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『響』の場合

 ピポン、と机の上の携帯が鳴って、都築は顔を上げた。


 その両手はノートパソコンのキーボードの上に置かれていた。けれど画面は真っ黒になっていて、タッチパッドに手のひらが触れてパッと明るくなった。


「ヤバ、寝てた……」


 くぁ、と机に肘をついてひとつあくび。それから首を前に倒してうーん、と背中を伸ばす。伏せた顔、横目で見た窓の外はもう暗い。暖房の息が充満した部屋。すん、と乾いた鼻を鳴らす。パソコン画面からの光だけが、都築の顔をアンバランスに照らしていた。


 肩をほぐすように首を左右に傾けながら、で、なんだっけ、と都築は考える。緑のランプが光っている。携帯を手に取った。

 メッセージが届いている。


『18:12 嚥下機能破滅丸:ふざけるなよ

 18:12 嚥下機能破滅丸:嘘です

 18:12 嚥下機能破滅丸:ゆるして

 18:13 嚥下機能破滅丸:すみませんでした……』


「…………?」


 不可解そうな顔で都築はメッセージを見ている。見ながら、瞼を二、三度ぱちぱち瞬いたあと、席を立った。

 入口傍、電灯のスイッチに手を伸ばす。


 ぱち、と電気が点いて、ぎい、と戸が開いて、べし、と当たって、ふぐ、と都築が呻いた。


「うお、すまん!」


 涙目で鼻を押さえる都築。扉を開けたのは茅本だった。


「茅本は何か俺の顔に恨みでもあるわけ?」

「いやすまん。別にお前の顔には何ら一切これっぽっちも執着心はないんだが、間が悪くて……」

「そこまで言う必要ある?」


 これでも気に入ってるんだぞ、と鼻をさする都築に、茅本はすまんすまん、と謝る。


「俺もうそろそろ帰るけど、茅本部室使うの?」

「いや、帰るならちょうどよかった。お前を迎えに来たんだ」


 都築は首を傾げる。


「何か約束してたっけ?」

「いや」


 茅本は首を振る。


「見舞いに行くぞ」




 オートロックの玄関さえ抜けてしまえば部屋の鍵は開いていた。

 こいつのプライベートスペースどうなってんねん、と都築は扉を抑えながら思う。たたきにはやたらに靴が散乱していて、茅本が買い物袋を片手に四苦八苦していた。


「うわ」


 玄関を抜けると、今度は短い廊下に大量のペットボトルが転がっている。潰されていたりいなかったり、ラベルは剥がされていて何が入っていたのかはわからない。


「茅本の部屋じゃん」

「私の部屋だ……」

「お前の部屋ではない」


 ペットボトルをガラガラ足でどかしながら歩く。キッチン周りにはわずかながらペットボトルが置かれていない足場があり、シンクの横には透明な液体の注がれたコップだけが置いてある。


 扉を開けた。


「生きてるかー?」


 すっきりした部屋だった。大きなものはテーブル、本棚、テレビ、それくらい。エアコンが点けっぱなしになっていて季節感も薄い。家具屋のカタログ通りに揃えたセットから、いらないものの引き算だけをしたような部屋だった。

 ただし、まとめられていないコピー用紙が散乱していたり、カバーの取れた書籍が床に直置きされていたり、ドライヤーがテーブルの上に出しっぱなしになっていたり、片付いている、とは言い難い様子だった。


 返事はない。


 が、ベッドの上には人ひとり分の布団のふくらみがある。


「死んだか」


 茅本が言った。


「世界が平和になったな」


 都築が言った。


「……君たちは僕にとどめを刺しにきたのかな?」


 布団が喋った。

 ふたりは顔を見合わせた。


「やっぱり生きてるじゃないか。北里、飯は食うか?」

「いらない。無理。水すら飲めない。吐く。口に入れた瞬間」


 バン、と大きくベッドが揺れた。


「僕が何をしたんだ。生物ぜんぶ死ね」


 頼む死んでくれ~、と布団が情けない声で呪詛を吐いた。茅本はそれを呆れた顔で見ていて、都築はその横で頷いた。


「よし、元気そうだな! 帰るか!」

「待って」

「なぜ」

「さびしい」

「そうですか」

「北里、キッチン借りるぞ」


 ぐうううー、と盛大に腹を鳴らしながら茅本が勝手にキッチンの方へ引っ込んでいった。レジ袋をがさがさ言わせながら。都築は勝手に床に座り込み、勝手にテレビのリモコンを取って、勝手に点けて、回して、消した。勝手に本棚の本を抜き出して読み始めた。


「君たちは」

「はい」

「遠慮とかそういう言葉を習わなかったのかな?」

「それお前にだけは言われたくないんだけど」

「僕はこの世で一番遠慮深いよ。超人だからね」

「人を3時間待たせておいて結局待ち合わせに来なかっ太郎」

「それは謝っただろ?」

「は?」

「僕の中ではそういうことになってる」


 あ、そうっすか、と都築は本を閉じて、キッチンの方を覗き込む。


「茅本、何か手伝う?」

「いやいい。ふたりは狭い」


 そうっすか、と手持無沙汰気味の都築は、キッチンのレジ袋から紙皿と紙コップだけを引き抜いて、気も早くテーブルの上に並べ始めた。


「あ、鍋だけ出しておいてくれ」

「おっけー」

「待って」


 動き出す都築を、布団が止めた。


「まさか君たちは鍋を始めるつもりなのかな?」

「そうだけど」

「家主である僕が水を口に含んだだけで嘔吐くほど風邪で弱ってるっていうのに?」

「うん」

「おかしいだろ!」


 布団ががばりとめくれ上がって、中から爽やかそうな容姿の青年、北里が出てきた。かすれた大声を出したあと、げーっほげほげほと咳き込む。


「なん……、げほっ、だいたい、きみらは、常識ってものが、っげ、まったく」


 指差して苦し気にまくしたてる北里を都築はぼへーっと見ながら、どうして常識のない人に限って常識にこだわるんだろう、というようなことを考えていた。何の気なしにその指をつかんでひゅいーっと横に曲げると同じ方向に北里の身体も転がり、ベッドが揺れた。


 キッチンから何事か、と顔を出した茅本は、転げた北里とその指を握る都築を見て、楽しそうだな、と一言、また奥に引っ込んだ。


「……ちなみに何鍋?」

「チゲ鍋」

「やっぱり君たち僕にトドメを刺しにきたんだろ!! 胃がただれるよ!!」

「いやでもスーパーに売ってたよくわからない香辛料片っ端から突っ込むことにしたからどれかひとつくらいは風邪に対する薬効があるかもしれない」

「なんで人が弱ってるときに漢方実験始めるんだよ!!」

「甘えるなよ。俺たちだってつらいんだ」

「じゃあやるなよ!」


 額に前髪が貼りつき、ぜえぜえ息切れする北里の前で、都築は俯き考え込み、


「確かに、なんで俺たちはこんなことを……?」


 と真剣なトーンで呟いた。


 なぜ……? ともう一度呟き、膝の上に視線を落とし、床に、押し入れに、開き、中からカセットコンロを取り出し、セッティングを始めた。

 無言になった。


「やりたい放題か君は!!」

「うん」


 もはや顔を上げることもなかった。北里がぎゃーぎゃー言うのをBGMに、都築はセッティングを続ける。


「ボンベってこんな感じでいいんだっけ」

「さあね」


 ふい、とよそを向く北里。都築は、なんかちゃんとハマってないような、と首を傾げながら、


「まあいっか。最悪死ぬだけだし」

「いいわけないだろ!!」


 貸せ、と一言、北里がベッドから下りてきてセッティングを始める。都築は両手を上げて脇に避ける。鍋を持った茅本が入ってくる。


 鍋が始まった。




「うう……っ、恋人がほしい……。ひとりで死にたくない……」

「なんでこいつは一滴も飲んでないのにできあがってるの?」

「さあ……? 熱に浮かされてるんじゃないか……?」


 二時間後。

 ほとんど平らげられた鍋の中身。突っ伏して泣く北里。都築のノートパソコンでホラーゲームをする茅本。寝そべって天井を眺めている都築。


「ひとりは寂しい……。ひとりはつらい……」

「都築、これ次は何をすればいいんだ」

「えー? なんだっけ。このゲーム誘導少ないからわかりづらいんだよね」

「どこの鍵なんだこれは」

「天国は個室。地獄も個室。人はみなひとりで死ぬ、死にたくない」

「あ、思い出した。それエントランスに戻るんだよ」

「さんきゅー」

「聞いてくれよ!!」


 バン、と北里がテーブルを叩いて、カラカラ、と高い音を立てて箸が転がり、都築がそれをとっさにキャッチした。


「僕の見舞いに来たんなら僕の話を聞いてくれよ!!」

「北里のカウンセリングしてると夜が明ける」

「明かせばいいだろ! 大学生なんだから!」


 はいはい、と言いながら起き上がって箸を置いた都築は、そのままパソコンの画面を覗き込むように茅本の隣、北里の対面に座り直した。北里が無言で茅本の空いてる側に回り込んで座った。茅本は微妙な顔をして、


「狭い」

「部屋が?」

「心が?」

「まあ、なんでもいいが」


 ぐう、と茅本は腹を押さえて、


「腹が減ったな」

「えぇ……」

「最近食べてる途中で腹が減ってくるんだが、どういうことなんだこれは」

「いや知らないけど……」


 北里がやや困惑気味に応えていると、あ、と都築が声を上げ、


「そういやロリ太郎どうしたんだろ」


 と言いながら携帯を取り出す。それからメッセージを確認して、


「お、こっち来れるってさ。なんか買ってきてほしいものあるかって」

「締めのラーメン」

「ロリ太郎これから来て締めのラーメンだけ食べさせられるのか……」

「なかったら?」

「任せる」

「オッケー、チョコチップクッキー」

「北里、そこの馬鹿を止めろ」


 北里が動いたときには時すでに遅く、都築のメッセージは電波に乗っていた。仕方ないので北里は枕元の携帯を取って、『都築の言うことは真に受けるな』というメッセージを送る。すぐに『それはどうかな』という返信が来た。


 都築が言う。


「本当にチョコチップクッキーが来たらどうする?」

「君、ほんとにさあ……」


 北里が呆れ、茅本が答える。


「食うだろ」

「鍋に投入して?」

「いやそのひと手間をはおおおう」


 途中で驚きの声に変わる。茅本が黙々と続けていたホラーゲームが進展した。人を恐怖される以外の目的なくこの世に生み出されたグラフィックが操作キャラを高速で無駄な動きをしながら追いかけてくる。


「まてまてまてまてどっちだ」

「それ時間経過じゃないぞー」

「早い早いはやい死ぬ死ぬ死ぬ」

「人は死ぬ」

「無常だね」

「あっ」


 死んだ。操作キャラクターが。

 茅本は呆然とスタート画面を見ていた。北里はへえー、とそれを興味深げに見ている。都築が立ち上がり、


「トイレ借りるわ」

「ダメ」

「そうか、掃除頑張れよ」


 北里は言葉の意味を少し考え、


「えっ、なんで今ノータイムで垂れ流す選択が浮かんだの」

「合理的な人間だから」


 借りるわ、ともう一度言って、都築は廊下に出る。


 用を済ませて洗面所で手を洗う。ポケットから自前のハンカチを取り出して、指の間の水分を拭き取りながら顔を上げると、そこに鏡はない。


 代わりに、鏡越しの北里を収めた写真が貼ってある。


 都築は見慣れたそれを一瞥したあと、部屋に戻っていく。


「いやこれ無理でしょ、病人にやらせないでよ」

「完全にやる気をなくした」


 すると茅本が床に寝そべっていて、代わりに北里がパソコンに向き合っている。ふたりの間、適当なところに都築は腰を下ろす。


「ていうか都築がやってよこれ。一回クリアしたんでしょ」

「そこなんか一発でいっちゃったから攻略法とか知らないんだよね」

「自慢?」

「人生は自慢の連続」

「健全人間」


 北里がエンターキーを押した。柱に引っかかって即死した。才能がない、と都築が言い、うるさい、と答えた。


「そういえば北里って病人じゃなかったっけ」

「そうだよ!」


 半分キレながら北里が言った。


「寝たら?」

「いやだ!」

「なんで?」

「寂しい!」

「そうですか」


 また死んだ。都築はぼへっと見ていた。北里はふと不審げに顎に手を当て、考え込んだ。


「そもそもなんで君たちは病人と同じ鍋をつついているんだ……?」


 言われて、都築は寝そべっている茅本の顔を見て、ちょうど茅本も都築を見ていて、ふたり目が合って、頷いて、


「たしかに」


 と声を合わせた。


「まあでもいいんじゃない。これで残り3人風邪引いたらそれはそれでウケるし」

「ははは」

「君たちはほんとにテキトーだな……」

「お前にだけは言われたくないんだけど」

「だからそれは謝っただろ!」

「謝っても反省してないんじゃ何の意味もないんだけど」

「都築、そういうときはな」


 茅本が天井を見ながら言った。


「こいつの集合時間を3時間早く教えておくといい。1時間くらい待てば来る」

「あー」

「あっ、茅本それやめてよね! 毎回焦るんだから!」

「毎回焦るなよ」


 都築と茅本からのクロスファイアが発生しそうになった瞬間に、ぴんぽん、とインターフォンが鳴ったので、北里は迷わず立ち上がった。放置されたキャラクターがまた死んだ。


「はーい」


 とだけ声を上げてぽち、とボタンを押す。ロリ太郎?と都築が聞くと、北里は、うん、と答え、ラーメン?と茅本が聞くと、それは知らない、と答えた。




 窓の外で夜の更けていく気配がする。


 冬の香りが近付いてくる。



 どんなに今が幸せでも、時間が止まることは、決してなかった。

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