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59 慣れ

タン、タン、タンーー。

 無機質な空間に足音が響く。

 音の発生源は身軽な服装をした、後ろで髪を一本に結わえた少女、シルム。


 シルムは次々と押し寄せる赤い球体ーー着色されたシャボン玉を機敏かつ最低限の動きで躱している。

 体を傾けたりずらしたり、その場でステップを刻んだりと、ポニーテールを揺らしながら多彩な動きを見せるその様は、まるで踊っているよう。

 そう感じさせるのは、表情が明るいからでもあるだろう。


 改造を施した玩具のバブルガンによる、動体視力と対応力を鍛える訓練。

 赤いシャボン玉…別名ペイント玉を攻撃に見立て、当たらないようひたすら回避。

 

 当初と比べると挙動には余裕があり、安定して立ち回っている。

 体勢を崩すことはほとんどなくなった。

 つまり、たまには転びそうになる。

 なるのだが…。


 俺の気のせいか、そのときのシルムは作為的というか芝居ががってるというか。

 端的に言うとわざとらしく見える。

 

 咄嗟に出る声は棒っぽくて表情に緊迫感がなく、助けると申し訳なさそうにしながらも頬が緩んでいたりして。

 一度「わざとやってないか?」と尋ねてみるも


「そ、そんなわけないですよ」


 そう否定された。

 若干、目が泳いだので疑惑は晴れないまま。

 まあ毎回助けに入っているから、慣れてしまったのかもしれない。


 シルムの成長に合わせてシャボン玉の速度調整をしており、もはや改造前のふわっとした浮遊感は面影もなく。

 今となっては豪速球もかくやといった直球へと変化を遂げている。

 威力は相変わらず皆無なので危険はないが。


 そんな苛烈な泡の雨に晒されながらも、対処しきれているのは身体強化の補助が大きい。

 運動能力全般を高め、普段では不可能な反応や動作を実現させる。

 それと肉体の強度も上がっている。でないと、激しい動作の負荷に耐えられないからな。

 身体強化がなかったらシルムは今頃、血塗れのよな姿になっていることだろう。


 かわりに魔法を維持するのに高い技量を要するのだが…それを難なくこなしており、成長ぶりが窺える。

 この短期間でここまで物にするとは……少し前まで素人だったのが嘘のよう。

 今後どう育って行くのか、楽しみではある。


「センお兄さん」

「なに?」


 泡を避けるのを続けながら、シルムは唐突に話し掛けてくる。

 といっても初めてのことではないし、停止の合図とは違うので、俺も止めずに泡を出す。

 

「ちょっと要望と言いますか、質問があるんですけど」


 ーーそんな矢先、ペイント玉に交じって透明なシャボン玉が一つ排出される。

 シルムはそれを確認すると口を噤み、上手く立ち位置を調整。

 自分の右を透明なシャボン玉が横切る瞬間ーー右手を伸ばして指先で触れ、破裂させる。

 そして即座に手を引っ込め、回避行動を再開。


 

 バブルガンのタンク内には一割にも満たない量だが、普通のシャボン玉液が入っている。

 正確に言うと、九割強はエンチャントによって着色がされていて、他は色を変えてない。

 だから稀に、無色なのが交じるようになっている。


 透明なシャボン玉は敵の隙と見立てている。

 当たってはいけないペイント玉と逆で、体の一部で潰す対象。

 攻撃を躱しながらも、虎視眈々と好機を狙う練習だ。


 ただし、対処せず無視してもいい。

 隙が生じたからといって、それに釣られ無闇に攻めると、却って自分が危機に陥ることもある。

 シャボン玉を強引に狙った結果、ペイントされては元も子もない。


 相手からの反撃を想定に入れ、対応が可能な状態で仕掛ける。

 押し引きの判断を養うのにも役立っている。

 

 最初の方は泡を潰すのも課題だったが、通過が早まり対処が難しくなったので、今の内容に変更した。

 

 程なくして、また現れたシャボン玉をシルムは一瞥し、無理だと悟ったのか再び口を開き、


「それで続きなんですけど」

 

 普段と同じ調子で二の句を次ぐ。


「私って、痛みに慣れた方が良くないですか?」


 取り留めのない話かと思いきや、扱いに困る内容が飛び出してきた。

 言い出した理由は、おおよその察しがつくが…まずは詳細を聞いてみないと何とも。

 

 そのために、場を整える必要がある。

 距離が開いているのもそうだが、シャボン玉に気を取られて話づらいだろう。

 空いている左手を突き出す。

 

「一旦、話し合おうか」


 頷いたのを確認し、バブルガンを下げて収納。

 その後、シルムに向かって歩く。

 泡を最後まで対処しきると、あちらも歩み寄ってくる。


「で、さっきのは実戦に向けてってこと?」

「そうです」

「どうして慣れようと思ったんだ?」

「えっと、センお兄さんもご存知の通り、私は身体強化を自主練習してるじゃないですか」

「うん」


 訓練の後に魔力供給をよく頼まれるからな。


「お恥ずかしい話なんですけど…まだ身体に馴染んでいないとき、家事の最中に転んだり、物にぶつかったりしちゃったんです」

「あー…」 


 今となっては平然とやってのけてるけど、挙動に魔力を合わせるのは想像より遥かに難しい。

 身体強化の間はいつもと感覚が異なるのに加え、魔法の制御も並行して行わなければならない。

 動きが覚束なくなるのも当然。


「それでその拍子に、痛みで身体強化を解いてしまいまして。このままでは良くないかなーと」 

「だから、維持できるように鍛えようって魂胆か」

「はい。自分で解決しようかと思いましたけど、皆に心配されそうだったのでやめておきました」

「流石にそれは…踏み留まってくれて良かったよ」


 傍から見たらただの自傷行為。

 やった暁には気でも触れたのかと疑われる。


「それで、どうでしょうか?」


 スッと表情を引き締めての問い。

 急な話ではあったが、真剣であることが伝わってくる。


「うーん…」


 確かに、痛みは魔法使いにとって天敵のような存在。

 程度にもよるが、身体に痛みが走ると大抵の人は冷静さを欠き、集中を欠く。

 例えそれが一瞬の乱れでも、魔法の構築に綻びが生じて成立しなくなる。

 自身の失態に気付いても後の祭り。


 だから魔法使いのほとんどは、囮を兼任してくれる前衛と組んだり、一定の間合いを保つなどの対策を講じている。


 ただ…いくら備えていても、攻撃を捌き切れず一撃を貰ってしまうこともある。

 その衝撃で魔法を使えない状況に陥っては、最悪の場合、死に至る。


「シルムの提案は一理ある。胆力を身に付けておけば、対応の幅が広がるし」

「ですよねっ!」

「けど、俺はお薦めできない」


 揺るぎない精神を持つのは理想ではあるが、あくまで理想だ。

 そんな簡単に体得できるほど、現実は容易じゃない。

 痛みに慣れるということが、何を引き起こすのか…理解していない。

 

 一瞬、目を輝かせたシルムは真面目な表情に戻る。

 そこから驚きや動揺は見受けられない。

 もしかして、否定が返ってくると予想していたのか?


「今度は、私が理由を聞く番ですね」

「分かってる。理由はいくつかあるから」


 少し間を置き、話の順番を決める。


「まず単純に、痛い思いはしたくないないだろう?」

「そうですけど、魔法の為に覚悟はしてます」

「次に、攻撃に当たること自体がリスクだからさ。今やってる避ける技術を極めた方がいい」

「万が一のこともあるので」

「それにシルムには、補助と守りの充実した光属性がある」

「…魔法が通用しないかもしれません」

「あと、俺がサポートに付いて回るし」

「うう…それはとても心強いですけど…」


 俺が意見を述べるのに連れて、シルムの語気が徐々に弱まってゆく。

 

「で、でも、センお兄さんは色んな可能性を考慮しろって仰るじゃないですか」

「言ってるけど、それは油断しない為であって、深く考え過ぎてもいけない」


 楽観的なのは良くないが、かといって細かいところまで気を回していると、せっかくの好機を見逃しかねない。

 

「むむ、最近のセンお兄さんは強情です」

「それはどういうことだ?」

 

 まるで前はそうでもなかったような言い草。

 

「まあいいか。反論の余地もなくなってきたみたいだしな。俺としてはこの辺りで納得してくれると助かるが」

「確かに言い返すのは厳しいですね…」


 そうそう。このまま受け入れてくれれば


「ですが! 決めるのは一番の理由を聞かせてもらってからですっ」

「…分かってたのか。まあそんな気はしてたけど」


 また見抜かれていた。

 シルムの読み通り、核心の部分には触れていない。

 本当、一体何なのだろうかこの少女は。


「今回に関しては、強く引き止める割に理由がどれも弱かったので」

「今回は、か」


 いつもはどうなのか今は置いておこう。

 言われてみれば、説き伏せるには不十分なことばかり並べている。

 厚み、重みのある内容でないと響かないか。

 正直、話したくはなかったんだがな…


 観念して溜め息をつき、切り出す。


「人って、記憶する生き物だろう? 知識を始め、味とか音とか匂いとか。中には痛みも含まれてて、強烈なものほど明確に刻み込まれる」

「…? はい」

「それで俺は以前、過去に重傷を負った人に話を聞いたことがあってさ。その人が言ってたんだよ」


「『ふとした拍子に当時の痛みが甦って、体が疼く』って。そのときから長い年月が経っているのにも関わらず」

「っ…」

「全員が全員そうなるわけじゃないけど、長期に渡って、もしかしたら生涯身を苛むかもしれないんだ。強い痛みってのは」


 シルムは口を結び、難しい顔をして黙り込んでいる。

 

 余計な不安を与えそうだったから、このことは秘めておきたかった。

 痛みを覚えるといっても、素早く処置を施せばそうならずに済む。

 幸いなことに、この世界には魔法があるのだし。


 しかし慣れるとなると話は別。

 自ら進んで印象付けをした先に、何が待っているのか、黙ってはいられなかった。

 これで怪我に対して過剰に、臆病にならないといいが…。


「お話、ありがとうございました。私の考えは甘かったです」


 しばらく黙考していたシルムが、淡々とした口調で言う。

 

「そうか、ならーー」

「その上で、痛みに慣れようと思います」


 気後れするどころか、より一層の決意を湛えての宣言。

 

「本当に怖いと感じましたよ? でも同時に、痛みと付き合っていけない程度なら、遅かれ早かれ挫折するとも思ったんです」

「シルム…」


 自分は傲慢だったと、反省する必要があるようだ。

 シルムはこうして、自分にできることを探している。

 しかし俺は、いざというとき助けるから無理しなくていい…心の何処かでそう思っていた。

 

 そんな俺の過保護さは、成長へと踏み出そうとしている彼女の妨げになる。

 だから考えを改めた方がいい。


「あと、覚悟の足りていなかった私への戒めでもあります。それに…」

「それに?」


「覚えても悪くないかなと」


 真剣な表情から一転して、ふわりと笑い爆弾発言。

 むしろ乗り気と取れる言葉に、驚きを禁じ得ない。


「本気?」

「あっでも、センお兄さんが協力して下さるなら、です」


 俺の協力が得られるなら吝かではないらしい。

 

「手伝ってもらえますか…?」


 上目遣いでこちらを窺いながら尋ねてくる。

 動揺は残っているが、返事は既に決まっている。


「手伝うよ」


 シルムが俺の言葉を受け止めて、考えた末に導き出した結論。

 その選択を無下にするような真似はしない。

 彼女の覚悟に報いるつもりで臨む。


「ありがとうございますっ」


 俺の了承に満面の笑みで応える。


「ところで、どうして俺が関わると悪くないんだ?」

「それはですねー、センお兄さんなら大丈夫…むしろ、いい感じになると思うので」

「ふーん?」


 力加減が上手だと期待されているのだろうか。

 まあ、シルムの要望に適した魔弾は持ってるけど。

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