七十五. 1863年、帰京~エピソード~
「んー・・・」
佐倉が着物を何着か持って来て、彦斎の身体に頻りに合わせてみる。
「彦斎先生、意外と淡い色もいけますね・・・ずっと濃い紅の印象でしたが」
「佐倉・・・」
山口が呆れた顔で窘める。彦斎はこの着物屋に来て一ヶ所からも離れず、ただ着物を着させられる人形の様な状態になっている。
「彦斎先生に選ばせて差し上げろ・・・」
誰が主役の着物選びやねん。
「いいとよ山口さん。僕は服の趣味はからきし故な」
「女にさせられますよ!?別に、自分の気に入った物を買えばいいんじゃないですか?先生が着るんですから」
二人が言葉を交す間にも、ささっと着物が数着入れ替っている。浅黄に藤色、桃色に橙とどれも柔かくて明るい色だ。てか、何故そんな色がある。
「うんにゃ、服は他人が見る物ゆえ、他人の目に良う映らなん。僕だけが見る物なら何でもよかもん」
にゃははと彦斎は笑った。この人も余り趣味の無い人の様だ。まぁ、志士とはそういうものだと最近わかってきたが。
「さすが彦斎先生。よく解っていらっしゃる」
と、佐倉が選択を絞った候補の着物を吟味しながら合いの手を入れる。お前はこの着物屋の主人か。
「でも、金額的な問題もあるでしょう」
彦斎はとにかく吝嗇である。だが彦斎さん、今回は少し様子が違った。くすっ、と何やらやらしい笑みを浮べると
「今回の買い物の代金は長州藩持ちよ。だから幾ら掛ってもいいね。やーさすが長藩は羽振りがよくて羨ましかね♪」
「わーいいですね♪」
矢張り吝嗇の権化。ここぞとばかりにいい買い物しようとしてる。てか長州藩寛容すぎるでしょ。
「黄色系統割と似合いますよね。浅黄も結構いいかと思ったんですけど、ここまで明るいとやっぱり女性的になって仕舞うので、少し落ち着いたこの色とかは如何でしょう。之なら少しくらい血が飛んでも変に目立ちはしませんし」
「ほーほー!南関あげ」
こんがり美味しそうな狐色じゃないですか。遂に身も心も狐になって仕舞うというのですか先生。そして他にもツッコミどころ満載だけど一人じゃもう追い着かないよ!
「旦那」
と、彦斎が着物屋の主人を呼ぶ。あ、買うんだ。油揚げと同じ色だからかめちゃめちゃ気に入ってるっぽい。
「さぁさぁすぐ着替えましょう!此処で少し着替えさせてくださいね」
佐倉がすぐさま彦斎を着替えさせる。おろおろおろ。彦斎が毛皮を持って主人の住いへと追い立てられる。主人ははんなりと笑い
「之で並んで歩くのも恥かしなくなりますなぁ」
と、佐倉達に向かって言った。・・・佐倉と山口は苦笑する。・・・・・・京の人間はやっぱりちょっと毒がある。
毛皮の他にもう1着着物を買い、一服した後、今度は刀剣屋に行く。彦斎は下関で色々消費してきたらしく、大きな買い物が続く。
佐倉は初めて刀剣屋に入る様で、きょろきょろと物珍しげに店内を見回している。ま、天誅用の刀は吉田先生が支給しているから当然といえば当然か。
「いらっしゃいまし」
「何かお目当ての刀でもあるんですか?」
「―――うんにゃ」
彦斎は即座に頭を振った。この人は剣にも興味が無さそうだ。剣を扱う者として、其は少し如何かと思うが。
彦斎は本当に初見の様で、物色する様にあらゆる刀を見て回っている。
「――――・・・」
刀剣の銀の色味の所為か、張り詰めた冷たい空気が流れている。彦斎の眼も心なしか銀色にぎらついている様に見えた。
「・・・・・・」
刀を幾つか持って、自分の手の中で遊ばせてみる。・・・・・・刀身を鞘から抜いた。そこから先が迅かった。
「山口さん」
「は、」
―――――!!?
山口は何の反応も出来なかった。気配は感じていた。今も感じている。途切れた事も無い。だが、結果として武器の一つにも触れる事の出来ない侭、
――――佐倉は刀も声をも上げる前に、膝が砕けてへたり込んで仕舞った。さとるのが一番早かった。
・・・・・・・・・山口が・・・・・・斬られた
「動かんで」
・・・・・・と、思った
「――――――」
「・・・・・・・・・・・・」
――――彦斎が山口の衿を攫み、抜いた刀を喉元に突きつけていた。
・・・・・・・・・その間、誰一人として身動ぎ一つする事が出来なかった。
「・・・・・・・・・ふむ」
・・・・・・彦斎は軈て、瞳の光を少しずつ弱め、ゆっくりと山口から刀を離し、衿を攫む手を緩めると
ち ん
刀を納め、店主に向かってひょい、と其を投げた。
「―――其をば、買う」
「ーーー・・・・・・」
・・・店主、何とか受け取るも、腰が抜けて仕舞っている。到底、声を上げられる情況ではなかったが、やっと出した科白は
「・・・・・・こ・・・この刀には銘が御座りませんが・・・・・・」
で、あった。
「たれが造った物であるかなぞ、知る必要も無い」
彦斎は鋼鉄の如き声質で、背中から声を上げた。
・・・・・・っ。山口は幾分冷静になって、着物の衿を正した。・・・・・・幾ら油断していたとはいえ、一瞬たりとも反応できなかったなんて。併し、感覚は寧ろ鋭敏に働いている。
「・・・でも、随分安そうですね、その刀」
山口が呼吸を整えつつ言った。彦斎は他の刀を物色している。・・・自分は叉、別の刀を喉元に突きつけられるのだろうか。
「幾人か斬ればどんな刀でもどうせ血脂ですぐ切れ味が悪くなる。質より量よ」
「随分贅沢な使い方してますねっ!?」
刀を使い捨てですか。まぁ、彦斎の戦い方だからこそ出来る事ではあるのだろうけれど。
「どんな名刀も、切れなくなれば持っていても仕様も無い。刀というのは狼や龍を殺す為の物でなし、人骨さえ断つ事が出来れば其で充分。後は全体の長さよ。山口さんで丁度良い長さなら、大体の相手には大丈夫ね」
物凄い理屈である。だが、多少捻ってはあるものの史実に於ける河上 彦斎の逸話が之だ。着物選びも彦斎の逸話の一つになる。
「~~~~♪」
彦斎が機嫌良さそうな表情で、刀を漁り続けている。そんな彦斎の背後に
す っ
・・・・・・忍び寄る小さな足が在る。佐倉だ。佐倉が目に涙を溜めて、刀に手を掛けていた。彦斎の背に刃を向けようとしている。
「・・・・・・!」
彦斎の背に緊張感が無い。気づいていない様子だった。隙だらけの背を曝して、取っ替え引っ替え刀選びに勤しんでいる。
きゅ。・・・・・・。彦斎は握った刀の重さを確め、刀身を僅かに鞘から抜いた。
「やめとけ、佐倉」
ぽん、と背後より肩を叩かれて、佐倉は愕いて振り返った。愕いた拍子に、涙が一筋、頬を零れる。
山口は佐倉の涙に眼を瞠った。・・・・・・軈て、少し頬を紅潮させ、優しい表情で微笑むと、前に出て自らの胸元に佐倉を引き寄せた。
「・・・そう遣って簡単に他人に涙を見せるな。志士だろう」
落ち着かせる様に佐倉の頭を撫でる。佐倉の顔の位置まで姿勢を落し、目線を彼女に合わせると
「―――でも、ありがとうな」
と、言った。
・・・・・・ん?もはや周辺の空気となっていた彦斎が漸く刀から眼を離して振り返る。っ!!? いつの間にかお取込み中の甘い展開に、彦斎は山口以上に顔を真紅にして後ずさった。刀剣屋の主人も顎を外している。
「あの人には敵わないんだよ。俺も、お前も・・・・・・」
なんか意外だが実は惚れると山口の方がゾッコンになるらしい。というか、衆道と思われてるなら丁度いいやと開き直ってるだろお前。
「なんか知らんが人をダシにして絆を深めるのはやめてくれんねっ!?」
彦斎が珍しくツッコむ。ーーーーー・・・。佐倉が山口の脇の間から滲んだ眼で彦斎を睨む。轟 武兵衛といい彦斎といい、肥後人達は図らずも二人の恋路を燃え上がらせる不粋な悪役を演じている。
「やーたんまり、たんまりばい。之で暫くはしきれる。今日は付き合っちくれてありがとうね、御二人さん」
着物二着。刀三本。そして下駄の新調。その他諸々購入して、三人は長州藩邸に戻って来る。日は暮れて、すっかりいい時間になっていた。
「肥後に居る時より遙かによい買い物した♪脱藩に希望の持てるかも知れん」
彦斎が己の着る狐色の袂に頬擦りをする。あーハイハイ、ソレが一番お気に召したんですね。
農民の恐ろしさを知らない山口は、全国に名を轟かす大国の武士が何でそんな貧しい思いをしてるんだ・・・と心の中でツッコんだ。
(脱藩・・・?)
佐倉は耳に馴染みはあるがその実意味をよく知らぬ単語が、この時は妙に心に引っ掛った。
「そろそろ行きますか」
山口が買った刀を床に置き、彦斎に言った。え?彦斎ではなく佐倉が山口の科白に反応する。
彦斎は買ったばかりの着物を佐倉から受け取って部屋に掛け、刀を択んで腰に差した。
風呂敷袋を持っている。
「ちょっと先生と大坂にな。お前は留守番」
「大丈夫大丈夫。すぐ帰って来るよ。其に、山口さんに手を出したら、僕が長州藩に殺さるる」
・・・佐倉がじとっ,とした眼で彦斎を見る。・・・・・・;;先刻の事があっただけに全然信用されていない。彦斎の二面性は確かに其を超えて二重人格を想わせるところがある。
「・・・どうして山口さんなんですか?」
佐倉が少し突っ込んで訊く。其は・・・ 彦斎はきょとんとした。細い眼を開いて山口を見ると、山口は鋭い視線で此方を睨んでいた。
「―――・・・久坂先生か吉田先生ならわかるんじゃなかかい?」
飄々とした調子で返す。何故山口なのか彦斎にも分らない訳であるが。稔麿は兎も角、久坂の考えている事はこのところよく知らない。
「茶の一、二杯でも持って行くとどうね。部屋に籠っとったら良い案も浮ばんと言って遣り」
―――何故おぬしが足掻く。
何故俺は余裕でいられる。・・・・・・自分の藩の事なのに。
『―――なるほど。平野さん達と共謀していたか。道理でなかなか強硬な訳だ。・・・天誅組、俺には何も言わないが、明らかに軍備を増強している』
大坂富田林には、松田 重助が居た。此処富田林寺内町は幕府の手が届かない町人の自治の町で、嘗て平野 国臣も住んでいた。兵を挙げるならば此処と、桂、久坂、宮部が場処を特定した。
松田は天誅組の吉村 寅太郎や藤本 鉄石と接触していた。だが、京での細川人気を知らない彼等は、松田を未だ佐幕側のスパイと思い込み、彼に計画を隠している。けれども、松田が天誅組の本拠となる場処に丁度私塾を開いていた為、見張りの為かちょくちょく顔を出しに来るのだという。
『竹志田 熊雄と内田 弥三郎を憶えているか。枡屋で玄瑞達を迎えた事があっただろう。その時に同席した奴等だ。あいつらも最近、大坂に来ていてな。天誅組の動きと何らかの関係があるかも知れん。・・・あいつらには悪いが、少し利用させて貰う事とするか』
―――松田の隣には彼の護衛役として大坂力士の中津 彦太郎が控えている。
扉一枚隔てた廊下には山口 圭一が控え、外の気配に眼を光らせ、耳を欹てていた。
『・・・利用、ですか』
『ああ。今この局面となっては已むを得ん。ああいう輩というのは、言っても聴かん。お前もまあそうだが、お前みたいに頭で考えて納得しないんじゃなく、合わないから最初から受け付けないんだな。考えないから理論に隙があって利用もされ易い。・・・之が、もう少し齢を取れば落ち着いてくるんだが』
竹志田 熊雄は山口と、内田 弥三郎は稔麿と同い年である。山口と稔麿が落ち着きすぎているので全く比較が出来ないが、同じく若輩の藤村 紫朗と違って彼等は肥後勤皇党に加盟しなかった。自分達は自分達の遣り方で攘夷をするのだと、頑なに言い張って即座に脱藩して仕舞った。松村 大成の教え子達なので、勤皇党員が何かと気に掛けてはいるのだが。
そういった者達であるから、吉村達の警戒も薄いかも知れない。
『松田さんは齢を取りましたね。今、過去の自分を想い出しましたでしょう』
『お前っ、もっと他に言い方は無いのか。先輩に向かって』
如何にも興味無さげな棒読みで言われて、松田は顔を赤くした。全く、身内に対する人情も愛も無く、ただ義理だけを貫くかわいげの無い男よ。
『あ。そういえば、十郎は息災か?』
対して松田は兄馬鹿である。弟・山田 十郎との兄弟愛や永鳥との晩酌の事、桂との仲、薩摩潜入時の事等人情エピソードが多い。
『十郎さんは息災にしていらっしゃいます。併し』
永鳥さんが藩に捕えられた様です。国言葉で淡々と彦斎は言った。松田と中津は息を呑む。併し、松田は大して驚きはせず、寧ろ悔しさを滲ませ、額に手を当てた。
だからあの藩は早々に捨てろと言ったのに・・・と、呟く。
『・・・・・・脱藩するのか』
『一同、その心算です』
『ならば、御親兵が早急にすべき事は、肥後藩雇いのその任から離れる事だ。・・・前に言っただろう、あの藩主はああいう人間だと。桂の判断は的確だ。肥後藩邸には二度と入るんじゃないぞ。彼処にはもう、敵しか在ない』




