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八. 1859年、江戸~永鳥と松田~

吉田 松陰の逮捕は、萩と江戸の長州藩士に衝撃と混乱を齎した。

「―――・・・え・・・?」

桂は我が耳を疑った。同じ毛利家家臣の家系の先輩であり、職場長州藩邸でも()くして貰っている周布 政之助に呼び出された。

そして、荷物を纏めて即刻長州藩邸から出て行くよう通告されたのだ。

「周布さん―――?一体・・・何が・・・・・・?」

・・・意を決して周布に訳を訊く。忙しなく立ち上がろうとした周布は桂に向き直ると、

「・・・之はお(みゃ)ーだけに対する処置じゃーない。火吹達磨(大村 益次郎)にも暫くの間藩邸を出て貰い、玄瑞は火吹達磨の住いに置かせて貰う。晋作も前通っちょった(よしみ)で思誠塾に預って貰うけんに。・・・寅から芋蔓式に長州藩全体が取り調べを受ける事になってーの。小五郎も、余熱(ほとぼり)が冷める迄江戸を離れんさい。長州にも戻らんがいい。長州藩はまさに総嘗めじゃ」

と、言った。そして、桂の肩を力強く叩き、

「・・・小五郎、寅次郎の教えはお(みゃ)ーが継ぐんじゃけんな。年長者(おれら)は寅の教えは解っちょらん。お(みゃ)ーが晋作や玄瑞、萩に残る塾生を引っ張って、将来は長州藩の頭になるんわや」

と、励ます。松陰の弟子、其さえ無ければ長州藩そのものが厳罰に処される事は無い。桂等を藩邸から一時的に出す事は、幕府の追及が過剰になる事を避けると共に将来有望な若者を潰されない様にという周布等年長者の決断であった。この若者を大切にする考え方は「そうせい候」と揶揄される事で有名な第13代藩主・毛利 敬親から続くものであり、家臣達も敬親のそこを好いていた。

「時期が来たら呼び戻すけんに、居場処が落ち着いたら文をくんさんせ。藩としちゃー、今ここでお(みゃ)ー等を(うしの)う事が相当な痛手じゃ」


桂はすぐに江戸を出る。考えてみれば、之が「逃げの小五郎」の逃亡人生の幕開けであり、薩長同盟締結の仲介人となる坂本 龍馬との出会いの切っ掛けとなる。




「1859年、江戸」


肥後藩士・佐々 淳二郎からの手紙は、江戸にて活動を続ける宮部の弟弟子・永鳥 三平の手元に納まっていた。

久坂には、肥後に戻った宮部から手紙が届いている。

「・・・『近々、松陰先生の身柄は江戸に移されるだろう』か―――・・・」

彼等は、肥後勢から手紙が来たと知ってすぐに例の料理屋に集合した。隠密の永鳥 三平が麹町の大村 益次郎宅を訪問し、久坂に声を掛けたところから始った。久坂はすぐさま向島に居る高杉とまだ藩邸に居た桂に知らせ、迅速にこの集まりの機会を作り、現在に至る。スッと入口の襖が開き、彼等の他にもう一人、男が入って来る。

「―――重助」

「桂さんは無事に江戸から出た。安心していいぞ、お前達」

―――襟刳りから後ろ髪を出し、笠を取った端正な顔で男は久坂と高杉を見下ろした。男はこの日、珍しく変装でもして江戸の雑踏をこそこそと縫っていた。

「!松田さん!」

「久方振りだな、玄瑞。すっかり風格がついたな」

男は親しげに笑って久坂の声に応えた。高杉は叉も、頭に???を浮べる。久坂は何でこう熊本に知り合いが多いんだ?

「・・・あんたが桂さんを江戸の外に出してくれたのか?」

高杉がきょとんとした顔で男に話し掛ける。男もきょとんとして、高杉を暫し見続ける。高杉の態度にすっかり慣れて久坂がぼんやりしていると

「―――そうだが、年少者が初対面の相手に対してその言い方は無いだろう。長州では其でいいかも知れないが、大半の藩は礼儀をもっと大事にする。挨拶一つで余計な敵を作る可能性だってあるんだぞ」

と、突如男が説教を始めた。之には高杉だけでなく、久坂も面喰らう。思わず助けを求める様に、つい人当りの柔かい永鳥を見るも、永鳥はまぁ、そうだね。と曖昧に言った。口許は弧を描いているが、眼は笑っていない。熊本人の長州以上に礼儀にうるさい保守的な厳しさが視えた。・・・宮部や彦斎といった、彼等と初めて逢った熊本人は若輩者の無礼に付き合っていてくれたのかも知れない。

併し

「・・・でもまぁ、高杉だからね」

「そうなんだ。コイツに畏まられてもはっきり言って違和感がな・・・意味も無くエラそうなのがコイツって気がするんだ」

「失礼な。俺だって敬語くらい言いますよ」

しみじみと見る熊本人を高杉が不服そうに睨む。・・・怒るべき人間が違う気がするが。久坂は永鳥の目つき一つであれだけ考えさせられたというのに高杉だからで片づけられるとはひどい話である。羨まし過ぎる。

「・・・まぁいいか。お前、名前は?」

「久坂から聞いてて知ってる感じでしょう?其に、礼儀と言うなら自分から名乗るのも礼儀なんじゃないんですか」

「おい待てそんなに咬みつくなよ。本人に名を訊くのが礼儀だろ。其に、俺は玄瑞から何も聞いていないぞ」

男が苦笑して宥める様に言う。高杉も流石に大人げ無いと感じたのか、目線を少し逸らして

「・・・高杉 晋作」

と、自身の名を言った。

「俺は松田 重助(じゅうすけ)。といっても、お前の方こそ俺を知っていると思うが。

郷里の佐々 淳二郎から俺にも文が届いてな。三平さんと話し合って、長州藩が取り調べられる事を知ったのさ」

松田は着物の(えり)から出した手紙を床にパサリと抛り、自身もどっかと永鳥の隣に坐った。永鳥とは纏う空気が正反対で、如何にも九州男児といった勇ましさと強さを感じさせる。

「―――重助、君は宮部さんから文は送られて来たんだっけ」

「私には来ましたよ。松陰の檻送に合わせて、宮部先生も江戸に叉いらっしゃるそうですな」

各々に届いた文を輪になって坐る床の中央に置き、彼等は情報を交換する。藩外を活動の拠点としている者達であるからか、この二人は標準語が飛び抜けて上手く、口調だけでは肥後人だとは判らない。

「久坂と高杉は、知ってた?」

「高杉にはまだ知らせていなかったんですが、宮部先生の文に書かれていたので私は知っていました。といっても、こちらに文が届いたのが先刻だったので、私もまだ内容を其程ちゃんと読んでいる訳ではないですが」

「河上 彦斎を知っているか?」

松田が長州勢の二人に尋ねる。高杉は、無論知らない。彦斎はこの時期はまだ、肥後を出ないで大人しくしている。

「彦斎のや・・・彦斎さんに、何かあったんですか」

「いや、江戸に上られる熊本藩の家老に随って彦斎が江戸に来るそうだ。肥後に残るのは淳二郎さんだけになりそうですね、三平さん」

「肥後の方は俺の兄も居るから如何にでもなるだろう。淳二郎は逆境にも結構強いからね。其より重助、この時期に彦斎が江戸に来るなんて、なかなかいい時宜(じぎ)だと思わないかい」

・・・松田は肯いた。若しかすると出来るかも知れませんな、と永鳥を横眼で見ながら応える。永鳥は、あぁ、そうだね。と微笑んだ。高杉と久坂は当然、彼等の科白(せりふ)の意味する処が解るべくも無かったが、久坂は薄々、あぁ誰か死ぬんだなと予感した。

「自藩の事は内々で出来るからいいとして・・・長州側(おまえたち)が之からどう動くのか教えてくれないか。肥後側(オレたち)も帳尻が合う様に動く」

「長州藩の命に依って、近々―――「久坂」

高杉が堪り兼ねて久坂を止めた。通常と逆だ。いつもは先走る高杉を適当なところ迄泳がせているのが久坂なのに。久坂は驚く。

「信用し過ぎじゃないか?お前」

高杉の考えが正常かといえばそうである。高杉にしてみれば宮部を含めた熊本人の誰とも面識が無い。其こそ、先走る久坂に振り回されて彼等に会わされたに過ぎない。松陰の友人と言われても、桂と違って師匠の過去を知らないからぴんとこない。

高杉の眼には、久坂が、幕吏が松陰に危機感を懐いた所謂“宗教者”の言葉に浮されている様に映っているのかも知れない。

「桂さんの事は疑ってもないし感謝もしてます。でも、自藩の事を内々でして隠すんだったら、長州藩の情報を言う訳にはいかない」

まさしくその通りで、理に適っている。久坂が若し血迷った時、高杉が舵を執る事が出来る、久坂と高杉が組めば何も(おそ)るる事は無い一隊を任せられる、と此の場に居る誰もが想った。

永鳥が反応早く身を翻し、高杉の側に近づき、そっと耳打をした。

「・・・・・・・・・へぇ」

・・・・・・高杉の感情は、こんな時でも読めない。

「お前、意外にマトモなトコあるよな」

「は?何だそりゃ」

久坂が変に感心してみせるのを見て、高杉は不可解そうに顔を顰めた。失礼なという思いも含まれているのだろう。

「言っていいか?」

久坂がからかう様に訊く。高杉は露骨にむっ、と不快の色を浮べた。元々情報弱者なのであるから、この様な反応を取って然りである。其に、高杉が耳にした事は本人から聞いているのだから真実であろうが、言いたがる久坂の予想が真実(それ)と一致しているとは限らない。

「お前には教えて()ら・・・「()て」

松田が二人の言い合いの中に割り込み、久坂が先を言うのを止めた。・・・永鳥もぴくりと身体を動かし、身を捩らせ出入口の方を見る。

「このにおい・・・」

・・・少し経って、襖がゆっくりと開き

「御待たせしました」

女中が料理を持って来た。3人の女中が運ぶ大皿は全て狐色。久坂と高杉は頼んだ張本人であるのに皿が置かれるのを呆然と見ている。

「・・・・・・矢張り!」

松田と永鳥が真先に運ばれた料理に飛びつく。一面、黄金の草原。しのだ巻きに稲荷寿司、煮つけ等、油揚げをふんだんに使った料理がびっしりと敷き詰められている。

「南関あげ!こっ食べちよかがっね!?」

「前も用意しちくれたつよ!」

・・・・・・まるで化けた狐が正体を現したかの如く、熊本弁もろ出しで会話をする熊本勢。耳や尻尾が出てきそうな勢いだ。

「やっぱり・・・南のヤツらって好物油揚げなんじゃね・・・・・・」

「においで油揚げの存在が判る程の玄人だったとは・・・・・・迂闊だったぜ・・・・・・」

何が迂闊だったのかはよくわからないが、それぞれの料理に残される最後の一つが如何なるのかを見届ける迄、彼等は息を呑み大皿を見つめるしか出来る事は無かった。



『―――・・・長州藩の命に依って、近々私は帰藩する事になりました』



―――久坂は、残り少ない江戸の日々の街並を、永鳥・松田の熊本勢とした会話を想い出しながら歩いていた。



『塾の年長者である入江 九一と吉田 稔麿が松陰先生と一緒に捕えられた様です。幸い、藩主の御子息であられる毛利 定広公が塾に来られた事で入江と吉田の身柄は幕吏の手に渡らずに済みましたが、其でも自宅に謹慎の身。年少の塾生の中には行き場の無い者も出てくる』

松田と永鳥が顔を見合わせ、藩主の子息が直々に・・・?と、頻りに目を瞬かせる。斯ういう事も長州の外でも珍しい事なのだろうか。そういえば、彼等の藩主は彼等の会話に全く以て出て来ないし、家老に至っては彼等に拠って探られている気さえする。

『入江と吉田が謹慎になると、長州(あっち)可也(かなり)苦しくなるかんな。藩の上層部も、松陰先生の知恵を結構当てにしていたし』

『なるほど。だから玄瑞を長州に呼び戻して、頭脳として動いて貰う訳か』

松田が腕を組んで肯く。永鳥が高杉の方に視線を向けて

『・・・高杉は?君には、帰藩命令は出ていないのかい』

と、問う。高杉は動かず、只言葉だけで

『―――俺は江戸に残って、松陰先生の身柄が移って来た場合に対応する。・・・金の工面とか、差し入れとか、あるだろう?』

と、言った。其を聞いた永鳥は

『・・・地獄の沙汰も金次第っていうしね』

と、皮肉な笑顔を浮べる。・・・永鳥は、そう遣って師の命を繋げようと奔走している者を他に知っている。その師も叉、彼の兄弟子・宮部の友人で、介入こそ出来ぬが心を痛めている。

感傷的な想いが表に出たのか、其とも元々立居振舞がしっとりとしているからか、笑顔には少し淋しげな翳があった。

『お前は江戸をウロウロして平気なのか』

『指名手配犯のあなたよりましだと思うし、正直あなたと居る方が危険な気がするんで、あなたが大丈夫なら大丈夫だと思います』

松田の質問に、例の如くふわふわとした返答をする高杉。其に対して松田が生真面目に返し、何を言う。お前と俺とでは経験と技量が違うだろう。何なら、俺が捕まらない術を伝授して遣る。と指南の姿勢に入る。松田のこの熱くなり易さには、久坂にとっても流石に高杉の方に同情の余地があった。

『―――なら、久坂は彦斎と入違いになるのか。残念だね』

『そうですね』

久坂は肯いてみせる。彦斎とは気の向いた時に例の玄瑞画伯の絵本を送り、その感想が返って来る(大概は漢字もきちんと読めるとか絵を入れると内容が寧ろ分らないといった怒りや抗議である)という遣り取りを続けているので実はそんなに無い。

『?』

科白と裏腹に口角の上がっている久坂を不思議がる永鳥。久坂はあぁ、いえいえ。と誤魔化し

『永鳥さんは酒は飲まないんですか?そういえば、以前宮部先生と桂さんと此処で飲んだ時も手を着けてませんでしたね』

徳利を持って酒を勧める。永鳥は徳利を見ると、え、と顔をぽー・とさせる。恥らっている様な、惚れている様な、初々しい表情だ。

『・・・いや、俺は・・・』

明らかに飲みたいんじゃないか。而も大酒飲みそうな。久坂が注いで遣ろうとすると、高杉に蘊蓄(うんちく)を傾けていた松田があーー!!と叫び

『三平さんに酒を勧めるな!!』

『!?』

久坂から徳利を奪取し、己の脇に抱え込む。松田の髪は感情を反映するらしく、萎びた表情に伴ってしなっている。

・・・大袈裟だなぁ。久坂と高杉が驚いているよ。と口調が刺々しくなる永鳥に

『ならば御自分で断れる様にしてください!!』

と、説教する松田。高杉と久坂はよく解らなかったが、永鳥は飲んだら凄いんだろうなという事は伝わった。

無欲な貌をしている割に、煩悩は結構抱えているらしい。

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