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七十二. 1863年、下関~アイランド・オブ・プリンセス~

斬!!



彦斎の目的は大砲と艦長である。バサッ。帆を切り落し、とんっ、と帆を纏う船体に着地する。大砲は暫く使い物にならない。

艦長の許に駆け出した。軍という組織は、統率者がいなくなれば一気に脆くなる。之は彦斎も経験則としては解っていたであろうが、どちらかといえば久坂が吹き込んだ(というより半ば強引に聞かせた)事である。空気が凍った事を憶えている。西洋兵法の講義をしたと謂っても構わないからだ。

・・・・・・長州人の柔軟性、其は時に頑固な肥後人には理解がし難い。



ジャッ!


ギイイィィィン



―――・・・久坂はワイオミング号を凝視した。銃声の後に刃が擦れ合う音がした。彦斎のあの剣を受け止めた外国人が在る。

「―――・・・」

・・・同じ刀を持っている。

否、彦斎の距離から見れば同じではない。刀ではなく所謂サーベルであるが、この時代の上攘夷屋の彦斎に其が分ろう筈も無く。



「―――What’s your name・・・?」



―――相手が彦斎に話し掛ける。無論、彦斎に通じる筈も無い。耳を貸す気も、無い。


「・・・・・・」


彦斎の剣はいわゆる剣術ではない。我流で、実戦向きの剣で、身も蓋も無い言い方をすれば何でも有りの剣だ。根本は岡田 以蔵や田中 新兵衛と変らない。流れる卑賤の血も。

―――おまけに、夷狄を人間などと思っていない。

力は矢張り白人の剣の方が強い。グ,グ・・・と押し返されてゆく。高下駄が片方、浮いた。だが、彦斎は見上げながら見下す眼で



『―――触れるな。穢れる』



下駄を相手に向かって飛ばし、相手を怯ませる。剣を払って懐に入り、相手の鳩尾を、下駄を履いている方の足で蹴り上げる。

「U・・・・・・!」

斬!!身体が一回転した。相手を薙ぐ。が、相手は腹を押えつつ仰け反って彦斎の刀を避けた。頬の皮一枚が僅かに切れたのみだった。

「な・・・」

玄瑞は眼が離せなかった。何だ彦斎のあの業は。躱せる白人の方も只者ではない。

「!!」

―――右手は鳩尾の痛みと全く関係無い様だった。躱した直後にサーベルを彦斎に向かって突き出す。

玄瑞に太刀筋は見えなかった。彦斎が身体を反らし、飛び退いた事で気づいた。

「・・・・・・」

・・・・・・彦斎の着物は布地が緋い。負傷しているか否かは判らなかった。


「彦斎!!」


久坂が叫んだ。彦斎が横眼で庚申丸を見る。ガクンッ!!船体が突如大きく揺れ、彦斎は平衡(バランス)を崩して後ろに倒れた。


ワイオミング号が急加速する。



「戻って来い!!」



久坂は船縁から身を乗り出して呶鳴る。覗き込むと、あの剛力の白人が身体を起したばかりの彦斎に突っ込んで来ている。彦斎は取り敢えず、片方となった下駄を脱いでいた。

(おい・・・・・・!)

白人が吼えた。同じ手を二度喰らうかと。だが英語である為、獣が意味も無く吼えている事と全く違いが判らなかった。

・・・・・・少なくとも、夷狄を人間と思っていないこの男には。


『―――鬱陶しいな』


彦斎は納刀していた。抜刀術か。鯉口を切る。併し知れているだろう。相手の方が力が強い事を。其に今は勢いもついている。



ジャッ!



「な・・・・・・!?」

投げたのは下駄ではない。武士の魂―――・・・刀だ。とにかく動きは彦斎が(はや)い。けれども在り得ない事には、本差を投げた事だった。


ビッ!


―――海兵隊の軍服が裂ける。が、その剣すら躱すか。其でも今度は相手がよろめく。隙を衝き、脇差で相手のサーベルを叩き落した。無手で猶突っ込んで来る。

「ヌアアーーーーッ!!」

―――剣で受け止めた。(あお)い軍服に緋が飛ぶ。何が起ったのかは判らない。だが次の瞬間に、彦斎の身体は後ろへ反り


とんっ,


船縁に降り立ち、其の侭大きく後ろへ跳躍した。後ろには久坂の乗る庚申丸が在る。


「砲撃用意!!」

久坂が乗組員に指示を出す。彦斎が庚申丸の船体に着地した。



「放て!!」



ドォンン!!



ワイオミング号に向かって放つ。船尾に砲弾が命中した。ワイオミング号は暴走する。

急スピードで後ろへ下がり、庚申丸に体当りして斜めに急発進し、癸亥丸に接触して安芸灘の方角で待機している壬戌丸(じんじゅつまる)に真直ぐ突っ込む。壬戌丸を捲き込んで、ワイオミング号は座礁する。


「やべえ・・・」

久坂は呟いた。壬戌丸もであるが、自身の乗る庚申丸がである。体当りを受けて、船体に海水が浸入(はい)り込んでいる。

「あんな暴走の仕方、アリかよ・・・」

すっ。彦斎が立ち上がる。緋い足袋を海水が浚って水に紅が滲み出している。日頃目線を合わせる位置より更に彦斎が小さかった事に久坂は先ず驚いた。

「お前・・・どれだけ底の高い下駄をいつも履いてんだよ?」

「せからしいわ」

彦斎はブチギレた。


ワイオミング号は浅瀬へ乗り上げた。癸亥丸が追撃と壬戌丸の救助の為にワイオミング号に接近する。併し横から別の船の砲撃を突如受け、撃沈した。淡路島から瀬戸内海へ入り、前田・城山両砲台を相手に戦っていたフランス艦・セミラミス号の応援であった。


「「!!」」


フランスにはもう一つ軍艦が在った。タンクレード号である。タンクレード号は小さく小回りが利き、壇ノ浦砲台に急接近して上陸を試みる。壇ノ浦砲台には高杉 晋作率いる奇兵隊が陣を布いていた。



「奇兵隊!出撃!!」



おおおおおお!!遂に陸上戦となる。淡路方面の守備が薄い。容堂に代ってから土佐が兵力を減らしたからだ。姫路藩も消極的である。




「放て!!」




―――肥後熊本藩主・細川 韶邦(よしくに)がゴキブリの羽根を大きく広げ、叫ぶ。『肥後細川藩拾遺』の歴代細川家略歴には、「十三代・韶邦、英艦を砲撃す」と在る。



ドンッ!!



日向灘からの侵入は防げている。肥後藩が可也の善戦をしていた。矢張りやる気と力の(みなぎ)る藩は違う。

併しながら不思議なのは、1863年時点での下関戦争では、交戦相手は米国と仏国の2国となっている。韶邦の砲撃した英艦とは一体何なのか。


―――遠く薩摩と日向の境にある英艦に乗る艦長は、双眼鏡を使って精しく敵地を観察する。


若い将が敵陣(こちら)に向かって采配の手を伸ばしている。ほほう、あれが戦国武将というものかと英国艦長は思った。

{あの戦国武将(cockroach)が陣を構えておる島は何という島じゃ?}

艦長は双眼鏡に釘づけの侭、隣で海図を広げている航海士に訊いた。

{あれは姫島です、艦長}

{ヒメジマ・・・とな?}

{プリンセスの島という意味です}

{おお!我がグレートブリテン王室に献上するに相応しい}

こんな極東にあるちっぽけな島を献上してどうするよ。併しこの姫島、日本でもイザナギとイザナミが産んだ特別な島だったりする。何よりこの島、黒曜石が採れる。

姫島(あれ)()いものよ・・・}


ドンッ!!


―――英国軍艦が反撃する。姫島のすぐすれすれを砲弾が通過し、戦闘の只中にある周防灘に着水した。軍艦が迫って来た。

「怯むでない。萬里丸!砲撃せよ。奮迅丸!進め。残りの者は陸(いくさ)に備えよ」

英軍艦のスピードが速い。砲撃の死角に入る。船が近づき、視線の位置がどんどん高くなろうとも韶邦は表情一つ変えない。

「・・・萬里丸は下がるがよい」


奮迅丸は―――



ザシュッ!!



―――奮迅丸から黒い影が飛び上がり、英艦に乗り移った。之をする人間は彦斎の他にといえばこの者しか在ない。



轟 武兵衛だ。




「ちえぇぇぃやああああああああ!!」




ヴアッ!!


ザンッ!!


ゴッ!!


ズシャッ!!



船が瞬く間に“解体”されてゆく。轟道場は別に剣術“のみ”を扱っている訳ではない。刀が折れれば無手でいき、銃を撃つ間も与えぬだけの話だ。小細工も要らぬ。

英艦から人が海に投げ出され、周囲の海はみるみる紅く、(やが)て紫に散っていった。


轟がほぼ空に近い船体に着地する。ざぱぁん・と船体が波打つ。持っているのは最早刀ではなく血で練り上げた棒だ。



「―――次に死にたい奴は、どいつだ」



「―――我が子を見くびって貰っては困るわ」

―――韶邦が薄く微笑う。



残った英兵達も自ら海へ飛び込んで逃げる。韶邦公は御満悦だが、先ず在り得ぬ光景だ。でも、彦斎よりも強い猛者が戦うというのなら、()うなる事を覚悟していなければならない。

無人の状態で姫島に流れ着いたその船は肥後藩に拠って回収され、元寇を想わせる出来事で得た物から「神風丸」と名づけられた。

・・・併し、イギリス軍も諦めてはいない。


「・・・エゲレスか。長州は数多の国に喧嘩を売ったと見ゆる」

慶順(よしゆき)さま」


―――スッ。探索方兼書記係の一人が一瞬にして韶邦の傍らに控える。肥後藩はとかく軍事に資金を惜しまない。中でも諜報に入れる力は凄く、新選組関連史料等でも肥後藩探索方の名が度々出てくる。

「何用ぞ」

「は。エゲレス軍艦に関しまして・・・」

探索方が韶邦の耳元で話す。・・・内容を聞いて、韶邦は少しずつ眉を曇らせてゆく。

「おのれ島津、毎度邪魔ばかりしよって・・・」

歯噛みし、武兵衛!と鋭い声で轟を呼んだ。轟が殺気に塗れながら穏かな声で返事をし、遣って来る。韶邦は冷静さを取り戻していた。

「我は姫島を離れ、天草灘に陣を布く。お主は引き続き、此処姫島の守備に当れよ。お主と彦斎は、暫し毛利に預けておく」

実はこの時、鹿児島湾にて薩英戦争が勃発していたのだ。韶邦が打ち払ったのはその戦争に関係する船と謂える。故に英艦なのだ。

英艦は7艦、その内何艦かはこの様に北上しようとしているらしい。韶邦の不在時、熊本城には薩摩を掩護せよという幕命が来ていた。

(徳川も墜ちたものよ・・・対岸の火事と思って凡て西国の佐幕(われ)に押しつけよって)

「毛利にも報せよ。武兵衛は毛利が命に従え。撤退は毛利が命令の後にせよ」

「―――撤退無ければ、何をしても宜しいので!?」

轟は喰らいつく様に訊いた。轟個人には撤退する要素が何一つ無い。無論、韶邦の其はその事もきちんと理解した上の言葉である。

「島が沈まなければ其でよい。好きに遊べ」

轟がニィ・・・と哂う。韶邦も口許を隠して(わら)った。肥後は人間兵器も各種取り揃えている様だ。




だが、韶邦が姫島を離れて以降、下関戦争は思わぬ展開を見せ、姫島は奪われる事となる。

先ず、庚申丸・癸亥丸・壬戌丸と軍艦3隻を破壊された事に因り、海上で戦う手段を失った。地上で如何に無敵でも、立つ背が無ければ沈むのみである。

庚申丸は海水を含んで沈みながらも、何とか手近な企救(きく)半島(北九州市門司区)に辿り着く。此処は小倉藩領だ。


「玄瑞と河上さんは此の侭京へ向かってくれ」


「剛蔵さん!?」


艦長・松島 剛蔵が言った。戦争はまだ只中である。

久留米藩が奮戦して何とか他船の進入を防いでいる。併し、此処小倉藩は長州藩と向かい合う最北端の地であるにも拘らず、兵一つ寄越さない。庚申丸に乗っていた砲撃隊達が挙って小倉藩に攻め入った。長州藩と小倉藩の間で内乱状態になる。

ドォン!!

小倉藩の砲台が長州兵に奪われ、乱発される。

「お前らっ・・・」

(かつ)て松下村塾生のみが過激と言われてきたが、何だ之は。藩士が暴徒化している。小倉藩に対して行なっている事は、略奪行為である。

「久坂」

「!」

彦斎が久坂の腕を掴んで止めた。

「俺も京へ向かうべきだと思う」

―――彦斎は長州兵達を感情の無い眼で見つめていた。只真直ぐに底の無い瞳で、只平坦な声で言ったが、そこが妙に怒っている様に感じられた。

「ぬしを死なせる事こそが、長州藩の損失・・・俺には今脇差しか無い。ぬしが暴動()の中飛び込んでも護り切る事は出来ぬ。止めに入ろうも反逆と取られて殺さるるだけぞ」

「お前・・・」

「頭がいなくなれば兵は統率を失い、脆くなる・・・今のこの状態、ぬしを(うしの)うて長州藩全域が窮するよりはましかろう。晋作に、確り教育しとうて貰わんばな」

「・・・・・・」

彦斎に聞かせた西洋兵法の一節を返され、久坂は言葉を失う。猶殊更に彼を弁護させて頂くと、長州藩の士分未満の者の民度というのも微妙なもので、高杉でさえ彼等を持て余しており、彼等の暴走の責を問われて奇兵隊の総督を更迭される事となる。

「米艦は大破した。其であなたがたの仕事は果している。ここからは対岸の者達の仕事だ。京にもまだ仕事を残しているのだろう」

「―――ああ」

と、久坂は答えた。肥後の者達をいつまでも借り続ける訳にもゆかない。彦斎に至っては履物も武器も無いのだ。

「・・・轟さんと吉田を回収しないとな」




―――攘夷戦争の最中、久坂と稔麿、轟、河上は帰京する。長州藩、戦局の悪化と薩英戦争の報告に肥後兵を肥後藩に返す。

姫島は撤退に依って英国が上陸し、翌年の戦争まで米国と兄弟で仲良く利用した。




―――。彦斎がふと四国の方角に眼を遣る。座礁したワイオミング号があった。彼等も同じ様に、船体内部より人が出て来ている。


―――先程、彦斎と互角の戦いを繰り広げた男も生きていた。彦斎を見ている。


・・・彦斎はすぐに背を向け、内陸の方に姿を消す。無事そうで何よりだ。男の様子を見に来たマクドゥガル艦長が、男の見ていたものと同じものを見、苦い顔をした。

{戦い方にルールも何も無い奴だったな。まさに獣だ}

{ええ―――・・・併し、恐ろしく強い}

What? マクドゥガル艦長が聞き返した。・・・男は手が震えている。そのくせ、顔はわなわなと哂っていた。



{“獣(BUGS)”ではなく、“化物(BOGLE)”かも知れませんよ}



この男は翌年の下関戦争―――四国連合艦隊の報復戦争に非常に積極的で、シセロ=プライス代将の指揮するタ=キアン号に乗って再び長州を攻めに来る。


{獣(BUGS)にせよ化物(BOGLE)にせよ、人ではない}

{ええ人ではありません}


男は肯いた。



{―――ですから、こちらも人から外れなければコミュニケーションなんて取れません}



マクドゥガル艦長は唖然といった顔をした。コミュニケーションを取ろうなど考えた事も無い。人間ではないのだから。


{・・・・・・次に長州藩と戦争をする事があれば、あの化物(BOGLE)の相手を私にさせてください}


・・・だがあの者達は自分達こそが人間で、お前達こそが獣だという眼でこちらを見ている。勝った方が正義だ。併し之迄保障されてきた筈の“正義”が、揺らぎつつある。自分に近い強さを持つ者が、人間(じぶん)に近い存在がいる事が面白い。

どちらが“正義(ひと)”なのか、試したくなった。

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