【『オカルト』について 前】
【『オカルト』について 前】
駅まで出迎えに来ていた後輩は、ひどい顔色をしていた。
「遠いところをわざわざすみません……」
声にも力なく、目の下は落ちくぼみ、頬はうっすらこけている。未だ19にして伊達男の見本のような容姿をしていた彼――、ここではDと呼ぶことにしようか――、Dは、しかしそれでも独特の容姿の華麗さは保ってはいたが、憔悴していることは一目見て明白だった。
「気にすることはない。どうせ暇人だ」
「そう言ってもらえると……」
笑い顔にも気力なく。
さてこのDを弱らせるほどの、一体いかなる問題が待ち受けているやら――。
自動改札のない駅、冬の風を感じながら、そんなことを考えた。
Dの家は、最寄りの駅から車で30分ほど行ったところにあるという。それは最寄りではないのではないか、言うと彼はまた力なく笑い、大学に進むまではこれが当然だと思っていました、と言った。
「本当にすみませんでした。こんなことに巻き込んでしまって……」
「気にすることはない、そういう研究会なのだから。それより、詳しい話を聞かせてくれないか」
「ええ、すみません。できればこちらに来ていただく前に詳細を伝えられればよかったのですが、何分、通信手段も限られておりまして」
移動中、ハンドルを握る彼の発言だったが、これには仰天した。
「何だって? 現代に? 通信手段が?」
「はい、あ、いや。先輩も限られるということはありません。ただ今はちょっと事情がありまして……」
「事情ってなんだい。まさか軟禁されてるなんて言うんじゃないだろうね」
「…………、ええ。順を追って説明します」
頭の中を整理するように、しばらく黙ってからDが口を開く。自動車の進む道は平坦、直線ではないものの、信号もなければ対向車もほとんどなく、どんどんと奥地へと向かって行くように思えた。
「見てのとおり、私の実家はドのつくような田舎にあります。しかしまあ、元が地主で、それなりの財がありまして」
「このへんの土地をかい?」
「いえ、このへんは二束三文にもなりません。昔土地を転がして、いくらか都市の方で不動産を持っているのです」
「っと、食いついておいて何だが、そのへんの話はいいよ。人の財布を覗き込むのもあまり趣味ではないし」
「ええ、このあたりは本題ではないので、助かります。……ええ、で、うちにはちょっとした……、そう、しきたり、古い言い方ですが、そういうものがありまして」
「しきたり!」
ははあ、と私は感心してしまった。
しきたり。聞いたことこそあれど、地方都市育ちには馴染みの薄いものだ。
「それは一体どんな?」
「それがその……、一口に言ってしまえば、明日の村祭りの日に、私の家系の男が夜の山に登ると、それだけの話なのですが」
濁すような口調は、それだけではない、とはっきり言っているようなものだった。Dはその先を言いづらそうに口ごもりながら、続ける。
「こんなことを素面で言うのも……、少しばかり、気後れするのですが、私は少々、感の良いところがあるのです」
「ああ、だと思った」
「え?」
「君、いくらなんでも前を見なけりゃ危ないぜ」
一瞬こちらに視線を向けそうになったDに注意する。いくら何もない田舎道だからといって、異動しているのは鉄の塊だ。油断は禁物である。
「何も不思議なことじゃないさ。君みたいなやつは他にもいる」
「他にも?」
「おかしいと思うのさ、最初の時点でね。君のように華やかなる人物がオカルト研究、なんて日陰の会に興味を示す理由なんてふたつくらいしか思い浮かばんからね。そのひとつ目が、オカルトに困らせられていて、対抗するためにかえって近付かざるをえない、というものだ」
「ちなみに、もうひとつは」
「人には言えない性癖持ち、だね」
ううん、と納得いかなそうな声を上げながらもDは頷き、
「何にしろ、信じてもらえるなら話は早い。いるのですよ。その山に」
「いる、とは?」
「わかりません。化生の類か、異常人か……。何にしろ、私はあの山に近付くと、いえ、近付くと考えるだけでも」
ぶるり、とDは身体を震わせて、
「駄目なのです」
「ふーむ、そりゃ難儀だ。誰か他の人に代わってもらうのはできないのかい?」
「ええ。そもそもが私自身代理なのです。元はこれを父が務めていたのですが、今回折り悪く腰を痛めてしまったらしく」
「親戚や兄弟は?」
「少なくともこれの代理を務められるような者はいません。この話が来た時点で私は相当に渋りましたからね。となると、他に適役がいればそちらに回されたでしょう」
「なるほどね。で、一応聞くが、その役目を放り出して逃げるというのは?」
ハンドルを握るDの手に、わずかに力がこもるのを見て取った。
「……ま、話はそう単純でもないか」
「ええ、すみません」
「いいさ。ままならぬのが世の常だ」
Dの家は広大だった。
大仰な言い方かもしれないが、私にはそのように感じられた。おおむねは平屋建ての日本家屋、一部に新しく建てられたと思しき2階建ての建物がある。家の敷地の端から端まで、体力のない者では全力で走り切ることもできないだろう。庭には自動車を10台止めてもまだ空きそうな余白があった。
出迎えてくれたDの父母はそれなりの高齢だった。聞けば、Dは上に3人の姉がおり、自身は年の離れた末子らしい。それぞれ結婚なり就職なりでこの家を出ており、今度の村祭りにも帰ってはこないとのことだ。
挨拶もそこそこに、離れに通されることとなった。
離れ。
これがあまり聞き覚えのない間取りの感覚だったが、一度玄関から外へ出た。それから家をぐるりと回り、裏へと回る。ここもまた広大な庭があり、そしてその先にぽつんと、小さな家がもうひとつ立っているのが見えた。
玄関を開けると、生活の跡はくっきりと残っている。たたきに放置された靴の数は多く、やけに高い上がり框に敷かれたマットもまだよく掃除されているように見える。しかし、先ほど通された母屋から比べると、どことなく取り残されたような感のあることは確かだった。
「こちら、好きなように使っていただいて構いません。私も今日はこちらに泊まりますので、困ったことがあれば何でも言ってください」
「私のことは気にしなくてもいいよ。君は母屋の方に行ってきたらどうだい」
「ああ、いえ。そうか、言ってませんでしたね」
言うと、Dは電灯のスイッチを押して、
「私は電気が駄目なのです」
「電気が?」
「ええ。少しばかり、見ていてください」
一体何を見ていろというのか。その答えは思いのほかにすぐにわかる。
蛍光灯がちかちかと明滅を始めた。眩暈のするような光陰の瞬きに、思わず眉を寄せる。
「こういう状態なのです。一部のバッテリー系統のものは使用可能なのですが、しかし携帯電話も使用不能だったりとで、いまいち何が良くて何が悪いのかすら区別もつかない状態で……」
「難儀なものだね」
「ええ、全く。幸いストーブは使えるので、凍死はせずに済むのですが」
Dの指差したのは部屋の隅。コンセントを使わないタイプの石油ストーブだった。
「ご不便をおかけするかもしれませんが、こちらの離れで私も寝泊まりできれば、と」
「そういうことならもちろん」
構わんよ、と伝えると、Dは安心したように笑った。
「結局ね、オカルトとは何だと思う?」
「何、と言いますと?」
夜も更けるころ。
どこからか持ち出して来たらしい蝋燭の頼りない明かりの下で、私たちは話した。不安だからと居間に敷いた布団。無事入浴も済ませ、後は揺れる炎を吹き消せばいつでも眠れることができる。
「Dくんの以前、このしきたりに挑んだ……、と言うと大袈裟か? まあいい。そういう人たちが電気に嫌われるなんてことはなかった。そうだろう?」
「はあ。おそらくそうだとは思いますが。いちいちそんな影響が出るようでは大事ですからね」
「うむ、ということは、だ」
「ということは?」
「オカルトは人を選ぶ、ということだよ」
ほとんど影になってしまったDの表情は窺えない。外には街灯もなく、月の明かりも曇り空に隠れてしまっている。蝋燭の明かりを消してしまえば、自らの掌すらも見ることができないような闇が、この離れを囲んでいた。
「人を選ぶ、ですか。こんなものに選ばれたくはないのですが」
「そうかな、人によっては君を羨むこともあるかもしれない」
「羨む……。ああ、なるほど」
「理解が?」
「理解はできますが共感は出来かねますね」
「持つものの不理解だね」
「人にはそれぞれの悩みがある、というだけでしょう」
もっともだ、と頷いた。それが彼に伝わったかはわからない。
「ところで、もしや先輩はオカルトが意思を持つと考えているのですか?」
「うん?」
言われた言葉の意味を、考える。
「……面白い考えだな。しかし言葉通りに捉えてみればそうか。意思を持つ主体としてのオカルト、ねえ。いや、かえって素朴な考え方なのか」
「違うのですか」
「私が考えていたのは逆のことだよ」
「逆? ……それはどういう?」
「何、よくある話だよ。どこにでも転がっているような、ありきたりな考えさ。しかしね、」
ふい、と蝋燭を扇いだ。
あっ、とDが声を上げる。ほんのわずかな火の香りを残して、深すぎる暗闇に包まれる。ストーブの赤熱は内へと篭り、こちらへ光を寄越す気配はない。
「ここから先は明日のお楽しみとしよう。早く寝るといい。大学生だからと言って今のうちから生活態度を崩すと、のちのちロクなことにならないよ」
「……何ともまあ、気になる話の切り方を」
隣でも布団を被る気配がした。
話すのをやめてしまえば、しんと静寂が訪れる。どこかに眠る獣の呼吸まで、耳元に届くのではないかと思うくらいの。
「あ、そうだ」
「……なんです?」
半分ほどまどろんでいるような声が返ってくる。
「Dくん、君、原稿を提出していないだろう」
「原稿……?」
考え込んだのか、それとも本当に眠りに落ちてしまったのか、わからないような沈黙があって、
「あっ!」
布団を蹴り飛ばす音がした。
「忘れていました!」
「や、別に構わんよ。自由提出だし」
「いや、それでも一度出すと言った以上は……」
慌てる声に、ふむ、と頷いて。
「なら、Dくん。合作にしようじゃないか」
「え?」
「今回の話をね、ふたりで書くんだよ」
「それは、体験談、ということですか」
「まあね。前半を私が、後半を君が書く。どうだい? もちろんところどころに偽の情報を混ぜてわからんようにはするが」
「ええ、まあ、それは構いませんが」
歯切れ悪く、Dは言う。
「問題があるなら無理にやることはないが」
「いえ、問題はありません。ですが、体験談となると、この後次第ではまるでつまらないものが出来上がってしまうのでは……?」
なんだそんなことか、と答えた。
「それならそれでいいじゃないか。そのときはそのときで、別の話を書けばいいし。それにね、」
「それに?」
「オカルトに打ち勝つというのは、つまらなくする、ということだよ」




