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七十. 1863年、長州~奇兵隊、誕生~

―――下関へは萩より丸一日掛る。併し晋作は馬を持っていた。自力じゃねぇのかよと固い事を言う彦斎を並走させて下関に半日足らずで到着する。


下関の光明寺で本陣を組んでいた久坂は、鉄拳を用意していた。




彦斎は流石に少し息を上げていた。之で上げていなければ最早人間ではない。馬と並走している時点で既に人間か怪しいのに。

彦斎の前には馬に跨った侭の晋作が立ち止っている。

「?」

彼等は光明寺に着いた。詰り、久坂等と合流した事になる。再会でも喜べばいいのに。彦斎は馬の後ろからついと顔を出して前の様子を覗き見た。

「何ね晋作、玄瑞のおっ・・・」

他人の放つ空気に疎い彦斎も思わず言葉を詰らせた。晋作は如何やらその空気に身体を硬直させていたらしい。晋作どころか馬も、後ろに居る彦斎くらい蹴ってもよさそうなものなのにぴくりとも身体を動かさない。

「・・・」

久坂は彼等の前に立っていた。出迎えに来てくれたのだ。併し、何だか様子がおかしい。

「―――馬から降りろ」

・・・久坂が低い声で呟いた。晋作は咄嗟に言われた通りの行動を取れなかった。無理も無い。彦斎も初めて見る久坂が其処に居た。

「上から人を見下ろして、失礼だろうが。お前」

・・・・・・。晋作は黙って馬から降りた。山縣 狂介が時宜(タイミング)良く現れ、晋作の馬を引いてゆく。

河上さん。彦斎は山縣に呼ばれ、怯えてへっぴり腰になっている馬の横に並んで歩いて行こうとした。

こちらが馬を見ると、馬も此方を見る。走る速度も丁度よかったし、似ている、と互いに思った時だった。


―――硬いものが強くぶつかる音がした。


・・・彦斎は久坂と晋作の方を見た。同じ頃、晋作の馬が前足を上げて暴れ出した。山縣が、どう!どう、どう!と馬を(なだ)め、已む無く彦斎を置いて先に馬小屋に連れて行く。

「ーー・・・っ、てぇ・・・・・・」

晋作は声の割に落ち着いた眼つきで、腫れ始めている唇から流れた血を拭った。久坂の堪忍袋の緒が切れ、鉄拳制裁が下ったのだった。



「お前、この一大事に何してた!!」



久坂が怒りをぶちまける。久坂はこの攘夷戦争が決った時から、出家後の晋作にずっと参加を呼び掛けていた。いい加減立ち直るべきだと、引き籠っている場合ではないと思い、海外の土を踏んだ高杉の“識”が必要なのだと何度も懇願の手紙を送っていた。久坂は、松陰の言葉を忘れていなかった。


「・・・・・・済まん」


晋作はもう理解していたから、すぐに素直に謝った。だが、久坂の溜りに溜った怒りは其では収まらない。

「腑抜けた内容の手紙ばかり寄越しやがって。お前からの手紙が来る度に肥後さんにどう顔を合わせていいのか分らなくなったぜ」

玄瑞がここ迄激しい素の感情をぶつける相手は恐らく晋作だけであろう。晋作も自身の非を認めなければ容赦無く反論して其は凄い喧嘩になるのだろうが、今回は早々に認め、大人しく聴いている。彦斎は微妙に冷や汗を掻きながら幼馴染同士の素の遣り取りを見守っていた。

晋作も我慢強いものである、と思う。肥後人同士であったらば片方若しくは両方が此の世から消えている。

「・・・・・・」

・・・・・・と謂うのは大袈裟だが、彦斎が斯ういった経験をする事はまず無いであろう。



「いいか、今は乱世だ。人はそりゃ死ぬ!」



―――晋作の胸倉を掴む玄瑞の拳は固い。


久坂とて、直接手を下してこそいないものの何人もの刺客を雇い、殺人を指示してきた。昨夜だって一人の人物を葬った。今夜も一人葬る。

自身の起した殺人の象徴を目の前で直視させられる。

武市が以蔵を視界に入れたがらなかった理由が、最近になって解る気がした。彼等が被害者の血に濡れて帰って来る度、晋作を責めた自分が解らなくなるのである。たった一人を而も与り知らない処で亡くした彼を責める裏で、自分は何人殺している?

晋作が己を責め続けるのも腹立たしく思った。晋作の知らない処で、何人の同志が命を散している事か。知らぬからいつ迄経っても慣れぬのだと想う。そう想う度、今度は同志の死を軽視している様で久坂は苦しんでいる。


高杉は人を殺せない。―――自分は人を救えない。


「!」

山縣が戻って来た。・・・山縣と今夜の殺人について淡々と打ち合わせをしていたが、彦斎と山縣は会話の途中で言葉が途切れ、眼を円くして二人とも同じ方向を見る。晋作は目前にしていた。



「・・・・・・・・・」



・・・・・・彦斎と山縣はすぐに視線を逸らした。他藩人の彦斎と後輩である山縣が見るべきではないと思ったのである。二人の会話も途中で終えた。


「―――・・・」


・・・彦斎は出し抜けにきじうまの仮面で表情を隠した。わっ!ひょっこりと出てくるぎょろりとした顔に山縣は愕く。

「えっ何の意思表示であります」

山縣が冷静に尋ねる。彦斎は仮面を外した。欠伸の跡が在った。

「仮眠ば摂らせちはいよ。何せ夜通し走って来たったい。・・・今夜の殺人の精度を欠いたらいけん」

左眼の下のほくろが水気を帯びて揺れる。


久坂は一気に捲し立てた為に息を切らした。・・・・・・っ。久坂は胸倉から手を離した。

「・・・だが、誰も何かの犠牲になる為にこの前線に立っている訳じゃねぇ。死ぬ覚悟はあるが死のうと(はな)から思ってなんていないぜ。高みの見物で人に勝手な見切をつけてんじゃねぇぞ。人の死が怖いなら其を遠ざける努力くらいしろ!」

瀬戸内海からの潮風が強く吹いた。風の吹く音の大きさに山縣が眼を見開く。ぴゅうぴゅうと吹く音が悲鳴を上げている様に聴こえた。


「・・・・・・高杉」


―――風が猶叫びを上げている。久坂は激情を風に任せ、落ち着いた声で晋作の名を呼んだ。



「お前が隊を率いろ」



山縣が最も驚いている。無論晋作も之には明らかな反応を示した。二人とも意外そうな顔をしているが、久坂は始めから斯うする心算であった。



「お前が長州藩を救うんだよ」



「――――・・・」



晋作こそが状況を打開する力を持ち、リーダーに相応しい器の人物であると久坂ほど確信している人間は在ない。久坂はこの時の為にこの光明寺に陣を敷き、隊を創った。


「―――どの隊だ」


・・・晋作は表情を引き締めた。

不思議な程知られていない事実だが、高杉が創ったとされるこの画期的な隊は久坂より端を発している。更に言及すれば、吉田 稔麿もこの時同じ様に―――・・・否、其以上に革新的な案を提言していた。



「この隊だ」



―――吉田 稔麿が現れる。



「――――」

晋作が振り返る。稔麿と共に入江 九一も居た。夫々が隊を率いて寺の門をくぐる。ここにきて、松門四天王の四人全員が漸く揃った。

「英雄は遅れて参上ですか?晋作」

入江がニコニコと挨拶代りに冗談を言う。

「―――何だ、こりゃあ!?」

晋作が周囲をぐるりと見回して言った。語尾が跳ね上がっている。そう言うのも仕方無い。服装はばらばら、刀の差し方も滅茶苦茶、中には帯刀していない者も居り、どう見ても武士でない身分の者達が交るどころではない、そういった身分の者達ばかりが大雑把な隊列を作っている。上半身裸のどう見たって力士が手水(ちょうず)を切るポーズでお寺に御入場なすったのを目撃すると

「っははっ」

と笑って力士の許へ行き、出ている腹をぺちぺち叩いた。晋作は、もうすっかり元に戻った。



「四民(市民)軍だ」



久坂はツッコまずすぐ説明に入る。


「四民軍?」


「見て分るだろう。百姓、町人、中間、足軽、神官、力士、僧侶・・・俺の呼び掛けに応じてくれた、四民に関係無く(くに)を守ろうとする志を持つ者達だ。他藩の志士も居るぜ」


晋作は身震いした。空気で人を殺す殺気を持つ轟 武兵衛が寺の本堂の扉を開けたからである。だが、晋作はいつもの臆しない態度で

「誰だ?―――」

と、訊くと、轟は陰影に隠れた顔の奥で、ニィ・・・と晋作に向けて(わら)ったのが誰の眼に見ても判った。

「彦斎の師匠さ」

「彦斎の?」

「ああ」

厳しい表情をしていた玄瑞が、漸く口の端に笑みを浮べる。

「―――長州藩の鬼神だよ、肥後人(あのひとたち)は」

今回は鬼神が所属する肥後藩の加護もある。武市より託された、土佐藩の脱藩浪士達もこの光明寺党に加わっている。


「見ろよ」


玄瑞は言った。


「お前が嫌っている他藩の人達が一番協力してくれる。お前がよく知らない軽輩の者達の方が、お前の同僚達よりも高い志を持っている。上士階級にも一応声を掛けたんだけどな、結局一緒に戦ってくれたのは彼等だけだったよ」

ま、軽輩(オレ)が言ったからなんだろうけどな。

足軽・吉田 稔麿。足軽・入江 九一。中間・山縣 狂介。百姓・赤根 武人。玄瑞自身は身分が低い訳ではないものの、併し決して高くはない。そんな彼等だからこそ、身分や所属に囚われる事の無い革命的な軍を創る事が出来たのだろう。之は晋作の功績ではない。

では、晋作の評価されるべきところは。



「この四民軍を、お前に遣るよ」



「!?」



晋作は愕き、もう一度周囲を見渡した。晋作の凄いところは、彼自身が此処に居る事だ。上士階級の晋作が呼び掛けに応じてこの場に飛んで来る事が、既に奇跡なのである。無論、晋作にしてみれば友に励まされたというだけなのだが、彼の様な上士が松下村塾で学んでいる事、更に遡れば軽輩の玄瑞を幼少から友として接してきたその差別意識の無さが、長州と謂えどこの封建社会では稀有だった。―――だから、玄瑞は隊を用意できた。


「―――おもしれぇ」

晋作はむぎゅ、と力士のお腹を掴んだ。



「此の侭、夷狄と一緒に上士階級のヤツらもぶっ飛ばしちまうか」



おおおおおお!!と民兵達が沸いた。おお。彼等の気合いに晋作が驚く。晋作の言葉には力が有る。晋作のカリスマ性が再び輝きを放ち始めた。

晋作が評価されるべきところはその柔軟性とカリスマ性と実行力だ。晋作はこの隊を継ぐとすぐに、パトロンを見つけて本陣を移し、武器を一人一人に支給して付け焼刃ではあるが訓練を行ない、正規兵を圧倒させる軍に昇華させた。之は玄瑞では晋作に敵わない。

「“四民軍”か。捻りの無ぇ名前だな」

「変えればいいだろ」

玄瑞は言った。

「元々名なんて付けてねぇんだよ。お前が付けると思ってな。その顔、どうせ叉突飛な名前を思いついたんだろ」

玄瑞は晋作のネーミング‐センスに毎回期待をしている一人である。そして、彼のつけた市民軍の名前が日本史の教科書に載る事となる。


「されば」


晋作はふっと表情を緩ませて、この時ばかりやけに古風な口調で言った。



「『奇兵隊』」



吉田 稔麿の『屠勇隊』も之と同じ頃合で出来ている。

稔麿の率いていた部隊は他の部隊と比べ、より服装がみすぼらしく、刀を差す者は皆無であった。異臭の立ち昇る者も居り、其が死臭であり血の臭いが混じっているのだと気づいた時、晋作の中での死の認識は叉一つ大きく変った。

「部落民か」

「ああ。―――まだ戦闘経験は無いが、志願を受けたので連れて来た。俺は、此度の戦争を機に総ての身分から人を解放する必要が有ると考えている」


稔麿は今回の下関戦争に“攘夷”よりも先にあるものを見据えていた。其は、幕府を倒した後の事、天皇擁立に依る新政府の制度である。身分など所詮、幕府が定めたもの。幕府を倒し、真っ(さら)になった世界では万民が平等に暮せる世にする事が稔麿の胸に秘めた理想である。長州藩は今、敗戦の危機から階級に構っていられる情況ではなくなっている。この機に乗じて階級制そのものを廃し、晋作の言う通り夷狄と共に長州藩上層部も追い出して仕舞う魂胆でいる。

晋作は冗談なのか本気なのか判らないが、稔麿は本気だ。

稔麿は藩内での差別に苦しんできた人間である。

身分を問わないだけでなく、四民に含まれない被差別部落民を解放する事で組織される軍『屠勇隊』―――・・・毛利 敬親・定広父子は流石に絶句したらしい。併し最終的に取り立てを指示している事から、長州藩は矢張り相当に開明的な藩であったと謂わざるを得ない。


「だが久坂、お前は隊から外れて如何する」


稔麿が玄瑞に尋ねる。晋作に首領の座を渡すと、玄瑞があぶれる。御楯組の時の様に副首領になる気は如何も無さそうだ。

「んー、俺は・・・」

・・・・・・。玄瑞は辺りをきょろきょろ見回した。彦斎が居なくなっている事に、今頃になって気づく。・・・もう一度見回す。

「・・・・・・――――彦斎は?」

玄瑞が山縣に尋ねる。山縣は少し吃驚する。今回の驚き役である。

「河上さんなら仮眠に行かれましたが」

「・・・・・・」

・・・・・・そうか。低い声で玄瑞は呟いた。・・・悩みの尽きぬ男である。晋作との諍いが片づいた矢先

(彦斎・・・・・・)

仲間の結集の刻には既に姿を消していた彦斎に、玄瑞は気を回すのであった。




―――光明寺より16町(1.5km)、瀬戸内海に沿う様に歩いた処に、妙蓮寺たる寺が在る。その南隣に呉服屋が在り、その二階で中島 名左衛門は涼んでいたと云う。風呂上がりで、窓を開けて鈴虫の鳴き声を聴いていた。



からん,からん



すっ


・・・・・・まるで夏祭りに来たと錯覚する様だった。屋台で売っていても違和感の無い原色のあしらいに大きく円らな目を模したお面。子供がお面を着けて歩いて来た様に見えた。

「・・・あれ?あんた」

中島はきじうまを知っている。少数ながら肥前にもきじうまは東九州独特の文化として流入し、模造もされている。

其はきじうまのお面だった。



斬 ――!!



抜き打ちで中島を斬った。併し、中島は体格がいい。砲台を独力で築けるだけに筋肉もついている。

ひゅっ!

彦斎は即座に二刀目を放ち、中島の両足首を切り落す。中島は反り返って倒れた。悲鳴が咽喉を突き抜ける前に首を切り落そうとするも、中島は声を上げなかった。


ガッ!!


彦斎の三刀目を中島は掴んだ。彦斎は内心驚いたがすぐに己の膝を中島の咽喉に落す。空気の遮断に、ぐはっ!!と中島が叫んだ。

中島の指がばらばらに床に落ちてゆく。刀で其の侭中島の額を薙いだ。薙いだ刀を左手に渡し、右手を添えて両腕で中島の顔面に突き立てる。



ズ ドン ッ



―――衝撃で中島の指のある手が肘から跳ね上がる。指が咄嗟に彦斎の耳を掴む。


ブ ツッ


―――頸動脈より血が噴出し、中島 名左衛門は絶命した。・・・・・・紐が解け、きじうまの面が部屋の端に飛んでゆく。露わになった素顔は噴出した血を盛大に浴びた。


「・・・・・・・・・」


・・・・・・彦斎は立ち上がり、お面を拾い上げた。からん,からん・・・袖で血を拭い、再び仮面をつける。




からん,ころん




―――数日後、彦斎は海上に居た。『壇ノ浦の戦い』が、始った。

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