白雪姫異聞 ~リンゴ押し問答~
鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?
それは、白雪姫です。
その目、その髪、その唇、すべてが完璧に美しい。
鏡の前で佇む王妃は、眉をひそめました。
その鏡の奥に潜む何かを凝視するかのように、じっと見つめています。
「猟師をここに」
衛兵は、王妃の命令で猟師を連れてきました。
「お前は、白雪姫を森の奥に連れて行き、殺してしまうのだ。そして、その証拠に白雪姫の心臓をここに持ち帰るのだ」
その猟師は、猟師衆の中でも、もっとも心根のやさしい、気弱な猟師でした。そんな猟師に何とひどいことを命ずるのでしょう。それでも、猟師は王妃の命令とあれば従わざるを得ません。
猟師は、白雪姫を森の奥に連れて行き、殺そうとしましたが、やはり、やさしく気弱な彼に白雪姫を殺すことはできませんでした。
猟師は、帰りに鹿を殺してその心臓を取ると、それを王妃に差し出しました。
その心臓を、猟師から受け取っている王妃の姿が鏡に写し出されます。
王妃は、自分の姿が鏡に写っているのに気づくと、鏡を布で隠してしまいました。
猟師に置き去りにされた白雪姫は、森の中をあてどなく歩き回り、小さな小屋にたどり着きました。中に入ると、白雪姫には少し窮屈でしたが、それでも疲れ果てた白雪姫は、小さめのベッドに横になるとそのまま寝てしまいました。
翌日、白雪姫が目を覚ますと、七人の小人たちが、白雪姫を囲んでいました。
「ここは俺たちの寝床だ。とっとと出て行ってくれ」
白雪姫は、小人たちにお願いしました。
「どうか、ここに置いてください。わたしはもうお城には帰れません。この森の中にも、わたしが身を置く場所はないのです」
「じゃあ、お前は何ができる。働かない者はここには置けぬ」
「あなたたちが働いている間に、お部屋を掃除しましょう。汚くなった服も洗いましょう。ご飯を食べたらその食器も洗いましょう」
「お姫様にそんなことができるのか?」
「母から教わったたしなみです。新しい母がきてからは、何もしなくなってしまいましたが・・・・」
「分かった。それなら置いてやろう」
こうして、白雪姫は小人たちと一緒に暮らすことになりました。
白雪姫はよく働き、七人の小人たちは大助かり。
ある日、小人たちは、その感謝の気持ちを込めて、森の中でとれた真っ赤なリンゴを持ち帰りました。
「白雪姫、いつも部屋をきれいに、服をきれいに、食器もきれいにしてくれてありがとう。これはその感謝の気持ちだ」
バスケット一杯になった真っ赤なリンゴを見た白雪姫は、申し訳なさそうな笑みを浮かべて言いました。
「お気持ちはうれしいわ。ありがとう。でも、これはいただくことはできないわ」
「どうして?遠慮することはないよ」
「遠慮じゃないの」
「じゃあ、どうして?」
白雪姫は、だまって笑顔を見せるだけです。
「まさか・・・・嫌いなの?」
「ええ、どうしても食べられないの」
「女の子は、イチゴとか、リンゴとか、赤い果物は大好きだと思っていたのに」
「昔は大好きだったわ」
「じゃあ、どうして?」
「小さい頃、リンゴが好きすぎて、たくさん食べたときにのどに詰まらせたことがあるの」
「そりゃ、たくさん食べれば、のどに詰まらせる時もあるさ」
「それに、赤い色を見ると、血の色を思い出してしまうの。傷ついた時の痛みと一緒に」
「まあ、たしかに、熟れたリンゴは血のように赤くなるけど」
「あと、母に怒られた記憶が」
「怒られた?」
「大きなリンゴにかぶりついて、垂らした果汁で服を汚してしまったの」
「ま、たしかに、リンゴ果汁は入念に洗わないと染みになってしまうな。面倒くさい」
「だからごめんなさい。気持ちだけもらっておくわ」
「じゃあ仕方ない。俺たちで食うか」
そう言って、上に放り投げたリンゴを両手でキャッチすると、大口開けて一口がぶり。
途端に果汁が垂れて、服を汚します。
「あっ」
服に果汁を垂らした小人は、てへへと笑います。
白雪姫は、それを見ても怒ることなく、やったな、という風に笑顔を返しました。
布をかぶったままの鏡。
椅子に座ったままその鏡を見ていた王妃は、突然立ち上がり鏡まで近づき、布に手をかけかけて、また鏡から遠ざかりました。
鏡の前を行ったり来たり。
顎に手を当てしばらく考えて、鏡の方を見ます。
そして、思いを振り切ったように鏡に近づくと、布を一気にはがしました。
すると、そこには、王妃の姿ではなく、長身、長髪の若者の姿が。目は切れ長で、白に近いような肌。そして特徴的なのはその長髪の色。その色は青。白い肌とのコントラストは、冷たい氷のよう。
「ようやく、布を取ってくれましたな。姉上」
その青髪の若者は、旅支度を整えているところでした。
「青氷の魔王。その旅支度は?」
「久方ぶりに姉上に会いに、地上へ参ろうかと」
「わたしに?そんな嘘をよくもぬけぬけと」
「氷の王国では、姉上の魔法は無敵。だが、地上にあってはせいぜい狐狸を化かすくらい。姉上は、自ら国を捨てたのだ。妻に先立たれ、幼子を抱えた王の悲しむ姿に心動かされ、氷の心を捨て去ってしまった。おかげで、わたしは、この広大な氷の王国を継ぐ羽目になってしまった。恨みましたぞ、姉上。地上や、天空の世界で遊びまくっていたわたしをこの氷の世界に閉じ込めてしまった」
「お前が地上や天空で行った所業で、どれだけの人々が苦しみ、悲しみに暮れたことか。お前の心こそ氷の心。お前のいるべき場所は、地上や天空ではない」
「別に、地上や天空に興味などない。だが、この前、鏡が面白いことを言ったのでね。久しぶりに地上に行くことにしたのだ」
「面白いこと?」
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
王妃は、青氷の魔王をぐっとにらみました。
「それは、白雪姫です。
その目、その髪、その唇、すべてが完璧に美しい。
そのように美しい娘に育っていたとはな。伯父としては誇りに思う。そんな姪なら、いつもそばに置いておきたい」
「その娘なら、わたしが命を奪った」
青氷の魔王は、高笑いした。
「わたしが騙されるとでも?猟師にもってこさせた血がしたたる心臓。あれが白雪姫のものだとなぜわかる?わざとらしく心臓を受け取るところを見せつけて、それをわたしが信じると思ったのか?」
「あれは、白雪姫のものだ」
「本当か?ならば、鏡に聞いてみるがいい。この世で一番美しいものを」
王妃は、ぐっとのどを鳴らしました。
「どうした?聞きたくないのか?」
「か・・・鏡よ。・・・・この世で一番美しいのは・・・・誰・・・・・」
「それは、白雪姫です」
青氷の魔王は、満面の笑みを浮かべました。
「白雪姫は生きている。これから、姪をもらい受けに行くぞ。わたしから隠そうとしても無駄だ。白雪姫が生きている限り、わたしは探し出す」
「そんなことはさせない。王の宝物を、この王国の希望の星を、お前になど決して渡さない」
「どうやって?せいぜい、老婆に化ける程度の魔法しか使えなくなった姉上が、わたしの魔力にかなうはずがないだろう」
そう言って、青氷の魔王は、鏡の中から姿を消します。
あとには、途方に暮れた表情の王妃の姿だけが、鏡の中にとり残されました。
「・・・・・わたしに残った魔法は、老婆に化けるだけはないぞ」
そう言って、王妃が向けた視線の先には、テーブルにのった真っ赤なリンゴがありました。
今日も、白雪姫は食器洗いに、部屋の掃除と忙しく働いています。
白雪姫が、ちょうど洗濯物を干しに庭に出ると、森の奥からおばあさんがゆっくりと歩いてきました。
黒いフードをかぶり、手にはかごを下げています。
中には一個だけ、真っ赤なリンゴが。
「おやおや、こんなところに年若い娘さんがいるなんて、ここはどなたのおうちかな?」
おばあさんが言います。
「ここは、小人さんたちのおうちよ」
「はて、小人さんのおうちなら、娘さんはどなたなのかな?」
「わたしは、小人さんたちに頼んでここで一緒に暮らしているの」
「頼んで一緒に暮らしているのなら、本当のおうちは他にあるのかな?」
「ええ」
白雪姫は、突然悲しげな顔になりました。
「悲しそうな顔をしていては、せっかくの可愛らしい顔が台無し。きっと、心の中は中は悲しみでいっぱいなのに違いない。そんなに悲しみがいっぱいなのなら、今ここでその悲しみを吐き出しておしまい。そうすれば、心が少し軽くなるよ」
おばあさんは、ゆっくりと白雪姫に近づきます。
「こんなおばあさんに話したくなんてないかい?」
白雪姫は、悲しげな瞳でおばあさんを見ました。
「そんな瞳で見られては放っておけない。こんな森の奥で美しい娘さんと出会うなんて、きっと、神様が引き合わせてくれたのに違いない」
おばあさんは、洗濯物を洗って冷たくなった白雪姫の手を両手ではさんで温めます。
「わたしはもう、聞く準備はできているよ。ゆっくりでいいから話してごらん」
「おばあさん、おばあさん、
そのやさしい言葉で、わたしの石のように固まった心はとけだしました。
聞いてください、おばあさん。
わたしは、森の外のお城に住んでいました。
母はわたしが幼いころに亡くなりました。
母は、自分がいなくなっても、自分で何でもできるようにと幼いわたしに、掃除洗濯、食器洗いなど生きていくために必要なことをいろいろ教えてくれました。
母が亡くなり、悲しみに暮れていた父のもとに美しい女の人が訪れました。新しい母親です。
新しい母親は、大きな美しい鏡を持っていました。
ある日、新しい母親がその鏡に向かって何かを語りかけているのを見ました。
わたしが、それを真似して、鏡に話しかけようとすると、新しい母は私を慌てて鏡から遠ざけました。
そして、こういったのです。
『この鏡をのぞいてはいけない。この鏡に語り掛けてもいけない』と。わたしは、何か悪いことをしてしまったのだと気付きましたが、もう手遅れでした。その日を境に新しい母親は、わたしを遠ざけるようになったのです。
新しい母に謝りたいと思いましたが、新しい母は、決して会ってくれませんでした。そんなある日、わたしは、猟師に森に連れていかれ、そこで言われたのです。
『城に戻ってはいけない。城に戻ったら、あなたの命はない』
わたしは、そのまま森に置き去りにされてしまいました。
あの日、鏡をのぞいていなければ、わたしは新しい母からも、お城から追われることもなかったのでしょう。すべては、自分が悪いのです。でも、新しい母ともう一度話したい。このまま、森の中で暮らして、二度と新しい母と会えないのかと思うと、悲しくて胸が張り裂けそうになるのです」
おばあさんは、首をうなだれ、じっと話に聞き入っていました。フードに隠れ、その表情は全く見えません。
「・・・・よく話してくれたね、娘さん。あきらめてはいけないよ。あなたはいつまでも、こんな森の奥にいる人ではない。でも、今はまだここにいなければならない。いずれ時がくれば、あなたの悲しみは晴れる。そして、あなたの思いはその新しい母の胸にも必ず届く」
それを聞いた、白雪姫の頬にぱっと赤みが差しました。
「本当?本当に、新しい母にもこの思いは届く?」
おばあさんは、顔を上げてにっこり笑いました。
「ああ、本当さ。やはり、娘さんには、悲しい顔より笑顔の方が似合うよ。そうだ、娘さんにこれを上げよう」
そう言って、おばあさんはかごの中からリンゴを取り出しました。
「これは、この森だけでとれる願いのかなう不思議なリンゴさ。これを食べれば、あなたの望みは必ずかなうよ」
差し出されたリンゴを見て、白雪姫は申し訳なそうに言いました。
「おばあさん、ごめんなさい。わたし、リンゴを食べられないの」
「どうして?こんなにおいしそうなリンゴだよ?嫌いなのかい?」
「昔は大好きだったのよ。でも、今はどうしても食べられないの」
「昔大好きだったのなら、今食べられなくなった理由があるはずよ。そのわけを教えておくれ」
「嫌いになった理由は一つじゃないの」
「一つじゃない?」
「あたしがリンゴが嫌いな理由は三つ」
「三つも理由があれば、どんなものでも嫌いになるさ。でも、差しつかえなければ、そのわけを?」
「一つ目は、リンゴをのどに詰まらせたこと」
「リンゴをのどに?」
「まだ小さかったのに、リンゴが好きなあまり一度に口の中に入れすぎちゃったの」
「そんなに昔はリンゴが好きだったのね?」
白雪姫は、恥ずかしそうにこくりとうなづきました。
「あなたが好きなものは何?
美しい赤いバラ、可愛らしい子猫、たっぷりクリームの甘いケーキ。
どれも、女の子の好きな物。
そこにあったら、みんな自分のものにしたくなる。
でも、あせらないで。
美しいバラには棘がある
子猫は、すぐに爪でひっかく。
甘いケーキも、大口開ければ一口で終わっちゃう。
好きなものほど、あせりがち。
好きなら、ゆっくりおちついて。
リンゴだって同じなの。
あわてて飲み込んじゃもったいない。
好きな物ほどよく噛んで。味わわなくちゃもったいない。
世のなかみんな同じこと。
好きな物ほど、じらしてゆっくり味わうの。
あせりは禁物。
ほら、もうのどに引っかかるなんてことはない。
ゆっくりリンゴの味を味わって」
おばあさんの呪文のような言葉を聞くうちに、白雪姫はおばあさんのリンゴに口を近づけていきます。
でも、あと少しのところで止まってしまいました。
「それだけじゃないの。嫌いな理由の二つ目は、赤い色。赤い色は真っ赤な血。開いた傷口から滴り落ちる赤い血の痛々しさ。真っ赤なリンゴは、赤い血で染まった傷口の色」
それを聞いたおばあさんが、歌うように語り出します。
「赤は血の色、命の色。どくどく脈打つ生命の色。
赤は、太陽。沈む夕日の真っ赤な色。
まだまだあるわ、赤い色。
赤い色は暖炉の色。
寒くて暗い夜を照らす暖かな炎の赤。
テーブルには、おいしい夕食。
楽しい会話が弾むのは、
赤くて暖かい炎の光があるから
赤い色は暖かい色
クリスマスキャンドルに灯る灯火の色。
幸せな家族の思い出に、欠かすことができない色。
テーブルの上には、温かいスープと、いい香りのパン、その隣にあるバスケットには赤いリンゴ。
さあ、手に取って。
その赤は、暖かで幸せな思い出。
痛くて、怖い血の赤などではありませんよ」
差し出されたおばあさんの手から、リンゴを受け取る白雪姫。
でも、白雪姫は首を振ります。
「それでも、だめ。最後の理由は、母に怒られたこと」
「怒られた?」
「大好きなリンゴにかぶりついて、何度も果汁で服を汚しちゃったの」
「それが悪いことだと?」
「服を汚したせいで母には何度も無駄なことを」
「ちょっと、待って。
それって、無駄なことかしら?
服を汚して何が悪い?
おいしいものをおいそうに食べられないなんて馬鹿げている。
汚れた服は洗えばいい。
そうよ、おいしいものを食べて汚れてしまった服は洗いましょう。
みんなで川に洗濯に。
森の中では鳥が歌う。
歌に合わせてごしごし、ごしごし。
洗濯なんて大変?
洗濯なんて、面倒くさい?
とんでもない。こんなに楽しいことはないでしょう?
森の皆が見ているわ。
歌に合わせてごしごし、ごしごし。
リスも尻尾を振っている、
熊はダンスを踊り出す。
だから、気にする必要ない。
おいしいリンゴにかぶりつけば、
服が汚れて、楽しい洗濯が待っている。
誰も怒りなんてしない。
だって、この世界に、無駄でつまらないことなんて一つもないんだから」
おばあさんの言葉は不思議な呪文。
小さい頃、まだリンゴが大好きだったころにかいだ匂いを思い出します。
「また汚しちゃったのね。まったく悪い子ね」
そう言った母の顔は笑顔でした。
それは、無駄なことじゃなかったのね?
母は、あたしの服を楽しそうに洗っていたのね?
白雪姫の手のひらにのった真っ赤なリンゴ。
一口食べれば、永遠の眠りに落ちる毒リンゴ。
でも、次の瞬間、白雪姫はそのリンゴを口にしてしまいました。
あれだけ嫌っていたリンゴなのに。
おばあさんの口車に乗せられ、幸せそうな表情でリンゴを頬張った白雪姫は、突然、胸の苦しみに襲われ、そのまま息を引き取ってしまいました。
そこへ、七人の小人たちが帰ってきました。
七人の小人たちは、庭で倒れている白雪姫に駆け寄ります。
そして、息をしていないことに気づいて、おいおい泣きました。
でも、不思議なことに、体は冷たくなっても、まるで生きているかのように頬の赤みは消えません。
そのような姿の白雪姫を、小人たちは土に埋めることができませんでした。
小人たちは、ガラスの棺を作り、たくさんの美しい花で棺の中を埋め尽くし、そこに白雪姫を入れました。
そのガラスの棺は、森の中でも最も美しい泉のほとりに置かれました。
「もっとも美しいのは生命の炎を燃え立たせながら、永遠にわたしの部屋の調度品になること。命のないものを調度品にしても何の意味もない。それでは、木彫りの置物と同じこと」
青氷の魔王は、部下に言い聞かせます。
そうです。
青氷の魔王は、気に入ったものに呪いをかけて生きたまま動かぬ人形にしてしまうのです。呪いをかけられ、青氷の魔王の調度品になったものは、動くことも、話すこともできぬまま、瞳は同じ一点だけを見つめて、青氷の魔王の言葉だけを永遠に聞き続けるのです。
白雪姫も、そうした青氷の魔王の調度品の一つに選ばれたのです。青氷の魔王が行くところ、踏みしめる地面は凍り、その頭上は厚い雲に覆われ、深々と雪が降ってきます。
白い樹氷に覆われた森の奥深くに分け入った青氷の魔王は、ついに美しい花が敷き詰められたガラスの棺を見つけました。
しかし、そこにあったのは白雪姫の亡骸。
青氷の魔王は、ガラスの棺を開けました。
「ふん、亡くなったふりをしても無駄だぞ」
白雪姫の寝顔に顔を近づける青氷の魔王。
白雪姫は、息をしていませんでした。
青氷の魔王は、立ち上がり、もう一度顔を近づけました。
「・・・・・死んでいる」
青氷の魔王は、残念そうに白雪姫の遺骸を見下ろしました。
どんなに美しいものでも、命のないものにはまったく興味はありません。
「確かに美しい。生きてさえいれば、わが部屋の中でも最も美しい調度品になったであろうに」
そう言うと、青氷の魔王は森を後にしました。
青氷の魔王が去るのと同時に、森は再び緑が活気づきました。
ガラスの棺の周りにも、緑が生い茂り、色とりどりの花が咲き乱れ始めます。
そこへ、一人の若者がやってきました。
そして、ガラスの棺を発見しました。
「美しい。まるで生きているみたいではないか。なにゆえこのような棺に入れているのだ」
若者は、白雪姫の亡骸を棺から抱き上げました。白雪姫の頬に自分の頬を当てます。
「まるで雪に触れているように冷たい」
「死んでいるのであれば、どんなに温めようと無駄ですぞ」
従者が言います。
「分かっている。だが、この唇を見よ。この赤は生命力の赤。温かい血の脈動の赤だ。このような唇をみて口づけしない男などどこにもいない」
そう言うと、若者は、白雪姫の形のいい唇に口づけしました。
すると、冷たかった唇に温かさが戻り始めました。
頬にも温かさが戻り、やがて白雪姫は、目を開けました。
白雪姫は、美しい瞳で若者を見つめて言いました。
「・・・・あなたはどなた?」
「わたしは、隣国の王子。氷の王国から青氷の魔王がこの森にやってきたと聞き及び、隣国の大事とはせ参じたところ」
「青氷の魔王が?一体何をしに、このような森の奥へ」
「分からないが、このように美しい方が森の奥に眠ると分かっていれば、青氷の魔王でなくても誰もがこの森に参ったであろう。わたしは、他の国々にも声をかけたが、結局ついてきてくれたのは、わが従者一人だけだった」
従者が、笑顔で白雪姫に挨拶する。白雪姫はその挨拶に笑顔を返すと、
「皆、青氷の魔王の力を恐れて、しり込みしたのですね。そのような中、我が国のためにはせ参じてくれたその勇気と友愛の心に深く感謝いたします」
「もし、わたしの勇気と友愛の心を受け取ってくれるのであれば、ここでぜひ責任を取りたい」
「責任?」
「あなたの唇を奪った責任だ。そのやわらかで、聞き心地の良い声を毎日聞いていたい。どうか、わが妻になってはいただけないでしょうか」
その言葉を聞いた白雪姫の頬がさらに赤みを増しました。
そのあと、白雪姫は継母と再会します。
そして、白雪姫は幼いころ新しい母の真似ごとをしようとしたことを謝罪しました。
「謝らなければならないのはわたしの方です。王の宝であるあなたを邪な力から遠ざけるために、何も言わずにわたしや鏡から遠ざけてしまった。わたしは、氷の王国の第一王女。わたしの氷の心はあなたの父と結ばれ捨て去りましたが、わたしの中に残る魔力があなたにどのような悪影響を及ぼすのか、わたしはそれが恐ろしかった。あなたには、純真で無垢なまま育ってほしかった。そのためには、良いものも悪いものもすべての真実を語る鏡は、あなたから隠す必要があったのです。でも、今、あなたは、どんな真実でも受け入れられる強さを持った。この鏡に語り掛けても、もうあなたは自分自信を見失うことはないでしょう」
そう言うと、王妃は鏡を覆う布を取り払いました。
白雪姫は、その鏡を見つめて言いました。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
「それはあなたです。白雪姫」
白雪姫は、隣にいる王妃を見ました。
王妃は柔らかい笑顔で白雪姫にうなづきます。
すると、鏡がさらに言葉を続けました。
「しかし、その心の美しさでは、白雪姫でさえあの方にかないません。」
白雪姫は聞きました。
「それは誰?」
「自らの子ではないにもかかわらず、その美しい娘を弟の魔の手から守り、幸せな結婚へと導いた継母こそその人。それは、あなたの隣に立っている方です」
最後までお読みいただきありがとうございました。
いやー、やっぱり王妃に焼いた靴は履かせられませんよね。
自分の結婚式で、自分の母親にそんなことをさせるなんて、白雪姫の方が恐ろしい。
本当に美しいものは、その行いで、醜いものをも美しく見せるのです。
これを美しさの連鎖といいます。
そんなきれいごと、童話の中だけ?
いやいや、人間の頭で考えられることなら、すべては実現可能なのです。
要は、それを、するか、しないかだけの違い。
この物語が、少しでも、皆さんの「する」気持ちを後押しできればいいな、と心から願っています。