61 疑惑
「取り乱してすみません」
シルムが目の前でペコリと頭を下げる。
平静さを取り戻しいつもと同じ雰囲気。
先ほどの面影は、一切見受けられない。
あのあと。
焦点の合わない瞳でうっとりとするシルムを前にして、思考は止まり、呆然と立ち尽くしてしまい。
少し時間が経ってハッとした彼女が、思い出したように再び苦しみ始めた姿につられ、正気へ戻った。
その拍子に抱いていた感情は薄れ、自然とシルムに近寄って処置を施そうとした。
しかしこちらの意図を察したのか手で制され、痛みが和らぐまで傍で待機することに。
そして、今に至る。
「いや…謝らなくていい」
弾丸でぶち抜かれたのと同等の目に遭ったのだから、我を失うのも当然と言える。
だが…あれは一体、何だったのか。
あのとき表情といい、仕草といい。
まるでーー自身を攻め立てる鈍痛に、歓喜していたような。
……まさか、そんな筈はないか。
変貌はあくまで一時的だったし、それ以外は見るからに辛そうだった。
そして何より、問答したときのシルムは真剣そのもので、後ろ暗さは一切感じられなかった。
だからきっと、痛みのあまりおかしな方向に突き抜けてしまった、とかだろう。
「それで、もう大丈夫なのか?」
幻痛の魔弾が命中した、シルムの左脇腹を見て問い掛ける。
最後に放った一発は、所有する中でも最大の威力。
度合いの高さに比例して痛みが長く残留するので、まだ疼いていそうだが。
「ズキズキとはしてますけど、だいぶ楽になりましたよ」
その部分に顔を向けたシルムは、服の上から労るように擦る。
(……ん?)
手付きに加えて、目を細め優しげに見つめている。
というより何処か熱を帯びた視線で、妖しい雰囲気を放つ。
そんな姿が直前の光景と被り、印象を思い起こす呼び水となる。
ーーもしかして、本当に…?
「センお兄さん」
また疑惑を持ち始めたところで話し掛けられ、過剰な反応が出ないよう堪えつつ、シルムと向き合う。
変わった様子はなく、元に戻っている。
異変に感じるのは、俺が深く考え過ぎなだけか?
「私の希望に付き合ってくれてありがとうございました。お陰で貴重な経験を積めました」
「シルムの役に立ったのなら、何よりだよ」
「それはもう! 衝撃が凄くて身体に強く、深く刻み込まれたので、ずっと忘れないと思いますっ」
意気軒昂に語っていて、やはりそうなのかと引き戻される。
「シルムにとってそれは良かったのか?」
「はい! 痛いのが怖いって知れましたから。他にもありますけど」
「そうか…」
危惧していた結果の実現に、重々しい返しとなってしまう。
強い恐怖心は抱いて欲しくなかったが…。
しかしその割に、前向きなような?
「ああでも、戦うのが嫌になったとかではないですよ? こう、はっきりと認識したので油断できないなーって」
「なるほど、早とちりだったか。確かに、脅威を明確に捉えられたのは有益かもな」
朧げに感じているのとでは大きな違い。
気の持ちようが変わり、対策を意識するようになる。
「そうですね、良かったです…けど、センお兄さんには辛い思いをさせてしまいましたね」
打って変わって、しゅんとしている。
「分かってたのか」
「途中からいつもとは様子が違っていたので」
俺には被虐趣味もなければ、嗜虐趣味もない。
シルムが苦痛に耐え忍ぶ姿を見ているだけだったのは、目を背けたくなるほど堪えた。
最後まで見届けはしたが…読まれていたのではな。
「もしかして妨げになった?」
「いえいえ、その逆です。辛い中でも見ていて下さったから挫けずに頑張れて、身体強化を掛けなおすことも叶いました。だから…とっても嬉しかったんです」
「背景にそんな理由が…」
俺はただ、シルムの意志を尊重し、結末まで付き合うのが義理だと思ったに過ぎない。
それが知らず内に支えとなって、彼女を終着点へ導いていた。
寄り添っているだけでも、意味はあったのか…。
「なら、試みは無事成功…自然と終わる流れでいたけど、大丈夫?」
俺としては打ち止めにしてほしいところ。
「結構です。次やったら気を失うかもしれませんし、何回もやったら忘れてしまいそうなので」
「じゃあ、これで終わりってことで」
少しホッとしながら締めくくる。
痛みに慣れるという主旨を達成できたかは、怪しいが。
「はい。でも、休憩を下さると助かります」
はは…と苦笑混じりのシルム。
「勿論。というか元から休ませるつもりだったから」
「では、そうさせて貰いますね」
その場にゆっくりと座り込み、目で促されたので隣に座す。
「ところで、センお兄さんもあれを体験したんですよね」
「そうだけど、それがどうかした?」
「私的にはかなりキツかったので、センお兄さんはどうだったのかなと」
「うーん…平気とは言い切れないけど、苦しむほどではなかったな」
「ええっ、あまり動じなかったんですか。それは何か秘訣が?」
回答に詰まる。
シルムからすれば悪意のない、純粋な疑問。
それは分かっているが、説明には過去のことに触れればならず、どうしても秘密にしていると思い出す。
話せば済む話ではあるが…まだ言い出せそうになく。
「なんてことない、単なる経験だよ」
そのせいか、淡々とした調子になってしまう。
予想に反した反応にシルムはあたふたとした様子で、頭を下げる。
やってしまった。
「ごめんなさい、私…」
「いや、シルムは何も悪くないよ。すまない、ちょっと事情があるからさ」
「いえ、人から追われていたセンお兄さんの過去には、色々とあった筈なのに考慮せず迂闊でした。これからは気を付けます」
こうして何とか取り直してくれ、変な雰囲気を避けられた。
しかし、頭の片隅にあった問題は浮き彫りとなり。
否応なしに意識させられるのだった。
「それでは、お疲れ様でしたっ」
「お疲れ様」
「ええ、お疲れ様です」
訓練を終えて孤児院の門前。
挨拶を済ませ建物へ踵を返すシルムをクランヌと見送る。
結局シルムへの疑惑は謎のまま終わった。
まあ、探りを入れられるような状況ではなかったから、仕方ないが。
頭の中から打ち払い、クランヌと共に歩き出す。
いつもは個々に解散をするが、今日は彼女に話がある。
そのことは訓練中に伝えていて、詳細は今から。
「それで、私への用件とのことですが」
「ああ、クランヌがお礼をしてくれるって言ってただろ? その代わりに、頼み事を聞いてもらいたくて」
「それならお安い御用ですわ。実はどうお返しするか迷っていましたので、センさんから仰って頂けるのは助かります」
「そうだったのか、じゃあーー」
「とはいえ、立ち話も何ですので場所を移しましょう」
了承を得られ嬉々として切り出そうとしたが、出鼻を挫かれる。
「いや、そんなに時間取らないけど」
「あら、センお兄さんは私にお付き合い下さいませんのね」
芝居がかった口調と憂いを帯びた表情で残念そうにする。
冗談なのは筒抜けだが、予定が空いてる手前断りづらい。
「…俺でよければお供するよ」
「ありがとうございます。早速、向かうと致しましょう」
「何処へ行くんだ?」
「倉庫の休憩所ですわ」
「あそこか。いきなりで大丈夫なのか?」
以前、一度だけ入ったことがあるが、従業員も普通に使うみたいだったし。
「問題ございません。突然の客人をお通しすることはよくありますので」
「クランヌがそう言うなら…あー、ちょっと待って」
「どうなさいましたの?」
「俺は一度仕切り直してくる。この格好のままだとまずい」
今の服装は例のごとく緑ローブ。
しかし納品に向かう際は赤ローブで、フードを深く被り身元を隠すようにしている。
バレたら色々と面倒なことになってしまう。
「盲点でしたわ…でしたら私は先に戻って、手配しておきます」
「任せた。前と同じところでいいか?」
「ええ、お待ちしております。では後ほど」
フッとその場から消えたので、俺も準備へと向かう。
といってもすぐに終わる。
住宅街の路地へ入り人気のない場所を探し、周囲に気を配りつつ、素早く着脱を行う。
不都合な部分がないかを確認し、これで完了。
別れてから少ししか経ってないが、クランヌなら問題ないだろう。
一室を頭に思い浮かべながら、転移を行う。
視界が開け辺りを見回すと、台所の前にクランヌの姿。
複数ある窓のカーテンは既に閉めきられており、出迎えの用意はできているようだ。
「早かったですわね」
気配を感じ取ったのかこちらに振り向く。
「待たせるのは悪いと思ったから。クランヌこそ、やっぱり仕事が早いな」
「まあ伝えるだけでしたので。それに、お湯はまだ沸いていませんし」
チラッとクランヌの視線の落とした先には、コンロに置かれた薬缶とティーセット。
薬缶から湯気は出ておらず音もしてないので、言葉通り今温め始めたのだろう。
まあ根回しを済ませ、外からの視線を遮断し、お茶の準備まで取り掛かっているのは十分だと思うが…。
「手伝うことはある?」
「いえ、センさんは椅子に掛けていて下さい」
「お言葉に甘えるとしよう」
とりあえず尋ねたが、見た限りあとはお茶を淹れるくらい。
なら、大人しく引き下がるのが最善。
実際、クランヌに委ねた方が完璧な作業をしてくれる。
聞き及んで知識は増えているが、実践してないので技量は乏しい。
赤ローブを脱いで椅子に掛け、次いで着席。
「それでは、改めてお聞かせ願います」
クランヌは沸騰を待つ傍ら、頼み事の続きを求めてくる。
「単刀直入に言うと、シルム用の装備を用意してもらいたい」
「シルム用の…成程。後回しにしたのはこの為ですか」
「訓練中に聞かれたら遠慮しそうだからな。でも、事前に用意してしまえば断れないだろう。そんなわけでこのことは秘密で」
「分かりましたわ」
ふふっと、何故か愉快そうにしながら頷いている。
「自分でも探してはみたけど、やっぱり専門家に任せるのが一番だからさ。クランヌなら伝手があると思って」
まず俺自身がほとんど武具を用いない人間なので、選別しても良し悪しの判断が曖昧だ。
クランヌの商会が主に扱っているのは日用品のようだが、繋がりが多いので期待できる。
「センさんの推測通り、知り合いに装備を取り扱っている方がおられますので、私が頼んで参りますわ」
「本当か。助かるよ」
「ですが、どのように注文致しましょう?」
「それなら、これにまとめてある」
立ち上がりクランヌの元へ近寄りつつ、革袋の中から一枚の紙を差し出す。
記されているのは必要な装備である、胸当て、手甲、足甲の三つ。
いずれも軽量の物を希望してある。
シルムの戦法は魔法がメインで、サブはダガー。
軽装の方が本領を発揮できる。ごつごつとしたのは不要。
受け取ったクランヌは目を通して確認する。
「ふむ…サイズも明記されていますのね」
「…ああ」
どうしてか、シルムの体型に合う防具が分かってしまう。
何でだろうな…。
「これをお渡しすれば問題ないーーあら」
丁度、薬缶からカタカタと音が立ち始める。
「一度お返し致します。センさんはお座りになって下さい」
クランヌは紙を渡すと、ティーカップとポットにお湯を注いでゆく。
洗練された所作に到底真似できないと感心しながら、席へ戻り手元の紙に目をやる。
言い切る前に中断されたが、不備はなさそうだな……あ。
「忘れてたけど、質のいいやつを頼む」
「それは勿論。お任せを」
「で、予算の方だけど」
「はい?」
スプーンで茶葉を掬ったクランヌの手が止まる。
「いや、お礼とはいえタダで色々と働いてもらうのはどうかと」
伝手を頼ってくれるのに加え、買い付けまで行ってもらうのは憚られる。
本来は情報を収集して、自分で足を運ぶ必要があるし。
「……」
クランヌは無言のまま動きを再開し、ポットにお湯を入れ蒸らし始める。
そしてカップのお湯を処理してようやく、振り返る。
一見すると微笑んだ表情。
しかし俺には分かる。あれは、怒っていると。
「センさん」
背筋が自然と伸びてしまいそうな、圧のこもった口調。
「お礼の為に労力を割くのは当然のことです」
「まあ…でも」
「費やした労は、誠意の証明にもなります。センさんはそれを、無下になさるおつもりですか」
「そんなつもりはないが…」
「それに」
一度言葉を区切ったクランヌは、フッと雰囲気を緩める。
「これは私からの門出祝いでもありますから」
大切な人を想う、穏やかな慈愛に満ちた表情。
クランヌはことあるごとにシルムを気にかけている、それこそ本当の姉のように。
なら、良いものを贈りたいと思うのは至極当たり前のこと。
俺は気を利かせたつもりで、全く気を利かせていなかった。
「クランヌの言う通りだな…全て任せるよ」
「ええ、最善を尽くします」
優雅な一礼をすると、手を打ち合わせパンっと鳴らす。
「何だか説教じみてしまいましたわね…さあ、お口直しにどうぞ」
ポットとソーサーを持ってくると、目の前で濾しながら紅茶を淹れてくれる。
上品な茶葉の香りが鼻腔に入り、リラックスした気分に。
口に含むと雑味は一切なく、スッと頂ける安定の美味しさ。
「うん、うまい」
「ありがとうございます。では私も…」
自分の紅茶を淹れて対面に座ると、絵になる仕草で一口。
そうして一息吐くと。
「先ほど偉そうに物を申しましたけど…よくよく考えたら純粋にお礼とは言えないのでは」
「どういうこと?」
「少なからず私の私情も混じっていますから、センさんへのお礼と定義しきるのは、無理があると思いまして」
「うーん…深く考えなくてもよくないか」
「…疑問なのですけど、センさん、欲しいものはございませんの?」
少々、呆れた様子でいるクランヌ。
「あるにはある」
「是非、お聞かせください」
何だか前のめりの質問だ。
隠すことでもないし、俺が欲するものはただ一つ。
「平穏に過ごせる環境」
「センさん…」
「地位とか名誉とかは必要ないから、俺は落ち着いて過ごせれば、それでいい」
これが偽りのない本心。
世界を渡った根源であり、身元を隠すのも全てはこのため。
聞かれたら答えたけど、やめておくべきだったか。
現に複雑そうにしているが…突如、不安な表情に変わる。
「…平穏と言えば、最近は何事もありませんか?」
「特に何もないが…どうかした?」
「取引を始めてから不都合に遭ってないかと思いまして。その…付きまとわれたりですとか」
「さっき言った通り何もないから、心配しなくて大丈夫」
「それは何よりです。この確認は、お誘いした目的の一つでもありましたので」
ホッとした様子で肩の荷を下ろす。
最初に尾行されて以来、不気味なほどに無干渉。
実は、空いた時間を用いて張り込みをしたりしているが、成果はない。
依然としたままなので、今は気にしても仕方ない。
「静かに過ごしたい、ですか」
ふと、神妙な顔つきをしてクランヌがポツリと呟く。
「うん? 無理な要求なのは承知してるから、気にしないでくれ」
「ですが、センさんの望みなのですわよね」
「そうだけど」
「でしたら…」
そう言葉を区切ると、黙りこくって考え込む。
まさか、本気にしてないよな…?
以降、クランヌはこの話題に触れなかったが、そのときのな顔が、妙に印象に残った。




