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65 初戦

読んでくださりありがとうございます

(本当にいるとは…)


 シルムに連れられ木々の合間を縫った先の、少し開けた空間。

 そこに、奴は存在していた。

 

 全長は約二メートル。焦茶色の体毛に覆われ、首が短く鋭利な牙を生やす、四足歩行の猪に似た魔物。

 ギルドの書庫の資料と一致している。 

 あれが討伐対象のボーで間違いないだろう。

 

 現状、俺とシルムは離れた木陰から様子を窺っており、こちらに気付いた気配ない。


 ある程度近付いたところで俺も存在を捉えはしたが、それより一足先にシルムは感付いていた。

 ボーとの距離と、歩いた距離を合わせると…三十メートルくらいか?

 俺と違って匂いによる感知とはいえ、驚嘆を覚える鋭敏な嗅覚。


 そういえば以前、ほんのちゃんと付けた香水を嗅ぎ取ったこともあったな。

 これだけ鼻が利くのであれば、索敵において重宝するだろう。


 シルムに位置を把握する術があるなら、探知魔法を解禁してもいいかと一考するが…やっぱりやめておこう。

 嗅覚は環境や相手によって左右されてしまうし。

 ただ、このままだと不便なのは変わらないので、近い内に探知魔法を習得してもらうか。

 

 さて…ボーは今、俺たちに背を向け地面に顔を寄せている。

 首を動かし何か探っているような動きだが、その後ろ姿は隙を晒していており、絶好の攻め時。

 

(シルムに伝えるか)


 そう考えた折。

 くいくいっとローブの裾が引かれ、そちらに顔を向けると、シルムが俺をじっと見ていて、その目が物語っている。


 ーー仕掛けてもいいですか?


 明言してはないが、間違いない。

 頷いてみせると、シルムはボーへと視線を戻し、ふーっと深呼吸。

 緊張のせいか少し固い面持ちのまま、魔法の準備を始める。

 

 魔力の膨れ上がりを感じ取った、直後ーーシルムの背に付き従うようにして、淡い光を放つ半透明の剣が三本現出。

 光初級魔法、ホーリーソード。そして無詠唱。

 

 たゆまぬ鍛練の結果、シルムはいくつかの初級魔法を無詠唱で扱えるようになっている。

 一月も経たずここまで至るとは予想外ではあったが、強力な手札。

 網羅する未来はそう遠くないだろう。


 瞬時に展開したホーリーソードをどう扱うのか見ていると、一本だけ手元に残して二本を左右へ飛ばし、回り込むように仕向ける。

 半分ほど距離を詰めるのに成功するが、タイミング悪くボーが振り返って右方から迫る光剣を視認し、威嚇なのか体を震わせ臨戦態勢に移行。


 ーーが、それに気を取られ死角から迫る脅威には気付かず、

 

 ザシュ!!

 

 そう聞こえてきそうな勢いで、がら空きの脇腹にホーリーソードが突き立てられ、ボーはくぐもった鳴き声を漏らし大きく仰け反る。

 その隙を逃さず、片割れの光剣が頭上から振り下ろされーー頭部が地面に転がり、遅れて重い音を立てて巨体が横たわる。

 切断箇所から流れる血が、地面を赤黒く染めて行く。


 囮で気を引いて不意の一撃を突き、間髪入れず首を一刀両断。

 すらすらと迷いない、計算された鮮やかな手並。

 先手の優位性を存分に活かしていた。

 

 わざわざ回りくどい攻め方をしたのは、ボーが振り向くのを織り込み済みだったからだろう。

 待機させた一本は、失敗したときの保険か隠し玉か狙いは分からないが、備えておくのはいいことだ。

 短い首を正確に捉えているし、技量に関しても申し分ない。


 初めての戦闘なのに上出来だったと讃えたい…のだが。

 当の本人は地に伏したボーを見つめ、微動だにしていない。ホーリーソードも展開したままだ。


(…実際に魔物を手にかけて、思うところがあったか…?)


 以前、魔物と戦うことの是非を確認したとき、抵抗はないとシルムは答えた。

 しかしそれは経験する前の、想定を元にした見解。

 こうして現実で直面した後では、前の主張と食い違っている…なんてのは、ありふれた話。


 例えば、簡単だと息巻いて臨んだら思ったより難しかったり、またはその逆だったり。

 遠ざけていたことが、自分の趣味になり得たりなど。

 足を踏み入れてみないと、意外と分からない。


 ボーを倒して固まったシルムが、どんな心境か推し量れないが…無理強いはできないから、あまりにも精神的に辛いなら、そのときはーー。

 ある程度の覚悟を抱いたとき、


「え、あれっ? 終わりですか?」


 呆けたような声でシルムが言う。

 …何か思っていた反応と違うな。まるで呆気に取られていたみたいな…。


「結果は見ての通りだけど」


 二つに分断されたボーは倒れて以降、さっき見せたの威勢が嘘だったようにピクリともしない。

 誰がどう見ても亡骸そのもの。

 起きてる変化といえば、未だに血の滲みが広がっていってるくらい。


「あれが動き出すとは考えられないでしょ」

「それは確かにビックリですけど…うーん…」


 眉を寄せて複雑そうにシルムは唸る。

 どうしたのだろう。

 気が滅入ったわけでもなく、かといって喜ぶわけでもなく。


 煮え切らないような、釈然としていないような。

 まるで、状況を呑み込めずにいるみたいだ。

 

 もしかして…初めてのことで実感が湧かないのか?

 戦いとは言えないほど、一瞬で方が付いたし。


「魔晶板を確認してみたら?」


 促すと、弾かれたようにポケットに手を入れて長方形の薄板を取り出す。


「あ…」


 ポツリと声を漏らしたシルムを横目に、俺も覗き込む。

 すると、ギルド受付で手渡されたときと変わって、中心に嵌め込まれた菱形の結晶の下半分が、火を灯したように内部に煌めきを宿している。

 一方、上半分は依然として暗く沈黙を保ったまま。


 魔晶板は達成証明と記録が用途らしいが、こうして進捗の確認をできて、対象の魔物で合っているか判断材料にもなるし、色々と役立つ。

 ボーを一体斃してこの変化が起きたとなれば、目標数である二体目を斃せば残りも同様に満たされるはず。


「今のがボーで合っていたみたいだな」

「……ですね。間違いじゃなかったです」


 しかし魔晶板で確証を得てもなお、シルムは浮かない様子でいる。

 

「気掛かりなことでもあった?」


 そう問うと何故か、かすかに険のある視線を向けてきた。


「センお兄さんのせいですよ」

「え、俺が悪いのか」


 と言われても、見当が全くつかない。

 ここまで手を出さず成り行きを見守っていただけで、水を差す真似はしてないし。

 

「だって、センお兄さん言ったじゃないですか。環境が変わるから戦い方を考えろって」

「登山を始める前にね」

「だから私はどんな難敵なのかと内心そわそわしながらも、色々と対処方を考えてました。ですが実際はこうもあっさりと…それで拍子抜けしてしまって、違う生物だったのかなと思ったほどです」


 ふむ。

 要するに、俺の忠告を重く受け止めたシルムは、そんな素振りは見せなかったが、頭を捻っていくつかアイデアを練っていた。

 しかし難なく決着がついてしまい、肩透かしを食った気分になったと。

 ぼんやりとしていた原因は分かったが…


「でも、俺は当然のことを言っただけだよ。例えば、料理によって調理方を変えるだろう? それくらい当たり前のね」


 なのにわざわざ口にしたのは、別の点を気にして、当然なことが逆に盲点になる場合があるからだ。

 俺に非はないと弁解するも、ジト目は和らぐどころかより強くなり、


「センお兄さんからすればその程度だったんでしょうけど、私は完全な素人ですもん。あれこれ注意されたら必要以上に身構えちゃいますっ」 

「!」


 節々から刺々しさを感じる不満に、俺は目が覚めるようだった。


「そっか…素人か。うん、シルムはこれが初めてだよな」


 驚愕の早さで数々の魔法を習得し、模擬戦ではそれらを活用して奮戦を見せたシルム。

 ここまで順調に進んで来て、不安そうな言動をあまりしてなかったので失念していたが、主張通りシルムは全くの素人。

 魔物と対峙したことは勿論、情報の持ち合わせもない。


 俺だって魔物に精通してはいないが、蒼然の森での戦闘と、それ以前の経験からおおよそ強さ測れる。

 そして俺は推測を元に一人、シルムなら余裕だと思い込んでいた。

 

 だがシルムからすれば特に目安もなく、言わば未知が相手であり、加えて危険が伴うとなると、含めて言われたって混乱して当然。

 

 思えば油断しないよう、問題なく勝てるとか楽観的な発言を避けたのも浅慮だったかもしれない。

 

「悪いことをしたな…言い訳するつもりじゃないけど、シルムが優秀だから頭が回らなかった」

「……まあ、センお兄さんが善意で言ってくれたのは分かってるので、怒ってはいません」


 反省を口にするとシルムは一瞬身を強張らせ、頬をピクピクさせる。

 気に障ったか…? 本人は怒ってないと言っているが…。

 

「ですが初めて魔物を倒したのに喜び損ねてしまいました。なので…」

 

 言葉を区切り一歩こちらに踏み出し、

 

「代わりにセンお兄さんが褒めてください」


 軽く俯いて頭を差し出してくる。

 これは聞くまでもなく撫でろってことだろう、訓練中にもたまに求められる。

 

「それでいいの?」

「はい。でもいつもより増し増しで」

「増し増し」


 まあ最初から褒めるつもりでいたから渋る理由は特にない。

 良いと言うなら、ご要望に応えるとしよう。

 右手をふんわりと頭の上に乗せ、サラサラの髪を撫で回す。


「んっ…」


 髪が乱れてしまわないよう丁寧に往復させる。

 癖っ毛のない髪は手触りがよく、撫でていて楽しい。

 されるがままのシルムは目を細めてご機嫌そうだ。


「ふふ、いいですね。こうねっとりとした手つきで」

「引っ掛かる言い方だな…」


 撫でているだけでも十分そうな反応だが、賛辞もちゃんと贈っておかないと。


「まずは、初めての魔物討伐おめでとう」

「ありがとうございます」

「ボーを倒した一連の流れ、見事だった」

「それはよかったですー」

「後のことまで計算してて、感心したよ」

「むふー、センお兄さんが育ててくれたお陰ですよー」


 言葉と時間を重ねるごとに、段々とだらしない表情へと変化して行き、今ではうっとりとしている。

 そのまま髪質やら普段の頑張りやら、もはや関係ないことまで褒めて体感より長めに続け、手を離しても少しのあいだ夢心地でいた。

 

 しばらくして正気に戻ったシルムが、いきいきとした様子で言う。


「うーん堪能しました! 私はとても満足ですっ」

「ええ…満足なのか」


 初めての成果を喜ぶ瞬間を逃したのに、あれでいいのか。


「師匠であるセンお兄さんに褒めちぎってもらえたので、最高の記念日です」

「…それはよかったよ」

 

 ちょろいと思わなくもないが…うん、主観というものさしで測るのはやめよう。

 さっきそれを学んだばかりだ。

 追加で何か要求されても正直困る。


(まあだが…本当におめでとう) 


 訓練から約一ヶ月。

 遂に目標への階段を登り始めたシルムが、今後どう足を進めて行くかは分からないが…今はただ、祝福をさせてもらう。

かなり期間を空けてしましましたが、私は元気です。


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