54 独白
お待たせしました。読んで下さりありがとうございます。
俺とシルムの模擬戦へ向けた調整を始めて、数日が経過した。
未だにクランヌの周囲を嗅ぎ回っていた連中ーー裏家業の人間たちの尻尾は掴めないまま。
何度か張り込みをしてみたが、来る気配は一切なく息を潜めている。
手を引いた、とは考えにくい。
今後の活動に障害となり得る存在を、みすみす見逃すつもりは無いはず。
しかも、此処は要所であるエストラリカ。純益の高い拠点を手放すなんて論外。
仕掛けてこないのは、あちらも俺のことを把握できずにいるからだろう。
ただ、それも時間の問題。いつか痺れを切らして強行策に出てくる。
分かっているのに、今は待つしかないのが歯痒いところ。
目下の懸念はこれくらいで、シルムとクランヌの進捗具合は順調。
シルムは炎と光の中級魔法をほとんど覚え、一部の初級魔法は練度上げにより進化。
割り当てた個人の時間では、状況を想定しながら魔法を試しているらしく、運用方法が煮詰まってきたそうだ。
もう頃合いだな。
そんな新進気鋭のシルムとの同衾は、未だに続いている。
数日を経て、打ち切りをほのめかすだったのだが…シルムが就寝中に抜け出そうとしたとき。
「置いてかないで下さい…」
悲痛に満ちた呟きと、強まる腕の抱擁。
起きていたのかと錯覚するほど、その響きには感情がこもっていた。
故に寝言だと切り捨てられず、以来、説得するのは断念。
果たしてあの言葉、誰に向けられたものだったのだろう。
ただ、同衾の影響なのか、俺との距離感がさらに縮まって来ている。
元から手を伸ばせば届くほど傍にいたけど、今は少し寄れば触れる近さ。
間食のときが顕著だったな。
「あっ、この組み合わせ美味しい」
本日のおやつは、焼き菓子に好きなフルーツを乗せたりソースなどをかけて食べる。イメージとしてはミニサイズのフルーツタルト。
焼き菓子とトッピングは種類が豊富で、組み合わせは多岐に渡る。
好きな物を合わせたり、味の想像をしながら作る楽しさもある。
自作の組み合わせが予想より相性良く、口を手で抑え体を仰け反らせるシルム。
「お二人もいかがです?」
興味の湧いた俺とクランヌは頼んで頂くことに。
てきぱきと焼き菓子の上に盛り付けていき、一つは取り皿に乗せて崩れないようクランヌに手渡し。
もう一つは指で摘まんで、ゆっくりと俺の口許に…。
「ちょっと待った」
すかさず手を挙げて制止をかける。
シルムは動きを止め、きょとんと丸い目で見つめてくる。
食べさせられる初めてではないし、それは構わないが、どう考えてもおかしいだろう。
「それだと指ごと口に含んじゃうよ」
おすすめを味わうには、まとめて咀嚼する必要があるので、焼き菓子の側面にある指を確実に巻き込む。
考えうる別の方法は、口に放り込むくらいか。
しかしシルムは、そのような危険な真似はしない。
「あっ、ごめんなさい。うっかりしてました」
えへ、と失態を誤魔化すように相好を崩し頭を下げる。
しかし一瞬、残念そうな表情を浮かべたのを、俺は見逃さなかった。
言及はしなかったが、今でもわざとだったのではと疑念が渦巻いている。
その他にも。
「私がセンお兄さんに美味しいチャーを淹れますね」
そう名乗り出て注いだチャーを味見して渡してきたり。
俺の口の端に付いていたソースを指で拭ったり…行動を起こす回数が多かった。
最近はこういった大胆さが目につく。
まあ、距離が近いのは慣れたし、シルムの調子がいいのは事実。
なので経過を見ることにして、もしもの場合は口を挟もうと思っている。
依然として、一線を越える気は今はない。
次にクランヌ。
俺が浄化水を納品して彼女が販売する契約は継続中。
売れ行きは好調…どころか、段々と納品数を増やす必要があるほど上々。
集客効果もあるようで、意外にも近頃不調だった商会の追い風となっているらしい。
しかし、不調の原因は人為的だそうで、何者かが取引先へ略奪や妨害をしているとか。
それで客足が遠のいていたが、知らぬ間に改善に一役買っていた。
クランヌから手を両手で包まれ強く感謝され、売上に報酬を加算すると告げられた。
話を聞くまで埒外だったし、固辞するつもりだったのに商会の総意と言われては断れまい。
合計で幾らになるのだろうか。
訓練の方は氷上級魔法である「エシュトラールセ」の開発に勤しんでいる。
根気強い努力で着々と進行中ではあるものの、変化は少ない。
完成が遠く感じるのも、上級魔法が過酷たる由縁。
難しさ例えるとしたら、ピースを大量に用いたパズル。それぞれのピースを、どれだけ脳内で具体的に埋められるか。
朧気だと出来が左右し、欠けた箇所が多いと形にならない。
仕上げのため補完に追われるわけだが、クランヌを指導していて感じるのは要領の良さ。
改善点を伝えると、そこも抑えながら理想に近づけて行く。
指摘されるとそこに気を取られ、他がおざなりになりがちだが、クランヌは抜かりない。
それでも、先の見えない辛抱はまだ続く。
しかし、パズルが完成に近づくに連れて全体図が浮かんでくるように、光明を見出だすときが来る。
そこへクランヌが辿り着くため、サポートに徹する。
上級魔法を教えるワンツーマンの時間を過ごすようになって、クランヌとは心の距離が縮まった気がする。
話す機会が増えたのもそうだし、思い出した昔のことを聞いたりもして。
「クランヌ、どうかした?」
シルムと一時的に別れ、クランヌとの個人稽古。
横で魔法を観察していた俺が、気付いた点について指摘し終えると、彼女は妙に穏やかな表情でいた。
「ああ。昔はこうしてよくお叱り頂いたと、思い出に耽っておりました」
「すまない。気を悪くしたか?」
指導する上で、曖昧な言葉を用いるのはどうかと思い、甘いや悪いなどズバッと濁さず口述している。
そのせいで苦い記憶が喚起されるなら、対応を改めないと。
しかし、クランヌは変わらず悠然としたまま頭を振る。
「滅相もございません。センさんが慮って下さっているのが感じられて、それがお母様に作法を教わったときのようで、懐かしい気持ちです」
思いを馳せているのか、目を細め落ち着いた声。
意識してるのは口調を荒らげないくらいだけど。
俺の意図を汲み取ってくれているのかもしれない。
「センさんは指導に慣れていらっしゃるようですが、以前にご経験が?」
「人に教えるのは初めてだよ。ただ…説明とか指示はしてたから、それが活きてるのかな」
話し方が雑だと聞き手はいい顔をしないし、情報に齟齬が生じてくる。
最初は筋道を立てるのが下手でまとまりがなく、自分でも首を傾げた記憶がある。
伝える方法ついて考えるきっかけがあったのは、僥倖と言えよう。
そこからは話術に関連して取引の話題に繋がり、販売促進の工夫や、交渉での苦労を聞いたりした。
その最中、クランヌから礼をされる場面があった。
内容は、先日の貴方呼びにより、取引先などからのアプローチ数が減ったこと。
耳にした人からクランヌに意中の相手が出来たと吹聴され、状況が一変。
今では、その真偽を問われたり断念する人もいるそうで、毎回断りを入れるより遥かに気が楽と、憑き物が落ちたような澄んだ表情だった。
本当かどうか聞かれたときは。
「大切なお方です」
そう返しているらしい。
確かに俺とは協力関係にあるし、表現は的を射ている。
深い意味は無いだろう。この話をしていたとき愉快気ではあったけど、鬱憤を晴らせたから。
こうして会話を通しクランヌのことを知る一方で、俺は自分のこと浅くしか触れていない。
深堀りするとなると、別世界の人間であり、こちらへ来た経緯も明かす必要が出てくる。
それにより、平穏に過ごす望みが絶たれるのを危惧している。
あのような、各地を転々とする落ち着きない生活は二度と御免。
しかし最近になって、シルムとクランヌには教えても、いや、教えるべきだと思い改めた。
二人とは協力関係にあるのに、事情を把握してるのは俺だけだから。
シルムは子供たちの将来を想って。クランヌは転移事業拡大のため。
対して俺は、素性を隠したいと曖昧な理由。
詳細を伏せてても信を置いてくれてる。でも、フェアじゃない。
数日を共に過ごし、彼女たちの人となりを多少は理解しつつある。
シルムとクランヌは野心塗れの奴等とは違う。相手を尊重できる人間。
だから、大丈夫。
置き去りにしていては先へ進めない。
打ち明ける機会を設けて、しっかり向き合わなければ。
その足掛かりに、まずは。
「シルム。そろそろ模擬戦、しようか」
というわけで、次回はセンvsシルムになります。
お楽しみに。




