73 通行証
読んで下さりありがとうございます。
「よしっ、これで十分ですね。センお兄さんお願いします」
「了解」
ボーの放血の具合を確かめたシルムの要請を受け、革袋を近づける。
直後、物量を無視して亡骸が袋口から取り込まれ、形跡も残さず姿を消すボー。
音を立てることなく、革袋の見た目ーーペタンとしていると怪しまれるので膨らませてあるーーも重量も変動していない。
まるで神隠しにでも遭ったかのよう。
悪事にも利用できそうだ。
空間拡張を付与してこれまで、シルムとクランヌ以外には存在を秘匿し続けているこの革袋。
仮に周知されていたら、もっと追手の威勢は苛烈さを増していたかもな。
「ありがとうございます。これで…やり残しはありませんよね」
「だな。魔晶板は二人で確認をしたし、素材の収納は今ので最後だ」
シャドーホークや魔石などはギルドで売却するつもりなので大きい袋に分けてある。
一応、採った植物も一緒に入れている。
「では、後は無事に帰るだけですね。気を付けて下山しましょう!」
ぐっと両拳を握り「もう油断しませんよ!」と意気込みを見せるシルム。
やる気を滾らせて、抜かりなしって感じだな。
そんな熱を帯びているところを、白けさせてしまうが…
「いや、下りはというか、帰りは転移で近道するから」
一度足を踏み入れた場所、またはある程度視認できた場所であれば転移圏内。
なのでここまでの道程、並びに道すがら視界に収めた所も含めて行き来が可能。
用件である依頼を終えた今、ギルドへの回帰過程は省略してしまうのが安全かつ効率的。
「えっ、転移…あー…転移、ですか」
しかし、シルムの相槌は思ったより歯切れが悪い。あまり乗り気じゃないのだろうか。
反応が鈍いのは気合が空振りしたから…ではなさそうだ。
それとは方向性の違う、別種の要素が絡んでるように見える。
「もしかして帰りの道中に、何か用事でもあった?」
興味のひかれるものを目にした、またはシルムに何かしら縁のある地。
転移で戻ることに難色を示すのであれば、考えつくのはこれくらい。
「ああ、違います」
シルムは慌てて胸の前で両手を振りながら否定。
それから頭に手を置き、気恥ずかそうにする。
「いやー。センお兄さんに叱られるかもしれませんが、私、ここは長閑で落ち着くと話したじゃないですか」
「言ってたな。俺も似たような印象を受けた」
「でですね、そんな安らぎを覚える時間はもう終わりなんだなあって、寂しさみたいなものに襲われてしまいまして」
「そういうことか…」
エストラリカは人口が多く、高く厚い壁と他にも魔物対策がなされ磐石の守り。
ひとたび外を出歩けば、様々な人と種族ともすれ違い、閑静とは無縁で活気に包まれている。
それを敢えて悪く評すると、建造物が立ち並びごちゃごちゃしていて自然が少なく窮屈
日中、それと一部では夜が深まるまで喧騒が付き纏い煩わしい。
我ながら極端な見方だとは思うが、賑やかばかりなのも偏り。
対するこの山は道の真ん中で佇む、大きな声を発するなどの自由な振る舞いをしても咎められない。
人が密集することで生まれる独特な空気はなく、澄んでいて木漏れ日とか静謐といった自然ゆえの癒しがある。
まあ時には魔物を含め、その自然が牙を剥くことがありはするけど。
慌ただしい日常を離れ、シルムにとっては新天地。
初めての連続で新鮮が溢れていて、時間の経過が早く感じられただろう。
濃密なひとときに一段落つき、大した間を置かずに転移での直行。
折角の初依頼なのだし、歩きながら余韻に浸る、道中を振り返るといった整理の時間を設けるべきなのかも。
だが。
「思うところは多々あるだろうが、所定通りギルドに向かうぞ。依頼の報告は早目にって決めたからな」
印象を良くする為にと俺が方針を持ちかけて、シルムもそれに同意した。
二人で話して二人で決めた事項だ、容易に覆すようではいけない。
そんな意志薄弱な真似をしてたら、今後の在り方にも関わってくる。
「それは勿論です。もしセンお兄さんが折れるようだったら私が罰を課していたところです」
シルムも理解しているようで、ぼんやりだった口調から毅然とした態度できっぱりと言い切る。
罰の内容は聞きはしないが、おそらく碌なことではないと思う。
「まあ悲観する必要はないよ。これで一つの区切りにはなるけど、まだまだ新たな出会いが待ってるから」
言ってしまえば山はありふれた物で、山笑うとか山粧うなど表情は様々。
ここはその内の一つに過ぎず、他にも自然が生み出した世界は各地に広がっている。
体験の差こそあれ、俺もシルムも途方もない地図への書き込みを始めたばかり。
「はい。終わりではあっても、機会は幾らでもありますから、少しずつつ時間を積み重ねていけばいいですよね!」
そこで何故か納得ではなく、同意を求めるような眼差しを向けてくる。
だがその通りなので、頷き返して仕切り直す。
「転移するから、体の何処かに触れてくれ」
「わかりましたっ」
元気のいい返事から迷いなく俺の手を両手で取る。
しっかり繋がっているのを確認してから、目星を付けていた場所を思い浮かべ、その場を後に。
「ここは…」
転移して視界が開け、辺りを見回すシルム。
背後にある物を確認して、すぐに二の句を継ぐ。
「出口の近くですか?」
「よく分かったな」
「ふふん、記憶に焼き付けてますから」
賛辞を送ると、機嫌よく鼻を鳴らしてみせる。
「大丈夫そうですね」
「狙い通りだな」
場所はエストラリカ東口を少し南下して、街道を外れたところにある大きな岩の陰。
周りには特に何もない、それ故にこの場所に留まる理由は見当たらず、誰かが居合わせている確率は低い。
休憩場所として使うにしても、それならエストラリカに入った方が早い位置に生えている。
それに距離は相当あるが蒼然の森方面でもあり、近寄る人間は限られるので、これらを踏まえての選択。
予想通り俺たち以外に人はおらず、人目もない。
もし目撃されていても素性は隠してあるから、適当にやり過ごせばいい。
この世界でも黙秘、拒否等の権利は保障されている。
表面上は手を取り合っているが、種族間の軋轢は残っているらしく、そう言った点でも必要な措置。
それにギルドでは、一方的に因縁をつけたりするのを禁じている。
双方合意のもと…喧嘩を買った場合は当事者同士の責任になるが、つまりまともに応じなければ相手の立場が悪化するだけで済む。
かといって余計な火種を増やしては面倒になるので、最低限は発見されないようにする。
「それで、ギルドカードがいるんですよね?」
「ああ。シルムは住人だから無くても入れるみたいだけど、提示した方が楽。ちゃんと持ってる?」
「ここにあります」
しまっていた正方形のカードを取り出し、その表面を見ながらシルムは苦笑する。
「入るのに手続きが必要なのは知ってましたけど、その方法は最近まで全く知らなかったです」
「仕方ないんじゃないか? 機会がないとどうしてもな」
前の世界そして、元の世界でも各地に足を伸ばしたが、行く先々によって条件は多種多様だった。
通行証が不要だったり、追加で発行する必要があったり、料金を取られたり、そもそも入ることが制限されているなど。
情勢、文化、環境。
国や地域が変われば事情が変わるのも当然だが、直接関与することで初めて、それらを把握するのがほとんど。
「俺だってこれの存在を知らなかったしな」
拡張してある革袋から、俺も正方形のカードを取り出す。
ギルドで受け取ったのとは全くの別物。
シルムはそれをまじまじと見て、合点がいった様子で呟く。
「それは、クランヌさんが用意したっていう…」
「そう、特別な通行証」
上質な白地に金銀銅で描かれた紋章。
素性を隠したい俺のためにクランヌが調達してくれた、エストラリカの通行証だ。
「クランヌ、相談があるんだけど…」
少し遡って。
シルムのギルド活動が迫り、防具の準備などとは別に、一つの問題が浮上した。
「あら。私に出来ることであれば、何なりと仰ってください」
俺の申し出に快く話の席につくクランヌ。
気のせいか嬉しそうに見えるような?
「ありがとう。エストラリカに入る時さ、ギルドカードとか提示する必要があるだろう? でも…」
それからクランヌに向かって件のギルドカードを差し出す。
発行して以降、全くの手付かずで何の変化もない。
問題はそこではなく、簡潔に記された情報。
一目見て俺が言いたいことを察したようで、
「ああ、つまり、センさんのご意向にそぐわないと」
「その通りだ」
いくら顔を隠して口を開かず、阻害を掛けて正体を明かさないようにしても、これ一枚で筒抜け。
確認をする門番が裏に通じていたり、情報が漏れることがあれば面倒この上ない。
そんな事態を避けるために、別の手立てを確立しておかねばならない、それも真っ当な。
知り合いで門番のクストスから聞いた話によると、エストラリカには侵入を感知する仕掛けが施されているらしく、外壁をよじ登ったり空から入ろうとすると憲兵が飛んで来るそうだ。
透明化などして門を通り抜けようとしてもアウト、噂では小動物すら逃さない精度だとか。
馬鹿な真似をしないのが身の為というのが彼の談。
その忠告に大人しく従うべきだろう。
…多分、侵入しようと思えば出来るだろうけど。
少し前まで俺は捜索の対象だったわけで。
対策を講じる過程で掻い潜る術が作り上げられるのは自然なこと。
だがあくまで可能ではあるだけで、最初から選択肢に入ってない。
「それで、クランヌなら何かいい方法を知ってるかなと思って」
「由々しき問題ですものね。ですがご安心ください、このクランヌにお任せを」
クランヌは胸に手を置いて頼もしく言ってのける。
当てにしていたから快諾してくれて助かる。
「俺としてはとても有り難いけど、クランヌの迷惑とか負担になるなら、無理しなくていいからな?」
「さっき申し上げた通り、心配には及びませんわ。正当な権利を行使するだけですので、何も後ろ暗いことはございません」
「正当な権利?」
特別な立場じゃないただの旅人で、門の前で素性を晒さず怪しさ満点。
そんな俺が嫌疑を向けられずに通行可能な方法なんて、想像がつかないな…。
ピンと来ていない俺をクランヌは優しげに見る。
「そんな難しい話ではありませんわ。だって取引相手に、許可証をお渡しするだけですもの」
「…なるほどな」
「出先でお会いした商談相手に、エストラリカに来て頂くことは珍しくありません。自由に出入りするのがお望みであれば、その手助けをするのは当然のことです」
言われてみると納得の行く話だ。
クランヌの方から出向くこともあれば、相手に来てもらうこともあるだろう。
そのとき、当初の俺みたいに通行料を支払わせるような真似はさせられない。
まだ実物は目にしてないが、クランヌが言うのだから通行証の存在は疑いようがない。
「本来は取引内容を詳細に明記して申請しなければなりませんが、そこは免除していただきますので」
「それは…大丈夫なのか」
「私どものところはそれなりに実績を上げておりますので、深くは追求されません」
「それなりに…ね」
「ええ、それなりです」
ただ静かに微笑むクランヌ。
ここは言わぬが花というやつか。
「じゃあ悪いけど、その許可証の手配を頼んだ」
「承知致しました。悪いだなんて、今後もご贔屓いただければ幸いです」
「はは、勿論」
こんなときでも商魂逞しい…いや、こんなときだからこそか。
これで話が纏まったと思いきや、クランヌがふと、何かに思い当たった様子で訊いてくる。
「たしかセンさんは、エストラリカの外を一人で出歩く予定はないのでしたよね?」
「ああ、今のところは。出るのはシルムに付き添うときかな。それがどうかした?」
「いえ、でしたらより完璧ですわね」
そうクランヌは答えとはいえない答えをすると、笑みを深くした。
(で、後日クランヌから受け取ったわけだが…)
今は東門の前で、許可証を手にシルムと順番待ちをしている。
これが通用するかどうかは全く心配していない。
ただ、楽しそうに微笑んでいたのがどうも引っかかる。
そこで俺たちの出番が回ってきて、門番から提示を求められる。
先にシルムが差し出して、問題なく通過の許可が下りる。
それから俺が続くと、フードを被ったこちらの姿を一瞥してから、カードの方に目を落としーー
「!?」
目を見開いて慌てた様子で姿勢を正すと、
「どうぞ」
一転して恭しい態度で先を促した。
これを受けて俺とシルムは目を丸くしたが、立ち往生するわけにもいかないので、釈然としないまま中に入って行く。
クランヌ、一体俺にどんな物を与えたんだ…。
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