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【冷凍庫先輩】

【冷凍庫先輩】




 ボクの高校には、『冷凍庫』と呼ばれる部屋があった。


 その由来はいたって単純で、その部屋だけ他の部屋よりずっと温度が低かったのだ。気温計を持ち込んで測ったこともあったらしいけれど、真夏の昼、他の部屋が40度近くなるような日でも10度を割る。その理由は誰も知らなかった。部屋の作りとか校舎内の位置関係とか、適当な言い伝えみたいなものはあったけど、一度聞いただけで小学生でもそりゃないぜと言いたくなるような嘘っぱちだった。


 けどまあ、テレビの仕組みがわからなくてもテレビは楽しいように(個人差があります)、『冷凍庫』も仕組みがわからないなりに便利に使われていた。


 わかりやすいのは部活の飲み物置き場。端っこの方にいつも運動部の名前がマジックで書かれた段ボールが置いてあって、放課後になると一年生が押し寄せてそれを取っていく。文化祭前の食品保管所としてもこっそり使われていたし、体育祭の日なんか、学校側が「ここで冷やしとけ」なんて言う始末。極端な温度ではないにしろ、保冷庫としての役割は果たしていた。


 それから受験生の勉強部屋としても使われていた。ボクの出身校は最悪なので、クーラーがほとんど使われなかった。電気代の関係で~とか言って7月後半になってからようやく起動し始めて、9月には使われなくなる(そしてなぜか毎年盛大に予算を余らせる)。だから勉強しているとノートが汗でふやけるなんてザラで、当然ながら教室で勉強なんてするわけがなく、多くは近所の予備校に通い詰めていたのだけれど、一部は『冷凍庫』に机を持ち込んでいたりしていた。


 ボクはあの高校で3年間を(中高一貫なので6年と言い換えてもいい)過ごしたわけだが、高3になるまで友人から話を聞くだけで『冷凍庫』には行ったことがなかった。運動部所属ではなかったし、体育祭はリレーだけ走っていればそれ以上の雑用は期待されなかったし、ついでに天才だから予備校に行かずとも校内で自習する必要もなかった。


 けれど十二月が近付きはじめたころの登校日、数少ない友人のひとりから誘われて『冷凍庫』に行った。寒すぎて笑えるよ、と言われて、ちょうど笑いたい気分だったのでついていった。


 その日がものすごく冷え込む日だったのを覚えている。

 久しぶりに暖房の効いた自室から外に出たから余計にそう感じたのかもしれないが、コートを着て、マフラーを巻いて、手袋をして、それでもなお寒かった。隣を歩く友人の頬は赤く、放課後の太陽は分厚い雲に隠れてあたりはすでに電灯を必要としていた。


 特別棟の一階、視聴覚室の隣にその部屋はあった。昔はそこが音楽室で、『冷凍庫』は音楽準備室――、平たく言って音楽教師の待機部屋として使われていたらしい、と聞いたこともあった。本当のところは知らない。なら特別棟四階の音楽室は後付けの増改築なのか、そんな疑問を口にしたことも、耳にしたこともない。自分の学校の成り立ちなんて案外どうでもいいものだ。


 『冷凍庫』の扉の前で、友人が立ち止まった。そしてすでに笑っていた彼女は言った。手袋を外して扉を開けてみて、と。ボクは素直に従った。手袋を外すと真っ白に色を失った手が見えて、それが随分冬という感覚を思い起こさせた。


 『冷凍庫』の扉はスライドだ。教室の戸をイメージしてくれればいい。大体それだ。


 触れて驚いた。扉の金具が冷たかったのだ。冬の朝一番に顔を洗う水よりも冷たかった。もうこの時点で笑えていた。かじかみ始めた手でもはっきり冷たさが認識できるくらいひどかった。

 なら中はもっとひどいに違いない。期待して開いた。


 そのときの感覚をたとえるなら、悪寒が一番近い。


 寒気とかそういうのを通り越していた。 

 身体のだるさを気にしていたときに、ふとこれが風邪だと気付いたときのような感覚。徹夜明けのテンションが一気に下がって体調不良に発展する瞬間の感覚。そういうのが氷点下の冷気と一緒にボクの身体を通り抜けた。


 そして人が床に倒れていた。


 うちの制服を着ていた。さすがに驚いて声をかけようとしたところで、友人がボクを追い抜いて部屋の中に入り込んだ。


 バカみたいに寒い、と言って白い息を吐いて笑う友人は、その生徒を踏みつけていた。

 正確に言うなら、その生徒をすり抜けて床に立っていた。


 明け透けに言って、それは幽霊だった。少なくとも、そのときの17歳のボクがそれを呼称するには、その言葉以外になかった。霊感がある、というと何だかとてつもなく嘘っぽくなってしまうけれど、ボクはそういう人間だった。


 ボクの吐息は白く薄く凍りついて、友人は寒い寒いと言ってはしゃぎ、床では幽霊が死体のように横たわりひたすら沈黙している。


 ボクは寒すぎるから帰ろう、と言った。友人も同じく受験前の身、長居をするつもりはなかったようで、素直に頷いた。先に友人を出して、ボクも後に続こうとして、もう一度だけ、振り向いた。


 その先で、幽霊が床をこするように身体を動かした。


 寒い、と。


 奇妙な音が鳴って、幽霊がそう言ったような気がした。ボクはコートのポケットにカイロを入れていたことを思い出して、それを振って温めたあと、倒れ伏す幽霊に投げた。無機物同士がぶつかるしらけた音がした。


 どうしたの?と友人の呼ぶ声に部屋を出た。



 以来、『冷凍庫』の話は聞いていない。




(文:冷凍庫からラップに包んだ米がどんどん出てくる)

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