その2
その2
「まいど~」
頭を下げるおばちゃんに見送られ、茶屋を後にする源之助と少女。預けていた短刀を改めて腰に差し、二人並んで歩き出す。
「あ、申し遅れました。わたくし、この先の蜻蛉ヶ崎の生まれで、香織と申します」
そう言って、にっこり笑う香織。
「香織……か。俺は根無し草の旅人、久城源之助だ」
「久城……源之助様ですか。でも本当に助かりました。あのままでしたら私、この大事な刀を取られてしまうところでした」
そう言って、手にしている袋包みをグッと抱きしめる。
「よくわからんが、そんなに大事なのか? その刀は」
興味があるのか無いのか、頬をポリポリと掻きながら尋ねる源之助。それに対し、香織は力強く頷いた。
「はい。これは『霊刀白刃丸』 といって、この世に蔓延る(はびこる)悪霊を斬るために作られた、伝説の霊刀なんです」
「霊刀? 悪霊?」
ほえ? と、目を丸くする源之助。
「余所からいらした源之助様に理解できる話かどうかわかりませんが……実はわたくしたちの街はいま、人外の者――いわゆる『悪霊』に支配されて、大変なことになっているのです」
そう言って、街の惨状を語り出す。
「蜻蛉ヶ崎は、約二〇〇年以上も続く浅野家の城下町……以前は人柄の良い領主様の元、それなりに繁栄した平和で穏やかな街だったのですが、一年程前に領主様が亡くなり、ご子息の由辰様が後を継がれてからというもの、どういうわけか街の中を『悪霊』が徘徊するようになってしまいまして……」
そう言って、寂しそうな表情を見せる。
「悪霊のせいで街はすっかり活気を失い、いまでは死人の国のような静けさです。集まってくるのは先ほどのような、暴力を糧とするヤクザ者ばかり……わたくしはどうしても以前のような活気のある街に戻ってほしくて、いろいろと調べて回っているのです」
「ふーん、悪霊ねえ……」
興味があるのかないのか、ブラブラ歩きながら話を聞く源之助。
「それで悪霊を退治するために、そいつ(霊刀)を手に入れたというわけか」
「はい」
「それにしても、そんな刀で本当に悪霊なんか退治できるのか??」
そう言いながら、胡散臭そうな目でジロジロと袋包みを見つめる源之助。そんな源之助に苦笑いを浮かべながら、香織は包みを解いて刀の半身をあらわにさせた。
「一説によれば、悪霊を退治できるのは、同じ悪霊だけだと言われています。人間は、その体に触れることすらできません。……ですが、この世には霊力を宿す不思議な武具が存在していて、その武具の力を借りれば、人間でも悪霊を退治することができるのだそうです」
「……」
「この霊刀白刃丸もそのひとつ――。その特徴は、大太刀を遙かに超える長刀であること。そして千年もの昔から霊力を湛えている、金色の鈴がついていること――」
ほう……? と、源之助が改めて香織の抱えている長刀を見つめた。確かに鍔の先には鈴がついているが、見た感じ金色とはほど遠い色をしている。
「……どう見ても黒ずんでるんだけど」
「千年も前に作られた鈴ですから。変色しててもおかしくはありません」
「ふ~ん。そういうものかね……」
きっぱり言い切る香織に、ふむ、と鼻を鳴らす源之助。
「あ、そういえば、源之助様の腰の物にも可愛い鈴がついていましたね」
そう言いながら、香織が源之助の腰帯を覗き込んだ。さっき源之助が投げて寄こした時に見たのだろう。腰の短刀を興味深そうに見つめている。
「ああ、これか」
そう言って腰帯に差してある短刀を掴むと、源之助は鞘ごと抜いて目の前に掲げて見せた。柄の部分を親指で押し上げ、カチャリ、と少しだけ刀身を露わにさせる。
すると源之助、なにを思ったか、とつぜん剥き出しになった刃の上を、指でつつつ……と、なぞり始めた。少しだけ指を滑らせたあと、指の腹を香織に見せる。しかし指は切れるどころか、血が出る気配すらない。
「刀と言っても、これは人を切ることができない刃引きの刀だ。まあなんというか、お守りみたいなものかな」
「切れない刀……? ああ、だから先ほどその刀をお預けに……?」
「人を切れない刀を持っていても、邪魔にしかならないからね」
そう言って、苦笑する。
「そうですか。でも安心しました。源之助様が刀を振り回すような怖い人じゃなくて……」
「うん?」
「あ、いえ。なんでもありません」
少しだけ顔を赤らめながら、香織は慌てて話題を変えた。
「ときに源之助様。今晩、泊まるところはもう決まってるのですか?」
「いや……どっかひと気のないところで野宿でもしようかと思ってたけど……?」
源之助がそう言うと、香織がぐいっと顔を寄せた。
「いけません! 野宿なんて!」
「……顔が近い」
「あ、すみません。いえ……あの……そうじゃなくて、危険です。いくらお強そうな源之助様といっても……」
そういって、ちらりと源之助を見る。しかしさっきヤクザ者にやられたばかりなので、格好はボロボロのままだ。
「……お強そうな源之助様でも、野宿はいけません。先ほど申し上げたように、いまの蜻蛉ヶ崎は悪霊が徘徊しております。屋根のない所で夜を明かそうものなら、なにが起こるかわかりません」
「いま、とっても失礼な間があったような気が」
「そうだ、宿がないのでしたら、先ほどのお礼にわたくしの屋敷に案内いたします」
良いこと思いついた、とでも言わんばかりの顔で、香織がぽんと手を打った。あれ、いま誤魔化された?と、複雑な顔を浮かべる源之助。
「そうしましょう、そうしましょう。ついでにわたくしが街を案内します」
そう言って、源之助の袖を引っ張る香織。
「その峠を越えれば、すぐ蜻蛉ヶ崎です」
しかしその峠の向こうは、旅の行く末を暗示するかのように、怪しげな暗雲が大空に立ち込めていた。
香織に案内されてやってきたのは、城下町の町民街だった。しかし街に活気はなく、周囲を見ても人っ子一人歩いていない。家屋の間を乾いた風が吹きすさみ、空模様もどんよりとして薄暗い感じだ。
あまりの活気の無さに、気分も暗くなりそうである。おまけによく見ると、人魂のような小さくて得体の知れない物体が、あちこちにふよふよと漂っている。
低級霊、とでもいうのだろうか。どうやら害はなさそうだが、それでも街の雰囲気をさらに重苦しくしているのは間違いない。
「……廃墟……じゃ、ないんだよな?」
「違います! ただ……ちょっと出歩く人が少ないだけです」
出歩く人が少ない……ねえ……。
ものは言い様だ。と、低級霊をつつきながら呟く源之助。
「そうだ。わたくしの屋敷に行く前に、ちょっと寄りたい所があるのですが、よろしいですか?」
「うん?」
「この霊刀白刃丸を買ったお店に、ちょっと挨拶していきたいのです」
そう言って連れてこられたのは、街の一角にあるこぢんまりとした武具屋だった。店先には「村田屋」と書かれた看板が掲げられていて、どうやらこんな時でも店は開けているらしい。
「いや、これは香織お嬢様。いらっしゃい!」
そう言って、中年の店主が揉み手で二人を出迎えた。
中に入る源之助。店の中は、刀や鎧、そのほかにも、よく解らない道具が所狭しと並べられている。数珠、写経、宝珠、仮面――壁にはお札や紙人形なども貼られていて、なんだか如何にも怪しい雰囲気の店である。
「このお店は普通の武具だけでなく、お札や大幣など、悪霊退治に必要な道具も売っているんです。よくお世話になってるんですよ?」
「……おまえ……ここでその刀買ったのか?」
「そうですが、それがなにか? 」
胡散臭そうな顔をする源之助に、きょとんとした顔を向ける香織。天然なのか世間知らずなのか、その表情には邪気がない。
怪しい……怪しすぎる……。棚に並んでいる民族舞踊のお面を手に取りながら、呆れたように呟く源之助。それをよそに、香織は店主と雑談に興じている。
「変わりないかね。香織お嬢様」
「はい、今日はこの白刃丸に霊力を蓄えるため、近くの大社まで行って祈祷をお願いしてもらいました。ちょうどいま帰ってきたところです」
「ほう、それは大変だったねえ、ご苦労様」
などと和やかに話し込んでいる。やがて店内をチラリとみた店主が、ふと首を傾げた。
「で、そこの若者は?」
「あ、あの人は旅の方で、久城源之助様とおっしゃる御方です。先ほど街道で男の人に絡まれていたところを、あの方に助けていただきまして……」
「絡まれた? おいおい、大丈夫だったんだろうね?」
「はい、源之助様のおかげで……」
「……なんだよ物騒だねえ。だから気をつけなよっていつも言ってるのに」
少し呆れたような顔で、店主がため息をつく。
「本当に気をつけるんだよ? わたしゃね、お嬢様が心配だよ。……城の警護を担当しているお父上様も、ここ何ヶ月も城から帰ってこないんだろ?」
「えぇ……はい……」
力のない笑顔で、僅かに頷く香織。すると店主が肩を落とし、声をひそめた。
「それに……これは聞いた話だけど、また街の人間が大量にいなくなったそうだよ。今度は港南町の連中らしい」
「また……」
「これで何度目だい? 城の悪霊たちにさらわれたって噂だけど……」
「……」
眉をひそめる香織。さすがに不安が隠せない。
「いったい、この街はどうなっちまうんだろうね……。まったく不安でしょうがないよ」
「大丈夫です。そのための霊刀白刃丸じゃないですか」
「だといいんだけどねぇ……。あまり無理するんじゃないよ?」
疲れたように、村田屋の主人が呟いた。いまにも雷が落ちそうな分厚い黒雲が城の上空を覆う中、カラスの群れがギャアギャアと鳴きながら、薄暗い街を飛び去っていった。
夕方。街の一角にある武家屋敷。
客間と思われる畳敷きの部屋で、源之助があぐらを掻いて座っていた。
すると、廊下から、パタパタと足音が聞こえてきた。障子戸がガラッと開いて、夕食のお膳を持った香織が現れる。
「すみません遅くなって。夕食の支度をして参りました」
「おっ! 待ってました!」
喜ぶ源之助。しかし目の前に置かれたのは、芋粥らしき一杯のお椀と、厚さ不揃いのタクワンが乗った、なんとも質素な一皿だけだった。
「……すみません。こんな物しか用意できなくて……」
「いやいや。根無し草の俺には充分だって!」
いただきます。そう言って、嬉しそうに粥を掻き込む源之助。
「それにしても、誰もいないんだな」
しばらくして、源之助が広い客間を見回しながら不思議そうに呟いた。口の周りには粥の粒が付いているが、気にしない。
それに対し、香織は寂しげな表情を浮かべながら口を開いた。
「我が屋敷の奉公人たちには……皆、暇を出しましたから……」
「暇……っていうと、全員クビにしたってことか」
「はい……」
そう言うと、香織は悲しそうに目を伏せる。
「わたくしの父は、城の警備を担当している大番の総取締役……。城からそれなりのお役目と俸給を戴く役人でした。ですが、城に悪霊が跋扈するようになってからというもの……なぜか行方が解らなくなってしまいまして……」
「そうか。城から帰ってこない……ってさっき言ってたな」
「……はい」
ふむ……と頷きながら、難しい顔で腕を組む源之助。
「それで、俸給を出せないので奉公人には出て行って貰ったと」
「……はい」
「じゃあ……霊刀白刃丸を手に入れたのも、お父さんを助けるためか?」
「……」
思うところがあるのか、快活だった香織が急に黙り込んだ。二人では広すぎる屋敷の中に、重い沈黙が降りる。
「……だとしたら、悪いことは言わない。それはやめておけ」
源之助が言ったその言葉に、香織がビクリと身じろぎした。口の周りに粥の粒をつけたままで、源之助が正面から香織を見据えている。
「見たところ、悪霊退治の専門家がいるわけでもなし、それに町民たちの協力を得ているようにも思えない。もしその刀を抱えて単身で城に乗り込むつもりなら、それは自殺とおなじことだ」
「……」
「……悪霊とやらを、あまり舐めないほうがいいんじゃないか?」
「……」
なにも言い返せず、ただうつむくだけの香織。自分でも薄々感じていたのだろう。正論を真っ正面から指摘されて、言葉も出ない。
「そう…ですよね。おっしゃる通りだと思います…」
そう言って、茶碗と箸をカチャッと膳に戻す。
「これまでも……城に居座った悪霊たちを退治しようと、何人もの方々が城に乗り込んで行かれました。しかし、帰ってきた者は一人もおりません……」
「……」
「この街に見切りをつけ、余所に移っていった方たちも大勢います。後に残された者たちも、悪霊やヤクザ者たちを恐れて家から出ず、引き籠もってばかり……悪霊を倒そうと呼びかける私の言葉に、耳を傾けてくれる方など誰もおりません……」
そういって、自嘲的な笑みを浮かべる。
「当然ですよね。しょせんわたくしなど、武家に生まれた世間知らずのお嬢様……。そんな人間についてくる人など、いるはずがありませんよね」
香織はそう呟くと、寂しげに笑ったまま顔を伏せた。瞳の奥に涙が溜まり、肩が震える。
しかし、彼女は何かを振り払うかように手にぐっと力を込めると、涙を湛えたまま顔を上げた。そのまま背筋を伸ばし、源之助を正面から見つめ返す。
「ですが、それでもわたくしは諦めるわけにはいかないのです。家を守り、城を守り、街に平和をもたらすのが武家の役目。――これが、これが武家に生まれた者の生き方なのですから!」
「……」
決意に満ちた香織の目を、源之助が無言で見つめ返した。やがて納得したようにひとつ頷くと、表情を崩して組んでいた腕を解く。
「なるほど。香織の気持ちはわかった」
「では、止めないでいれくれますね?」
「しかし、だ。単身で城に乗り込むのは、やっぱりやめておけ」
そう言って、改めて止めに入る源之助。香織が「でも――」と言い淀む。
「安心しろ。この俺が協力してやる」
「源之助……様が?」
驚いたように目を丸くする香織。
「ああそうだ。それに、残った街の人たちにも、もっと協力を呼びかけてみるべきだ。彼らにとっても他人事じゃ無いはずだし、協力者は多い方がいい」
「……」
「なんだ。俺じゃ不服か?」
呆けたような顔をしている香織に、源之助がムスッと不満をぶつけた。香織、フルフルと首を横に振ると、それから嬉しそうに顔をほころばせた。
「いえ……嬉しいです」
そう言って、涙をこぼす。
「本当に……本当に、ありがとうございます。本当は、とても不安で、誰かに助けてもらいたくて……。だから……本当に嬉しいです」
涙ながらに礼を言う香織に、照れたようにプイッと顔を背ける源之助。
「よ、よし。じゃあさっさと飯を食って、今日はとりあえず寝ちまおう。俺は長旅で疲れているし、おまえも帰ってきたばかりだ。すべては明日になってからでも遅くは無いだろ?」
そっぽを向いたままぶっきらぼうに話す源之助。香織は静かに微笑んだまま、「はい……」と素直に応じるのだった。
――その日の夜。
月明かりが照らす香織の屋敷。客間に敷かれた布団の上で、源之助が大の字になっていびきをかいている。そのとき、障子の向こうに香織のシルエットが現れた。
月明かりに照らされて、何事か決心したような表情を浮かべる香織。服装は剣術の稽古で使う袴姿だ。
「源之助様の言葉、とても嬉しかったです。でもこれは、やはり私たちの問題。余所の土地から参られた源之助様を、危険に晒すわけにはいきません――」
そう言い残して、香織はひとり、夜の闇へと消えていくのだった。