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七十三. 1863年、帰京~真木と平野~

「1863年、帰京」



横井 小楠、遂に身柄が越前藩より肥後藩へと引き渡される。

「――――・・・」

宮部はいつに無く顔色が良くなかった。血の気が引いているといったがよかろう。横井に関するこの報せを受けてからだった。

「宮部さん」

桂 小五郎が翠紅館より帰って来る。こちらは第二次翠紅館会議であり、1月とは異なった顔触れが話し合いをしていた。

「桂さん」

此処は、長州藩邸である。

「―――真木さんと平野さんも」

真木和泉と平野 国臣。彼等の活動をとても簡単に(まと)めると、各藩にて尊攘活動のち松村家(永鳥の実家)に匿われ、清河 八郎と会う。上京して寺田屋事件に関与し、投獄。5月に釈放されて再び上京、今回の翠紅館会議に参加した。



「「宮部君」」



宮部以上の九州尊攘派の重鎮であると同時に



「「なしてあんたは今回の翠紅館会議に参加せんやった」」



・・・・・・宮部が別の意味で顔を蒼くした。

「い・いやぁー!あの・・・」


真木と平野は、清河 八郎や来島、大楽等時習館派に勝るとも劣らない急進的過激派なのである。


「・・・・・・桂さん!だから私にも参加させろと」

「其はだめだ!あなたは御所親兵3000人の総監なのだぞ!其に、肥後藩の底意が視えない以上、浪人達の居る場に顔を出さない方がいい。取り敢えずここは長い物に巻かれていてくれ」

「ばっ!?長い物に巻かれろだと!?」

「ああもう言い方が悪かった!」

宮部と桂がこそこそわちゃわちゃする。真木と平野は怪訝そうに二人を見る。

宮部が此処長州藩邸に缶詰めにされているのも桂の考えで、彦斎や轟と同じ様に定広公を通じて韶邦公に許可を得て、宮部等肥後の御親兵幹部を“借りる”という名目で長州藩邸に寝泊りさせている。山口曰く、壬生浪士組の隊士募集で如何やら肥後出身の者が入隊したらしく、壬生などに帰せば幾ら浪士の集団と謂えど幕府方に彼等の身を売り飛ばし兼ねない。現在は浪士組が壬生浪士と変節した際に忍ばせていた佐伯 又三郎にその肥後浪士を張らせている。尊皇攘夷の志は同じ筈だから味方に加わる余地はある。

この事は当の肥後の志士達には教えていない。


(教えれば、また殺し合う・・・・・・)


桂は、焦燥の色が日に日に濃くなる宮部の横顔を見つめながら想った。

無理も無い。宮部は確かに朝廷からの信頼を得、藩主も其を称賛しているが、そういった“外面”とは裏腹に“内情”―――・・・肥後に於ける勤皇党は確実に土台(たちば)を崩しつつある。


―――宮部や桂の不安を俄かに確信へと変えた言葉は、この目の前に居る真木和泉が(もたら)した。



『釈放されて京へ来る前に、玉名の松村家に寄ったとやが、閉門されて板と釘が打ちつけられとった。ありゃ何があったっちゃね?大成さんも三平君も中には居らんやったみたいだし・・・』



『『・・・・・・!!』』


―――松村兄弟の身に何らかの異変が起きた事は間違い無い。宮部は咄嗟に『一時帰熊(きゆう)する・・・・・・!』と感情的になったが、『御親兵3000人を措いてか!?其では無責任すぎる!』と桂が必死に説いて思い止まらせた。責任感の強い宮部には、この言い方の方が効果がある。


「・・・・・・其で、翠紅館会議ではどの様な話を?」

・・・・・・宮部は非常に参っている様であった。今迄「我が藩の事なので」と突っぱねてきたのが黙って受けざるを得ない状況になった。そのありさまを“恥”と想う気持ちは、宮部が実は最も大きい。

・・・あの時に完全に藩を乗っ取れていれば。武市の結末を知っていても、後悔せずにはいられない。

「・・・・・・」

宮部の質問に、桂は非常に困った顔をした。

「今日の話は―――・・・」

ト ン ト ン 。扉を叩く音がした後に、閉じられていた門が開き、人が入って来た。時間帯としては夜であり、町木戸も閉めている。

「・・・・・・誰だ?」


「桂さん!」


久坂等下関戦争に参加した面々である。つい先ほど着京した。彦斎と轟 武兵衛もいる。・・・・・・。宮部はホッと、少し安堵した表情を浮べた。

「宮部さん」

稔麿も勿論いる。忘れちゃいけない。其にしても、生真面目で冷静な稔麿にしては宮部に結構(なつ)いている。

「あっ、彦斎先生ーっ!!」

長州藩士の稽古しない夜に道場を借り切っていた山口と佐倉が偶々(たまたま)廊下を通り、人懐こい顔で声を掛ける。彦斎は、おー佐倉さん、息災(げんき)にしとったねー?と、近所のお姉さんの様なユルさで手を振った。

(この師弟は、熊本に居た時に何か良くして貰ったのだろうか・・・・・・)

山口がこうツッコまざるを得ない位、稔麿と佐倉の軟化(特に稔麿の)は目覚しいものがある。

「真木さんに平野さん、無事だった様で何よりです」

久坂はきっちり挨拶(しごと)をしている。流石である。


「―――いいところに全員が揃った。中に入って話をしよう。近況報告といこうではないか」


桂が深刻な口振りで言った。場の空気が一気に引き締る。真木、桂、宮部、稔麿、轟、河上、久坂。無論、他の村塾生や藩士もこの長州藩邸には居るものの、取り敢えず先ず情報を共有すべきはこの人員である。宮部の居る部屋で行なう事となり、彦斎や稔麿も部屋に上がって座布団等の用意を始める。

「山口、佐倉!お前達は茶菓子を持って来い」

久坂も彼等に指示を出す。帰って来て早々忙しい。もう平穏な中久坂と話をする事は無いのだろうなと山口は想った。




―――茶菓子が猛烈な勢いで減っていく。消費しているのは主に久坂等下関より上京して来た者達だった。正確には稔麿を除いて皆門司や国東(くにさき)から来ているので、もっと歩いている。夕飯は食べていない様だ。

・・・・・・画面(えづら)的にシリアスになり難いが。

「・・・済まぬ。気にせず進めてくれ・・・・・・」

稔麿が新たに手を出した饅頭を握って、項垂れる。そんなに申し訳無さそうにされては逆にシュールではないか。

宮部と桂は苦笑するも、内心何だこの展開はと思った。


「―――先ず、下関戦争(オレたち)の方から話をするか」


久坂が口をもごもごさせて言った。茶で饅頭を流し込み、戦況を伝える。

戦況といっても、彼等が現地に居た段階では下関戦争の勝敗は判らない。米艦を戦闘不能にした事と藩そのものが暴走気味である事、各藩の動き、攘夷戦争に対する姿勢等を報告した。久坂が説明している間、残り三人はひたすら食っていた。

「・・・おい、お前ら、ちゃんと話せよ」

「僕と轟先生は道中しゃんとあぁたらば護ったね。其は僕らの仕事じゃなか」

「・・・・・・久坂、お前の分の菓子はきちんと残してある・・・・・・安心しろ」

其は久坂の分なのか?饅頭に一度も手を着けていない真木、平野、宮部、桂の(いず)れかが思ってもいい様なものだが、彼等は、特に宮部と桂は神妙さを通り越し、気まずい顔で互いを見合わせていた。

「―――若殿は、轟さんと彦斎は大人しく長州藩に引き渡された・・・」

長州藩(われわれ)の事は朝幕に関係無く信頼されているという証なのか・・・・・・宮部さんの身も預けると仰られているし・・・」

・・・? 久坂等食い物の話で揉める三人が不思議そうな顔をする。


「簡単な事だ」


饅頭なんていうファンシーな物を食べている時も殺気を放っている轟が声を出す。


「薩に邪魔されたからに過ぎぬわ」

「薩とは、薩摩藩の事か!?」


桂が弾かれた様に訊く。左様。轟は笑みさえ浮べて言った。彼の表情が少しずつ判る様になってきた。

「薩が英と戦をしておらなんだら、俺達は今頃檻の中に居るぞ、彦斎(でし)よ」

!?彦斎は驚いて轟を見た。久坂はぽろりと、咥えている饅頭の欠片を落した。久坂にしては、随分と鈍麻した反応であった。

「・・・・・・――――」

「えっと―――」

彦斎も随分暢気な声で聞き返す。轟はそんな彦斎の反応に、ふんと再び薄ら(わら)いを浮べる。



「気づかなんだか。めでたい弟子よ。永鳥が捕えられたと言っているのだ。(いず)れ細川の手は肥後勤皇党全体に伸びる―――」



「!!」

彦斎が眼を閉じた侭、眉間を険しくする。久坂は饅頭を口から離した。・・・静かにしているが、雰囲気の変化が当人達より凄まじい。

「轟さんは、気づいていたのか・・・」

「当り前よ・・・・永鳥からの連絡が絶えたという事は詰りそういう事・・・・奴自身もその可能性を予測はしていた様だしな」

「予測・・・・・・!?」

重鎮達がどんどん話を先に進めてゆく。重鎮達は知っていた様だが、久坂等は今初めて聞いた。

「・・・・・・玄瑞・・・?」

彦斎は久坂を見て―――・・・思わず、夜闇で円くなっている()を開いた。彦斎が久坂のこの表情を見たのは二度目である。


「―――どういう事だ」


「・・・久坂」


「どうしてそういう事になってんだよ!?」

「落ち着け久坂!」


桂が止める。併し納得できよう筈が無い。つい先日まで一緒に戦ってきたのだ。藩主も協力してくれた。其だけではない。自分が宮部達に出逢って7年が経つ。松陰と宮部が育んだ友情の月日を入れれば13年にもなる。その長い月日、肥後が一度でも長州を貶めた事があったか。永鳥が逮捕されたというのも、只永鳥から文が来ないという事実より導いた憶測だろう。自分の藩主を如何してそこまで邪推できる。

「肥後さんに限ってそんな事は絶対に在り得ねえ!!現に、宮部さん達の人相書は出ていないんだろう!?」

「まだ出てはいないが・・・」

「なら―――!」


「久坂君」


―――宮部が厳しい口調で怒鳴った。・・・・・・宮部にもその色味が出てきている。武市や山口があの時見せた瞳の色味が。



「之は我々の藩の問題だ。君が取り乱して如何する。其に、之迄も同じ様な事は何度もあっただろう!気を(しっか)り持たぬか!」



宮部が叱咤する。宮部が久坂を叱るのは初めての事だった。・・・・・・久坂は床に手を着いて、顔を伏せた侭動かない。

・・・・・・そうだ。之が初めてではない。水戸も、薩摩も、そして土佐も、自分の手から零れ落ちていった・・・・・・掬い上げる事が出来ずに。助ける事が出来ずに。

武市等土佐勤皇党との別離(わかれ)からは、まだ3ヶ月しか経っていない。


其なのに・・・・・・肥後まで・・・・・・・・・


「―――――・・・・・・」

「・・・根拠は他にも在る。落ち着いてよく聴いて欲しいから、明日、淳二郎達も交えて改めて話をしよう。・・・吉田君も、来てくれるか」

「・・・・・・・・・はい」

稔麿は静かな声で言った。態度は落ち着いているが、声だけ微かに震えていた。稔麿も久坂と同じ苦汁を味わっている。


「―――只、誤解の無い様に今日の内に一つだけ」


と、宮部は言った。



「彦斎には、脱藩の覚悟をしていて欲しい」



「・・・・・・」

彦斎は流石に即答できなかった。全員の眼が一筋の光を見出して、縋る様に彦斎を見た。

―――脱藩。周囲の志士はよく遣っている。が、いざ我が身に降り懸ると、何と心細い響きだろうか。

宮部にしろ彦斎にしろ妻子が既に故郷に在る。



「―――私は、脱藩してでも長州側(きみたち)に味方する」



宮部は力強い声で言った。だが、宮部自身も脱藩という響きに恐れをなしているのであろう。拳を握りしめた。


「寅次郎は10年前、私の為に脱藩した。藩と友という究極の選択の中で、友を選んだ。その借りをまだ返していない」


其に―――と、宮部は余裕が無くも僅かにおどけてみせた。

「・・・私は武市さんほど藩への忠誠心は高くないのだ。戻ったところで、今更あそこまで佐幕に肥大化した藩を引っくり返せるとは思わない。捕まる事が必至ならば、尊皇攘夷を成し遂げて、世が変ってから肥後藩(ふるさと)を迎えにゆくさ」

決断ももう少し先でよい、と宮部は彦斎に言った。・・・彦斎は黙っていた。彦斎自身も半信半疑である様だった。

「―――真木さん、平野さん。肥後(われわれ)は今斯ういった情況だ。恐らくは、九州にはもう尊攘派の居場処は無いと見ていい」

肥後勤皇党が本拠肥後での組織力を失ったのだ。肥後は佐幕から見ても西最果ての砦であったが、勤皇から見ても西国の砦であった。九州で“党”として組織的に活動していたのは肥後程度であり、肥後の松村家が力を失うと筑前、筑後、豊前、豊後にある諸々の藩の志士が一挙に保護を失う事となる。

「・・・・・・なるほど」

併し彼等は動じなかった。というより、組織的に動いた事が彼等には無い為、動じようが無かった。久留米藩および福岡藩にも佐幕派と勤皇派の内部抗争は存在したが、真木の場合、出処は西郷 隆盛や横井 小楠等と同じ藩政改革から端を発しており、彼は癸丑前、詰りペリー来航以前に久留米藩より弾圧された。平野は早々に脱藩し、福岡藩の志士ではなく西郷と行動を共にしてきた異色の経歴を持つ。故に、彼等は宮部等とは質の違う所謂“御癸丑以来”であり、尊皇攘夷運動と呼ばれるものは薩摩や肥後の支援を受ける事はあれ単独で行なってきた。後ろ盾が無い点では、清河と同じだ。その事に美学を感じてもいる。


「なれば、肥後人(あんたら)もようやっと俺と同じになったっちゃたいね」


「―――え?」


―――真木と平野の言葉に、宮部は思わず聞き返す。彦斎も注意深い眼で平野等を見た。御癸丑以来は感覚が少し違う。

「平野さん」

桂が諫めようとする。久坂と稔麿も顔を上げた。驚かなかったのは、真木和泉だけであった。

平野は直垂の裾を引き摺って立ち上がった。

「我々にはもう、失うものは何も無か・・・後は、攻めるだけたい」

真木と平野はいつ如何なる時も、神官衣装を身に着けている。彼等の尊皇の証であった。



「挙兵だ」



生野の変の前日譚である。

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