表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/142

61 疑惑

「取り乱してすみません」


 シルムが目の前でペコリと頭を下げる。

 平静さを取り戻しいつもと同じ雰囲気。

 先ほどの面影は、一切見受けられない。


 あのあと。

 焦点の合わない瞳でうっとりとするシルムを前にして、思考は止まり、呆然と立ち尽くしてしまい。

 少し時間が経ってハッとした彼女が、思い出したように再び苦しみ始めた姿につられ、正気へ戻った。


 その拍子に抱いていた感情は薄れ、自然とシルムに近寄って処置を施そうとした。

 しかしこちらの意図を察したのか手で制され、痛みが和らぐまで傍で待機することに。

 

 そして、今に至る。


「いや…謝らなくていい」


 弾丸でぶち抜かれたのと同等の目に遭ったのだから、我を失うのも当然と言える。

 だが…あれは一体、何だったのか。

 あのとき表情といい、仕草といい。

 

 まるでーー自身を攻め立てる鈍痛に、歓喜していたような。

 

 ……まさか、そんな筈はないか。

 変貌はあくまで一時的だったし、それ以外は見るからに辛そうだった。

 そして何より、問答したときのシルムは真剣そのもので、後ろ暗さは一切感じられなかった。

 

 だからきっと、痛みのあまりおかしな方向に突き抜けてしまった、とかだろう。

 

「それで、もう大丈夫なのか?」


 幻痛の魔弾が命中した、シルムの左脇腹を見て問い掛ける。

 最後に放った一発は、所有する中でも最大の威力。

 度合いの高さに比例して痛みが長く残留するので、まだ疼いていそうだが。

  

「ズキズキとはしてますけど、だいぶ楽になりましたよ」


 その部分に顔を向けたシルムは、服の上から労るように擦る。

 

(……ん?)


 手付きに加えて、目を細め優しげに見つめている。

 というより何処か熱を帯びた視線で、妖しい雰囲気を放つ。

 そんな姿が直前の光景と被り、印象を思い起こす呼び水となる。


 ーーもしかして、本当に…?


「センお兄さん」


 また疑惑を持ち始めたところで話し掛けられ、過剰な反応が出ないよう堪えつつ、シルムと向き合う。

 変わった様子はなく、元に戻っている。

 異変に感じるのは、俺が深く考え過ぎなだけか?


「私の希望に付き合ってくれてありがとうございました。お陰で貴重な経験を積めました」

「シルムの役に立ったのなら、何よりだよ」

「それはもう! 衝撃が凄くて身体に強く、深く刻み込まれたので、ずっと忘れないと思いますっ」


 意気軒昂に語っていて、やはりそうなのかと引き戻される。


「シルムにとってそれは良かったのか?」

「はい! 痛いのが怖いって知れましたから。他にもありますけど」

「そうか…」


 危惧していた結果の実現に、重々しい返しとなってしまう。

 強い恐怖心は抱いて欲しくなかったが…。

 しかしその割に、前向きなような?


「ああでも、戦うのが嫌になったとかではないですよ? こう、はっきりと認識したので油断できないなーって」

「なるほど、早とちりだったか。確かに、脅威を明確に捉えられたのは有益かもな」


 朧げに感じているのとでは大きな違い。

 気の持ちようが変わり、対策を意識するようになる。


「そうですね、良かったです…けど、センお兄さんには辛い思いをさせてしまいましたね」


 打って変わって、しゅんとしている。


「分かってたのか」

「途中からいつもとは様子が違っていたので」


 俺には被虐趣味もなければ、嗜虐趣味もない。

 シルムが苦痛に耐え忍ぶ姿を見ているだけだったのは、目を背けたくなるほど堪えた。

 最後まで見届けはしたが…読まれていたのではな。


「もしかして妨げになった?」

「いえいえ、その逆です。辛い中でも見ていて下さったから挫けずに頑張れて、身体強化を掛けなおすことも叶いました。だから…とっても嬉しかったんです」

「背景にそんな理由が…」


 俺はただ、シルムの意志を尊重し、結末まで付き合うのが義理だと思ったに過ぎない。

 それが知らず内に支えとなって、彼女を終着点へ導いていた。

 寄り添っているだけでも、意味はあったのか…。

 

「なら、試みは無事成功…自然と終わる流れでいたけど、大丈夫?」


 俺としては打ち止めにしてほしいところ。


「結構です。次やったら気を失うかもしれませんし、何回もやったら忘れてしまいそうなので」

「じゃあ、これで終わりってことで」


 少しホッとしながら締めくくる。

 痛みに慣れるという主旨を達成できたかは、怪しいが。


「はい。でも、休憩を下さると助かります」


 はは…と苦笑混じりのシルム。

 

「勿論。というか元から休ませるつもりだったから」

「では、そうさせて貰いますね」


 その場にゆっくりと座り込み、目で促されたので隣に座す。

 

「ところで、センお兄さんもあれを体験したんですよね」

「そうだけど、それがどうかした?」

「私的にはかなりキツかったので、センお兄さんはどうだったのかなと」

「うーん…平気とは言い切れないけど、苦しむほどではなかったな」

「ええっ、あまり動じなかったんですか。それは何か秘訣が?」


 回答に詰まる。

 シルムからすれば悪意のない、純粋な疑問。 

 それは分かっているが、説明には過去のことに触れればならず、どうしても秘密にしていると思い出す。

 話せば済む話ではあるが…まだ言い出せそうになく。

 

「なんてことない、単なる経験だよ」


 そのせいか、淡々とした調子になってしまう。

 予想に反した反応にシルムはあたふたとした様子で、頭を下げる。

 やってしまった。

 

「ごめんなさい、私…」

「いや、シルムは何も悪くないよ。すまない、ちょっと事情があるからさ」

「いえ、人から追われていたセンお兄さんの過去には、色々とあった筈なのに考慮せず迂闊でした。これからは気を付けます」


 こうして何とか取り直してくれ、変な雰囲気を避けられた。

 しかし、頭の片隅にあった問題は浮き彫りとなり。

 否応なしに意識させられるのだった。

 



「それでは、お疲れ様でしたっ」

「お疲れ様」

「ええ、お疲れ様です」


 訓練を終えて孤児院の門前。

 挨拶を済ませ建物へ踵を返すシルムをクランヌと見送る。


 結局シルムへの疑惑は謎のまま終わった。

 まあ、探りを入れられるような状況ではなかったから、仕方ないが。


 頭の中から打ち払い、クランヌと共に歩き出す。

 いつもは個々に解散をするが、今日は彼女に話がある。

 そのことは訓練中に伝えていて、詳細は今から。


「それで、私への用件とのことですが」

「ああ、クランヌがお礼をしてくれるって言ってただろ? その代わりに、頼み事を聞いてもらいたくて」

「それならお安い御用ですわ。実はどうお返しするか迷っていましたので、センさんから仰って頂けるのは助かります」

「そうだったのか、じゃあーー」

「とはいえ、立ち話も何ですので場所を移しましょう」


 了承を得られ嬉々として切り出そうとしたが、出鼻を挫かれる。


「いや、そんなに時間取らないけど」

「あら、センお兄さんは私にお付き合い下さいませんのね」


 芝居がかった口調と憂いを帯びた表情で残念そうにする。

 冗談なのは筒抜けだが、予定が空いてる手前断りづらい。


「…俺でよければお供するよ」

「ありがとうございます。早速、向かうと致しましょう」

「何処へ行くんだ?」

「倉庫の休憩所ですわ」

「あそこか。いきなりで大丈夫なのか?」


 以前、一度だけ入ったことがあるが、従業員も普通に使うみたいだったし。


「問題ございません。突然の客人をお通しすることはよくありますので」

「クランヌがそう言うなら…あー、ちょっと待って」

「どうなさいましたの?」

「俺は一度仕切り直してくる。この格好のままだとまずい」


 今の服装は例のごとく緑ローブ。

 しかし納品に向かう際は赤ローブで、フードを深く被り身元を隠すようにしている。

 バレたら色々と面倒なことになってしまう。


「盲点でしたわ…でしたら私は先に戻って、手配しておきます」

「任せた。前と同じところでいいか?」

「ええ、お待ちしております。では後ほど」


 フッとその場から消えたので、俺も準備へと向かう。

 といってもすぐに終わる。

 

 住宅街の路地へ入り人気のない場所を探し、周囲に気を配りつつ、素早く着脱を行う。

 不都合な部分がないかを確認し、これで完了。

 別れてから少ししか経ってないが、クランヌなら問題ないだろう。

 一室を頭に思い浮かべながら、転移を行う。




 視界が開け辺りを見回すと、台所の前にクランヌの姿。

 複数ある窓のカーテンは既に閉めきられており、出迎えの用意はできているようだ。


「早かったですわね」


 気配を感じ取ったのかこちらに振り向く。


「待たせるのは悪いと思ったから。クランヌこそ、やっぱり仕事が早いな」

「まあ伝えるだけでしたので。それに、お湯はまだ沸いていませんし」


 チラッとクランヌの視線の落とした先には、コンロに置かれた薬缶とティーセット。

 薬缶から湯気は出ておらず音もしてないので、言葉通り今温め始めたのだろう。

 まあ根回しを済ませ、外からの視線を遮断し、お茶の準備まで取り掛かっているのは十分だと思うが…。


「手伝うことはある?」

「いえ、センさんは椅子に掛けていて下さい」

「お言葉に甘えるとしよう」


 とりあえず尋ねたが、見た限りあとはお茶を淹れるくらい。

 なら、大人しく引き下がるのが最善。

 実際、クランヌに委ねた方が完璧な作業をしてくれる。

 聞き及んで知識は増えているが、実践してないので技量は乏しい。

 

 赤ローブを脱いで椅子に掛け、次いで着席。


「それでは、改めてお聞かせ願います」


 クランヌは沸騰を待つ傍ら、頼み事の続きを求めてくる。


「単刀直入に言うと、シルム用の装備を用意してもらいたい」

「シルム用の…成程。後回しにしたのはこの為ですか」

「訓練中に聞かれたら遠慮しそうだからな。でも、事前に用意してしまえば断れないだろう。そんなわけでこのことは秘密で」

「分かりましたわ」


 ふふっと、何故か愉快そうにしながら頷いている。


「自分でも探してはみたけど、やっぱり専門家に任せるのが一番だからさ。クランヌなら伝手があると思って」


 まず俺自身がほとんど武具を用いない人間なので、選別しても良し悪しの判断が曖昧だ。

 クランヌの商会が主に扱っているのは日用品のようだが、繋がりが多いので期待できる。


「センさんの推測通り、知り合いに装備を取り扱っている方がおられますので、私が頼んで参りますわ」

「本当か。助かるよ」

「ですが、どのように注文致しましょう?」

「それなら、これにまとめてある」


 立ち上がりクランヌの元へ近寄りつつ、革袋の中から一枚の紙を差し出す。

 記されているのは必要な装備である、胸当て、手甲、足甲の三つ。

 いずれも軽量の物を希望してある。

 

 シルムの戦法は魔法がメインで、サブはダガー。

 軽装の方が本領を発揮できる。ごつごつとしたのは不要。 


 受け取ったクランヌは目を通して確認する。


「ふむ…サイズも明記されていますのね」

「…ああ」


 どうしてか、シルムの体型に合う防具が分かってしまう。

 何でだろうな…。


「これをお渡しすれば問題ないーーあら」


 丁度、薬缶からカタカタと音が立ち始める。


「一度お返し致します。センさんはお座りになって下さい」


 クランヌは紙を渡すと、ティーカップとポットにお湯を注いでゆく。

 洗練された所作に到底真似できないと感心しながら、席へ戻り手元の紙に目をやる。

 言い切る前に中断されたが、不備はなさそうだな……あ。


「忘れてたけど、質のいいやつを頼む」

「それは勿論。お任せを」

「で、予算の方だけど」

「はい?」


 スプーンで茶葉を掬ったクランヌの手が止まる。


「いや、お礼とはいえタダで色々と働いてもらうのはどうかと」


 伝手を頼ってくれるのに加え、買い付けまで行ってもらうのは憚られる。

 本来は情報を収集して、自分で足を運ぶ必要があるし。

 

「……」


 クランヌは無言のまま動きを再開し、ポットにお湯を入れ蒸らし始める。

 そしてカップのお湯を処理してようやく、振り返る。

 一見すると微笑んだ表情。

 しかし俺には分かる。あれは、怒っていると。


「センさん」


 背筋が自然と伸びてしまいそうな、圧のこもった口調。


「お礼の為に労力を割くのは当然のことです」

「まあ…でも」

「費やした労は、誠意の証明にもなります。センさんはそれを、無下になさるおつもりですか」

「そんなつもりはないが…」

「それに」


 一度言葉を区切ったクランヌは、フッと雰囲気を緩める。


「これは私からの門出祝いでもありますから」


 大切な人を想う、穏やかな慈愛に満ちた表情。

 クランヌはことあるごとにシルムを気にかけている、それこそ本当の姉のように。

 なら、良いものを贈りたいと思うのは至極当たり前のこと。


 俺は気を利かせたつもりで、全く気を利かせていなかった。


「クランヌの言う通りだな…全て任せるよ」

「ええ、最善を尽くします」


 優雅な一礼をすると、手を打ち合わせパンっと鳴らす。


「何だか説教じみてしまいましたわね…さあ、お口直しにどうぞ」


 ポットとソーサーを持ってくると、目の前で濾しながら紅茶を淹れてくれる。

 上品な茶葉の香りが鼻腔に入り、リラックスした気分に。

 口に含むと雑味は一切なく、スッと頂ける安定の美味しさ。


「うん、うまい」

「ありがとうございます。では私も…」


 自分の紅茶を淹れて対面に座ると、絵になる仕草で一口。

 そうして一息吐くと。


「先ほど偉そうに物を申しましたけど…よくよく考えたら純粋にお礼とは言えないのでは」

「どういうこと?」

「少なからず私の私情も混じっていますから、センさんへのお礼と定義しきるのは、無理があると思いまして」

「うーん…深く考えなくてもよくないか」

「…疑問なのですけど、センさん、欲しいものはございませんの?」


 少々、呆れた様子でいるクランヌ。


「あるにはある」

「是非、お聞かせください」


 何だか前のめりの質問だ。

 隠すことでもないし、俺が欲するものはただ一つ。


「平穏に過ごせる環境」

「センさん…」

「地位とか名誉とかは必要ないから、俺は落ち着いて過ごせれば、それでいい」


 これが偽りのない本心。

 世界を渡った根源であり、身元を隠すのも全てはこのため。

 聞かれたら答えたけど、やめておくべきだったか。

 現に複雑そうにしているが…突如、不安な表情に変わる。


「…平穏と言えば、最近は何事もありませんか?」

「特に何もないが…どうかした?」

「取引を始めてから不都合に遭ってないかと思いまして。その…付きまとわれたりですとか」

「さっき言った通り何もないから、心配しなくて大丈夫」

「それは何よりです。この確認は、お誘いした目的の一つでもありましたので」


 ホッとした様子で肩の荷を下ろす。


 最初に尾行されて以来、不気味なほどに無干渉。

 実は、空いた時間を用いて張り込みをしたりしているが、成果はない。

 依然としたままなので、今は気にしても仕方ない。


「静かに過ごしたい、ですか」


 ふと、神妙な顔つきをしてクランヌがポツリと呟く。


「うん? 無理な要求なのは承知してるから、気にしないでくれ」

「ですが、センさんの望みなのですわよね」

「そうだけど」

「でしたら…」


 そう言葉を区切ると、黙りこくって考え込む。

 まさか、本気にしてないよな…?

 以降、クランヌはこの話題に触れなかったが、そのときのな顔が、妙に印象に残った。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ