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九十二. 1863年、別離~吉田 稔麿の覚悟~

「――――・・・」

「・・・・・・」

宮部の困憊(こんぱい)具合を古高が心配する。かたり、と注いだ茶を側に置いた。無防備に広げられた密書を片づける。


そんな時。



「旦那はーん」



番頭に呼ばれて古高および宮部、忠蔵は顔色を変えた。

「な、何です?ちょっと()ってください」

古高が声を張り上げる。この頃になると宮部等と新選組の距離は可也(かなり)近くなっている。新選組に限らず見廻組や所司代等も敵なのだが彼等に限っていえば新選組の事だけ触れれば事足りよう。

「古高君、書類を」

宮部が書類を受け取り、忠蔵に渡す。

「若しもに備えて隠しておくのだ。私一人で迎え討てる」

忠蔵に剣の覚えは無い。其に、密書が露見(バレ)ぬ事が何より大事だ。忠蔵は(うなず)き、密書を受け取った。

宮部が左手で刀の柄を握る。

「宮部さん」

時宜を見て忠蔵がこっそり部屋を抜けようとした直前に、古高が報告しに戻って来た。表情には心底安堵が浮んでいる。

「吉田 稔麿君です。彼なら別に部屋に入れても・・・」

「・・・吉田君?」

宮部はぱっと柄から手を離した。併し表情は深刻な侭である。ちょっと俟て。急いた声で古高を引き止めると

「忠蔵っ。名簿を」

忠蔵から()手繰(たく)る様にして名簿を受け取ると、今一度名前を確認した。

・・・・・・()り切れない思いになる。


「・・・・・・いいぞ。私も吉田君とじっくりと語りたいところだ。古高君、この名簿を除いて、残りの書類は今この内に総て燃やして仕舞おう。我々の破滅は近い」


―――吉田 稔麿の名が其処に在る事実を、同志でない忠蔵さえも察する程その顔は悲愴に満ちている。宮部、古高、稔麿が新選組に屠られる要素がこの刻揃って仕舞った事となる。




この刻吉田 稔麿は、桂 小五郎や久坂とは明らかに違う一歩を踏み出していた。之が池田屋で命を落すか落さぬかの差である。

稔麿が道を違えて仕舞った理由を桂も久坂も知らない。二人とも、稔麿の様子のおかしさには薄々ながら気づいている。併し、稔麿は堅く口を閉して独断とも取れる非協力的な活動を始めていた。


「―――・・・之は、君の意思なのか」


宮部は細い瞳孔を光らせ、声を殺して稔麿を問い詰めた。稔麿は名簿の存在は知らなかった様だが、決死連判状を見て

「・・・御存知でしたか」

と、落ち着き払った声で言った。

「知っているも何も、私も加盟者扱いだ」

そう言うと、稔麿はちらと窺う様に宮部を見る。・・・矢張り静かな落ち着いた声で、稔麿は淡々と話し始めた。

「私は長州藩士です」

「・・・?」

宮部にはその答えの意図が伝わらない。其程に長州藩は混乱し、上下あべこべとなり、分裂し、藩としての機能を失いかけている。本来は藩政に関れる身分でない久坂等が藩を主導する事態の方がおかしい乱世であるのだが。

「桂さんや久坂の様な発言力を私は持っていない。私の様な一介の藩士が―――・・・士分に取り立てて頂いた元足軽が、藩の代表であられる来島翁に(したが)わぬ理由が何処に在りましょう」

稔麿は疾うに覚悟を決めていた。―――どこまでも律儀で、一途な男だ。その律儀さと一途さが、御癸丑(ごきちゅう)以来の誘爆に引き寄せられ、仕舞いには死神さえも招く事となる。

「・・・・・・」

宮部はそんな不器用な男を、憐れむ様な視線で見る。・・・この男が引き連れる最厄に、自らも捲き込まれる事も知らず。

「・・・桂さんや久坂君には?」

「口外しないよう来島翁には言われております」

「さればとて、其は長州藩内で情報の共有が為されていないという事。分裂した小集団一つで全国に勝負を挑んだところで、果して勝てるとでも?」

「桂さんや久坂に言えば、必ず来島翁を止めるでしょう。止めれば穏健派に兵を出すと来島翁は言っておられる。来島翁を支持している浪士も数多い。明確な対立状態となれば内戦へ発展する。藩内に出す兵の余裕があれば全国(そと)へぶつけたい」

来島の我慢が限界に近い事を、稔麿が最もよく解っている。稔麿は天誅組の変後、この度京へ来る迄は江戸で活動していた。この直前京に誰が居たかといえば、来島 又兵衛である。長州では久坂 玄瑞が来島の動きを抑えていたが、遂に振り切って、遊撃隊を率いて京へ潜入した。来島が足を入れた途端、長州藩への同情の声がちらほら出始めていた京の地は再び俄かに色めき立った。とにかく動きが派手なのだ。



そして、その間に“火事”が頻発している。



新選組が之を把握していない筈が無い。火事の詳細を監察方に調べさせ、“放火”であると断定した。併し、その時点で犯人は判っていない。之だけ派手に動きながら、来島と新選組は終ぞ交わる事が無かった。来島が異常に幸運なのか稔麿が異常に不運なのか()(まで)新選組(かれら)と宿命づけられているのは稔麿の方である。

新選組、見廻組、京都所司代、会津藩等の眼が之以上光るのを防ぐ為に、桂が京より来島を追い出す。そこで稔麿に飛び火した。京で活動できない自分に代って足場を作るよう、稔麿は京へ呼ばれたのだ。


之も彼のもつ不幸か、吉田 稔麿の入京は新選組に察知されていた。



(しか)

『放火好きのイカレた野郎だ』

・・・・・・というのが、新選組副長・土方の評である。軽く冤罪を(こうむ)っている。



「・・・・・・」

宮部は溜息を吐いた。溜息の後の閉じた口の端は僅かに上がっている。もう笑うしか無い。呆れると謂うより、諦めに近かった。

「・・・・・・仕方無いな」

御癸丑以来は止められない。稔麿はその現実を受け止め、その内で最善の策を採ろうと頑張っていた。

「なれば、私も黙っておく事にしよう。他藩の事情に首を突っ込む気は無いし―――・・・」

宮部はぽん、と稔麿の肩を叩いた。何故か古高が泣きそうな表情になって微笑んだ。古高もつらかったのだろう。

「同じ宿命を帯びた者同士くらいは、纏まらねばならぬからな」

稔麿は眼を大きくして、宮部を見た。瞳が揺らいでいる。ふっ、と切なげで控えめな笑みを浮べた。

「―――・・・何だか、松陰先生を想い出しました」

優しさに溶けて仕舞う感覚を、稔麿は久々に抱いた。だが、あの頃の様にもう怖くはない。既に死が視えているからか。

奇妙な心地好さが稔麿を包む。・・・眼を閉じて、頭を擡げて長く息を吐く。

―――稔麿は、つい先日或る人物と別離(わかれ)を果していた。



佐倉 真一郎である。

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