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『冷凍庫からラップに包んだ米がどんどん出てくる』の場合

「あ、先輩だ」


 という声に都築は、


「ん」


 と答えた。


 『オカルト研究会』と張り紙された扉の先には、今日も日当たりの良い清潔な部屋があった。入ってきたのは、脱色気味で薄茶色の髪の毛の華奢な女。髪の隙間から覗く耳には、いくつもピアスがついている。

 都築は部屋の真ん中、机の前のノートパソコンに向かい合って座っている。視線を注いだまま扉の方は見ない。陽の光を受けて黒い髪が白く光っていた。


「先輩元気?」

「ふつう」

「なんで?」

「は?」


 一瞬都築は虚空を見つめるような表情で女を見た。女の方も虚空を見つめるような顔つきをしていた。静かな声で女は喋り出す。


「先輩が元気なのは万有引力に反している」

「あ、そう」


 都築は視線を戻した。女は構わず続けた。


「先輩が道を歩いていると突然上空から巨大な虚無が降り注いできた。隣を歩くボクは言うんだ。『ワオ! なんつーでかい虚無だ! 見ろよジョン、こいつがあればお前のカミサンの太っ腹も、……おい。どこだジョン? 悪い冗談はやめろよ。ジョン・スミス? なんてこった、ここには何もない……。ならこいつはなんだ? 虚無の不在と永劫回帰……』 そしてEternity & Love。瞳に映る宇宙(そら)だけが今日も青い……」

「そうだな。帰って寝ろ」

「Freeze & Dry」


 女が表情筋も動かさず声音も変えず喋り続けるなか、都築は【冷凍庫先輩】と題された文章が表示された画面と向き合っている。上書き保存のボタンを押した。


「ていうか野宮(のみや)って水曜は名切と飯食ってなかったっけ」

「名切はボクを置いて献血車に吸い込まれていったよ。そして二度と戻ることはない。永遠にね……」

「お前も行けばいいじゃん。ここの献血、田舎の老人並みに食べ物くれるぞ」

「健康状態がカスだから無理。今朝歯磨きしてたら出血しすぎて幻の剣豪みたいになった」

「はは、ウケる」

「先輩こそ行かないの?」

「健康診断で血液検査要精密食らってるから無理」

「ボクら、そっくりだね……。まるで同じ星に生まれたみたいに……」

「お前はどこの星の生まれなんだよ」

「月」

「それは明上(あけがみ)さん」

「ボクら、そっくりだね……。まるで同じ星に生まれたみたいに……」


 野宮と呼ばれた女は文学部棟の方角を向いて、壁に話しかけていた。都築はそれに目もくれず、机に頬杖をついて画面をスクロールする。そのうち画面の底にぶつかって、はあ、と床を舐めるようなやる気のない深い溜息をついた。野宮は壁に顔面を押しつけながら言った。


「お腹が減った」

「そうか」

「奢ってって言ってるんだよ」

「図々しすぎるだろ。ていうかお前は外で飯食う前に家で冷凍してる米を消化しろ」

「今日もお米炊いてきちゃった」

「なんでやねん」

「お米炊くの好き」


 「好き……」と野宮は壁に向かって愛を囁いた。都築はマウスのホイールをぐりぐりと動かして、高速で上下する画面をしばらく眺めた後、もう一度、今度はやけに長い溜息を半ば声に出しながら吐き出して、それから右上の×印を押した。首を捻って見た背後の時計は10時40分を指していた。ノートパソコンの蓋を閉じて、ぐでえ、と椅子の背もたれに身体を預けた。


「じゃあ行くか」

「まだ食堂開いてないけど」

「二食は開いてる」

「そんなものは存在しない」

「してるよ。あっちの方が美味いし」

「待って」


 野宮は振り向いた。都築は天井にできた光の枠を見つめ、何が日光を反射しているのだろう、と考えながら、しかし面倒なので身体を起こして部屋を見回したりはしなかった。


「ボクは今日こそあの粘土を混ぜてるとしか思えない激マズクラムチャウダーを美味しく食べられるような気がしてるんだ」

「気のせいだよ」

「グローバルな人材だからチャレンジングな人生を歩んでいきたいんだ。だから先輩もボクと一緒にクラムチャウダーチャレンジしてよ」

「えぇ……。真面目に嫌なんだけど。あれ容赦なくマズいし……」

「クラムチャレンジチャウダー、チャウチャウパウダー」


 えー、ともう一度、都築は拒否の意思表示をするには不十分な不満の声を上げた。窓の外のまだ青い銀杏の木に鳥が止まって葉が揺れた。部屋の壁も水面のように揺れた。


「あと購買で新しい飲み物売ってたからそれも飲もう」

「いくら?」

「100円」

「……行くか」

「つづきくんへ。さいしょからそういえばいいんだぞ」

「はいはい」


 都築は立ち上がる。空いた椅子に野宮が座り、都築は「は?」と声を上げた。野宮は言う。


「11時にならないと開かないし」

「いや開いてるよ。食券買えるのが11時からってだけだし」

「つづきくんへ。どうしてそんなうそいうの?」

「くつろぐ体勢に入るのやめろ」


 野宮はぐで、と机に突っ伏す。目の前に垂れ下がった毛先を指でいじった。


「先輩、腕出して」

「やだけど」

「つづきくんへ。どうしてそんないじわるするの?」


 都築は踵を返した。野宮が機敏な動きで後ろから手をつかんで目の前に引き寄せた。都築は軽くよろけて、野宮は続きの手首に指を当てる。


「脈取ってあげる。…………死んでる」

「そうか」

「先輩死んでるよ」

「そうか。普通に生きてる」

「じゃあ学食行こうか」


 都築がドア横の鍵を取る。ふたりで部屋を出て、鍵を閉めて、日に日に足の置き場のなくなっていく廊下を歩く。おそらくはこれから立て看板に変わるのであろう、床に横たわる木材を跨ぎながら階段へと向かう。建物の外からボイスパーカッションの外れた音色が聞こえていた。


 踊り場の窓から射し込む光線に都築は目を細め、野宮が言った。


「先輩って幽霊とか見えるんだっけ」

「ん?」


 都築は額に手をかざして影を作って、じっと下り階段の一段目の位置を見定めながら言う。


「いや、全然」

「前にも聞いた気がする」

「前にも言った気がする」


 賑やかな一階ロビーを抜ける。サークルの関係か、大きなバッグを持ったジャージ姿の人間が多く、大人数でソファを占領しているのは珍しい光景だった。反面、コピー機はまだ空いている。こちらは、午前中にはよくあることだ。


「じゃああれだね。ボクが死んじゃったら先輩もうボクのこと見えないね」

「大多数の人間はそうだと思うけど」

「ボクは見えるから先輩が死んじゃっても特に変わりないよ。たぶん区別つかないし」


 ていうことは、だ。と。

 一階ロビーの玄関を抜けた先で、野宮は言った。


「じゃあボクらって、」

「あ、ちょっとこっち」


 と、急に思いついたように都築が野宮の手を引いた。わ、と小さく呟いて野宮は一歩前へ。


 直後、上から金槌が落ちてきた。


 ガン、と。

 力の割に大したことでもないような音を立てて、それはコンクリートの上に落ちた。三階からすみませーん、と慌てた大声が降ってくる。


「ねえ、先輩」


 野宮が金槌を見ながら言った。


「今、ボク死んでたよ」

「そうだな」

「ボクが死んだらさ」


 チチ、と通りの銀杏の上から鳥の声がして、冬の気配を乗せた風が野宮の髪を揺らした。

 野宮はじっと、金槌を見ていて、見ていなかった。


「もう全部終わりだね」


 都築が気付いて、握っていた手を放した。野宮も放されて気付いたらしく、握られていた自分の右手首を左の手で触った。都築の握る力が弱かったのか、白い肌には跡ひとつない。


 野宮はその手を見ていた。




「死ぬときは、先輩が先に死んでね」

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