自身はその噂を“迷惑な風聞”だと言っているわ。

 でも、それでも、“呪いが使える”という噂があるだけで、それは社会の中で機能してしまうのよ。だから決して馬鹿にしては駄目。

 村社会などでは、呪いを使えるシャーマン的な位置づけの人は、人間関係を調整する役割を果たして来た。色々な人の“恨みや憎しみ”の情報を引き寄せてしまう訳だから、それぞれの事情も分かる。その上、不思議な力を持っているとされていて、一目置かれているから、言う事に従う人も多かったのね。

 だから、呪い合いが激しくなると、“そろそろやめろ”と互いを諭して仲直りさせたりするのよ」

 「ほぉ」と、それを聞いてボクは言った。

 「つまり、黒宮君もそのような役割を果たしているって事なのかな?」

 ところが、鈴谷君はそれを聞くと肩を竦めるのだった。

 「それがよく分からないのよね。偶にはそんな事もやっているみたいだけど、なんか遊んでいる時もあるみたいだし、基本的には面倒くさがっているし。

 社会科学的には、彼女の立ち位置はとても面白いのだけど」

 そう言った鈴谷君は、滅多に見られない研究者の顔になっていた。レアなものを見られたとボクは思わず微笑んでしまう。

 「なるほどね」と、それからボクは言った。

 「話は分かったよ。呪いなんて超自然的なものは存在していなくても、充分に注意をするべきなんだね」

 うんうんとボクは頷く。

 「だけど、安心してくれ。ボクは別に彼女の呪いを軽んじている訳じゃない。

 黒宮君の所には、人の負の感情の情報が集まるのだろう? ボクは当にそういう情報を知りたいんだよ」

 それに鈴谷君は険しい表情を見せた。

 「それって、個人情報よね?」

 厳しい口調でそう言う。

 「分かっているよ」とボクは返した。

 そこで鈴谷君は少し止まった。そして、一呼吸の間の後でこう続けた。

 「何か事情がありそうね」

 

 ――もちろん、事情はあるのだった。

 

 日本の医療体制は、世界的に観ても優れていると言われている。だがしかし、利権と金が絡む業界が往々にしてそうである例に漏れず、その闇も実に深い。

 例えば、生活保護制度。

 日本の生活保護制度では、受給者は医療費の支払いを免除されている。生活保護受給者が医療サービスを受けたその料金は、全額税金から支払われているのだ。

 個人的には、いくらなんでもこれは優遇され過ぎだと思う。モラルハザードだって起こってしまっている。日本は共産主義ではなかったはずで、しかも共産主義に批判的な政党がずっと政権を担って来たはずなのに、それは是正されず、今でも莫大な額の税金が生活保護の医療費で消えていっている。

 なんか、おかしい。

 ただ、これが生活保護受給者の為にある優遇措置なのかと言えば、恐らくは違うだろう。

 病院は生活保護受給者に医療サービスを提供すれば儲かる。どんなに高い医療を施しても、受給者が怒る事は稀だと思われる。受給者は支払いを免除されているのだから、それは当り前だ。そして、少なからず何らかの不正が行われていると観た方が良い。

 実際、大阪でホームレスに生活保護を受けさせ、無理矢理必要のない心臓手術を施していた医師が逮捕されたなんて事件も起こっている。

 ここまで酷くはなくても、病院側が生活保護受給者には手厚くサービスをするような事は、恐らくは普通に行われているのだろう。これは医療に関わる“闇”のうちの一つで、黒い話はまだ他にもたくさんある。

 そして、そんな闇の内の一つに、患者が病院へ渡す「賄賂」問題がある。

 医者は“受け取りを拒否している”という声もあるが、今でも行われているという証言も多い。悪質な場合には、賄賂を渡さなかった患者へは、医療サービスの質が悪くなるというような話すらもある程だ。

 まぁ、本当か嘘かは分からないが……

 

 ――さて。

 なんで、ボクがこんな話をするのかと言えば、先日、知り合いが病院へ“賄賂”を渡したという噂を聞いたからだ。

 もっとも、知り合いと言っても、ギリギリ知り合いと言えないこともないくらいのご近所の人なのだけど、まぁ、“袖すり合うも多生の縁”とも言うし、気になることはなってしまってね。

 彼の高齢の父親が重い病気に罹り、それで手術が必要になったらしい。

 え? それがどうして“黒宮さんに会いたい話に繋がるのか分からない”って?

 ああ、そうか。君はボクがいつも遠回しに話をする傾向にあるから心配しているのだな。

 でも安心してくれ。今回は、そのまんまの話だからさ。

 え? 既に随分と遠回りをしているって?

 生活保護の話なんて必要なかったのじゃないかって?

 まぁ、良いじゃないか。

 確かに直接は関係がないが、ボクのモチベーションというか、意気込みを伝えるのには、効果的だと思ったんだよ。

 え? 良いから、続きを話せって? 益々、話が長くなる?

 分かったよ。

 続きを話そう。

 実はご近所内では、この“賄賂”の話は悪い噂として囁かれていてね。

 「賄賂なんかで、病院で良いサービスを受けようとするなんて、とんでもない!」

 って。

 ところが、この批判は肩透かしで終わってしまったんだ。何故なら、彼の父親の執刀をする医師は、今までに何度か失敗をしていて、患者を殺してしまっているんだよ。いずれも高齢の患者で、手術に耐え切れなかったからとも言われているが、真相は定かではない。単に腕が悪いだけかもしれない。

 もし、これだけだったなら、「勘違いだった」でお終いだろう。ところが話はそれだけじゃなかったんだ……

 

 「――なるほどね」

 

 と、そこまでを聞いて鈴谷君は言った。

 「その賄賂をしたと噂されている人が、黒宮さんを頼っていたのね?」

 「おお! 流石だね。その通りだ。それで“そんな医者が彼の病気の父親の担当になったのは、呪いを誰かにかけようとした報いだ”なんて言われるようになってしまってね」

 その説明を聞いて、鈴谷君は軽くため息をついた。

 「大学の外にまでも黒宮さんの噂は広まっているのね。大したものだわ。私の知らない所で、色々やっているのかしら、あの人」

 そして、やや呆れた口調でそう続ける。

 「それで、ちょっとその話を黒宮君から聞いてみたいんだよ。どうだろう? 話を通してくれないだろうか?」

 ボクがそう頼むと、鈴谷君は軽く頭を掻くと、「それくらい別に構わないけど」と言ってから「うーん」とうめく。

 「でも、少し不安ね。親しくもない人が、あの人に会いにいくのはそれなりに危険なのよ。“呪いを頼みに行った”って噂されちゃうかもしれないから」

 ボクはそれを聞いて思わず笑顔になってしまった。

 「これは嬉しいね。鈴谷君がボクの心配をしてくれるだなんて」

 「言ったでしょう? 菊池さん。呪いを馬鹿にしちゃ駄目だって。単なる噂でも、それはとても危険なのよ」

 鈴谷君はそれから「ふむ」と言った。

 「それなら、佐野君を付けましょうか」

 「何? なんで、あんなヘタレ君を付ける必要があるんだい?」

 「あんなヘタレ君でもね、新聞サークルに所属しているって校内では有名なのよ。彼が一緒なら、きっと新聞の取材だと思ってくれるわ」

 ボクは多少は納得がいなかったのだけど、「まぁ、別に構わないが」とそう返した。いてもいなくてもあまり変わらないと思ったからだ。

 

 鈴谷君が呼び出すと、あっと言う間に佐野君はやって来た。分かり易過ぎるくらいの感じで、ニタニタニタニタ嬉しそうにしている。隠す気が毛頭ないのか、隠そうと思っても抑えきれないのか、それとも自分がそんな顔をしている事が分からない程の馬鹿なのか、鈴谷君から呼んでもらった事がよほど嬉しいようだった。

 「鈴谷君。ボクは、こんな間抜け面を連れていかなくてはならないのかい?」

 ボクがそう言うと、鈴谷君は腕を組んでやや呆れた表情を浮かべてはいたけど、「まぁ、しばらく経てば少しくらいはマシになると思うから」と彼を庇った。

 「ん? 何の話?」

 それを受けて、佐野君は不思議そうな顔をする。説明するのも面倒くさかったのでボクは何も言わなかったが、鈴谷君は軽く事情を説明した。

 「黒宮さんの所に、菊池さんと一緒に行って欲しいのよ。新聞の取材を装って。

 彼女に呪いが使えるって噂があるのは知っているわよね? 実は菊池さんが彼女に用があるのだけど、そのまま行ったら“呪いを依頼したんじゃないか?”って変な噂が立っちゃうかもしれないでしょう? だから」

 それを聞いて佐野君は残念がるかとも思ったのだが、意外にもそれを聞いても彼はまだ嬉しそうにしていた。

 「分かった。任せてよ」

 なんて言っている。

 どんな事でも、鈴谷君が頼ってくれたというだけで嬉しいのかもしれない。

 何と言うか、ここまで来ると健気に思えなくもない。従順な犬といったところだろうか……。

 

 ボクらはそれから図書室を訪ねた。図書室の棚に囲まれた奥の一角が、黒宮さんのいる定位置になっているらしく、彼女に呪いを頼みたい人はよくそこを訪ねるのだという。

 佐野君はデジタルカメラなんかを構えていて、少々わざとらし過ぎるかとも思ったのだけど、その効果はそれなりにあるらしく、図書館でボクらを見かけた生徒達は、黒宮さんの所にボクらが向っているのを見ても不審な目を向けなかった。

 鈴谷君の予想通り、取材だと思われているのだろう。

 呪いを使える女生徒に電撃インタビューとかなんとか。

 もしかしたら、佐野君が一緒にいるからボクも新聞サークルの一人だと思われているのかもしれない。

 

 「あら? あなた、確か新聞サークルのなんとかって人よね。よく覚えているわ」

 

 棚に囲まれたそのスペースに佐野君が入るなり、ボクの方は少しも見ずに黒宮君はそう話しかけて来た。

 よく覚えているのに、名前は覚えていないらしい。

 「佐野だよ。お久しぶり」

 それを受けると、少しも気を悪くした様子も見せずに佐野君はそう返した。それを見て、ヘタレというのも一つの技能と言えるのかもしれない、なんてボクは思った。

 「それで、今日はまた何の用? いつかみたいに取材だったらお断りよ。まぁ、あなたがここに来る理由は取材くらいしかないでしょうけどもね」

 それはつまりは“お断り”って事なのじゃないだろうか?

 黒宮君の言葉を聞いてボクはそう思ったのだが、それを聞くと佐野君は「あれ? 鈴谷さんから連絡が行っていない? 今から、僕らが訪ねるって」とそう少々間抜けな感じで返した。

 すると黒宮君は、無言のまま億劫そうにスマートフォンを見て、「ああ、そんなメールが確かに入っているわね」などと言った。

 「メールなんて滅多に確認しないから気付いていなかったわ。でも、普通、こんなに直ぐに来るのだったら、電話をかけてくるものよねぇ」

 それを聞いて、ボクは“確かに、鈴谷君の社交能力は壊滅的かもしれない”とそう思った。

 「……まぁ、もっとも、私、電話にも出ないかもしれないけどね」

 ほんの少しだけ口の端を歪めて、黒宮君はそう笑う。なんだか斜に構えている感じだ。鈴谷君だけでなく、黒宮君もどうやら社交能力は壊滅的に低いらしい。そもそも、この二人がお互いのメールアドレスと電話番号を交換していることが脅威的と言えるかもしれない。

 「――それで、あなた達は一体、どんな用件でここに来たの? 鈴谷さんが紹介するってことは呪いの依頼じゃないんでしょ?」

 ボクはそれを聞いて、事の経緯を軽く説明した。そして、

 「大学の外からの依頼なんて、流石に珍しいだろう? きっと、覚えていると思うんだ。どうだろう? 教えてくれないかな? どんな呪いの依頼だったのかを」

 と、そう結ぶ。

 「あなたねぇ……」

 ところが、それを聞くなり黒宮君はそう言うのだった。

 「常識ってものがないのかしら?」

 「まぁ、よく常識はないと言われはするね」

 「呪いの依頼って個人情報よ? その個人情報を簡単に他人に教えたりする?」

 それには佐野君が答えた。

 「まぁ、しないねぇ」

 「でしょう?」

 「でも、僕らはあの鈴谷さんの紹介なんだよ? 少しは信頼して欲しいんだけど」

 「なにが“あの”なのか分からないけど、一番の問題点はそこなのよね。彼女が寄越して来た人なら、滅多なことに情報を使ったりはしないでしょう? そんなつまらない相手に情報を教えても面白くとも何ともないわ」

 「は?」と、それに佐野君。

 「冗談よ。常識的に考えて、他人の秘密をペラペラ話すはずがないでしょうが」

 「うーん」と、それに佐野君。

 ボクはそのやり取りを聞きながら、なんだか腑に落ちない想いを抱えていた。

 確かに、筋を言うのなら黒宮君の主張は正しい。けれど、そんな事くらい鈴谷君だって分かっていたはずなのだ。それなのに彼女は、ボクらをここへ送り出してくれた。仲介の仕方にやや難はあったけれど。

 佐野君が言った。

 「まぁ、仕方ないか。確かに黒宮さんの言う事は正しいし」

 “おいおい”と、それを聞いてボクは思う。

 「佐野君。当事者のボクを放っておいて、勝手に諦めないでもらえるかな?」

 しかし、そこで黒宮君がボクをじっと見ているのに気が付いた。その視線が、ボクには妙に気になった。それで、

 「ただ、ま、確かに黒宮君の言葉の方が常識的に観て正しいね」

 そう続けてみた。

 それに彼女は「でしょう?」とでも返すのかと思ったのだが、こんな事を言って来るのだった。

 「あなた、けっこー厄介そうね。流石、あの鈴谷さんが送り込んで来ただけのことはあるわ」

 自分でも“あの鈴谷さん”って言っているじゃないか。

 と、それを聞いてボクは思ったが、何も返さなかった。

 

 それからボクらは黒宮君から呪いの依頼の内容を聞き出すのを諦めて早々に図書館の外に出た。

 「やぁ、まぁ、考えてみれば、普通は教えてくれないよねぇ」

 外に出るなり佐野君は呑気そうな感じでそう言う。

 ボクが当事者なのだけど。

 ……なんにせよ、このヘタレ君の黒宮君への感想ではまったく信頼できない。第三者の意見を訊いてみるべきだろう。

 「よし。これから新聞サークルへ行こう。誰かいるだろう?」

 それでそう言ってみた。

 それに佐野君は不思議そうな表情を見せる。

 「え? どうして?」

 「どうしても、だよ。行っちゃ悪いかい?」

 「いや、別に構わないけど。まぁ、火田あたりはいるのじゃないかなぁ?」

 “火田”というのは、新聞サークルを動かしている実質的なリーダーで、佐野君と違って頭も切れるし判断力もある。ボクが認めている数少ない内の一人だ。まぁ、人相は少々凶悪なのだけど。

 「おお。それは良い。是非とも行こう」

 それでボクはそう返した。

 佐野君はやや不満そうな顔をしていたけれど、それを無視してボクは新聞サークルを目指した。

 新聞サークルの佐野君を差し置いて、ボクが先導する形だ。

 ボクらが新聞サークル室に入るなり、火田君が素っ頓狂な声を出した。

 「なんだぁ? 菊池じゃねぇか。珍しいな。しかも、佐野と一緒って。どうした? 遂に脳に何かまわったのか?」

 サークル室の中には、火田君の他にも小牧君もいた。小牧君は大学内の噂話に精通している女性だ。彼女もいるのはありがたい。

 火田君の言葉に佐野君が不満の声を上げる。

 「なんで僕と一緒だと、脳に何かまわってなくちゃいけないんだよ?」

 ボクはそれを無視して、「いや、安心してくれ。彼とは極めて便宜的な理由で一緒にいるだけだから」と言うと、こう続ける。

 「実は君らに黒宮君の事を訊いてみたくてね。彼女がどんなタイプの人間なのか、是非とも意見を拝聴したい」

 「黒宮ぁ?

 ああ、なんか呪いが使えるとかって例の女か。悪いが俺はそれほど詳しくないぞ。佐野の方が関わりがあったはずだけどな」

 「その佐野君の意見が参考にならないから、こうしてやって来たんじゃないか」

 「なるほどな。それなら、小牧か」

 そう言って火田君は小牧君を見やった。お喋りな彼女が何も喋らないと思ったら、インスタントラーメンを頬張っている。「ほのみやさんには…」と、頬張ったまま何かを言おうとする。

 「食ってから、口を開けよ」と、それに火田君がツッコミを入れると、急いで口の中の麺を呑み込んで、小牧君はこう言った。

 「黒宮さんには、悪い噂も良い噂も両方あるわよ。やっぱり、呪いを使えるのは怖いって思われているかと思えば、一方では仲違いしていた二人の女生徒を仲直りさせたとか、嫌な奴を懲らしめてくれたとか」

 ボクはその説明で、鈴谷君が言っていた事を思い出した。シャーマン的な存在の社会的役割の一つに、人間関係の修復がある。

 恐らくは無自覚なのだろうが、どうやら黒宮君はそんな役割を果たす事もあるらしい。

 「ふーん。じゃ、“呪いを使える”なんていかがわしい噂があるわりには、意外に良識的な人って事なのかな?」

 それでそう言ってみたのだが、それに小牧君は首を傾げるのだった。

 「いや、それはどうかしら?」

 「と言うと?」

 「呪いを依頼した人が、その話をまんまばらされたりした事もあったみたいなのよ。しかも、呪いをかけようとしている相手に」

 それを聞いてボクは思わず笑ってしまった。

 「アッハッハ! それは凄いね。何とも痛快だ。よくそれで彼女に呪いの依頼をしようって人がいるもんだ」

 それからボクは腕組みをした。そして佐野君を見てみる。佐野君にはその視線の意味が分からなかったらしく、不思議そうな表情を浮かべていた。

 「まぁ、最初っから分かってはいたんだ。あの鈴谷君が一応は仲介役を引き受けてくれたんだから」

 それからそう独り言を言ったボクに、「何の事?」と佐野君は尋ねて来たけど、ボクはそれを無視して小牧君にお礼を言った。

 「ありがとう。知りたい事は、大体、聞けたよ、小牧君。今度、気が向いたら、何かお礼に奢ってあげよう」

 ただ、小牧君はボクの性格を知っているからか、やや呆れた顔でこう返して来る。

 「それは、気が向かなったから、奢ってくれないってことよね?」

 まぉ、その通りなのだけど。

 

 ――夕刻。

 ボクは家の外に出ると、彼に話しかけた。ベランダで姿を見かけたのだ。

 今回の事件の発端。

 そう、

 呪いの依頼をし、病院に賄賂を渡した張本人の彼だ。

 ボクが話しかけると、彼は少なからず驚いたような顔をしていた。無理もない。ボクが彼に話しかけるのは、恐らくはこれが初めてだろうから。

 「お父さんの手術が成功されたそうですね。おめでとうございます」

 ボクがそう言うと、彼は疲れたような掠れた笑顔でこう返した。

 「はぁ。ありがとうございます」

 その顔を、ボクはじっと見つめる。それで彼はボクが通っている大学を思い出したのか、表情が変わった。だからボクは試しにこう言ってみる。

 「呪いは、結局は意味がなかったみたいですね。

 いえ、意味はあったのかな? 呪いをかけたなんて知られたら、悪い噂が立ってしまう。ボクの知り合いに言わせれば、つまりはそれが呪詛返しって事らしいですよ。確り、呪詛返しをもらってしまいましたね」

 それを聞いて、彼は目を大きくした。「くろみ……」と言いかけるのを制して、ボクは「彼女からは何も聞いていません」とそう言った。

 「聞きに行ったのですがね、何も話してはくれなかったのです。ただ、状況から色々と察しました」

 そこで一度言葉を切ると、ボクはこう言った。

 「――あなたは、お父さんの手術の失敗を願ったのでしょう? そしてそれが黒宮君への呪いの依頼内容だった」

 少しだけ逡巡するような表情を見せはしたが、彼はあっさりと頷いた。

 「その通りです」

 ボクはそれを受けると続けた。

 「あなたは病院へ賄賂を渡したそうですが、それもその為だったのですね。つまり、近所で噂になっているような“優秀な医師をつける為の賄賂”ではなく、“手術が下手な医師を、自分の父親の担当にしてもらう為の賄賂”だったんだ。もっとも、皮肉にも手術は成功してしまいましたが」

 それには少しも迷わずに彼は返した。

 「ええ、そうですよ」

 そう言った彼の様子には、やや自棄になったような気配があった。

 「執刀の担当を下手な医師にする事くらいならできますが、意図的に失敗させてしまったなら犯罪だ。それは流石に頼めなかったんです。

 それでどうします? 今度は、そんな噂を近所に広めますか?」

 ボクは首を横に振った。

 「いいえ、そんな事はしません」

 黒宮君がボクに彼の呪いの依頼内容を話さなかったのには、それなりの理由があるはずなのだ。

 ならば、ボクなどに彼を糾弾できる権利があるはずもない。

 権利?

 いや、それも違うかもしれない。

 そんな言葉は適切ではないだろう。しかし他に良い言葉も思い浮かばないのだけど。

 「これは、ただの無粋な勘繰りですよ。

 聞いた話ですが、自宅で介護をする人の2割ほどは自殺を考えるそうです。あなたがどれだけ辛い立場に立たされているのか、他人に分かるはずもありません」

 それを聞くと、彼は急速に表情を崩した。今にも泣き出しそうだった。

 「私の父親は、家庭内暴力を振るう男だったんです。歳を取ってからは、随分とマシになったが、それでも私には子供の頃に受けた暴力の記憶がこびりついている。

 ……私は、私はこれからそんな男の介護をしながら生きていかなくてはならないのです」

 ボクはどうしようかと思ったが、それに黙ったまま頷いた。

 介護は下手すれば10年以上続く場合もあるという。

 つまり、彼は自分の人生を犠牲にして、これから恨みのある父親の介護をし続けなくてはならないかもしれないのだ。

 彼に邪な考えが生まれてしまったとしても、果たして誰に責められるのだろう?

 「あなたにとってどれだけの慰めになるのかは分かりませんが、“呪い”の噂はできる限りボクの方で否定しておきます。

 まぁ、あなたの父親の手術は成功しましたし、それにそもそも黒宮さんは呪いの依頼を請けなかったのでしょう?」

 ボクがそう言うと、彼は泣き出しそうな声でこう言った。

 

 「……すいません。

 ありがとうございます」

 

 ボクはそれに「気にしないでください」とだけ返した。

 

 ボクには倫理だの道徳だのは分からないが、少なくとも、彼がとても苦しんでいて、やり切れない思いを抱えている事だけは分かった。

 ……理由は様々だろうが、この世の中には、彼のような理不尽な立場で生き続けなくてはならない人が、まだまだたくさんいるのだろう。

 

 「――なるほどね。でも、そのお医者さん、失敗が多いと言っても、そんなに頻繁にミスをする訳じゃないのでしょう?

 分の悪い賭けのように思えるけど」

 

 ボクが説明を終えると、鈴谷君はそう感想を言った。

 ボクは一応、今回の件の結末を鈴谷君に話すことにしたのだ。一応協力してもらったのだから、説明するのが筋かと思って…

 ……と言うのは嘘で、少しでも鈴谷君と話す機会が欲しかっただけなのだけど。

 おっと、これでは佐野君と大差ないかな?

 

 「まぁ、それくらいは彼も分かっていたと思うけどね。それでも賭けたかったのじゃないかな? それくらい辛いのだろうさ」

 ボクがそう言うと、「ふむ」と鈴谷君は言った後でこう続けた。

 「そういう話を聞くと、どうにかならないのかっていつも思うわ。介護分野の人手をもっと増やせれば良いのに」

 「そうだね。まぁ、介護ロボットやAIなんかを活用して、どれだけ負担を軽減できるかだとボクは思うな。

 国はもっと先進技術の活用を急ぐべきだね」

 「そうね」とそれに応えた後で、鈴谷君はこう訊いて来た。

 「ところで、どうして菊池さんは、その人が下手な医師の執刀を病院に依頼したと確信していたの?」

 「ああ、それは黒宮さんだよ」と、ボクはそれに返す。

 「彼女が教えてくれた?」

 「いいや」と、言ってボクは首を横に振った。

 「彼女が教えてくれなかったから、ボクは確信したんだよ。

 君はボクが個人情報を知りたがっていると承知の上で、ボクに黒宮君を紹介してくれただろう?

 ならば、黒宮君は“そういう事”を教えてくれる人だと判断した方が良い。それなのに、彼女は教えてくれなかった。だからこそ、ボクは確信したのさ。彼女が教えてくれなかった事には、何か特別な意味があると。

 ちょっと、佐野君がノイズになってしまったから、一応、他の人にも確認したのだけど、けっこー滅茶苦茶やる人だと分かったからね」

 「なるほどね」と、それに鈴谷君は言った。

 「いつもはペラペラと個人情報を話す黒宮さんが、言わなかったからにはそれなりの理由があるって事ね。例えば、その人に何か同情をするだけの理由があるとか……」

 「そう。まぁ、状況から判断して、それくらいしか思いつかなかったからね。だから、父親の手術の失敗を願ったのじゃないかな?と。

 もっとも、実を言えば“確信”は言い過ぎだけどね。半分は賭けみたいだものだった。ただし、彼の表情を見た時は、ほぼ間違いないとは思ったけど……」

 「……その人、とても辛そうにしていたの?」

 「うん。とても辛そうだった」

 ボクがそう返すと、優しい鈴谷君は切なそうな表情で軽く溜息を洩らした。

 

 ――さて。

 世の中には、様々な不都合な事があるが、君はこの話を聞いてどう思う?

 そんなもんは放っておけば良いって思うのか、それとも、少しでもこの世の中を住み良い場所に変える為には、そういう人達を少しずつでも救っていかなくちゃならないと思うのか。

 まぁ、ボクは少なくとも後者だと思うのだけどね。

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