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『ゴス川ロリ太郎』の場合

「おう」


 と扉が開いて中からゴスロリを着ていない人が出てきたので、部屋を間違えたかと思った。が、ばっしばしの睫毛を見てそれが目当ての三川であることに気付く。


「誰かと思った」

「だから部屋ではゴスロリ着てねえって」


 黒いタートルネックの男が扉を押さえて、その間に買い物袋を持った都築が中に入る。服についた寒気が部屋の空気に流れ込んで、「さっみ」と三川が零した。


「買ってきたのキッチン置くよ」


 返事を待たずにとす、と床に袋を置いて、都築は勝手に部屋の中に入って、勝手にこたつに入って、勝手にテレビを点けて、勝手にくつろぎ始めた。天板の上にはすでにたこ焼き器が設置されている。


 おー、とテンポ遅く玄関の方から返答があって、しかし「まだいいか」と続けて部屋に入ってくる。


「あれ、すぐ食べないの?」

「まだ6時前だしいいだろ。どうせ今日徹夜だし」

「あんまり早く食べてもお腹空くか」


 そんならそれで、と応えながら都築はテレビをザッピングして、映画チャンネル契約してないの?と聞き、してねえ、と返事がある。早くして、と追撃すると、やなこった、と拒絶が待つ。


 ん、と三川が手のひらを差し出すと、はい、と都築がチャンネルを手渡す。テレビの入力を切り替えて、こたつから身体を出さずに腕を伸ばしてぽち、とテレビ下のゲーム機の電源を入れると、すぐに画面に動画が表示され始める。


「そういえば聞いてなかったけど、今日何やって時間潰すつもりなの?」

「怪奇系アクションゲーム」

「馬鹿なの?」


 食い気味で都築は言った。


「なんで『夜中起きるといっつもベランダに誰かいる気がする』って理由で人を呼び出しておいてホラーゲーム始めようとするんだよ」

「仕方ないだろやりたいんだから! ひとりでこんなゲームできるか!」

「こ、こいつ開き直った……」


 かちゃかちゃとコントローラーをいじって『NEW GAME』を選択する。部屋のゴミ箱にはビニールフィルムが捨てられている。キャラメイクが始まるのを横目に都築は立ち上がり、たこ焼きの準備を始めた。




「は? バグ?」

「仕様だろ」

「クソゲー!」


 ぽーい、と都築がこたつ布団の上にコントローラーを放り出したのが、だいたい深夜0時を過ぎるころだった。

 天板の上の金属ボウルはすっかり空になっていて、たこ焼き器も油のてかりを残すばかり。ペットボトルのお茶も半分以上がなくなっている。


「もー疲れた。なんなのこのゲーム無理なんだけど。なんでPCより強いボスが3体同時にかかってくるわけ?」

「それが売りのゲームなんだから仕方ないだろ」

「ていうか何で俺がやってんのこれ」

「俺はアクションが苦手なんだ」


 言って、三川は棄てられたコントローラーを拾ってコンティニューを始める。ボス部屋に辿り着くまでの道のりをダッシュしている途中でモブエネミーの攻撃が掠り、足が止まり、群がられ、死んだ。赤字の死亡告知がでーん、と重厚なサウンドエフェクトとともに現れる。三川もコントローラーを投げた。


 天井の電気を見ている。ゲームの音に紛れて小さな時計の針の音が、確かな存在感を持って鼓膜に触れる。


 ふと気になって、都築は腕を伸ばしてカーテンを引いた。


「うわっ!」

「え」

「せめて予告してからやれよ! ビビるだろ!」

「申し訳」


 窓は暖房による内外の温度差か、重度の結露でほとんど外が見えなくなっている。机の上のティッシュを抜いて、軽く雫を拭き取った。


 冷たげな夜の闇だけが広がっている。


「いないじゃん」

「そりゃお前、いたらこんな悠長にゲームしてる場合じゃねえだろ」

「ロリ太郎は何を根拠に誰かいる気がするとか言ってたわけ?」

「気配」

「忍者か」

「ゴスロリ忍者」

「Z級」


 カーテンを戻す。濡れたティッシュをゴミ箱に捨てようとすると、「それはこっち」と三川がたこ焼きのゴミ入れに使っていたレジ袋を持ってよこす。几帳面、と零すと、お前らが雑なだけだ、と返され、思わず都築は頷いてしまった。


「ゲーム飽きた」

「んー」

「アイス食べたい」

「おー」

「ないの?」

「あっかも」


 20秒くらいの沈黙の果てに、都築がどっこら、と立ち上がった。勝手知ったる様子でキッチンに向かい、冷凍庫を開く。


「ない」


 返事もない。


「ないんですけど」


 もう一度呼びかけるが、返事はない。無視すんなや、と部屋に戻る。


 三川が若干寝ている。

 こたつ布団越しに踏んだ。


「ぐえ」

「何寝とんじゃい」

「吸血鬼だから夜しか眠れない」

「夜は起きろや」

「昼は家から出ないから」

「ただの働かない人か」


 都築はぐにぐにと足の裏で三川の脇腹のあたりを圧迫しながら、三川はうべー、と未確認ゆるきゃらのような声を上げながら、


「で、ないんですけど」

「夢と希望?」

「愛と勇気の物語」

「悲しいなあ」

「愛はコンビニで買える。行くぞ」

「これが愛っす。温めてください、レンジでチン」

「溶けて消えるところまで愛にそっくり」


 ぐらぐら三川の身体を揺らしながら都築は催促するが、三川はもぞりとこたつに深く潜ってしまう。もはや髪の毛しか覗いていない。


「やだよ絶対外寒いし、着替えるのめんどくせえし」

「そのままコート着て行けばいいじゃん」

「俺は常に最高の自分を外界に見せていきたい。ゴスロリを着ずに外に出る気はない」

「就活でも?」

「TPO考えろや」


 げしっと蹴ったらぐえっと鈍い声が出た。はあ、と都築は溜息をついて、


「じゃあ俺行ってくるわ。買ってきてほしいもの、」

「は?」


 突如こたつの中から腕が伸びてきて都築の足首をつかんだ。


「いやお前それは本末転倒だろ」

「何が本?」

「お前は俺を守るナイトなんだよ。今夜だけ。ナイトだけに」

「寒いギャグの解説は甘え」

「お前が俺をここに置いていったとしよう。確実に俺は失禁する、いいのか?」

「今まではどうしてたんだよ」

「そりゃもう毎晩失禁していた。文句あるか?」

「文句はないけどもう少し自分を大切にしながら発言した方がいいと思う」

「お前に言われたくねえ」


 しゃーねえ、と三川は億劫げに腰を上げ、


「行くかあ。着替えるから外出ててくれ」

「なんで」

「恥ずかしいだろうが。まさかお前……発情期か?」

「うっ、性的な話題になるとつい鳥肌が」


 じゃあ着替え終わったら言ってよ、と都築は部屋の外に出る。キッチン前の廊下でしばらく壁に寄りかかって立っていたが、やがて所在なさげに玄関に座り込み、それからじっとたたきの一点を見つめ始めた。


「うお」


 5分くらいして部屋の扉が開き、声を背中に都築が振り向く。


「こえーな、電気くらい点けろよ」


 ぱち、と三川が手元のあたりを探ってスイッチを押すと、電灯に照らされてふたりの姿が見える。片や玄関前で膝を抱えて座り込む男。片や全身黒でフリルの多いスカート服を自然に着こなした男。後者がポーズを決めて、


「カッコイイだろ」

「カッコイイけど、顔はすっぴんでいいの?」

「別にいいやコンビニだし」

「ロリ太郎のそういう一貫性のないところがダメだってこの間言ってたよ」

「誰がだよ」

「通りすがりの……」

「の?」

「通り雨」

「シャーマンか」


 素材から美形だからいいんだよ、左手の内で鍵をちゃりちゃりと鳴らしながら、右手は靴箱へ。都築は踵の緩い靴に苦もなく足を滑り込ませて、内鍵を回して扉を開く。先にエレベーターの▼印を押していた。


 三川が鍵を閉めると同時にエレベーターの扉が開く。乗り込んでエレベーター内の姿見壁に映った自分を見て、三川が言った。


「あ、コート着てきてねえ」

「寒いよ」

「いやでもまだ11月だし案外いけるかもしれない」


 エレベーターが1階について、オートロックの自動ドアを抜けた瞬間、「やっぱ無理」とだけ言い残して三川がマンションの中に戻っていった。


 ポケットに手を入れて、マフラーに顎まで埋めて都築は三川がコートを着てくるのを待つ。外はさすがに日付も変わって人通りはほぼない。が、街灯は多く、夜明け前のような雰囲気も漂う。霜が降り始め、髪も濡れるように冷たくなった。立ちっぱなしで待つのはつらく、玄関前をうろうろのろのろステップしながら都築は待つ。


 ふと顔を上げた。マフラーが抜けて、吐息が白く上る。

 真っ暗なベランダを見ている。


 がーっ、と自動ドアが開いた。


「悪い悪い。お待たせ」

「待ったぞよ」

「何か見てたか?」

「あ、うん」


 都築は上の方を指差して、


「ロリ太郎の部屋ってあれ?」

「ん? 1、2、3、4……、でマンションが入ってこうだから……、そうだな」

「ベランダに誰かいたらウケるなって」

「ウケねえよ。わんわん泣くぞ」

「お手」


 わん、と差し伸べられた手に三川が手を置く。そして何事もなかったように歩き出した。

 都築はポケットに手を入れたまま。三川はついでに手袋もつけてきたらしく、普通に歩きながら。


 妙に明るい夜を歩く。横断歩道の前で立ち止まると、赤信号が地獄の門のように輝いて、自動車が友達のような顔で通り過ぎていく。駅の方から、人の声が聞こえた。


「ところでロリ太郎、全身黒いと夜危なくない? 轢かれるよ」


 言われて、三川は自分の服装をまじまじ見て、


「確かに。たすきつけるか。あの小学生とかがつける蛍光のやつ」

「絶対カッコイイじゃんそれ」

「サイバー未来アドベンチャーだな」


 信号が青に変わって、冗談みたいに爽やかな未来色の光を放つ。再び歩き出す。


 コンビニから漏れる、虫も寄せない無温の光。自動ドアをくぐって、迷いなくアイスクリームのコーナーの前に。


「おすすめは?」


 三川が聞いた。都築は考えるでもなくすぐに指さして、


「これとこれ。あとこれ」

「ほー」

「が、面白い」

「おい」


 「好きに選べ、それが人生だ」と言い残して都築はすぐにアイスを手に取ってコーナーを後にしてしまう。取ったのはついさっき面白いと指さしたうちのひとつだった。


 次に向かったのは紙パックジュースのコーナーで、棚の前で屈んでじっと見つめる。遅れて追いついた三川の手には、別の面白いアイス。


「飲み物?」

「これと、これ」


 手に取って、


「は、まだ飲んだことない。どっちがいい?」

「2択か。……こっち」

「よかろう」


 それだけ持って、レジを通って、コンビニの外へ。さみー、と零した三川はどこか余裕ありげで、一方都築は無言で歯を鳴らしている。


 帰り道も同じ道だ。今度の横断歩道は止まらずに渡れた。


 時刻は深夜1時も近く、星のない夜空にべったりと月が浮かび上がっている。三川の持つレジ袋のかすれる音が、響かず落ちる。遠くの電気の点いた古本屋の前で、30代くらいだろうか。カップルが歩いているのが見える。赤っぽいぼやけた明かりの下、公衆電話がひとり、じっと誰かを待ちぼうけている。


 マンションの前で、都築が首を傾けて上を見た。つられて三川も。


 誰もいない。


 ふっ、と堪えるでもなく三川は笑い、オートロックを開ける。▲ボタンを押したエレベーターを待ちながら、


「やっぱり、」


 とだけ口を開いて、思ったよりもロビーに声が響いたのでその先は黙る。ぴん、と控えめな音がしてエレベーターの扉が開いた。昇る白い箱の中で、もう一度三川が言った。


「やっぱり、気のせいかもな」


 うん、と都築は横で、多く語ることなく頷いた。


 再びエレベーターが開いて、三川が部屋の鍵を開けると、都築はすぐに扉をすり抜けて靴を脱ぎ、部屋の中へと入って行く。こたつに直行だ。足をすぐさま突っ込んで、しかし微妙な顔になってこたつの中を手探る。


「電源切ってんじゃん」

「そりゃ切るだろ。火事になるし」

「ごもっとも」


 探り当てて、ぱち、とスイッチを入れる。暖房は点けっぱなしで、部屋はすでに暖かい。三川はレジ袋をこたつの上に置いて座ろうとして、あ、と一言、


「この服じゃ入れねえわ。着替える」

「どーぞー」


 腕までこたつに突っ込む都築の背中を、三川が足の裏で押した。


「外に出るんだよ」

「えー」

「すぐ着替えっから」

「うーん」


 しゃーない、とのそのそ都築は腰を上げて部屋を出ようとして、しかしふと何かに気付いたように踵を返す。


 窓辺に向かう。

 カーテンを開けた。

 うお、と三川が声を上げる。


 誰もいない。


 三川が軽く都築の頬を引っ張った。


「お前なあ、」

「ロリ太郎さ、さっき電気消して出た?」

「ん?」


 言われて、三川は思い出そうとして、


「……おい」


 顔色を悪くして、


「あと煙草吸うっけ」


 三川は都築の視線の先を追った。


 吸殻が落ちている。


「……………………都築くん」

「はい」

「永遠に一緒にいよう」

「うっ、鳥肌が」


 燃えたら危ないし、念のためもう一度踏んでおこう、と窓を開けてベランダに出ようとする都築。

 慌てて止める三川。

 玄関先に置きっぱなしの部屋の鍵。

 こたつの上で熱を帯び始めるアイスクリーム。


 夜は長い。

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