第一話 「誘いの光」
この日、島崎竜也は学校の校舎の裏側で、壁に背を預けた状態で目を覚ました。陽は落ちかけており、そこから予想できるのは気絶してしまったようだという事だけだった。そして目が覚めると全身と顔に鈍い痛みが走る。
「イテテ、あいつら、手加減なく殴りやがって‥‥」
竜也のその顔には、大小幾つかの傷と、身に着けている制服には土埃が衣類に付着していた。それはいじめによるものだった。そして制服の袖で強引に口元を乱暴に拭うとそこには少量だが確かに血が付着していた。どうやら殴られた時に口元が切れてしまったようだった。しかし虐めは竜也にとってはもはや高校に入って、いやそれよりもはるか前、小学校から続いている出来事だった。
そもそもの虐めの原因も竜也には良く分からない。だが一つだけ確かなのは、彼らは自分を虐める事を楽しんでいるのだというのだけは分かった。といっても竜也に力は無い。他者を圧倒できるだけの知識も無かった。
「くそっ」
何処にも、誰に対しても向けられない苛立ちを口にしながら竜也は立ち上がると制服に付いていた砂や埃を払い、近くに投げられていた鞄を手に取ると学校の正門へと歩き始めた。時間は既に部活の時間はとうに過ぎており、そのせいか周りに下校する生徒の姿はなく、まあそれに関係ないとばかりに竜也は正門から学校を出ようとした時だった。よく見ると正門に背を預けてまるで誰かを待っている様子の、見覚えのある女子生徒が待っていた。身長は150半ば程で眼鏡を付け、髪は肩の辺りで切り揃えられており、制服はキッチリと身に着けてる、いうなれば物静かな委員長のような雰囲気を纏った女子生徒がいた。同じクラスの朝宮飛鳥だった。
だが竜也は自分ではないだろうと足を止める事無く、正門で待つ女子生徒の隣をそのまま通り抜けるようにして正門を抜けた。
「ねえ」
「なんだよ」
いや抜けようとしたというのが正解だった。何せ、自分ではないと思っていた所に、朝宮から声を掛けられたのだから。そして竜也を見ながら朝宮は口を開いた。
「また、やられたの?」
「ああ、毎度のことながらこんな平凡な俺を虐めて、一体何が楽しんだかな?」
「私には分からない。それと」
そう言うと、足元に置いていた鞄を開け、中から花の刺繍が施されたハンカチを取り出し、消毒液を垂らしたハンカチを竜也へと差し出してきた。
「使って、まだ血が滲んでるから」
「いや、こんなのは直ぐに治る「使って」‥‥はい」
押し付けるような朝宮の勢い、いや気迫によって竜也は頷かざる終えず、受け取ったハンカチを切れた口へと当てる。
「ッ!」
同時に傷口に消毒液が染みた事で鈍い痛みに僅かに顔をしかめるが、それでも小学時代の虐めせいで足の爪の間に出来た傷にばい菌が入り込み、爪の下に出来た膿を取る為に爪を剥ぐことになったのだが、酷い事にその主治医は、藪医者だった。
本来使用するはずの麻酔を使用せずに生爪を剥がすという暴挙をやってのけ、結果、何人もの他の医師に掴まれながらも俺は暴れ、この世のモノとも思えない声を上げながら一時間の治療(?)は終わり、結果二か月の間週一で包帯と経過観察の為に通院し、まともに歩けるようになったのは三か月経過した頃だった。そしてその時の痛みに比べれば、それほど気にならない痛みだった。そして口元に当てていたハンカチを離してみて見ると仄かに白いハンカチを赤く染めていた。
「悪いな。このハンカチ、洗って明日返すよ」
流石にこのまま返すのは気が退けたので竜也はそう伝え、朝宮も納得したのか、頷いた。ここまでは良かったのだが。問題はこの後だった。
「分かった。それじゃあ帰ろ?」
「え、帰ろうって朝宮、俺を待ってたのか?」
「そうだけど?」
ごく当然のように言ったその返事を聞き、竜也はごく短い間だが呆然としてしまったが、それでも朝宮に尋ねる事は出来た。
「どうして俺を待ってたんだ? もしかしたら先に帰ってたかもしれなかったんだぞ?」
「竜也は、優しいからそんな事はしないでしょ?」
「いや、答えになってないんだが…」
まるではぐらかされているように竜也は感じたが、朝宮を見た感じでははぐらかすような雰囲気はなく、本当の事を言っているようだった。一体どうして朝宮が待っていたのかという疑問が竜也の中で頭をもたげてきたがそれを絶ち切るかのように朝宮の声が竜也へと届いた。
「それより、早く帰ろ?」
「‥‥そうだな」
そう返事を返しながら、竜也は歩き出し、正門の前で待っている朝宮へと辿り着いた瞬間だった。竜也と朝宮の足元が眩い光を放つ円が出現した。
「ッ! なんだ!」
「‥‥魔法陣?」
そう、朝宮の言葉にした内容がまさしく的を射ていた。光り輝く凡そ二メートル程の大きさの魔法陣は竜也と朝宮を中心に二重の円が形成されており、円と円の間には幾何学模様が描かれ、光を放っていた。そしてその光は心なしか徐々に強くなり始めているような気がした。
「走るぞ!」
「あっ」
このままじゃあ拙い、竜也はそう判断して申し訳ないと内心で謝りながら朝宮の手を掴み、魔法陣から脱出する為に走り出した。そして魔法陣の中心から離れるようにして竜也は朝宮の手を離さない様に握りながら走って行く。
(くそ、間に合わないかっ!)
元スポーツマンである竜也一人であれば余裕で抜け出せる二メートルという距離だが、朝宮の手を引っ張りながらではなかなか思うようにスピードが上がる事は無く、それをあざ笑うかのように魔法陣の端まで後一メートル程の距離で魔法陣は光を強める。
「朝宮、悪い!」
「え、え?」
間に合わない、そう判断した竜也は不測の事態の時、少しでも守れるように咄嗟に朝宮を抱きしめ、一方の朝宮は状況について来れていなかったのか、眼を白黒させていたが、それでも竜也が抱きしめた事に対して文句も、嫌がる様子もなかった。そうして限界まで輝いた魔法陣は現れた時と同様に消失した。そしてその場には誰もいなかった。
???
「‥…ふむ」
城の最上階の屋上、月の光が降り注ぐ中、魔法陣を見ていたローブを纏った老人は困ったとばかりに伸ばしていた白いひげを撫で、その様子を見て同じく召喚陣を見ていた筋肉質で若々しい、とても四十代とは思えない程に若い国王が老人へと歩み寄った。
「ボバスよ、どうしたのだ?」
「申し訳ございません。どうやら召喚する四人のうち二人の座標が大きくズレてしまい、追跡が不可能となりました」
「ふむ、それはどういった原因が考えられるか?」
「そうでございますね‥‥あり得る可能性を幾つ上げるのであればキリがありませんが、恐らく召喚対象が魔法陣の中心から動いてしまった可能性が高いかと」
ローブを纏った老人の言葉を聞き、王は腕を組むと目を閉じる。そしてその仕草は先を促しているという事を知っている老人は更に続きを話し始めた。寧ろここからが重要だった。
「ですが、残りのお二方は間違いなくここに召喚されます。そしてその内の一人は【勇者】様です」
「‥‥‥そうか」
老人への返事に幾分かの間があったのは、王自身がこの選択は間違っているのではないかと改めて感じたからこそ生じた間だった。そもそもからして、この世界「ラスティス」の出来事に異世界より勇者を召喚するという事、それは自分達の問題は赤の他人に押し付けるのとまったく同意義であるという事を国王は理解していた。正直、最後の手段ともいえる【勇者召喚】を行ったのは昨今の魔物の活性化のみならず、この王国、エヴァンズ王国より北に居る魔族達の動きが活発になり始め、更には【唯一神】であるエクリプスを崇める教会より託宣がもたらされた。
「このままでは魔族、または魔物かそれ以外の存在によって人間は滅びに向かうだろう。それを防ぐことが出来るのは異世界より来る【勇者】のみだ」
と教会より託宣の内容を知らされ、自分達の都合に巻き込むことを承知の上で、国王は今回【勇者召喚】を行う事を決定し、それの指揮を担っているのが、ローブの老人ボバズだった。ボバズはもはや年老いているが、その知識・魔法技術共にエヴァンズ王国最高峰の使い手の一人だと断言できるほどの者であった。
(さて、他人の問題に巻き込まれただけである勇者様が私たちをお救いくださる救世主となり得るのか、否かは、あって見ぬことには分からないな)
早くも勇者は自分達の願いに対して答えてくれるであろうという前提で考え始めた自分を戒めながら一際光りを発した魔法陣の中心を見ているとおぼろげながら人の輪郭を捉える事が出来た。そして徐々に光が納まるとその姿はより見やすくなった。
「あれ、ここは何処だ?」
「本当にね‥‥」
一人は見慣れない服装をしている少年と、もう一人は上の服は少年と似ていたが、下はスカートを身に着けている事から少女なのだろう。共に同じ年頃と思われる少年と少女は目の前の事態に着いて行けず、何処か呆然としているように国王には見えた。そしてここで早くも願いを伝えるのは申し訳ないと思いながらも国王は少年と少女達へと距離を詰めて行く。そして少年と少女は警戒した眼で見ている事に国王も気が付いていた。
(まあ、警戒されるのは、当たり前であろうな)
齢四十を重ねている自分であっても恐らく今目の前の少年少女と同じ反応をしていたであろうなと内心で納得しながらも少年達より二メートル程離れた距離で跪き、同時に自分達の問題に巻き込んでしまった謝罪と、誠意・敬意を籠めながら国王( )は自分より遥かに年下の少年少女へと口を開いた。
「ようこそ、勇者様、我らが世界、ラスティスへ」
こうして、この世界に勇者が召喚された。そして彼らが気が付いてない所で、ある存在の力が関与し、その存在にとって思惑通りの存在もこの世界と召喚されたという事を誰も知らなかった。