64 登山
読んで下さりありがとうございます。
「おおー、近くで見ると迫力ありますねっ」
眼前に聳える山を見ながら、シルムが声をあげる。
エストラリカから東北へと歩み進め、目的地である山の麓までやってきた。
傾斜の緩やかな砂利の山道が先へと続き、その両端を茂みや林が挟む、自然豊かな山だ。
蒼然の森とは違い鬱蒼としておらず、降り注ぐ陽の光を葉が反射して、鮮明に彩る。
全体的に明るく、自然の活力が感じられるよう。
シルムが声をあげるのも頷ける。
周囲に人の気配はなく、同時に魔物の気配も感じない。
時折、下ってきて近隣を荒らしたりするそうだが、今回は山を登って探す必要がある。
それに伴い、シルムに話を聞かないと。
「山に来るのは初めて?」
顔をこちらに向け、興奮が抜けきってない様子で答える。
「はい! 遠くから見たことがあるくらいですね。危険だから近づかないよう教えられてましたし」
「それもそうか」
俺のいた世界と異なり、ここには明確な脅威である魔物が存在する。
出歩けばいつ遭遇するか分からず、足を延ばすことも儘ならない。
それを抜きにしても、山には危険が混在している。
着のみ着のままで、気楽に遊びに行くのは厳しいところ。
なので、訪れるとしても必要に迫られるもしくは、よほどの理由があるときくらいか。
俺は過去に何度か山へ登ったことがあるが、それも全て所要があってのこと。
残念だが、大半の人が無縁となってしまうのは道理と言える。
山登りが未経験となると、注意点を伝えておいた方がいいな。
専門的な知識の持ち合わせはないが、あらまし程度なら教えられる。
「じゃあ山登りについて、要点だけ触れておこう。一番大事なのは、一歩一歩ゆっくりと登ることだ」
「走ったりするのはダメってことですか?」
「ああ。平地とは足の使い方が違うから、まずはそれに慣れないと。まあ見た感じ傾斜は強くなさそうだし、そんな神経質にならなくていい」
貿易の要であるエストラリカは、物資搬入等の関係か、ほとんど平地で形成されている。
シルムがエストラリカの外に出たのは、幼少の頃が最後だと言う。
そうなると、勾配を登り降りするのが不慣れなのは間違いない。
「それで、疲れたり異変を感じたりしたら言ってくれ。俺に遠慮する必要はない」
シルムは日頃から家事やら買い出しやらで動き回っているので、そこまで心配はないが。
「わかりました。センお兄さんは勿論、皆に心配はかけられませんし」
俺の忠告に打ってかわって、おもむろに頷く。
訓練のときは無茶もあったのに、随分と素直な返答。
流石に実戦を間近にして、気を引き締めたか?
「あと、環境が変化したら戦い方も変わる。立ち回りにも気を付けて、よく考えてくれ」
「確かに難しそうですけど…何とか頑張りますっ」
両手を握って力強く意気込む。
まだまだ山に関することは色々あるが、本格的に登るわけでもないし、このくらいでいいだろう。
「よし。シルムのペースに合わせるから、先導してくれ」
「わかりました」
山道に足を踏み入れるシルムの次に、俺も足を踏み入れる。
魔物探しの始まりだ。
言い付け通りゆったりとした歩調のシルムと、それに同伴する俺。
魔物の捜索にあたって、ひとまずは真っ直ぐ山道を進むことにした。
一向に遭遇する気配がなかったら、横にある木々の中へ。
それでも行き詰まった場合は、探知魔法を用いる。
最初から用いた方が楽ではあるが、あくまで最終手段。
魔物の位置が把握できたら、前もって準備が可能で、対処が容易になってしまう。
それではシルムの成長に繋がらない。
敵が何処に潜んでいるのか、いつ奇襲を受けるのか分からない状況に身を置いて、感覚を養わせる。
そうすれば自ずと、油断や動じることが減ってくるはず。
本当は万が一を考慮して展開しておきたいところだが、シルムは妙に鋭いので、俺が感付いたことに感付くかもしれない。
(あの勘の良さは一体何なんだ…?)
そう思いながら隣の少女に目を向けると、
「~♪」
上機嫌そうに鼻唄をうたいながら足を運んでいる。
さきほどからこの調子だ。
一見すると能天気に見えるが、顔を左右に動かし注意を向けている。
なので咎めはしないが…上機嫌な理由は気になる。
「何だか楽しそうだね?」
訊くと鼻唄を止め、バツの悪そうな表情に変わる。
「不味かったですか…?」
「いや全然。単純に疑問に思っただけだよ。むしろ精神に余裕を持ってた方が魔法を扱う上で有利だし」
「そうでしたか。えっと、ここは長閑でポカポカしてて気持ちいいなーって。何より空気が澄んでいて堪りません」
シルムは所感を述べ空気を吸い込むと、にへーと相好を崩す。
「ふむ…」
喧騒とは無縁で、自然に囲まれ暖かな陽光が身を包む。
ときとぎ風が吹き抜けて、草木が擦れ音を立てる。
なるほど。一歩引いてみると、穏やかな時間が流れていて、昼寝でもしたら気持ちよさそうだ。
「賑やかなのは好きですけど、たまには落ち着いた場所で過ごしたいですよね~」
「そうだな…」
共感が強く思わず、感慨深い相槌を打ってしまう。
人が立ち入らない森の中の湖畔。
あそこには随分とお世話になった。
あのスポットのお陰で、考え事や気持ちの整理がつき、心の平穏を保てていた節がある。
人には気を休める時間と空間が必要。
追われの身になってそう痛感した。
その点シルムは難儀していそうだ。
年長者で、大所帯で、小さい子ばかりで。
個人のひとときを確保するのは厳しいだろう。
今は多少、羽を伸ばしている様子ではあるけど……。
「俺の存在には目を瞑ってくれ」
「え? どうしたんですか?」
首を傾げるシルム。
「ほら、お目付け役の俺がいると、気になってこの状況を謳歌できないでしょ」
せっかくの好条件だが、俺という監視の目があるせいで、台無しになっているように思える。
自信の挙動を注視されている中で、自然に浸るのは難しいはず。
視界に入らなければ少しはマシになるだろうが…危機に瀕したときを考えると、傍に控えておくのが一番だから離れられないしな…。
今更だが、今の発言はまずったかも。
邪魔だろうと問われても、却って困らせるだけ。
ーーしかし予想に反し、シルムはきょとん、とした表情でパチパチ瞬きを繰り返す。
まるで心当たりがないみたいに。
「…センお兄さんがいるから楽しめてるんですけど?」
「え、どういうこと?」
今度はこちらが首を傾げる。
よく分からないが、妨げどころか支えになっているらしい。
「いいですかセンお兄さん」
疑問を浮かべる俺に対し、シルムはピシッと人差し指を立てる。
「この環境は素晴らしくはあります」
「うん」
「ですが魔物のうろつく中、呑気でいられるほどの余裕は私にはありません。センお兄さんという拠り所があるからこそーー
そこでいったん言葉を区切ると、その場で一回転をして両手を広げ、ふわっと微笑む。
「こうして安心して振る舞えるんですよ」
「…そういう考え方もできるか」
なるほど。
如何に絶景が広がっていようと、足場が磐石でなければ堪能することはできない。
物事を楽しむにはまず、身を委ねられる支柱が必要。
俺はその役目に適している…と。
「そもそもですね、センお兄さんは気を回しすぎだと思います。悪いとまでは言いませんけど、塩梅は大事ですよ」
「む」
少し前までは、一人でいるのが当たり前だったから、それが思考に影響しているのは否めない。
「もっと楽にしてください。無理だと言うなら…私にも考えがあります」
シルムは両手を高く構えると、ワキワキさせる。
その姿に不穏なものを感じて身構える。
「…何をするつもりなんだ?」
「ふふー、それはーー
怪しく笑い、今にでも飛びかかってきそうだったが、唐突にピタッと静止。
したかと思うと何故か、くんくんと周囲を嗅ぎ回り始めた。
「どうしたの?」
「獣みたいな匂いがします」
「それって…」
俺も同じようにやってみる……が、大半はシルムの纏う甘い香りで、後は地面と植物の青臭い匂いだけ。
嗅覚はかなり敏感になったと思うが…さっぱりだ。
「あっちの方からですね」
匂いの元を特定したのか、シルムが指差した先は山道脇の林。
「おそらく、魔物だと思います」
「そうか。じゃあ、案内頼むよ」
「…疑わないんですね」
「ん、シルムはこんなことで迷惑かけたりしないだろう」
根が真面目なのは既知の事実。
例え悪戯するとしても、悪質なことまではしない。
これが俺の見解。
今は他に当てもないし、任せるのが当然で最善。
わざわざ聞くまでもないのに。
「そうですか…では、期待にお応えしますっ」
そう言ってシルムは俺の手をぎゅっと握り、歩き出した足運びは力強く。
何より綻んだ表情で手を引かれ、林の中へ入っていった。




