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僕とDQNとそのまたDQN

作者: 管野緑茶

根暗男子高校生とDQNの話。

この小説は作者の別作品「NEVER」の関連作品です。

ぜひ「NEVER」読了後にお読みください。未読でも問題は無いと思います。

「おい猪瀬、ちょっと面かせよ~」


 そんな決まり文句で、僕は校舎裏に呼び出される。

 僕を取り囲むのは四人のDQNたち。みんな揃って耳や鼻にピアスをつけ、だらしなく制服を着崩している。

 そんな生涯のうち最もとまではいかないけど、出来れば関わりたくない人種に、僕は包囲されている。

 それはもう日常的な光景で、僕はうんともすんとも言っていないのに金髪やメッシュの同級生に連行される。

 僕が連れていかれるのを見ていた他の生徒たちは、そ知らぬふりしておしゃべりに戻る。誰も助けてくれないってことはもう分かっているけど、目をあわさないようにあからさまに顔をそむけられるのって地味に傷つく。


 人気の少ない陰った校舎裏。昼休みになっても誰も来ないような静かな場所だ。遠くから生徒たちの賑やかな声が微かに聞こえる。

 ここで何が行われるかなんて、僕がいちいち説明しなくったって分かるだろう。

 僕がぼんやりと校舎の汚れた壁を見つめていると、いきなり後ろから背中を蹴られた。つんのめって壁にぶつかる。

「おいおい、大丈夫かよ~」

「しっかりしろよ、猪瀬くん!」

 全然心配した様子が見られないDQNたちはけらけらと馬鹿みたいに笑う。何がそんなに面白いんだ。こっちは笑えないくらい胸くそ悪いんだぞ。

 胸くそ悪いのに抵抗ひとつできない自分に一番苛つくけど。

「なあ猪瀬ぇ。ダチとして頼みがあるんだけどよーう」

 DQNの中でも一番目立つ、リーダー格のメッシュが肩を組んでくる。

 誰が友達(ダチ)だ。

「オレら、今ちょーっと金欠でよ。金貸してほしいんだわ」

 人差し指と親指を擦り合わせるジェスチャーをしながら、メッシュはニヤニヤと笑う。

 これだ。いつものことだ。

 僕は週に一、二回このDQNたちに校舎裏に呼び出され、カツアゲされたりパシリに使われたりしている。つまり僕はこいつらのオモチャってわけだ。暇潰しに使うオモチャ。それかストレス発散用。こいつらにストレスなんてものがあればの話だけど。

「五千円くらいでいいからよぅ。すーぐ返すから」

 嘘つけ。返す気なんてさらさらないくせに。しかも五千円なんて一学生の僕が持ってるわけないだろ。昨日新発売のフィギュアを買ったばかりだから余計金なんてねーんだよ、くそやろう。

「えっと……い、今、お金もってなくって……」

 思い切り毒づく心とは裏腹に、僕の口からでたのはそんな情けない言い訳だけだった。口に出したとたん、まだなにも起こってないのに何か色々なものに負けた気がした。

「……いやいや、持ってないんならさ……」

 僕がうすら笑いを浮かべて情けない言い訳をすると、ニヤニヤ笑っていたメッシュの顔つきがゆらりと変わった。

 あ、やばい。

「誰からでもいーからむしり取ってこいってぇの!!」

 頭の悪そうな顔を盛大に歪めてメッシュが僕の胸ぐらを思い切り掴みあげた。シャツの襟が喉に食い込む。うぐ、と変な声が漏れた。

「む、むりだよぉ……っ」

 僕は何とか声を絞り出す。

「む、むりだよぉお~」

「ぼくちゃん、根暗でオトモダチもいないもぉ~ん、ってか! マジウケるわ~」

 メッシュの後ろで鼻にデカいピアスをした奴とボサボサの金髪野郎が僕の真似をしてゲラゲラと笑う。こいつらは何でも「ウケる」っていう。多分それ以外に言葉を知らないんだろう。

「んだよ~。金すら持ってねーとか、お前マジ役立たずじゃん。存在価値ゼロってやつ?」

 鼻ピアスとパツキンの方に振り向きながらメッシュも下品な笑い声をあげる。

「いや、さすがにそれはひでーって。サンドバックくらいにはなるっしょ」

「サンドバックよりザコいって、こいつ」

 鼻ピアスが目の前までやってきて僕の横腹にパンチを入れる。あまり強くはしてないかもしれないけど、僕の筋肉も脂肪もついていない体にはかなりこたえる。

「んっ、ぐ」

 また弱々しい変な声が漏れる。殴られた脇腹が熱くなる。青あざくらいにはなるかもしれないな、と頭の隅でどこか冷静に考える。

 僕は、いつからか自分に起こることを客観的に、冷めた目で見るようになっていた。多分それは、一種の自己防衛だと思う。DQNたちに絡まれて殴られたり物を盗られたりする僕も、クラスメイトから見て見ぬフリされる僕も、まるで別人のように、どこか違う空間からもう一人の僕が見ている。そんな感じだ。きっとクソみたいな現実を受け入れたくないんだ。僕は外から自分をみる僕のことさえ客観視している。本当の僕はどこに居るんだろうなんて考えてしまう。こんなこと誰かに話したって、「中二病」とかいうお手軽な言葉で一蹴されるだけだろうけど。

「おい、ぼけっとしてんじゃねーよぉ!」

 思考の海に溺れかけていると、メッシュに脛を一蹴りされた。誰が実践しろなんて言った。

 骨を抉られたような痛みが左足を痺れさせた。僕は亀みたいに首を竦めてうずくまりそうになった。しかし、それは鼻ピアスとパツキンが許さなかった。両側から僕の脇の下に腕を差し込んで無理矢理立たせる。何とも言えない嫌悪感が胃袋からあふれてきて吐きそうだ。

 メッシュが僕の髪を乱暴に鷲掴みにする。

「いっ……!」

「オメーさ、なんか勘違いしてねー?」

 頬にヤニ臭い息がかかりそうなほど間近で囁かれる。気持ちが悪い。ますます吐きそうになる。

「オレらは役立たずのお前に役割ってモンを与えてやってるだけだぜ? メシくってクソするしか脳のねぇお前にパシリっつー仕事やらせてやってんの。オレら超シンセツじゃね?」

 メッシュのカサついた唇の間から黄色い歯が見えた。全部抜け落ちてしまえばいいと思った。そうしたら、こんな口もきけなくなるだろうに。

「うわー、言えてるわー。めっちゃカクシンついてるわ~」

「ジゼンジギョウってやつ? ウケる!」

 同じような黄色い歯の二人が僕の真横で唾を散らして笑う。とてつもなく不愉快。

「おい、オメー聞いてんのかよ」

 メッシュが僕の髪を掴んだ手を振った。僕の頭もメッシュの手を追ってふりこのように揺れる。頭皮が引きちぎれそうだ。息が臭い。脛が痛い。不快、不愉快、気持ち悪い。

 そう思っても手を振り払うことさえできない自分が情けない。僕自身が一番不愉快。

「ムシってんじゃねーよ」

 鼻ピアスが喚く。

 どうして僕は僕なんだろう。こんな頭が悪そうで、碌に学校にも来ないで人の気持ちを分かろうともしない奴らに、どうして文句の一言も言えないんだろう。

「耳きこえねーのー?」

 パツキンが右足を踏んでくる。

 僕がもっと力があって喧嘩が強かったら、振り払えただろうか。それともこいつらに負けないくらいバカで能天気だったらはみ出し者なりに馴染んでただろうか。もし、今よりずっと勇気があったなら……、ないんだから仕方がない。

「いーのーせーくんッ」

 その時、僕の鳩尾にメッシュの膝が突き刺さった。

「おぐぇっ」

重くて鈍い痛みのようなものが全身を駆け巡った。胃がつぶされて、喉の奥に酸っぱいものを感じた。息が上手くできない。

「っ、う……ん、ぐっ」

 息をしようとすれば喉の奥の胃酸が溢れ出そうだった。僕はなぜか吐かないように必死になった。

「なあ、さっきから話しかけてんじゃん? ムシはダメっしょー」

未だに僕の髪を掴みっぱなしのメッシュはもう笑っていなかった。イラついて仕方がないって顔だった。

「返事くらいしろっつーの! このゴミが!」

 怒鳴ったかと思うと、頭を上から押さえつけられた。

「や、やめて、よ」

 酸っぱい口から何とか声を絞り出した。そんな情けない言葉も、こいつらには届かない。

「うっせーよ! ゴミ!」

 頬を思い切り殴られる。耳がキーンと鳴った。

 僕はまた自意識というものが離れていくのを感じた。やっぱり僕はこういう人間なんだ、という目で見つめている。心の中でさんざん相手を罵っておきながら、「やめて」の一言もはっきり言えない。勇気を振り絞って反抗することもできない。怖いから。いつだって殻にこもって、誰かが助けに来てくれないかと耳を欹てているだけ。助けが来たためしなんてない。声をあげて助けを求めることさえできないから。けれどそれでも助けが来ないかと思っている。

それしかできないから。

僕は背中を丸めてかがんだ。薄汚れた上靴が目に入って、いつのまにこんなに汚れたんだろう、なんて思った。

「おい」

 その時、声が聞こえた。メッシュたちの声じゃない、落ち着いた声が。

 ぴたりと僕を殴る手が止まった。

「……あ? なに、オメー」

 メッシュが声のほうに振り向く。

僕は痛めた首を何とか持ち上げた。そしてメッシュの背後を覗いた。

 メッシュの背後、少し離れたところに、背の高い男子が立っていた。

 その姿を見て、僕は絶句した。

「お前ら、さっきからうるせぇぞ」

 気怠そうに頭を掻く男子。制服を軽く着崩していて、耳には複数のピアス。一八〇センチはあるに違いない高身長に、高校生とは思えない鋭すぎる目つき。いかにも不良ですというオーラを醸し出すこいつを、僕は知ってる。

 国島白羅。僕が最も一緒のクラスにならなくてよかったと思った男子。一年生にしてうちの学校で最も有名な不良。つまり――DQNだ。

 僕は胃液と唾とを飲み下した。変な汗が脇に滲むのを感じた。頬の痛みさえ、一瞬忘れた。

 国島が有名な理由は、強面のわりにイケメンだとか怒らせると地獄を見るだとか色々あるけれど、一番の理由は鬼のような腕っぷしの強さだ。噂で聞いたに過ぎないが、ワンパンチで壁に穴を開けた、一人で他校のヤンキーたち二十人斬りを果たした、全速力で突っ込んできた車を身一つで止めた、とか数えきれないくらいの武勇伝があるらしい。クラスメイトが話しているのを聞いただけだから、どこまでが事実なのかは分からない。尾ひれがついた話も少なくないだろう。けれど喧嘩が滅法強いのは本当らしく、一部の生徒からは「破壊神」「魔王」なんて呼ばれて恐れられている。

 僕も一度だけ見たことがある。国島にボコボコにされた奴らの山を。まるで嵐が通った後のような有様を見た時から、僕は国島にだけは関わらないでおこうと心から思った。

 それなのに、何で、今、ここにいるんだ。

「人がせっかく気持ちよく寝てたってのによ」

 すらっと長い足が苛立たしげに小刻みに揺れる。これは、非常に、まずいんじゃないだろうか。いや、まずい。

 国島は、友人はそれなりにいるみたいだけど無愛想で、今僕を抑え込んでいるDQNたちのように群れることはしないらしい。今もDQNたちの前に一人で立っている。一人なのに、静かな威圧感がある。

 僕の短い足が小さく震えた。

「は? 寝てたとか知らねーしィ?」

 メッシュが僕の頭を投げつけるようにして離し、国島の前へ歩み寄っていった。

 何するつもりだ、バカ。怒らせるな。僕はまた心の中でのみ叫んだ。

「つか、オメー誰だよ。ナニサマ?」

「マジそれな」

「正義のミカタ的な? やべー、超ウケる」

 メッシュに続いて鼻ピアスとパツキンが命知らずの野次を飛ばす。

 僕は気づいた。そして血の気が引いた。

 こいつら、国島白羅を知らないんだ。多分、碌に学校に来ず、ゲーセンとかに入り浸ってばかりだから。だから、目の前に立っている男が「破壊神」なんて呼ばれていることを、知らないんだ。ついでにバカだから、国島の醸し出す超不良オーラにも気づいていない。

「あのな、オレら今お取り込み中だから。オメーの相手してるヒマねーから、マジで」

 メッシュが頭ひとつ分以上高い国島を睨み上げる。国島はうっとおしそうに顔を歪めた。

「お取り込みだろうが何だろうが勝手にしろ」

 鋭い光を秘めた目が、メッシュを見下ろした。

「ただギャーギャー騒ぐなっつってんだ。此処は幼稚園じゃねぇんだよ。お遊戯なら他所でやれ」

「……は?」

 間の抜けた声が、シンとした校舎裏に響いた。遠くから、別世界にいそうな生徒たちの楽しげな声が聞こえた。

 僕はただ、息を飲み込んだ。

「はぁあ? 何言ってんの、オメー!」

 出し抜けにメッシュが叫んだ。ヒステリックに叫んだ。

「イミわかんねーんだけど! コイツヤベーわ! マジヤベーわ!」

 国島を指差しながらこちらを振り向く。鼻ピアスとパツキンへの合図だ。

「マ、マジイミわかんねーし!」

「チョーシのってんじゃねーヨ!」

 僕の横で二人が野次を飛ばす。ヤベーのはお前たちだろう。どれだけ語彙力ないんだ。

 僕はメッシュたちのバカさ加減に呆れるかたわら、国島の言葉に少し胸が高ぶるのを感じた。

「ヤベーのはわかったから、取りあえず黙れ。うるせぇ」

 一方、国島はもともとしわが寄っていた眉間にさらに力を入れて言った。声がさっきよりもワントーン低くなった気がする。蹴り飛ばされた僕の鳩尾に響くような声。確実に、苛立ちが含まれてきている。

 僕は、すでにパンパンに空気の入った風船にさらに空気を押し込んでいく光景を見ているような気分になった。

「いや、黙んのはオメーっしょ! よっぽどボコられてーみてーだなァ!?」

 額に青筋を立てたメッシュがついに国島の襟首を掴み上げた。

 僕の心臓がカエルのように飛び跳ねた。もちろんメッシュにビビったんじゃない。国島の目の下がぴくりと痙攣したからだ。

「離せ。触んな。クソうぜぇ」

「っだからウゼーのはオメーだろーが! ちょっとデケーからって、調子に乗んなや!」

 虚勢を張るように叫び、メッシュは右手を握り込んで、思い切り突き出した。人を殴り慣れた拳が風を切る。僕は思わず目を瞑りそうになった。

 しかし、僕が目を瞑るまでもなかった。

メッシュの渾身の一撃は、国島の手にあっさり、受け止められていた。

「え……」

 力いっぱい振るったはずの拳が行儀よく国島の手中に納まっているのを見て、メッシュは間抜けな声を漏らした。多分、ヤツのお粗末なオツムじゃすばやく理解できないんだろう。

 けれど、そんなことはどうでもいい。問題は、あの「破壊神」に喧嘩を売ってしまったことなんだ。

「……テメェ……」

 狼の唸り声かと思った。静かに鼓膜が揺れる。

「殴りかかってくるってことは、テメェも殴られる覚悟があるってことだよなァ」

 そう言った途端、国島がメッシュの襟首を掴み返した。そして、ぐっと上へ持ち上げた。すると、軽く持ち上げただけにしかみえない程度の動作だったのに、メッシュの足が地面から離れた。ふわりと、子供を持ち上げるように簡単に。

 しかも、片手で。

「っうぇあ!?」

 急に地から足が浮き、メッシュは情けない悲鳴を上げる。後ろにいたパツキンと鼻ピアスも、目をひん剝いて固まった。

 目の前に立つ男が「破壊神」と呼ばれる男だと知っている僕も、開いた口を閉じられなかった。手のひらにびちゃびちゃと音がしそうなほど汗が滲んだ。

 でも、やっぱり、目の前の信じられない光景に、僕は昂揚していた。この手に滲んだ汗は、冷や汗だけじゃない。

「ちょ、やめっ! な、なに、マジっ、になってぇ……っ」

 メッシュは浮いた足をバタつかせながら、焦りを誤魔化すようにヘラヘラ笑った。その顔は明らかに青ざめている。

「ああ? テメェが喧嘩売ってきたから買ってやってるだけだろうが。感謝しろよ」

 国島は一切表情を変えず、メッシュの襟首をもっと高く掴み上げる。

「おっ、おい! もー、やめろよ!」

「ちょっと絡んだくれーでマジになってんじゃねーよォ!」

 国島の漫画のような腕力にビビったのか、パツキンと鼻ピアスが、さっきとはまるで別人のような弱々しい声で止めようとする。

 本当に、よくそんなことができるもんだ。僕が「やめて」と言ったときは、笑いながら無視したくせに。

 あくまで偉そうな態度を崩さず牽制してくる二人を見て、国島は舌打ちをした。

「悪ぃな。俺は気が長い方じゃねぇんだ。少し気に入らねぇことがあっただけで“マジ”になるからよ、これ以上苛つかせてくれんな」

 そう言う国島の目は、二人を冷たく見下ろしていた。パツキンと鼻ピアスは、うっと押し黙った。さっきまで大声で騒いでた奴らとは思えない。

「テメェもだぞ」

 二人に続いて、国島はメッシュを睨み付けた。メッシュは「ヒッ」と情けない声を漏らす。

「そんなにバカやりてぇなら勝手にしろ。けどな、周りの人間巻き込むんじゃねぇ。そのほうが身のためだぜ」

 メッシュを睨む瞳は、とても静かに燃えているように見えた。

「ちったぁ迷惑って言葉について考えてみろ。後悔する前になァ……」

 そう言って、国島はメッシュの目の前で手をバキリと鳴らした。その顔は、少しだけ笑っているように見えた。蚊帳の外状態の僕でさえ、背筋に悪寒を感じた。

「ぅひぃいいっ!」

 ラスボスの魔王のような笑みに、メッシュはいよいよ屠られそうな羊のような悲鳴を上げた。パツキンと鼻ピアスもガタガタと足を震わせている。

 死の恐怖に直面した虫のようにばたつくメッシュを、国島はパッと放した。

「ぐぎゃっ」

 急に解放されたメッシュは受け身もとれずに思い切り尻餅をついた。

「いっ、てぇへぇえええ……!」

 そのまま奇声を上げながらよたよたと逃げ去っていく。

「お、おい! 待てよぉ!」

 地面に這いつくばるようにして逃げていくメッシュの後をパツキンと鼻ピアスが追っていく。足を絡ませてこけそうになりながら、三人は逃げていった。

 その一部始終を、僕はただ突っ立って見ていた。アニメか映画でも見ているような、信じられない気持ちで、国島の背中を見ていた。僕と国島だけになった校舎裏に再び静寂が訪れる。何も知らない生徒たちの笑い声をぼんやりと聞きながら、僕はぎゅっと拳を握りしめた。

 助けられた。この学校一恐ろしいと思っていた人間に。関わるまいと決め込んでいた男に。そもそも、関わることなんてないと思っていた。スクールカーストの遙か上、しかもDQNの頂点にしか見えない国島と、最下層の僕が、人に話しても信じてもらえないような形で関わるなんて、神様だって予想できなかったんじゃないだろうか。メッシュたちが逃げ去った後も、僕の胸は、ヒーロー特撮を見ていた幼い頃のように高鳴っていた。

「あ、の……!」

 懐かしく気持ちの良い昂揚にまかせ、僕は声を絞り出した。メッシュたちに「やめて」すら言えなかった僕なのに、びっくりだ。

「あ?」

 僕のまさに蚊の鳴くような声に、国島が振り向いた。さっきまで瞳の中で揺れていた静かな炎は、もう見えなかった。見えなかったけど、実際見下ろされると、威圧感にやっぱり少しビビる。

「えっと、あの」

「んだよ」

 国島が若干面倒くさそうな顔をする。その表情に僕はまたくじけそうになった。

 でも。僕は小さく息を吸った。

 こんなこと、もう人生でないかもしれない。

「あ、ありがとう」

 今度こそ、はっきりと言った。ぐわりと顔が熱くなった。なんだ、この青春漫画みたいな台詞は。

「は?」

 国島が首を傾げる。なに言ってんだお前、と言いたいのが目に見えて、僕の顔は余計熱くなった。全身が心臓になったみたいに鼓動が激しくなる。

 でも僕は、何故かこの気持ちを伝えておかなきゃと強く思っていた。やっぱり漫画のような展開にのぼせていたのかもしれない。

「たたっ、助けてくれて……ありがとうっ……!」

 僕ははじけ飛びそうな心臓を抑えて、声を裏返しながら言った。まさかあの「破壊神」に、「ありがとう」と言う日が来るなんて。

 僕の言葉に、国島は少しの間黙っていた。ものすごく気まずい沈黙だった。僕は俯いて赤くなっているであろう顔を隠した。

「……いや、別に助けたわけじゃねぇんだけど」

 すると、国島がぼそりと言った。

「えっ」

 僕は思わず顔を上げて小さく叫んだ。国島は訳が分からないという顔で頭を掻いていた。

「つーか、そもそも声かけられるまでお前がいることに気づかなかった。なんだお前、さっきの奴等に絡まれてたのか」

 この時、僕は本当に間抜けな顔を晒していただろう。

 気づかなかった。

そのたった一言に、僕の体中を覆っていた熱が急速に冷めていった。そして同時に、さっきとは別物の熱が這い上がってきた。恐らく一般的には羞恥心と名付けられる類いの熱が。

そうだ。そうだった。よくよく考えれば、国島は昼寝の邪魔をされたからメッシュたちを追い払っただけで、別に僕を助けるために現われたわけじゃない。結果的には助けられたわけだけど、国島に僕を助けるつもりなんてなかったことは少し考えればすぐに分かった。国島は一度だって、僕の方を見ていなかったんだから。

自惚れのような勘違いに、僕は結構本気で死にたくなった。なんだ、「助けてくれてありがとう」って。ただのイタイ奴じゃないか。メッシュたちにコケにされ、感傷的になっていたところに国島が青天の霹靂のごとく現われて、勝手に舞い上がってただけだ。

あまりの恥ずかしさと情けなさに、僕は完全に黙り込んでしまった。いわゆるコミュ障の僕は、笑って誤魔化すことすら出来ない。本当に、最悪だ。

「おい、お前」

 その時、国島が唐突に僕の顔を覗きこんで話しかけてきた。訝しげな顔が急に現われて、僕は思わず「ヒョッ」と変な息の飲み方をした。

「はっ、はいっ。何ですか」

「何で敬語?」

「い、いや、これはっ……」

 いかにもコミュ障らしい反応をしてしまい、また顔が熱くなる。じんわりと変な汗が滲む。そんな僕の顔を、国島はじろりと見てくる。こうして間近で見ると、国島は確かにイケメンだ。他のDQNのような知性の無い顔じゃない。眉がキリッとしていて、目はただ鋭いんじゃなくて力強い。よく見ると瞳は黒じゃなくて深い灰色なんだ。目も鼻も小さい僕とは大違いで、はっきりした顔立ちだ。

いや、今はそんなことはどうでもいい。何であの国島白羅が、僕のつまらない顔をまじまじと見ているんだ。な、なんだろう。もしかして僕は気に障るようなことをしてしまったのか。いや、気に障るというか、引かれる行為はかなりしたと思うけど。

 そろそろ顔を合わせているのが限界になった僕は、もういっそのこと逃げ出してしまおうかと思った。だけど、僕が踵を返す前に、国島が眉間に皺を寄せて言った。

「お前、顔、なんかスゲーことになってんぞ」

「えっ?」

 顔? この冴えない不細工は生まれつきですが。国島の言葉の意味が分からなくて、僕は心の中で自虐してしまった。

 国島は、自虐ネタにできてしまうほどの僕の顔を指差した。

「頬、腫れてんだろ、それ」

「あっ」

 頬と言われて、僕はやっと理解した。さっきメッシュに思い切り殴られたところだ。国島の乱入に驚いてすっかり忘れていたが、言われてみれば何だか喋りにくい。左目の視界も少し狭い気がする。鏡がないから確認できないけど、これはぶっくり腫れているみたいだ。そういえば、意識すると左頬が痛い気がしてきた。いや、痛い。かなり。これは、ちょっと教室には帰りづらい。くそ、あの野郎。

「い、いひゃい……」

「だろうな。ひでぇツラだぞ。保健室行けよ」

 そう言って、国島はほんの少し、一瞬、笑った。

その笑顔は、別に優しさとかそんなものは微塵も感じなくて、ただ僕の顔があまりにも酷くて笑っただけという感じの笑顔だった。だけど、僕はその笑みに言葉を失ってしまった。いや、笑顔じゃない。国島から僕に向けられた「視線」に、僕は何も言えなくなった。

「おい」

 固まった僕に、国島がまた眉間に皺を寄せた。

「あ、う、うん。分かった。行く、よ」

 僕はどもりながらカクカクと頷いた。頷くたびに腫れた頬が引きつった。

 僕の頷きに、国島は「そうか」とだけ言い、ひでぇツラになってるらしい僕の顔を見るのを止めた。

 そのまま、「じゃあな」とか言うこともなく背をむけて、さっさと歩いて行ってしまった。

 僕も何も声をかけることもできず、遠のいていく背中を見つめていた。真っ白なシャツが、柔らかい日の光にじんわりと輝いていた。

 今日の出来事が、どんなに僕にとって驚きの連続だったとしても、別に世界が変わるわけじゃない。今日はしっぽ巻いて逃げていったDQNたちも、三日も経てば今日の事なんて忘れて、いつものように僕をいたぶって笑いものにするだろう。もしかしたら逆恨みして、明日にでも腹いせに僕を殴りに来るかも知れない。そして僕も、今までと変わらず何も言えないでいるんだろう。人はそう簡単に変われない。国島も、明日になれば僕の事なんて忘れてしまうに違いない。

 でも。今日のたった数分の出来事を、僕はきっとずっと忘れない。学校一恐ろしいと思っていた国島が、案外そうでもなかったこと。笑顔がちょっと子供っぽいこと。そして、誰もが見て見ぬふりをした僕のことを、真っ直ぐ見てくれたこと。

 他人からしたら、とても些細で大したことないことかもしれない。国島のあの淀みない視線が僕を取り巻く環境を変えるわけじゃない。

それでも。今日の出来事で、僕の世界は、ちょっぴり、ほんの少し、変わったかもしれない。

今日、僕が学んだことは、思い込みはよくないってことだ。



「うぃーっす。白羅、こんなとこにおったんか~」

 木陰で一人眠っていると、いつもの陽気な調子で狩脇がやってきた。重い瞼を上げて見ると、狩脇は右手に焼きそばパン、左手にコロッケパンを持っている。

「お前、どっち食う?」

 どっこいせ、と漏らしながら狩脇が隣に座る。

「コロッケ」

「そう言うと思った~。白羅って焼きそばパンあんま好きじゃねーもんな」

 そう言って狩脇はコロッケパンを手渡す。

「炭水化物と炭水化物を一緒に食う意味がわかんねぇだろ」

「難しく考えんなよー。旨けりゃなんでもいいじゃ~ん」

 狩脇の言葉を聞き流し、コロッケパンに齧り付く。出来合いの少し脂っこいコロッケと濃いソースの味が口に広がる。

「あー。そういや、さっき雪村の奴が鬼みたいな形相でお前のこと探してたぞ。今度は何したんだよ」

 焼きそばをすすりつつ、狩脇はにやりと笑う。

「ああ? 知らねぇよ。あいつは俺が何やってもつっかかってくんだよ」

 そう言うと、狩脇は「ふーん」と返した。しかし、にやにやは収まらない。

「さっきさ、半泣きになったヤンキーたちとすれ違ったぜ」

「……」

「もしかしてアレ、お前がやったの?」

「さぁな。知らねぇ」

 それだけ言って、またパンを囓った。多すぎるソースに顔が歪んだ。

 狩脇は、またまた~、と笑いながら焼きそばをすすった。


END

DQNという言葉、もしかして古い?

ご精読ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりに菅野緑茶さんの小説読みました〜 やっぱ安定の面白さですね! DQNたちの頭の悪さが文面だけですごく伝わってきました笑 白羅かっこいいなー 本人は恩着せがましく人助けしたつもりは全く…
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