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71 粘弾

読んで下さりありがとうございます

「なっ、何ですかっ!? 首に冷たいものがベチャッて…」


 俺が密かに首へ射出した水の塊を気付かず喰らったシルムは、突然湧いた異物の感触に仰け反って慌てふためき、手を首の後ろへやってそれを取り除こうとしている。

 しかし。


「ひぃん!」


 短い悲鳴を上げてピンと背筋を立たせ、うなじを手で抑えたまま静止。

 それから俺のほうに顔を向け、目には薄らと涙が浮かんでいる。


「うう…センお兄さ〜ん。ねっとりとした何かが背中を伝ってぞわぞわします〜!」


 よほど堪えたのか、こちらに呼び掛ける声は震えており、助けを懇願するニュアンスが含まれている。

 加えて、襟から手を入れてゴソゴソとやっており、傍から見ると背中を掻いているような格好。

 そうさせている元凶は他でもない俺なのだが。


「しかも取れる気配がないんですけどっ!」

「だろうね、くっついたら剥がれないようにしといたし」

「そうなんです剥がれない…うん?」

「効くでしょ、それ」


 近付いて告げると、シルムはぽかんと口を開け、服の中に手を突っ込んだ姿勢で固まる。

 時間を置いて意味を呑み込んだのか一旦口を閉じ、神妙な顔つきの感情の読めない声で問いかけてくる。


「…もしかして、センお兄さんの仕業ですか?」

「ああ、後ろからこれで」


 下ろしていた水鉄砲を掲げて見やすいようにする。

 透明製なので外から液体が入っていることが確認できる。

 シルムは水鉄砲に注目し、それが自分を襲った正体だと認識したようで。


「…」 


 さっきの慌てぶりから一度は冷静さを取り戻したが、次は無言のまま、分かりやすくムッと物言いたげな表情で怒りを露わにする。

 まあ怒りもするだろうな。

 シルムからすれば何の脈絡もなく、不快な感触の物に肌をなぞられる被害に遭ったのだから。

 といっても、涙目のままで威圧感は乏しいが。


 ……しかしよくよく考えたら、年頃の少女に対してデリカシーの欠けた仕打ちだったかもしれない。

 素肌に無礼を働いたこともそうだが、山中に響き渡る悲鳴を上げさせてしまった。

 悪気はなく結果的にそうなってしまったとはいえ、その言い分で納得してもらえるかどうか…


 思考を巡らせつつ出方を窺っていると、シルムがポツリと呟く。 

 

「どうして…」


 わなわなとしながらつい漏れ出たような声は震えていて、尋常ではない様子が伝わってくる。

 感情の爆発が一歩手前といったところ。

 ああ…これは冗談抜きに、咎めるためにやった云々は別にして、詫びた方がいいかも…。


 平謝りする方針で固めたところ、ついに限界に達したのか恨みがましく俺を見ながら、前のめりな姿勢で近付いて、


「どうしてそんな物持ってるんですかっ。一体それは何なんですかっ。そもそも私が撃たれた理由が分かりませんっ。私何か悪いことしましたかっ。はっ! もしかしてセンお兄さんの癇に障るようなことを知らない内に…もしそうなら直しますから、私のこと悪く思わないでくださいっ!」


 開いた口から堰を切ったように言葉が継がれる。

 

 んん? しかし妙な流れになりつつあるぞ。

 畳みかけてくる感情の吐露に少し気圧され口を挟まず、挟めずに黙っていたが、俺が普段しない行動に出たのと沈黙もあわせて変な方向に解釈したのか、逆に俺が怒っているみたいになってる。

 収まりつつあった涙目が潤いを取り戻し、次はこっちが決壊してしまいそう。


 何故だか俺に選択が委ねられる運びになったが、もちろん誤解で生じた優位性を利用する気は更々なく、やるべきことは既に決まっている。

 事態の収拾、そのためにーー

 

 徐に空いている左手をシルムの方へと伸ばす。

 ビクッ! シルムが俺の挙動に身体を竦ませる。

 それに構わず手を顔へと寄せて行き、何かを覚悟した様子で目をギュッと瞑ったシルムに、


「…ぇ?」


 ポンとあやすように頭に手を置く。

 目を見開いて驚くシルム。

 誤解をこれ以上深めないために、落ち着かせるつもりで柔らかい声音を意識して話を切り出す。


「撃った理由に関してだけど、シルムが疎ましいとか、煩わしくなったなんて一切ないから安心してくれ」

「ほ、ほんとですか…?」

「本当だよ。そもそもの話、シルムに嫌気が差すのは余程の変化、それこそ性格が180度反転でもしない限りはないかな。逆に俺が愛想をつかされる場合の方がーー」

「っ! それこそありえません!」


 言葉を遮り、涙ぐんでいるとは思えない力強い否定が飛ぶ。

 説得力を持たせるために可能性を引き合いに出してみたものの、裏目に出てしまった。

 というか、さっきより目に見えて怒りの度合いが増している。

 

 それほど神経を逆撫でする発言だったのだろう。

 例え話とはいえ、感情の行く末を他人が推定するのは気分が良くないのは当然か。

 あー…それと、自分を卑下する発言は相手に失礼だな。


「ごめん。納得させる気持ちが先走って考えが浅い発言だった。ただ、意図は汲んでくれると助かる」

「…分かってもらえれば私はそれで。結果的に頭を冷やせましたし」


 溜飲を下げると同時にほっと安堵するシルム。

 違う形で頭を下げる運びになったが、これで落ち着いて進行できるだろう。


「でも、絶対にありえないですからねっ。センお兄さんを嫌いになるなんて」

「あ、ああ。肝に銘じておくよ」

 

 そう思っていたところにシルムから二度目の注意。

 少し詰まりながら返事をすると満足そうに頷く。

 念押ししてくるとは、それだけ捨て置けない事柄だったのか。

  

 話題にするのはタブーと思った方がいいだろうな…。


「それで、どうして私は撃たれたのでしょうか?」


 すっかり調子を取り戻た様子で、素朴な疑問をぶつけてくる。


「そうだな…重要な話だから、先にこの水鉄砲の説明をさせてくれ」

「む、おあずけですか。まあそちらも気になるので、分かりました」

「これの中身は『粘弾』…。元は普通の水だけど粘性を与えて、最初に当たった物体に接着して離れないようにしてある」

「だから剥がそうとしても無駄だったんですね」

「体の一部になってるようなものだから。それで数秒経つと重力に従って汗みたく肌を伝い、一定時間で消える」

「あれ? 言われてみればいつの間にか無くなってます」


 シルムは背中に手を回し有無を確認している。

 俺への抗議に気を取られて、今まで意識の外にあったようだ。

 自身を苛む存在を忘れるなんて、そこから当初の怒り具合が窺い知れるな…。

 

 …………。

 直前の否定に対して、それより強い印象を覚えたってことはつまり……触らぬ神にってやつだ、うん。

 間違っても口にしないよう多重に封印を施しておこう。


「で、俺が何でこれを持っているのかだけど、一般の追手対策のためだね」

「一般の追手?」

「俺の捕獲に貢献したら報酬が貰えたんだよ。それに目が眩んだ住民とかのこと。でも一般人を退けるために、幻痛を撃つのはまずいでしょ?」

「あー…痛い思いをさせられたら反発が強そうですもんね」


 シルムは横腹…幻痛を受けた箇所に手を置く。


「そういうこと」


 ほとんどの人は相手から痛みを与えられたら、自分に害をなす存在だと認識し、敵愾心を抱くだろう。

 仮に奴は危険だと世間の声が反映され、俺を排除しようとする気運が高まれば最悪の場合、自衛のためにそういった措置を取らざるを得ない。

 そんな事態を招かないよう下手な真似はできず、かと言って無抵抗でいれば付け上がらせるだけ。


 どうしようか悩んでいたところ、耳に入って来たのは昆虫型の魔物に嫌悪感を露わにする女性たちの声。



『まず見た目が無理』『粘液とかありえない』『もう関わりたくない』


 俺はなるほどと思った。忌避感を与えればいいのかと。

 そんな着想のもと、調査や実験を経て完成したのが粘弾の魔弾。


 『粘性』『粘着』を付与してあり、先述した働きをする。

 流石に粘度のある水の塊を付着させられただけで、俺をどうこうしようという声は少なかった。

 相手は相手で、こっちの都合を無視してるしな。


 結果は狙い通りのものとなり、遠ざける人が増加した。


「幻痛と比べて粘弾は効力を発揮してくれたよ、特に女性には」

「それはそうでしょうね。私も辱められてしまいましたし」


 ジト目になりこちらを見やる。

 間違いではない言葉は選んでほしい。


「これに関しては申し開きのしようがない。すみませんでした」


 有耶無耶になりかけてたけど、やっぱり気にしてるよな…。

 追手に協力してた輩には何の感情も湧かなかったが、身近な人間のシルムには罪悪感を覚えた。

 消化不良とせず、謝っておくべきだろう。


「…一応、受け取っておきますけど、まだ肝心な部分を聞いてないので何とも…そろそろ聞かせてくれませんか? 判断はそれからです」


 シルムは余裕のある表情でそう脅し紛いに言ってくる。

 だが俺は遊びや悪戯でやった訳ではなく、今後に関わることなので下手に出ずに真っ向から行く。


「説明も済んだし本題に移るか。早速だけどーーシルム、ボーを倒して気を緩めただろう?」

「…そ、そんなことは」


 単刀直入に問いかけると、目を逸らしながら弱々しい答え。

 誤魔化してるつもりなのだろうか。

 余裕さがあっさり崩れ、さっきまでの上からの威勢が萎れてしまっている。


「俺は後ろから眺めててそんな見解で、シルムにも心当たりがあるでしょ。もう察しがついてると思うけど、理由は戒めの荒療治ってところ。口頭で伝えるより衝撃的な体験をした方が物の覚えがいいから」

 

 嫌な思いをすると特に。

 

 言い返す材料が見つからないのか口を開きかけては閉じ。

 徐々にバツの悪そうな顔を濃くして行き、やがて観念したように肩を落とす。


「認めます…センお兄さんの言う通りです。全部上手く行って、大したことないって考えが頭を過ぎりました」

「やっぱりか。そこまで露骨ではなかったけど、傍から注視してると分かるよ。ふとした拍子に表出して、読み取れる」

 

 表情、仕草、声色。

 普通に生活を送る中で、ポーカーフェイスなどの感情を表に出さない修行をする機会なんて、まずないと言っていい。

 せいぜい身に付けるのは処世術程度の外面で、普段から仏頂面だったり感情が平坦でもなければ、どんな心境か分かる人には分かってしまう。

 

 その点シルムは感情表現が豊かで見抜きやすい、取り繕うとしてないから尚更。

 欠点とかではなく、活発さが彼女の魅力なので、それはそのままでいいのだが、


「シルムには俺のことをいざという時の助っ人だけじゃなく、自分の行動を評価する存在って認識も、同じくらい持ってほしいな。誰かに見られてることを意識すると感覚が違ってくるから」

「ああ、わかります。子供たちに教えるときとか、お手伝いの際に人の目があるとより丁寧にやろうってなりますもん」


 一人で黙々とする作業に対し、他人の視線が向けられている状況で生じる落ち着かないなどの一種の緊張は、傍若無人でもなければ大半の人が経験があるだろう。

 俺の場合は昔から続けている朝の日課の折、普段から真剣だか一人よりも身の入りが異なる。

 他者が居るのはときに重圧となり得るが、集中を乱さずやり遂げるのに良い刺激になると俺は考える。


「そう言われてみると、傍にいる安心感の方が強くて、甘えていた節があるかも…簡単に切り替えれるかわかりませんけど、心に留めておきますね。センお兄さんが私をじっくり観察してるわけですし!」

「…まあ気を緩めるなと言われても難しい話だよな。型に嵌ったような順調さで、危機に瀕してもないのに備えておけだなんて」


 からかうつもりだったのだろうが、そんな目をされても取り合わないぞ。

 

 大怪我を負った人がいたとして。

 そのとき、それからの苦痛、不安、歯痒さなどの辛さを一から十まで理解できるのは当人だけ。

 どれだけ親身になって接したところで、痛ましくは思えても相手を苛むものの想像すら難しい。


 そんな曖昧なことに神経を尖らせるなんてのは、実感が湧かないのも頷ける。


「でもシルムは幻痛を身に受けたのと、さっき脅威の一端を目の当たりにしてる」

「さっき…ボーがぶつかったやつですか」

 

 一瞬考えたものの心当たりがあるのかすぐに答えが出る。


「そう。何となく察しがついたでしょ? あれが直撃するのは危険だって」


 離れていても振動が伝播して来そうな、轟きを伴う物体の衝突。

 こちらも結局は推測になってしまうが、間近で見ればただでは済まないと危機感を抱く。


「はい、あまりの大きな音に思わず身構えちゃいました」

「その感覚も忘れずに覚えておいてほしい。ボーはランクとしては一番下に位置してるけど侮れないって」


 わざわざ依頼に出されてるということは、一般人では対処が厳しく、一定の危険性が認められている存在。

 相手取る自分も被害者の一人に含まれてしまう可能性は、十分にある。


「侮っちゃうのは想像との落差もありますけど」

「それはもう終わった話だから。蒸し返すのはずるいって」

「冗談ですっ。まあ心配かけたくないですし、あの痛みを忘れるわけにもいきませんからね…重ねて留意しておきます」


 シルムは横腹に慈しむような目を向け、大事そうに撫でる。

 忘れるわけにはいかない…? 引っ掛かる言葉だけど、とりあえず納得したのは伝わった。


「あ! 血抜きはちゃんとしとかないと。行ってきます!」


 反転してボーの元へと元気よく駆けて行く。

 本当に表情がコロコロとよく変わるな。

 そこに翳りが生まれないよう、可能な限り教えを叩き込んで行かないと。


 そう思いながら遅れて後に続くと。

 ボーの近くで屈むシルムの背中に、影が差す。


「シルムっーー!」


 突如、上空に現れた飛行物体。

 鋭い嘴に爪を持つ、猛禽類とも称される生物は、急速に下降して背後から迫る。

  

 俺は呼びかけつつコールでハンドガンを手に。

 狙いを付けて、引き金を引こうとした、その瞬間。


 屈んだままバッと勢いよく振り向いたシルムが上空に手を突き出し、


「言ってるそばから…」

 

 敵意を剥き出しにしながら手のひらに炎を生成、敵との間に火の壁を作る。

 今にも襲いかかろうとしていた猛禽類は慌てて制動し、Uターンして距離を離そうとする。


「逃さない」


 シルムは身体強化を発動すると、足のバネを使って跳躍。

 今度はシルムが弾丸の如く背後から迫る。

 それに猛禽類が気付いて振り向くも、既に距離は詰まり相手はダガーの柄に握っていてーー


 交差する手前、連続して振り抜かれる刃が抵抗の間も与えず斬り裂き、血を散らして地面へと落下。

 続いてシルムが着地し、浴びた血を顧みず、死体を見て冷たい視線を送り一言。


「怪我したらどうしてくれるの?」


 途中から銃を下ろして一部始終を眺めていた俺は、浄化水を手にシルムのもとへ。

 俺に気付いて険しい表情から一転、明るい笑顔を向けてくる。


「どうですかセンお兄さんっ! 私、やりましたよ!」

「ああ、そうだな。でも」


 誉めてと言わんばかりのシルムに対し、俺は銃を掲げ、


「え」


 左右に向けて一発ずつ発砲。

 その後、葉擦れと何かが落下する音が聞こえてくる。

 音の発生源はシルムが倒したのと同じ生物。


 固まっているシルムに向けて一言。


「詰めが甘かったね」

 

思ったより長引いてクランヌの出番が遅れてしまってますね…待っている方がいたらもう少しお待ちください。


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