【花忘れ瞼下ろせば屍すらも消え】
【花忘れ瞼下ろせば屍すらも消え】
天へと続く牢門は固く閉ざされている。
爪の剥がれるほどに切望した自由も、涙の乾くころには牢門の表面に小さな傷のみを残して消え去った。
冷たい牢屋、ひとり水の声を聴く。黴すら生えぬ金属床。夜露だけが音もなく私の隣に座り込む。天の門を背に立つ。鉄枠の小窓から外を覗く。
果てなき荒野。あてどなく視線を巡らす。遠く目を細めれば、風に何かが揺れている。
私はそれを花だと思う。
そうでないなら、世に救いなどないだろう。
夢と現実の区分に関する議論は数多くあるが、確信に至るには足りなかった。
物心ついてより常に同じあの夢(以下、今現在文章を書く私の意識の所在についてに『この現実』という語を仮に当てはめ、それに対する所在について『あの夢』という語を使用する)を見ている。というより、最古の記憶があの夢であり、もしも意識の連続性によって現実/夢を区別するのなら、始まりの視点が夢である以上、あちらこそが現実であると言える。
しかし私は未だにその夢/現実の区別についてすることができていない。というのも情報量について、この現実の方が多量であるからだ。
書物・音楽・風景・他者。あらゆる点においてこの現実の方があの夢より情報に富んでいる。
あの夢について。
我が始まりの記憶。独り、房に佇む。固く閉ざされた扉。明けぬ夜。その他に何があるか。不明。ただし、私は直感する。扉の向こうに天の国がある。渇望する。されど願いの行く果てを知らず。
時間的連続性・空間的連続性、両を有し、意識は明瞭。記憶は継続。
一方、この現実について。
我が第二の記憶。広大な世界。されど、我が目にて実見可能の範囲はさしたるものではなく。昼と夜。私以外の存在者。私の知らぬ、学習可能な知識の集積。直感はない。何もない。世界の秘密、世の答え、直感するところは何もなく、漠とした生命活動が淡々と継続する。
時間的連続性・空間的連続性、両を有し、意識は明瞭。記憶は継続。
同じ夢ばかりを見る。それがあの夢。
それとも、違う夢ばかりをこの現実で見ているのか。
知ること能わず。
眠り、独り房に佇む。夢か現か?
眠り、群れのなかでひとり歩く。夢か現か?
ここが夢であるとするなら、これを読む貴方は何者か?
って感じでおーわりっと思ってそーらよって会長に投げようと思ったんだけど、なんかちょっと短くねーっすかって感じがどっどわーって感じで上ってきたからしゃーないもーちょい書くかーって感じっす。すっすっす。
でもずぶのとーしろ藤四郎の文章とか誰が読みたいんすかーって考えるとちぱぱーって感じでいいかっていうか話すこともないんで。じっさいもじとかかんじとかむずかしいことばつかってもぜんぜんうまくもないならただただよむのがくつーでしかないしはやくおわってやとかおもわないっすか。きょうかしょよんでるときとかよくおもいますます
まー私が何を言いたいかっつーと、これ夢? 現実? とかそういうことなんすけど。昔っからおんなじ夢ばっか見てるからこれが現実っすー!みたいな確信が持てませーんって話なんすけど。何ならこれ書いてる間もどうせ夢だしどーでもいっかーみたいな気分がひしひしと来てるんすけど。
この冊子でどんなペンネーム使ってるかわからんから固有名詞挙げんのはちょっと無理なんすけど、同期によく「超越的存在」とか「神」とかそういうワードを使う子がいて、やっばいなーと思ってたんだけど最近は結構わかってきたみたいなところがあって。
外国ってあると思う?
いやあるだろって思うかもしんないけど、ないかもって思ったこと一回くらいない? 他にはほら、私以外全部偽物人間じゃねー?みたいな。あるっしょ、あるよね? なくてもいいんすけど。でもそんな感じの映画とかあるし、割と誰でも思うような話なんじゃないかなーって思うんだけど。
たださー、結局夢か現実かわっかんねーってのはそういう話なんだよね。現実で「外国とか歴史とかそーゆーの全部存在しないから!」とか言ってる人っていないじゃん(たぶんいる)? それってやっぱそーゆーこと言ってると何か色々問題あるからなんだけどさ。じゃーたとえばこれ読んでる人、昨日見た夢、外国とか他者とかあったと思う? どう?
世界の保証ってさ、自分でするものじゃないんだよね。あーなんか変な言葉になっちゃった。
まーつまりさ、自分がいて、自分の知らないところとか確かめらんないところにまで世界が広がってるわけじゃん。でさー、そういう自分の知らないの、そういうのってやっぱ自分じゃ本当かどうかわっかんないわけじゃん。だけどそゆの信じてるわけじゃん。
それってさ、自分と関係ないとこに世界があるって感じなんだよね。たぶん。自分があって世界があるんじゃなくて、世界があって自分があるみたいな?
でもさー、どれが夢で現実かとかわっかんないからさー。そーゆーのの意味?役割?みたいなのがわかるってーかさー。やっぱ世界とか信じるとか、そーゆーのって生きてる(ってか存在してる?)ときに使う道具なんだなーって思うわけっすよ。
全部夢だったらとかそーゆーの以前にさ、現実とかそーゆーのもなくてなーんも自分もなかったらって、そーゆーの真面目に考えると泣いちゃうよね。
そーゆー話っす。なんか長くなっちゃった。ごめんね。読んでくれてありがとう。終わりです。
(文:丘)




