六十五. 1863年、翠紅館~肥後藩主・細川 韶邦~
永鳥が玄関の戸を開ける。
「!」
血が黒々と凍土の画布を破り、浮き上がった氷が白く光った。清正の墓を前に血の雪が降り、燈籠が黒く染まり、地面が白黒雑じり合う汚い色となった。
更には、夥しい数の敵の刺客―――否、兵と謂ったが適切かろう―――が、佐々のこの家を包囲している。
(藩兵――――)
細川の離れ九曜の旗が、武具が、熊本藩からの兵―――藩の警察である事を示している。
―――馬鹿な。
彦斎の一件だけでは之程の兵は出せない。『緒方 小太郎』についてすら自白証言が取れていない状態で、藩が大きく動く筈も無い。
一体何の権限があって、緒方は藩兵どもを動かしている。
「―――・・・永鳥 三平―――」
―――。永鳥は大きく肩で息を吸った。之の所為だ。永鳥の同志が来なかったのは。
「俺ゃあ佐々 淳二郎の一族・国友 半右衛門。淳二がかんな世話になった様ばいの」
「貴方が・・・淳二郎の何であろうと俺には何の興味も無いですばってん、一体何の用ですばいね。捕縛したつや、其とも・・・殺したつや?」
―――永鳥の味方であってくれるのは、最早己の太刀と脇差しか無い。
永鳥は氷に落ちた黒い水玉を指さした。この水玉の末路を教えろと言う。
「―――藩士の自殺が多か事を、藩主さまは嘆いとんなはる」
―――ジャッ!と永鳥が脇差を抜いた。刃を己の腹に宛てる。
訊かなくとも判っていた・・・肥後人とはそういう生き物である。
室内で戦っていた肥後勤皇党の志士は、緒方に後一歩手を伸ばしたところで斬死した。最後の力を籠め、縄を振り切って自害した。
九曜の紋を掲げた者達が、続々と屋外へ出て来る。
「―――・・・肥後勤皇党は、藩の敵か」
―――永鳥は脇差を振り下ろす。ザ ッ 。 ・・・と、霜を踏み折る音がやけに大きく聴こえた。
ポ キ・・・
「・・・・・・三平・・・・・・」
「――――」
永鳥は己を斬り損ねた。その音を鳴らしたのは、その声の主は、永鳥にとって最も身近な人物だったからだ。
「・・・・・・―――大成―――・・・・・・」
―――実兄である松村 大成が、古閑 富次の情報をくれた淳二郎の従兄弟・桜田 惣四郎に連れられて遣って来たのだ。
「惣四郎・・・・・・・・・」
永鳥は嗄れた声で言った。だらんと脇差を力無く下ろした。再び、激しく咳き込んだ。
「以前は、惣四も世話になったと聞いとる」
国友は科白とは裏腹の恨みの籠った眼で永鳥を見ていた。永鳥はふっ・・・と哂った。
「惣四はこん様に全うな道に戻った。次は淳二の番よ」
佐々は一族の大きさが故に、一族そのものが例の3つの党派に分裂している。一族内には、佐幕、尊皇、公武合体、攘夷、開国、全ての思想が飛び交い、入り乱れていた。
―――其等を一つの思想に統合しようとする動きが、佐々の間で始っている。無論、その様な御家事情など永鳥が知る由も無いが。
「・・・いつからこの藩は一党独裁の藩になったつね?」
―――要するにそうだ。藩兵を出してきたという事は詰りそういう事であろう。勤皇党は勤皇党で藩を生き残らせる術を模索してきた。其等を逆賊と見、之迄あった言論の自由を完全に否定する。自由を与えた目的とは何だったろうか。幻想に泳がせて藩政から民の気を逸らす為か。
そうではなかろう。
「一党独裁」
国友が淳二郎に似たぼんやりした顔をして鸚鵡返しをする。―――併し、すぐに永鳥の言った事をきっぱりと否定した。
「・・・其は違うばい。すべては慶順さまの御命令。一党も何も、決めなはるのは藩主さま唯御一人。どぎゃん時でも、どぎゃん結末に向かおうと、藩主さまについてゆくのが我々熊本武士だけんの」
「―――玉砕は常に覚悟している。ばってん、只従うだけならば細川は何故民にまで知識を行き渡らせた。自由な発想を与えた。其は藩が危機に瀕した刻に、従うだけじゃなく智慧で助ける“頭脳”を熊本武士に求めていたけんじゃなかとね」
「・・・・・・」
国友は呆けた顔で永鳥を見下ろした。勤皇党の幹部だけあって藩を度外視していない。・・・そして、肥後人の類に洩れず、本質は議論好きである。
「・・・・・・生憎、熊本藩は議論ばしに来たとじゃなかったい」
国友はすげなく言い放った。国友にとって永鳥は、一族の者を誑かした悪しき妖怪である。熊本藩が長州藩に対しそう思っている様に。
藩士に判断を委ねた結果が、この同胞殺しではないか
「勤皇党ならびに実学党員の身柄を拘束する事が藩命ばい。・・・勤皇党はいい様に避けたのー御兄上とあたしかおらん」
おっと。永鳥が固く脇差を握りしめたのを見て、国友が桜田に合図を送った。じゃらりと大成に繋がれた手鎖が音を立てる。
「あたには淳二の再教育に協力して貰いたか。拒否して自害でんすれば―――其処の松村 大成(御兄上)がすべてを被るばってん、よかかいね?」
「・・・・・・」
―――国友は黒く水玉で穴の開いた白い水溜りの先を見ながら言った。外の勤皇党員も死んだ。足手纏いにならぬが為に。
「―――フーフフ」
緒方が機嫌のよい表情で永鳥の背後に降り懸る。酔いは醒めていないにも拘らず、寸分の狂いも無く気配も全く感じさせなかった。
「三平・・・・・・っ!!」
「・・・改めまして。私の本名は古閑 富次。肥後藩探索方です」
・・・緒方が永鳥の耳元で囁く。緒方の指は既に永鳥のくびを捕えている。
「貴方には用途のいっぱいある・・・死ぬにはまだ早かですよ―――之から宜しくお願いします」
古閑はにっこりと微笑みかけた・・・・・・河上 彦斎、佐々 淳二郎、そして肥後勤皇党。あらゆる罪が、永鳥一人の肩に圧し懸る。
――――
頸元に手刀を浴び、永鳥は気を失った。脇差が永鳥の手から滑り落ち、床に突き刺さった。
ドッ
「――――・・・っ!!」
三平!!起きんね、三平・・・っ!! 大成が必死に呼び掛ける。古閑が永鳥を抱え起し、武器となり得る物全てを取り上げた。
「存外に甘か男だったですね」
古閑は据わらぬくびを見下ろして言った。
「・・・佐々はこの幕末(世情)に於いて最も信頼に値せん一族というとに」
・・・桜田が呟く。佐々の一族は肥後の地の事を誰よりも客観的によく解っている。と同時に、佐々は肥後全体の縮図であった。
そういう環境であるが故に、中には途中で思想の変る者も出てくる。嘗て尊皇攘夷であった者が、藩政府に出仕し、藩主に御目見えする事で転ずる事も、あるのだ。
凡そ一枚岩の勤皇一族である松村家や、政治思想と関係無く神話の地で神の意識と生活を共にしてきた宮部達とは、違う。
「・・・・・・ばってん、脇が甘くても抜け目は無か」
先程の死んだ部下達を除いて殆ど勤皇党員が肥後に残っていなかった。古閑が潜入して以降、永鳥は自分の部下を少しずつ藩外に出していた様だ。
朝廷の保護下となる御親兵に志願させたという話も聞く。
「―――孰れにせよ、こん男は遮二無二でん散かしてくれた。此の侭死なせれば、肥後藩士は二度と戻って来ん。かといって生かしてもおけんばい」
古閑が時期の後半に顔を合わせていたのは党員ではなく、轟の道場に通う武術門下生に過ぎなかった。そうである事に気づくのが後れたのは、古閑の若さと其故の勤皇思想の理解の粗さだ。殆ど若い党員にしか会わせなかったのは、単に若者に先に犠牲になって貰おうという意図ではなかったという訳か。長老は如何しても余計な入れ知恵をする。
(―――・・・)
古閑の顔から笑みが消える。切れ長の瞼の下にある眼は真黒で感情が無かったが、どことなく昏い。笑みが無いと印象ががらりと変る。
「―――運び。兄の方を歩かせよ。したら駕籠が空く」
「はっ!」
・・・ふらりと立ち上がろうとして、口を押えた。どれだけ飲まされたか。気丈に振舞うだけで精一杯だった。
―――勤皇党幹部の一人を手中に落した。併し其は長い道程の始りに過ぎぬ。
「自白させる必要はありまっせんよ。どうせ何人かは京に居る」
古閑はそう言った後、軽く溜息を吐いた。佐幕派や家臣団には此処肥後の地しか無いが、実学党や勤皇党にはいつの間にか別の“故郷”が出来ている。突然広がる大きな世界に出るのは途方も無い事だが、見つける為には外に出なければならない。
「・・・後はこの先生に、一日でん長く息だけはしとって貰わなん」
肥後を離れて。
(―――・・・京へ)
矢張り凡ては、京という地に集約される。
「・・・・・・」
大名というのは、少しばかり感覚がおかしい、と思うのは筆者だけであろうか。賢侯であろうとなかろうと、どこか庶民とは懸け離れた壮大な発想力をお持ちの様である。土佐の山内 容堂然り、薩摩の島津 久光然り。
我等が肥後の11代藩主・細川 韶邦もどこかその気がある。否、肥後細川家がと謂うべきか。同様に、土佐山内家、薩摩島津家と謂うべきかも知れない。
只、この藩主はこの集約の地・京へ来ても猶、京の世情に興味の無さそうな表情をしている。京は藩祖忠興の故郷でもあるのに。
「・・・・・・早う肥後へ帰りたいわ」
若君韶邦が気紛れに紡ぐ呟きに、越前の松平 春嶽は胆を焼かれて逆に冷や汗が吹き出し、薩摩の島津 久光は春嶽の狼狽ぶりと韶邦の科白に笑いを吹き出した。
・・・・・・。韶邦は春嶽をちらりと横眼で視る。春嶽の反応の方が滑稽に見える不思議さがあった。
油小路二条下ル西、福井越前藩邸。16代藩主・松平 春嶽は自藩の藩邸に肥後と薩摩の最高権力者を招待し、両者の仲を取り持つと同時に“肥後の牛若さま”の御機嫌取りに胆を消した。無論、韶邦はそんな事を頼んでなどいない。只、春嶽が彼を怖がっていた。
―――怖いといえば、この島津 久光も。
西の大名は頭がおかしい、と松平 春嶽は内心びくついている。久光の起した寺田屋事件にせよ、今日肥後と越前の間で浮上している小楠の引き渡し問題にせよ、民を果して人と思っているのか。
―――斉護と斉彬の頃は良かった。だがあの頃は時代も違った。
今は戦国の世の様に乱世である。こんな世になると、先祖の血が騒ぐのだろうか。後の平和な世で『戦国DQN四天王』と銘打たれる、抜きん出た行動で国を手に入れた武将の子孫のツー‐トップが春嶽を挟んで相対している。
「・・・・・・」
―――ヤンデレの元祖であり『狂乱の貴公子』と称された戦国一のインテリヤクザ、『西の忠興』。
「―――」
―――家臣キラー(本当に暗殺)であり、朝鮮出兵で自兵が朝鮮に帰化した通称『司馬炎』、『南の忠恒』。
因みに、他の四天王は『北の荒れ馬』伊達 政宗、森 蘭丸の兄で『東の鬼武蔵』こと森 長可。伊達の子孫の方は春嶽のマブダチだが大丈夫か。「アーユーレディガーイズ!?」とかDQNな発言はしていないだろうか。してそうだな。
「いいじゃあないの。君は今回上京する事で船を一隻手に入れた。越前藩(松平君)からも藩士を返して貰えるんでしょ?」
「旧式を更に使い古した廃船を我が藩に押しつけたに過ぎぬくせに何を申すか。代価は国許に届けさせておいた。之で帳消しに致せ。其と、平四郎(小楠)は我が藩の子ぞ。本来であれば交換条件の対象にもならぬわ」
久光と韶邦は親子ほど齢が離れている。久光は右から左へと聞き流し、煙管からぷかぷかと煙を吐き出す。細川の姿が白く靄がかる。細川の言葉に蒼くなっているのは春嶽の方である。
(・・・・・・矢張り細川はその為に・・・・・・)
「お互いに悪い子がいると大変ね」
「抜かせ。主も主の子も為しておる事は変らぬわ。天下人となるが己でないのを厭うておるだけであろう」
細川 韶邦当人には、横井 小楠を抹殺する意図は特に無い。ただ帰藩の必要性が有る、そういった韶邦自身の判断だ。
「我が藩に悪い子などおらぬ。只、我が藩には我が藩の色というものがある。自由な色を持つ事は良い事よ。細川もそうなるよう育ててきた。さればとて、戦に作法が存在し、作法に則って遣らねば要らぬ禍根を生む様に、色にも染め方があり、其を誤らば混ざらず汚れた色となろう。その作法を我は教え損ねた様だ」
如何にも法と倫理を重んじる細川の喩えである。いい例が煙管を喫している。春嶽は自身も若君の怒りの対象にいる事に気づいた。
姉を盾にした越前藩は、この若君にとって薩摩や夷狄とそう変らぬ。
「道理より外れし子を導き戻すのも―――・・・藩主たる我の役目」
―――色は決っている。確かに自由は与えていた。民の意思を出来る限り尊重し、常に門戸を広くしてきた。だが其は細川が常に一歩譲っていたという事でもある。
その信頼から、いざという時に殆どの民は力を貸してくれた。が、偶に刃となって返って来る事がある。その際は容赦無く鎮圧するというのが、細川と肥後人の、明示していないながらも契約であり約束事だった。
実はこの遣り方は、佐々 成政治世の時からさほど変っていない。まさに火山の如く、肥後人はどれ位かの周期で溜りに溜ったエネルギーを爆発させる。国主達はその度に雷を落し、肥後の地の秩序を取り戻してきた。そうして漸く一つの方向性へともってゆく。
その為の54万石でもある。
今回もそうであった。だから“仕置き”だ。少なくとも細川にとってはそうであった。
今こそ色を一つに戻すべき刻。
(・・・・・・京には他の子等も居る。その子等も連れて帰らねば)




