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【目印】

【目印】




 扉を開けたら魔法陣。


 しばらく呆然としてしまった。何度確認しても現実で、途方に暮れてしまった。


 高校、郷土資料研究会室、という名のオカルト研究会室、という建前の放課後暇つぶしルーム。ガラスの窓に真っ赤な塗料で魔法陣が描かれていた。


 興味はあった。

 近付いて見た。


 アルファベットを気ままに変形させたような文字。円。五芒星。イメージの典型のような形状。


 手で扇ぎ嗅いだ。無臭。塗料の原料不明。指で触るのは気が引けた。手ごろな覆いを探しているうちに、唯一の後輩がやってきた。目が合う。無言で私は窓を指差した。後輩は大人しくそれに従った。


 何してるんですか、と言われた。

 何をふざけたことやらかしてるんですか、という口調で。


 ひどい後輩だと思った。

 しかしここで、私がやったんじゃない、と必死になって主張することも先輩らしい余裕に欠けたふるまいだと思ったので、思わせぶりにうふふ、と笑っておいた。冷たい目で見られた。


 これは事件よ、と私は言った。

 通報しろってことですか、と後輩は言った。こんな後輩でも、もしも私の隣の家に生まれていたりすれば、私をおねえちゃんと呼んでどこに行くにも後ろをついてまわってきたような可愛い時期があったに違いない、と私は思った。そう思うとこの世の素晴らしさに打ち震えるような気持ちになり、ついまたうふふ、と笑い声が漏れてしまった。無視された。


 後輩は私の隣に立った。

 これ落ちるんですか、と私に聞いた。

 知らないわ、と私は答えた。来たらこんな風になってたの、と付け加えた。


 ふうん、と後輩は頷いた。それなら職員室に伝えてきますね、と言った。待って、と私は彼の服の袖をつかんだ。やってからこれはとても可愛い仕草だ、と気付いた。ついでに上目遣いも加えてみたけれど、ただ睨み付けているのと表情の感覚が変わらなかったのですぐにやめておいた。


 これは事件よ、ともう一度私は言った。そうですね、とそっけない返事が来た。そのそっけなさと言ったら、思わず発話者の人格に対して疑問が生じてしまうほどだった。


 これは私たちに対する挑戦状だわ、と私は言った。は?と、はあ……?と後輩は言った。あまりにも冷たい対応に悲しくなった。本当はこの後輩は私のことを嫌いなんじゃないだろうか、と思った。でもよく考えてみれば、美人で優しい年上のお姉さんを好きならないわけがないと気付いたので、すぐに気持ちが安らいだ。


 優しく説明してあげた。

 これはね、私たちに対する宣戦布告なのよ。呪い殺してあげましてよ、という遠回しのメッセージなのよ。というかこの赤い塗料自体が毒で直接的に私たちを殺しに来てるのよ。


 はい、としか反応がなかった。後輩はすでに机の上に置いたウェットティッシュを使って、きゅうきゅうガラスを擦っていた。結構落ちますね、と言った。見ると、結構落ちていた。そのまま見続けていると全部落ちてしまった。


 終わってしまった。


 と思ったら次の日も魔法陣が描いてあった。

 おお……、と感動するような気持ちで見ていたら、遅れて来た後輩が、何なのこの人、という視線で見つめてきた。


 めんどくさいからこのままにしておきましょうか、と後輩は言った。

 それでいいのか、と思ったけれど、自分で掃除する気も起きなかったので、そうね、と頷いておいた。


 次の日、増えた。

 魔法陣が2個に。場所は窓ではなく、壁。


 これ落ちるのかな、と後輩が心配そうに言った。大丈夫よ、と特に確証はなかったけど頼れる先輩ぶってみたら、適当言わないでください、と怒られた。怒られたとは言っても烈火のごとくとかそういう激しい感じではなくて、素っ気ない感じで。まるで何も期待されていないような声色だった。そういう態度で接されると子供は歪んでしまうのよ、と教えてあげた。もう18歳でしょう、と言われた。まだ17歳のお姉さんよ、と返した。17歳のお姉さん。自分がこの世で一番美しい生き物に思えた。


 消さずにおいたら次々増えた。

 だけど、不思議。部屋を埋め尽くすように増えるのではなくて、部屋の外へ出て行くように増えていた。つまりヘンゼルとグレーテルが落としたパンくずみたいなもの。

 興味深く見ていたものの、すぐに夏休みに入ってしまった。夏休みは学校に行くこともなく、後輩に1日3回くらいメッセージを送っていたら終わってしまった。


 明けに登校すると、学校が騒ぎになっていた。

 どうしたの、とクラスメイトに聞くと、何やったの、と逆に尋ね返された。何のことかわからなくて首を傾げていると、とぼけてるな、という反応をされた。


 ちょっと見ればわかる話だった。

 廊下にあの魔法陣が走っている。


 あらまあ、と驚いて、聞き返された理由がわかった。暇つぶしルームに行くとすでに後輩、それから多数の先生。滅多に見ない教頭までいた。生徒指導兼私の代の学年主任が、それなりに険しい声で後輩に事情聴取している。入口から覗いていると、手持無沙汰が滲み出ている私の担任に気付かれる。


 これやった? と。

 面倒くさそうに聞かれて、私は素朴に首を横に振った。そうかそうか、と安堵したように担任は頷いた。


 私も事情聴取に加わって話はまとまった。誰かがこの部屋に悪戯をしてたのだろうという方向で。元々その部屋には鍵はかかっていなかった。誰でも出入りできたから、特別私たちだけが疑われる理由もなかった。そもそも自分たちが犯人だったら、わざわざこの部屋に辿り着くようなルートで描かない、ということも言った。自分で言っていて、ミステリの定番みたいな台詞だなと思った。担任が若干笑っていた。


 これ、どこに続いてるんですかね。

 気になっていたことを聞いた。先生たちは顔を見合わせるばかりで、誰も知らない様子だった。だから、じゃあ見に行ってみましょうか、と全員で魔法陣の跡を追ってみることにした。先頭は私で、そのすぐ後ろに後輩、距離を開けて先生たち。


 暇つぶしルームは3階にあった。当然のように魔法陣は階段を下りて行った。ちなみに階段では床に直描きされていたわけじゃなくて、壁に描かれていた。ふと気になって、階段の途中、足を止めて魔法陣の壁に向き合ってみる。片手を上げる。退く。次、後輩に立ってもらう。手を上げてもらう。何となく、魔法陣の位置から見て、犯人の背丈は高そうだと思う。後輩よりもひとまわりくらいは大きそう。となると候補もそれなりに絞れそうなものだけど。絞り切るには容疑者が多すぎる。


 1階。

 魔法陣は奥へと続いていく。中央階段から調理室や視聴覚室なんかの特別教室を抜けて、さらに奥の方。あまり使われていなそうな自販機がぽつり立つ。さらに奥。扉があり、外へと続いている。鍵がかかっていた。教頭が持っていたマスターキーで開けてもらう。


 こんな扉があるの知ってた? と後輩に聞いた。はい、と答えた。文化祭のときの搬入口に使ったらしい。私は知らなかった。


 先はやる気のない渡り廊下になっていた。やる気のない、というのはどこに辿り着くでもなく途切れていたからだ。魔法陣はすぐに左に曲がって続いていく。体育館のある方向だ。アスファルトの上にも魔法陣は描かれていて、やたらにその上にカラスが集まっていた。


 なんだかあまりにもあからさまな絵面だな、なんてことを考えていると、後輩が言う。変な臭いがしませんか?


 言われてみれば、と後ろにいる先生たちは鼻から積極的に空気を摂取し始める。私はわからなかった。休み明けで体調があまり良くなかったのもあると思う。


 何の臭いだろうな、なんて話を背中で聞きながら進む。誰もさすがに得体の知れない臭いを嗅ぐために地べたに顔を近付けたりはしたくないらしい。魔法陣はさらに奥へと進んでいく。体育館の側面をぐるりと回るように。


 体育館裏というのもそのとき初めて見た。コンクリート打ちっぱなしで、資材置き場のようになっていた。殺風景というか殺伐というか。手入れの間隔が開き気味なのか周りはやや雑草が伸びていて、知らずにここに連れて来られたら、ごく最近できた廃墟のようにも思えたかもしれない。


 ここは?と後輩に聞くと、合唱祭で、と頷かれた。去年はよほどやる気あるクラスに所属していたらしい。


 魔法陣はコンクリートの上も続く。そして、南京錠付の鉄扉に大きく描かれたのが最後。この中は?と聞くと、首を横に振られた。先生たちに目線を振っても、首を傾げるばかり。


 何の部屋かな、と呟いた。

 用具入れとかなんじゃないですか、と後輩が言った。私もそんな気がした。


 教頭がマスターキーを再び取り出す。南京錠をかちゃかちゃいじって、開錠。取っ手を握ると赤錆が手についたらしく、うわ、と声を上げて手を叩く。気を利かせた担任が横から入って、代わりにその扉を引いた。


 ものすごい異臭がした。


 うえ、と思わずハンカチで口を覆った。一番間近で嗅いでしまった担任は今にも吐き出してしまいそうなくらいに咳き込んでいる。


 赤黒い部屋だった。


 さっきまでの魔法陣のように規則正しいものじゃなかった。たとえば、塗料に浸したダンボールを乱暴に壁に叩きつけたような、そういう色の付き方をしていた。その部屋には日の光は上手く入り込まないようで、朝でも暗く、だけどその色が黒じゃなく赤だとはわかった。


 想像通り、用具入れだったんじゃないかと思う。

 木板とか、トタンとか、モップとか、そういうのが随分長いこと誰にも触れられたことのないような雰囲気で収納されていた。


 それから、バケツ。

 歪んだ形で、光沢を失った、ブリキのバケツ。


 並々と液体が注がれている。


 誰がやったのか、今でも知らない。




(文:冬の空)

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