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57 変貌

読んで下さりありがとうございます。

 シルムのによる拘束が解けたあと、忘れずに辺りに打ち捨てていたローブを回収。

 雑な扱いを心の中で詫びながら着用した。

 この緑ローブとは長い付き合いで愛着が湧いてるから、今後あのように用いるのは避けたいところだ。


 模擬戦を終えて訓練の刻限に近づいたのもあって今日はここまで。

 シルムとクランヌのもとへ向かうと、彼女はこちらに背を向け静かに佇んでいた。

 近付くと俺たちの気配に感づいたようで振り向く。

 

「あら、もう済みましたの?」


 いつものクランヌと違って少しからかい交じり。

 この言い方はまさか、あの光景を目撃されてしまったのか。

 まあ見られても今更ではあるか…。


「なんとかな。それより…あれだけだと不十分だった? 特に何もしてなかったみたいだし」

「ああ紛らわしかったですわね。今は魔法の出来を思い返していただけで、余力は残っていますし丁度いい配分でした。お気遣い感謝いたします」

「そうか。支障が出てないならよかった」

「あのー、何のことですか?」


 事態を把握できていないシルムがひょこっと身を乗り出す。


「シルムにはまだ話してなかったな。クランヌは上級魔法を練習してて消耗が大きいのに、俺たちが模擬戦してる間は魔力譲渡を受けれないから困ってしまうだろう?」

「言われてみたらそうですね…」

「だからその措置として、クランヌ単独でも魔力を回復できるような仕掛けを用意しといたんだ。設置魔法の要領で」

「センさんがお付けになった印の上に立つと、自身の周囲が覆われて魔力の補充がなされますの。必要なタイミングで利用できて画期的でした」


 経験者であるクランヌが、次いで所感を述べる。


 『結界』と『魔力回復』の付与した魔弾。

 地面に撃ち込むと紋様が浮かび上がり、それを踏むことで人一人分の透明な円柱が展開。

 その中にいる間、徐々に魔力が回復してゆき時間経過で消失する。

 

 その場に留まり続けなければならないのは難点の一つだが、クランヌの言ったように自分のペースに合わせて使えるため、わざわざ俺のところへ来なくて済む。


「ふむふむそんな便利なものが…あれっ? もしかして今後はそれを主流にするとか…?」


 感心するように頷いていたシルムだったが、何やら不穏な様子で呟く。


「いや。その方が助かるとは思うんだけど、コストが嵩むから厳しくてな」


 一番の問題は作製時に生じる魔力値の変動。

 俺がいつも行っている譲渡は魔力を消費した分だけ相手に与えるが、今回のような物を介する方法だとだいたい消費魔力と回復量が釣り合ってない。


 実際、クランヌ用の魔弾を作るためには、三割多く魔力を負担しないと目標値に至らなかった。

 つまり余分に魔力を注がない場合、七割しかクランヌを満たせない半端な出来になってしまうのだ。

 これはまだマシな方で、付与する物によっては元の倍近い条件であることも。

 便利な分、別の部分で割を食ってしまう。


 魔力と親和性が高かったり増幅する素材と合わせれば、同等またはそれ以上ものを生み出せるが、結局は何かしらのコストが必要。


 要するに、今まで通りの方法が単純かつ無駄がないということ。


「そうですかっ。残念ですけど、センお兄さんに無理はさせられませんし仕方ないですね」


 その割にはニコニコしてて、口惜しいようには見えないが。


「貴重な経験が出来て僥行でしたわ。ところで、模擬戦はどのような結果に?」

「引き分けでした。といってもおこぼれに近いですけど」

「まあ…健闘なさったのですね」


 穏やかではあるものの、慈愛と確かな称賛がこもった言動。

 まるで自分のことのような喜び様だ。

 シルムにも伝わったのか、嬉しさのあまり「クランヌさんっ」と名を呼んで飛び付く。

 胸元で受け止め困った素振りを見せながらも、拒まず頭を撫でている。

 クランヌの慣れた手つきと、シルムの甘えぶりから仲の良さが窺える。


「……」


 こうして親しみ合っている姿は微笑ましい。

 けど同時に…懐かしさを、既視感を覚えてしまう。


 クランヌたちと方向性は違うが絡んでいる仲間がいて、それを前に今と同じような気持ちになって。

 仕方ないと分かっていても、やはり郷愁は感じてしまうものだな。

 彼らは元気に過ごしているだろうか。

 

 二人をぼーっと見ながら思いを馳せていると、視線に気付いたクランヌは照れくさそうにする。 

 期せずして凝視する形になってしまった。

 まあこの際だから俺と同じ気持ちを味わってもらおう。


 そんな状況にいたたまれなくなったのか、恥じらいを誤魔化すように話題を振ってくる。


「それでは、今後のシルムの方針はどうなさいますの?」

「んー…実力は十分だったし近々ギルドに向かうつもりではある。でもそうすると孤児院にいられる時間が減るから、差し支えないようまずは調整しないと。そのためにとりあえず、訓練の時間を短くする又は省いて」

「え」


 俺の言葉にシルムは突如、身を硬直させ一音だけ発声。

 たった一音なのに妙に響いたそれは、話の流れを断ち場の空気が淀んだものに変える。

 そして、自分から離れてゆらりと動く姿を見たクランヌが驚き固まる。


 嫌な予感をひしひし感じながら、振り返ったシルムはーー凄絶な暗澹さを帯びた幽鬼のような様相をしている。

 特に、光沢が消失した銅褐色の双眸には呑まれてしまいそうだ。

 

(それにまた何処かで見覚えが…この圧倒されそうなオーラ…)


 ああ、分かった。

 地上からかけ離れた暗闇が支配する地下深淵。

 そこに棲むアンデットと対峙したときの印象に似ているのか。

 

「困るんですけど。私にとってあの時間はもはや日常の一つで、生き甲斐と断言できる程なんですよ。なのにそれを取り上げようだなんて、まさかそんな酷いことしませんよね。冗談に決まってますよね。生きる活力を失ってしまったら今後どうすればーー」

「よーし、シルムの言い分は良く伝わった。だから一旦落ち着こうか」


 じりじりと視界を占めてくるシルムへ手を突きだし制止を試みる。

 あまりの捲し立てように対応が遅れてしまった。

 以前とは比べものにならないほど圧があったのもある。


 何とか動きはぴたりと止まったものの、虚ろな状態から抜けきっていない。

 ふむ、どうしたものか。

 このまま進行しても素直に聞き入れるか怪しいし、かといって簡単に撤回するわけにも…。

 切り出し方に悩んでしまう。


 しかし見当違いだったな…まさかああも豹変するほどに。


「シルムがここまで訓練に入れ込んでいるとは思わなかったよ」


 もしかすると、シルムは自分なりに計画を立てていたのかもしれない。

 今日はこの魔法に集中しようとか。明日は色々な組み合わせを試してみようとか。

 

 始めたてや要点など必要な時には指導しているが、基本的に内容決めは委ねているからな。

 せっかく考えた予定を勝手に狂わされるのは、頭に来るのも納得…


「ところで、どうして顔を背けてるんだ?」

「…私のことは気にせず、続きをどうぞ」


 理由は分からないが、感想を述べるとシルムはハッとした様子で生気を取り戻し正気に。

 しかしその直後、俺から顔を逸らしてしまった。

 冷静さを欠いたのが気まずいのだろうか、今回のはなかなか熾烈だったしな。


 とりあえず許可は出たし、再開しても問題なさそうだ。


「さっき言いたかったのは、子供たちに家事教えたり準備に手間取るだろうし、訓練を減らして少しでも時間増やした方がいいかなって」


 それにシルムは皆を買収…褒美を約束して頑張るように仕向けたみたいだけど、どれだけ効果が持つか。

 目先の利益と違い当分先の話になってしまうし、あまり待たせると不満が出てきそうだ。

 このことも含めて前倒しの提案をした。


 シルムは深呼吸をして整えると、こちらへ向き直る。


「心配しなくて大丈夫です。私が不在にしてもあの子たちは出来ます。というより、やってもらいますので」

「素直に従ってくれるのか?」

「私に任せっきりだと分かってるみたいですし、聞き入れるように教育してきたつもりです。もし嫌がることがあったら、そのときは…お説教です」


 少し間を置いて意味深な笑みを浮かべる。

 母が子を諭すような厳しくも温かいーーとかではではなさそう。

 これは触れない方が身のためだろう。


「それにいい機会です。私がいるとどうにも緊張感がなくて。きっと無意識のうちに、困ったときは助けてくれると思っているんでしょうね。このままでは困るので、自立のために突き放すのもやむ負えません」

「……そうだな。俺もその通りだと思う」


 似ている。俺がこちらへ来るに至った理由と。

 しかし見限った俺とは違い、シルムのは優しさ故の発想で立派なもの。

 全く、人を使役することばかり頭にある奴らに見習わせたいくらい。


 安心できる環境にいたいのは分かるが、それを齎してくれる存在、しかも一個人に頼りきりなのは歪。

 少しずつでも進歩して脱却を目指すべきなのに。

 俺を引き込むため躍起になったその熱意を、別の方向へと向けられなかったのか。


 まあ、もう関係ないし栓無きことだが。


「シルムが問題ないと言うなら、部外者がとやかく言う筋合いはないな」

「むっ…忘れたんですか? 私とセンお兄さんは一蓮托生なんですから、部外者なんて言っちゃダメです」

「いや、それは覚えてるけど」


 むすーっと分かりやすく膨れている。

 確かに完全に無関係とは言い切れはしないが…彼女たちが積み上げて来た間柄に、当然のように立ち入るのは不躾だろう。


「もう。先程もそうですが、あまりセンさんを困らせては行けませんわよ?」


 説得する矢先、いつの間にか復帰していたクランヌから助け船が出る。


「分かってますけど、でも…」

「シルム?」

「はい。ごめんなさい」

 

 一度は渋る素振りを見せたシルムだったが、発せられる圧の強さにすぐさま屈し頭を下げた。

 普段おしとやかでいる分、凄むと迫力が際立つな。

 傍から見ていただけなのに、姿勢を正すところだった。


「センさん」


 おっと、次は俺に話があるみたいだ。

 揺らぎを見透かされないよう、平静を保って応じないと。


「私が進言するのは矛盾してますけれど、どうか無理はなさらないで下さい」


 うん? 一体何が矛盾しているのだろう。

 シルムを窘なめた直後に俺を心配する発言。特におかしいところは……そうか。

 クランヌには以前、シルムを甘やかすようお願いされたんだった。

 そうした手前ゆえの憚りながらの心配。

 

 大方、シルムの変わりようを目にして、想像より負担を掛けているのかもと思い至ったんだろう。

 全然そんなことはないが、自身の発言に責任を持てるのは美徳。


「クランヌの配慮は心に留めておく。でも俺は決して我慢はしてないし平気だから。それに頑張ったら譲歩するって約束したから、要望は聞かないとね」

「やっーー」


 シルムはその場で飛び跳ねそうになったが、スッと見咎められ再び消沈。

 クランヌの前ではシルムも形無し。

 飴だけでなく鞭も忘れないあたり、やはりクランヌは姉のような立ち位置だな。


「承知しましたわ。センさんの御心のままに」

「あっ、私は訓練に参加さえ出来ればいいので、明日からもクランヌさんの方に集中して頂ければ」

「えっと、シルムを見る時間を増やさなくていいのか?」

「はい、センお兄さんからお墨付きは貰いましたし私は控えめで。でも完全に放置はしないで下さいね」


 意外な申し出に一瞬、聞き間違えたかと思った。

 さっきの執着ぶりからして、何かしら未練があるのは明白。

 俺はそれを魔法だと仮定し、模擬戦が終わったし色々と助言を求められると踏んでいた。

 しかし予想に反して、クランヌに時間を割いてほしいと言う。


 となると自力で進めるつもりなのか。もしくは別の目的があるのか。

 気にはなるが…現状の課程を全て終えた以上、何をするのもシルムの自由なので異論を唱えはしない。

 助力が必要になったら自ずとあちらから来るだろう。


「シルム、貴女もしかして…」

「わーーっ! その先は言わないで下さいっ」


 シルムは慌てた様子で喋るのを止めにかかる。

 見当もつかない俺と違い、クランヌは思惑に勘づいたらしい。

 でも何故だか少し呆れているような?


「はあ…それほどまでに……まあ決まったことを横から荒立てるのは無粋ですわね。ということで、私からは何もお話出来ませんわ」


 そう言うとこちらをほんのり悪戯の混じった、意味ありげな表情で見やる。

 自分で考えろと言いたいのか。

 

(クランヌが呆れるような、そしてシルムが秘密にしたい理由…か)


 例えば、参加するのはただの口実で、元々みんなに家事を課すつもりだったとか。

 しかしそれは、シルムに頼ることなく、生活を立ち行かせる計らいであり悪いことではない。

 それに訓練にこだわらずとも、孤児院を不在にする理由は幾らでも用意できる。


 他には…息抜きをするのが目的、とか?

 この空間内にいる間、魔弾の作用により一時間を十時間として過ごせる。

 出来ることは限られてしまうが、多忙なシルムが気を休めるのに役立っているみたいだし。

 休息は万人にとって重要。だから手放したくないのかと。


 ただ、これも秘密するほどとは思えないし、根拠としては乏しい…

 

 こうして頭に浮かんでは否定を繰り返し、結局、それらしい理由には至らず。

 答えは見付からないまま、時間が来て解散となった。

 このとき、ソワソワしていたシルムは胸を撫で下ろし、とても安堵した様子だった。 


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