九十七. 1864年、南禅寺~忠蔵、逮捕さる~
「・・・・・・;」
―――此方は、小川亭。此処には、宮部を始めとした池田屋に集合する事になる肥後藩士(宮部 春蔵・高木 元右衛門・中津 彦太郎)と忠蔵の他、長州藩士吉田 稔麿・有吉 熊次郎・内山 太郎右衛門・佐伯 稜威雄と豊岡藩士(兵庫県北部)の今井 三郎右衛門が居た。此処に居る長州人の共通項は「桂に反感を抱いている」「脱藩している」「奇兵隊員」「神道に篤い」である。
今井は宮部と稔麿に心酔し、単身郷里を出て来たという強者だ。
(早く仲直りしないかな・・・)
宮部も切にそう願っている。家出少年の預り処か、此処は。
吉田 稔麿が手紙を読んでいる。全員が何故か動きを止めて稔麿に注目していた。・・・稔麿は特に何も言う事無く、ボッと火を点けた。
「「「「「ーーーーーっ!!!ひいっ!?」」」」」
肥後人達が震え上がる。手紙の主は例の桂某である。稔麿は手紙を火に掛けて、さっさと燃やし尽して仕舞った。
「・・・何と・・・?」
「くだらぬ内容だ」
稔麿は後輩の問いに素っ気無く答えた。・・・併し、ぽつりと本音が漏れる。
『こちらの事情も知らず―――・・・・・・』
・・・・・・。宮部は困った微笑を浮べる。長州人は寅次郎や来島 又兵衛の様に常に感情が爆発しているか、桂や稔麿の様に感情を直隠しにしているかの二極だ。其とも自分はそういう長州人ばかりを引っ掛けてくるのだろうか。
「・・・なれば、事情を言えばよいではないか」
宮部は明快に言ってのけた。だが、其が出来ないから関係は斯うも拗れているのだ。無論、宮部はよく理解した上で発言している。
「・・・・・・。いや―――・・・・・・」
稔麿は黙った。・・・宮部はくすりと苦笑を漏らす。長州一家の家族喧嘩には、今暫く付き合う必要が有りそうだ。
「宜しおすか」
―――一声あって、部屋の襖が開かれる。三つ指つく隣に稲荷寿司の乗った盆を置いて、小川亭の若女将が頭を覗かせた。
「おていしゃん!」
つい肥後弁が出る。この女将が本章および肥後人に於いて重要な女性・ていだ。
やんややんやと肥後人がていの許に群る。宮部も例外ではなく、尻尾でも出てきそうな懐きようでていを出迎えた。
「松田さまは無事に長州藩邸にお入りにならはりましたえ」
「本当ですか!」
「ありがとうございます!危険ば承知で、松田しゃんを助けてくれなはって・・・!」
松田の無事を聞き、中津に至っては涙まで浮べている。先に宮部等と再会し、有事の際の手助けを小川亭に依頼したのが中津だった。
「いいえー、肥後さまのお役に立ててとても嬉しおす」
ていが京女らしい淑やかな笑顔で稲荷寿司を配布する。酒に木天蓼でも纏っているかの様な香りと魅力と稲荷寿司マネージャーぶりに肥後人は完全に骨抜きにされていた。
「女っ気の無い肥後人達の、唯一の例外で特別な女だよな」
「お母さん属性の人が好みっぽいよな、肥後人達」
「・・・・・・くだらん!」
長州人が女好きならではの下卑た会話をする。肥後人は感情表現が素直だ。
一階では、ていの姑・りせが帳場に控えている。
このりせも叉、池田屋事変に関係し、捕えられ、奉行所の訊問を受けるも、取り留めも無い事を口走り大小便を垂れ流すといった呆け老人の演技で捜査を撹乱し、事変での残党を救った名女優である。
小川亭は別名『からくり屋敷』という。
ガララ・・・と入口の扉が開いたので、りせは「あい、あい」と独特の言い回しをして顔を覗かせる。はっ、と一瞬りせは眼を見開いた。
「新選組だ」
「・・・あい、壬生浪がなんざましょ」
りせは急に無愛想になり、帳簿の筆を取った。・・・筆に触れる際、其と無く、傍にある紐を手に巻き込んで引いた。
旅館の奥で鳴子が音を立てる。
「!!」
稲荷寿司を頬張っていた宮部等がびくり!と跳ね上がる。文字通り飛び跳ね、一同は頬を膨らませた侭押入れに入った。押入れの中はダンジョン化されており、隠し階段から裏口へ通じ、鴨川沿いに脱出する事が出来る。
最後に稔麿が去り、ていが手早く押入れを元に戻し、皿を回収して突き当りの壁を押し、どんでん返しで現れた奥の部屋に人数分の皿を置く。この頃に新選組隊士が上って来て、ていを押し遣り、部屋の中に入った。
―――部屋には虎の子一匹どころか、塵一つ見当らない。
「くっ・・・女!!どんな手を使って宮部等を逃した!?」
「お、落ち着いとくれやす。うち、女やさかい、そんなに乱暴な言葉遣いされてもうたら」
一人の隊士が押入れの真正面に立つ。すると立った処の床が抜け、ひゃんっ!!と隊士は下に吸い込まれていった。
「蟻通!!?」
ていがくいっと向いの部屋にある紐を引っ張る。すると今度は床一面が外れ、残りの隊士も一階に墜ちていった。
「よっこらせ」
りせがタイミングを合わせて一階の部屋にて紐を引っ張る。すると一階の床も外れ、彼等は地下ダンジョンに落ち込んでいった。
「・・・・・・っ、てて・・・・・・」
ていが二階から、りせが一階から新選組隊士達を見下ろす。・・・二人とも、狐が化けた様な微笑を浮べていた。妖艶で、かつ不気味な。
「「肥後からくり屋敷へ、おこしやす」」
恐怖の絡繰りはまだ終らない。
「んっ・・・!?」
屋根裏から畳が降って来て、隊士達の脳天に直撃、其の侭蓋をし、彼等を生き埋めにして仕舞った。
「・・・・・・・・・」
彼女等はその上に更に畳を敷き、外れた床を戻し、何事も無かったかの様に仕事を再開した。彼等が生き干しにされた頃に蓋を開いて酒をたらふく呑ませ、酩酊状態にして肥後藩邸へ運んで行った。肥後藩が新選組と交渉し、彼等を引き渡す。
返された隊士は、即日切腹。
小川亭が注文の多い料理店となった為、宮部は枡屋に潜伏場処を移した。
新選組との追いかけっこは、まだ続いている。
「しつっこいなぁーー」
宮部は緊張感の無い声で呟いた。だが、精神的には結構参っている様である。古高はそんな宮部と彼に随う忠蔵に、冷えた茶を出して遣った。
季節はもう夏に差し掛っている。京の町は祇園祭で盛り上がっているが、彼等と新選組は其どころでなく独自に盛り上がっていた。
「困った事に、上京して来た者達も入京直前で新選組に捕まっている様だ。小川亭の情報に依ると、壬生のあの屯所に志士が連れ込まれるのを目撃したり、悲鳴を聞いたりする日もあるのだと。拷問で情報を吐かせる心算か」
小川亭のていとりせは、肥後の志士の為に偵察めいた事もしてくれる。幸い、肥後藩御用達の店だった縁で肥後藩吏も彼女等には頭が上がらず、藩が彼女等を庇護するので安全の方は保障されていた。新選組(会津藩)も奉行所も、結局途中で彼女等を手放している。
「入京れないという事は・・・」
「出られないという事でもある、な」
古高の科白を宮部が引き継ぐ。妙な汗を掻いている。忠蔵がうちわで風を送ってあげ、その風を取り込もうと宮部は胸の衿を寛げた。
「我々は援軍も要請できない中、此処京に閉じ込められているという事だ」
・・・いつ捕まるか。もはや時間の問題である。治外法権は長州藩邸のみ。
「・・・・・・ずっと狩る側だったから、狩られる側に回るのはいい気がしないな」
併し、運の良い事に三つ巴状態だった藩家老の一人で彦斎が茶坊主として仕えた先代の長岡 監物が祇園祭に合わせて京に来ると云う。彦斎が人斬りとなる事を赦した男だ。そして、斬らせた男でもある。
宮部とは現在も秘かに連絡を取り続けている。
「忠蔵、南禅寺に遣いに行ってくれないか」
そう言って宮部は懐より文を出し、忠蔵に渡した。
「その文は御家老に確実に渡してくれ。他の者には決して中を見られてはならない。難しい様ならば無理をせず、枡屋へは直接戻らずに長州藩邸へ向かうのだ―――」
より正確には、南禅寺敷地内に建つ塔頭天授庵という処が、肥後熊本藩の本陣である。
此処には現在、横井 小楠の墓が建てられており、肉体も其処で眠っている。応仁の乱に因って焼失した天授庵を、肥後細川家初代・藤孝の援助に依って再興した事から肥後藩所縁となったのだと云う。藤孝とその妻・光寿院の墓所ともなっている。
天授庵の本堂内は季節の移ろいに依って梁や柱の色が変り、紅、黄、橙、桃、緑・・・如何様にも染まる。其等はすべて紅葉や桜、そして新芽の色だった。景勝地としても有名な場処である。
今の季節は緑一色、併し京の緑は色相が複雑で、濃淡様々な緑が本堂に差し込んだ。凡ての緑と梅雨の余韻を含む湿気を取り込んだ天授庵は、霧に烟り、幻想的な奥行きを魅せた。
―――緋。湿気でなかなか点かない火を漸く点けて、忠蔵は文を燃やした。その後、天授庵を出る。
長岡 監物は居なかった。
南禅寺の敷地から出るには、三門を突っ切り、疎らに客が居る中を歩かねばならない。
(壬生浪・・・)
―――鮮やかな青空と白雲の色。彼等の前途を主張する様な、景色に浮いただんだら羽織が門の前を巡回していた。行きには無かった光景である。
紛れる程の人込には非ず、かといって何か講ずれば誰かが視ている。見せ物にされぬ様にするには、何気無い顔をして壬生浪の横を通り過ぎるのが最善である様に想えた。
・・・・・・貌は知られていない筈・・・・・・
「・・・・・・」
一方、新選組は永倉 新八と武田観柳斎の隊が南禅寺を巡察していた。一般の参詣客に交って素知らぬ顔で門を通る忠蔵の横顔を、注意深い眼で見つめている。
軈て、永倉が動いた。
「ちょっと待った」
「――――――・・・・・・・・・」
永倉の呼び掛けに、忠蔵は思わず歩を止めた。が、すぐに足を速める。自分が呼ばれているのではないと信じたかったし、疾しい事があるからこそ過剰に反応するのだと思われ、目をつけられては困る。
併し、新選組はそういったものに左右されない確固たる証拠を掴んでいた。
「お前、肥後の宮部の従者だろう」
「・・・・・・・・・・・・!」
有無を言わさず、隊士の一人が腕を後ろに捩り上げる。・・・・・・っ!ぐいと背中に己の腕を押しつけられ、忠蔵は上半身を前に倒した。顔を上げると、永倉の幼い顔がすぐ目の前に在った。
―――風貌が彦斎と似ている。
華奢な容姿とはまるで異質の、獲物を狙う獣の眼まで共通していた。彦斎と同じ剣気を持つ者の存在を、忠蔵は初めて間近に見る。
「宮部の隠れ処を言えよ」
・・・・・・その眼光に、忠蔵はゾクッとする。只殺すのではない、嬲る事を目的としているところが彦斎とは違った。
永倉の眼に良心の呵責は無い。今この時点では殺意も感じられない。だが、生きた人間とも見られていない恐怖がある。
「・・・・・・・・・」
忠蔵は何も言わない。武田観柳斎も覗き込んで来て、訊問が増える。猶も声を立てない忠蔵に、武田は何がしか気づいた。
「―――ふむむ。永倉君。この子は多分、唖者なのですますよ」
「“あ”?」
永倉は聞き返す。武田は元が出雲松江支藩の医学生である。
「如何やら声を出せないみたいですますな。聴力と理解力はあるみたいですますが」
「えーー!」
永倉は困った。
「“唖者”か!口が利けないなら自白も出来ないんじゃないか。弱ったなぁ・・・。で、武田さん、なんでそんなに悦んでるんですか・・・?」
本作に於いても永倉のツッコミは健在である。因みにいうと、只今新選組は男色ブーム真只中、武田の男漁りは頂点を極めている。
(ひっ)
忠蔵はこの時こそ声を上げたかった。武田の後ろに居る16,7程度の可憐さと麗しさを同居させた少年が憐みの視線で此方を見てくる。
「んーー、この場合の処置は俺には如何にも・・・取り敢えず屯所に連行して、副長に決めて貰いましょう。
―――いいですね、武田さん!?ホラちゃんとこっち向いて!?」
・・・・・・・。参詣客の流れが途絶え、見物人が増えてきた。永倉も人目を気にしている。只でさえ壬生浪の評判は良くないのに、往来で忠蔵を苛めているのは、傍目に見て良く映らない。
「縛り上げろ」
永倉の命令の下、忠蔵に縄が掛けられる。忠蔵は自らの死を覚悟したが、同時に安堵もした。家老への手紙も燃やしたし、自分ならば秘密を洩らす事もあり得ない。
併し、ここからが新選組の本当に恐ろしいところだった。




