その1
天下分け目の大戦より百年。
この世は太平の時代を謳歌していた――
その1
京の都より東、遠く関東の地まで続く長い街道の道すがら――。旅人や町人、籠屋などが行き交う山道に、一人の若者が歩いていた。
あくび混じりに、ブラブラとかったるそうに歩く若者。着物はボロボロ、髪は伸びきった総髪、履いている草履も泥だらけという汚らしい格好で、風来坊といった感じの外見をしている。腰には護身用と思われる白鞘の短刀を一振り差していて、柄の先に付けられた金色の鈴が、ブラブラと歩く若者の足取りに合わせて「チリン、チリン」と涼しげな音を立てていた。
街道沿いに咲き乱れる桜並木。花びらが一枚ふわりと風に浮き、若者の鼻先へと流れてくる。
「ああ、平和だねぇ……」
なんだかジジむさい感想を呟きながら、若者――九城源之助は、枝葉から差し込む木漏れ日に目を細めていた。美しく広がる桜並木と、突き抜けるような青空。そんな風景を眺めながら歩いていると、やがて街道の先に、こぢんまりとした小さな茶屋が見えてきた。
自分の腹を見つめ、手を当てる源之助。とたんに腹がグーと鳴る。
「……」
しばらく考えたあと、源之助は茶屋へと足を向けた。
「うん、旨い」
嬉しそうに大口を開けて、団子を頬張る源之助。茶屋のおばちゃんが「まあまあ、美味しそうに食べるお客さんじゃねえ」などと言いながら、お茶を運んでくる。
「いや、もう腹が減って腹が減って」
そう言って、ありがたくお茶を受け取る源之助。
「ところでお客さん、あんた、ひょっとして、この先の蜻蛉ヶ崎まで行くつもりかね」
「……?」
「あの街に行くのはやめた方がええよ? あそこは昔こそ賑わいのある大きな街じゃったんじゃが、領主様が変わってからはずいぶんと荒れ果ててしまってねぇ……いまではすっかり治安も悪くなって、変なヤクザ者たちがうろうろしてるって話だよ」
「へえ……?」
興味があるのか無いのか、生返事を返す源之助。
「戦も無くなって久しいというのに、本当に物騒なことだよ。……あ、噂をすれば。ほら、アレだよ。お客さん」
茶屋のおばちゃんが、しかめっ面で街道の先へと視線を向けた。見ると、道の先で綺麗な着物を着た女の子が、見るからにヤクザ者と解る三人の無頼漢に取り囲まれていた。
「よう姉ちゃん。俺たち腹が減ってるんだけどよう……」
「ちょっとばかしお金でも恵んでくれねぇかなぁ」
「綺麗なおべべ着て、金持ちの嬢ちゃんなんだろ?」
などと薄ら笑いを浮かべながら、怯える女の子にせまっている。
「お、お金なんかありません。あっちへ行って下さい!」
女の子も弱々しく拒絶しているが、どう見てもヤクザ者たちを増長させてるだけだ。
興味があるのか無いのか、ぼんやりその様子を見ている源之助。ふと、その女の子が大事そうに抱きかかえている、長い袋包みに気がついた。
妙に長い袋包みである。やがて女の子が袋包みをかばうように身を引くと、包みの一部がハラリとはだけ、中身が少しだけ顔を覗かせた。
それは一本の日本刀だった。しかも、大太刀を遙かに超える長大な刀である。鍔の先には古ぼけた大きな鈴があり、それが堅くて頑丈そうなひもでしっかり結びつけられている。鈴は錆びているのか、あまり音はしないようだ。
「お、姉ちゃん、なんだか立派な刀持ってるじゃねえか」
「高く売れそうだな。金がないならそいつをもらってやってもいいんだぜ」
薄笑いを浮かべるヤクザ者たち。それに対し、女の子は刀をぎゅっと抱きしめて抵抗の意を示した。
「こ、これだけは渡せません」
「なんだ? じゃあその刀を抜いて俺たちとやり合ってみるかい?」
「こ、これは悪霊を退治するために作られた、由緒正しき名刀です! あなたたちのような人に渡すわけにはいかないんです!」
「……」
そのとき、彼女たちのやりとりを興味なさそうに聞いていた源之助が、ピクリと反応した。腰掛けていた縁台からゆっくり立ち上がると、騒ぎの方へと歩き出していく。
「ちょっとお客さん、やめなよ。怪我したらつまらないよ?」
「だいじょうぶ。ちょっと待ってて、おばちゃん」
そう言うと、源之助はヤクザ者の一団へと近寄っていった。
「ちょっと。おっさんたち」
「あん? なんだ? てめぇ」
源之助が声をかけると、ヤクザ者達が一斉に振り返った。
「嫌がってるじゃないか。もうその辺にしてやってくれ」
「……なにおう?」
そう言って、今度は源之助を取り囲むヤクザ者たち。女の子は怯えているのか、刀を抱えたまま動けない様子だ。
「俺たちに逆らうってのかよ。よそ者がでかい顔すると痛い目みるぜ?」
さすがヤクザ者らしく、口から出る言葉もチンピラそのものだ。そんな連中なんぞ怖くもないのか、源之助も強気な態度を崩さない。
「ふん。食い詰め者の下っ端ヤクザが。害虫は害虫らしく、弱い者イジメなんかやってないで巣に帰ったらどうだ?」
「んぐ……なにを!?」
ヤクザ者たちの顔色が変わり、たちまち剣呑な雰囲気になる。
すると源之助、腰に差していた短刀を鞘ごと取り外すと、ぽいっ、と街道脇の少女へと投げて寄こした。一連の様子を見ていた女の子が、慌ててそれを受け止める。
「それ、ちょっと持っててくれ」
「え、ちょっと……」
「こんな連中とやり合うのに刃物なんか必要ねえ。素手で充分だ」
そう言って両腕を構え、拳をぎゅっと握る源之助。それに対してヤクザ者たち。
「ふ~ん。そうかい」
「じゃあ俺たちも、刃物は使わないでおいてやるよ」
そう言ったかと思うと、どこに隠していたのか、鎖や棍棒、木刀など、打撲系の武器をどこからともなく取り出してきた。
「え、ちょっと……」
サーっと顔が青くなる源之助。
「じゃ、ちょいとお手合わせ願いますよ、ダンナ」
ヤクザ者たちの嫌らしいニヤケ顔が、苦笑いを浮かべる源之助を取り囲んだ。
――数分後。
潰れたカエルのように、情けない腹ばい姿で地面に転がる源之助。ボロボロの服装がさらにボロボロになり、這いつくばったまま完全に目を回している。
「けっ、口ほどにもない野郎だぜ」
「なんかしらけちまったな」
「もういいから行こうぜ」
ぺっ、と唾を吐きながら立ち去るヤクザ者たち。男たちの姿が見えなくなると、木の陰に隠れていた少女が地面に倒れる源之助の元へと駆け寄ってきた。
「もし。大丈夫ですか??」
「うぅぅ……大丈夫……」
少女に声をかけられて、弱々しく返事する源之助。痛てて……と頭を抑えながら、なんとか立ち上がる。
「くそ……あいつら、素手の相手に得物使いやがって……」
そう言ってヤクザ者たちが立ち去っていった方向を睨み付ける。すると、それを見ていた少女が慌てて頭を下げた。
「あの、た、助けていただいて、ありがとうございます!」
よく見ると、かなり可愛い女の子だ。歳は16歳くらいだろうか。着ている着物も綺麗で質が良く、どことなくお嬢様っぽい雰囲気が漂っている。
ただ、大事そうに胸に抱えたその袋包みの長刀だけが、お嬢様風な外見と相まってなんともアンバランスな雰囲気を醸していた。