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五十八. 1862年、粟田山~暴走~

「1862年、江戸」



刻は松陰の慰霊祭の日まで遡る。慰霊祭後の宴の場で、“御癸丑(ごきちゅう)以来”時習館派・来原 良蔵の死を聞いた後の話となる。

高杉の“眼”が変った―――と、久坂は哀しく想った。どこまでも浮世離れして、何ものにも染まる事の無かった高杉“だけ”が持つ瞳が、地に墜ちた。全く変って仕舞った訳ではない。只、之迄あった高杉の眼に常に(うれ)いに似た(くら)さが混じる様になった。考えてみれば、来原の自死が、高杉が初めて見た戦いでの人の死だったのかも知れない。

―――桂では高杉の変化はわからない。之は、人の死に手を掛けた者にしか嗅ぎ取れぬ死の腐臭だ。

“御癸丑以来”来原の死が若し高杉が見た最初の人の死であったなら、可也の衝撃であった事は間違い無いだろう。

「・・・・・・」

・・・・・・伊藤 俊輔や山縣 狂介も、同じ闇を帯びている。彼等に関しては、この黒歴史が明治新政府を主導していく強さとなった。

高杉も叉、いつまでも打ち(ひし)がれている男ではない。

只、吹っ切れたのか、其とも自棄になったのか判断がし難い。



「江戸へ行って、夷狄を斬り捲って遣る」



高杉は酒を一気飲みした。久坂は初め、高杉がどの様な意図を以てその発言をしたのか判らなかった。心情的には久坂も同じだが。


「・・・・・・其はお前、上海視察の経験を踏まえて言ってんのか?」


復習すると、高杉は長井等と“内戦”を行なう前に、藩命で清国上海に行っていた。この男も振り回される男で、本来は長井暗殺から手を引かせる為に上海に飛ばされたというのに、長井と戦わせ、御癸丑以来の抑えとなる為に長州に呼び戻される使われぶりだ。

が、この男は只便利には使われない。その皴寄せが外国公使、将軍、巡り巡って死ぬのは肥後人である。


「倒幕の為に外国公使を斬る」


高杉は叉も意味不明の事を言った。だが声の不穏な響きに

「・・・・・・きちんと順を追って話せ」

・・・久坂は酒を飲むのを止めた。高杉は遣ると言ったら遣る男だ。宴のくせに、酔っていい気分になっている場合ではなくなってきた。

「・・・・・・」

高杉の駄々を捏ねた様な理論を、一通りは我慢して聴いていたが、各論に入って高杉の感情が前面に押し出してくると



「―――お前は馬鹿か?」



―――聞くに堪えなくなり、久坂は辛辣な言葉を吐いて議論を中断させた。村塾の後輩達は久坂の意外な口の悪さと感情的な態度に吃驚(びっくり)して、縮こまる。・・・猪口に注いだ日本酒の温度が、急激に冷めた。

「・・・何だと?」

自他共にライバルと担ぐ久坂に貶され、高杉は過剰な反応をする。

幸いなのか、青山宮司は途中で長州藩邸に帰り、稔麿も宮司に合わせて退出していた。その為か、稔麿は外国公使襲撃未遂事件も、英国公使館焼き討ち事件も、その後に続く将軍東下阻止計画(将軍暗殺未遂)の(いず)れにも関らない。尤も、彼はその時天誅活動で忙しかった。

「そんな事をして何になる。―――高杉、お前、目的を履き違えていないか。御癸丑以来にあてられたか。・・・其とも、隣国清の有り様に怖気づいて自棄(やけ)になったか?」

「・・・久坂。幾ら付き合いが長かろうと、言っていい事と悪い事があるぞ」

「自分の事は棚に上げるか。遣っていい事と悪い事は無いのかよ?」

―――高杉の暴走を止める事が出来るのは、久坂しか居なかった。高杉以上に偉い人間が、この刻この場に居なかったのだ。



「夷狄の攻撃で江戸を焼野原にして、そこから新国家をつくりあげる遣り方があって堪るかって言ってんだよ!!」



久坂は座を立ち、高杉の胸倉を掴んで引き寄せた。久坂の声の大きさに、村塾生は周囲を気にし、慌てて久坂と高杉を引き剥しに掛る。


「その為に外国公使を斬って、行使国に怒りを買わせて戦争に持ち込むだと!?この国にはな、天皇や幕府や俺等志士だけじゃなくて一般庶民がいるんだよ!!徳川幕府を潰す為に、江戸に住む全員を贄にするか!!“たかが徳川を潰す為に”!!いいか高杉、異国が戦争で日本人(オレら)を殺し、国を焦土化して其で満足して帰って行くと思うか。新国家樹立なんてのは幻想だ。新国家をつくりあげるのは、お前が斬った外国公使の母国のヤツらなんだよ!!」


高杉は徳川幕府の本拠地である江戸と外国を戦争させて、外国の力で幕府を潰させ、そこに諸藩が乗り込んで新国家を樹立させるという構想を持っていた。江戸の女、江戸の子供、江戸の百姓何もかもに負を押しつけて―――・・・

「そこまで徳川が憎いかよ!!」

久坂とて憎い。主君をあんな萩の僻地(へきち)に追い遣った徳川が。併し、尊皇攘夷を掲げる理由はそんな私怨からではない。

久坂は倒幕も視野に入れてはいるが、其よりは遙かに攘夷志向である。

「お前は単なる個人的な感情で国を導くのか!!」

「―――っ!!言わせておけば・・・っっ!!」

高杉も久坂に掴み懸った。村塾生の誰にも最早止める事が出来なかった。


「此の侭攘夷を続ければ日本は百戦百敗する!!西洋武器には西洋武器で応戦しねぇと江戸どころか日本全土が御陀仏になる。西国が遣ってる事を日本全土で遣らないと夷狄には勝てん!!徳川は日本国政府じゃねぇんだ!あれは長州毛利、肥後細川と同じで、天領を持つというだけの一大名に過ぎねぇんだよ!!徳川の影響は日本全土には届かない!!日本全土に届く様な、徳川の力を超えた“政府(ガバメント)”を急いで創って西洋武器を全国に支給しないと其こそ日本全土が乗っ取られる!!」


当時は完全なる地方分権であり、天領徳川家もその例に漏れなかった。政府(ガバメント)幕府(ショーグネイト)の形態の違いを、大陸に出て高杉は実感した。こんな他力本願の幕府が政府に昇格できるべくもない、という新たな怒りも生れた。

西国が遣っている事というのは、福岡・佐賀藩の牛痘ワクチン輸入、佐賀・熊本藩のアームストロング砲輸入等、最新鋭の技術の取り入れを指す。西国は大陸との距離が近い為、如何しても外国に敏感にならざるを得ない。石高が高い為輸入の余裕もあると思われようが、幕府より与えられたのは、毛利や島津と異なる友好的な大名であっても江戸時代初期のみで、以降は自らの肥しで頑張っている。技術力の高さをいい事に、幕府は遠方から警備を呼び出すだけ呼び出して、徳川家の増強を図らない。

其ではだめだ、と高杉は言いたい。

本来は各藩ではなく、政府(ガバメント)が率先して輸入し、各地に一括支給すべきだ。そして皆が日本の国土を守る。国を一つにして中心をつくる坂本の発想と、実は殆ど同じである。併し更には国民皆兵こそが、高杉の理想だった。


「日米和親・日米修好通商(あの)条約での収入は徳川のみが吸う事を久坂、お前も知っているだろうが!夷狄の属国となった徳川が之以上ぶくぶく肥って、諸藩が疲弊していったら新政府すらつくれない。その前に徳川を潰させる。志士(オレら)で潰せないなら他の力を借りるしか無いだろう。綺麗事では国なんて守れんぞ、久坂!!」


―――詰りは江戸一帯を犠牲にして他を守るか、徳川の為に自滅するかの二択であるが、江戸が破られれば本土に上陸されるという事をこの男は解っているのだろうか。其に、他力本願な徳川幕府は、戦争が起れば遠方から藩兵を呼び寄せるだけの話であろう。


―――一方で、高杉は上陸されても内陸人で倒せる程度の人数と踏んでいた。島国の強さである。其に、家康の頃の狸の肚が徳川に残っていれば、戦争ではなく示談金で済ませるだろう。其でも幕府にとって相当な打撃となるに違い無い。


更には



「・・・俺は脱藩する、久坂。脱藩して外国公使を斬る。藩に迷惑は掛けん」



とまで言い出した。之には久坂も



「・・・お前がそこまで愚かだったとは思わなかったぜ」



と、鼻で嗤った。


高杉は、久坂に一笑に付された事で余程腹に据え兼ねたらしく、己の刀を抜き出して



「―――黙れ久坂!!俺の決意を無下にするか!!異人を斬る前に貴様を斬ってやる!!」



と、久坂に切先を突きつけた。


――――・・・・・・

久坂は驚いたが



「へぇ―――・・・いいぜ。俺が練習台になってやる」



と、顎を突き上げ、自ら首を差し出した。


「久坂!!」

入江等が叫ぶも、刃と久坂の距離が近すぎて自分達が止めに入ると逆に危険だ。柄を握る高杉の腕が微かに震え、・・・一瞬、久坂の頸に切先が触れかけた。

「―――決意だと?御癸丑以来の遣り方に動揺しているお前がか。他人の死に慣れていないお前に、江戸の民を犠牲にする勇気が何処から湧いてくるというんだよ?死に様に疑問を抱いている奴が死を操るか。笑えるな」

久坂は猶も嘲笑した。高杉は人を斬るべきでない。この男は耐えられぬ男だ。自分を斬って、其を思い知るがよい。



「斬れるなら斬ってみろ。俺は誰に斬られても後悔は無い。自分の命が惜しくて他人の命を()ろうなんて思うか!!」



・・・・・・っ!!高杉が顔を歪ませる。彼にしては珍しい起伏豊かな表情だった。

直後。




「はあぁあああああああああーーーーーーーーーーー!!!!」




奇声がし、久坂と高杉は肩を跳ね上げて入口の方向に眼を遣った。ばあぁん!!と襖が蹴破られ、溝を外れて吹っ飛んだ。

「!!!???」

―――襲撃者かと思った。併し正体は井上 聞多(もんた)であった。のちに馨という名になって、初代外務大臣を務める。


「ふぬっ、ふぬっ、ふぬーーーーーーーっ!!!」


聞多は破った襖に馬乗りになり、殴る蹴るの暴行を加える。久坂と高杉、および松下村塾生一同は呆然とその豹変ぶりを見ていた。

何だか、精神的な危機を感じる。

時々、高杉っ、死ねっ!とか、久坂、この野郎!!とか言う悪口雑言が飛び、指名された二人は命の危機感を募らせた。


「「・・・・・・・・・!!」」


ひっ!!と高杉が情けない声を上げたのは、頭上に中味の入った徳利が飛んで来たからである。其を在ろう事か刀で受け止めた。


「わっ!!」


久坂、斬られそうになって悲鳴を上げる。

「振り回すな!!刀仕舞え!!こんな事で死ぬのは嫌だ!!」

ぱぁん!!皿が顔すれすれで通過し、背後で砕け散る。久坂は粉々になった皿を見て血の気が引いた。高杉よりも聞多が恐い。

聞多の怒りは襖への八つ当りでは収まらなかった様だ。高杉、久坂、松下村塾生と、矛先が本人達へと変ってゆく。



「金が無い金が無い金が無い金が無い金が無い金が無い金が無い金が無~~~~ぁあいっっっ!!!金が無いんだ~~~~~~~~っっっっっ!!!!!!」



発狂とはこの現象を指すのだろうか。聞多は手当り次第に皿やら徳利やら杯盤やらを投げつけ、首を掻き毟り、身体を海老反りにしてへたり込み、絶叫した。声は裏返るどころか叫びすぎてどこから出ているのかわからない。

「なの・にっ!!」

聞多は反らした背をすくっと真直ぐに戻して喚き散す。

「村塾生でもない俺がお前等の為に金を掻き集めて、慰霊祭の用意までして遣ったというのにっ!!お前等は何だっ、その金で酒を好き放題飲んで、酔い狂うばかりか実にもならんお喋りをしおって!!」

すると今度は立ち上がり、膳を蹴飛ばし盆や猪口を踏み割って、座敷中を走り回って滅茶苦茶にする。之には久坂も高杉も、唖然として見ている他は無く、村塾生達は聞多が移動する度に部屋の四隅を逃げ回って彼が落ち着くのを()っていた。



「実にならん只のお喋りなら金返せえぇっ!!若しくはお前等のその命で払え!!タダ飲みタダ食いは許さんんん!!!」



・・・・・・外国公使を斬らざるを得なくなって仕舞った。


「「・・・・・・」」

久坂と高杉は予想だにしない決着のつき方に絶句し、口を半開きにする。

高杉は集中的に酒の入った徳利を浴びたのか、刀も髪も着物も全身が濡れていた。




だが、多少の空気を無視してでも、久坂はこの段階で高杉の暴走を食い止めておくべきであった。

この外国公使襲撃は結果、失敗するが、失敗理由が失敗理由であるだけに高杉の反発を招き、彼を更に過激な行動へと衝き動かす。

そして、堤が死ぬあの事件に繋がるのである。



『・・・・・・お前は最も斬りたい相手の為に、最も斬ってはいけない人を手に掛けたんだ。解ってんのか!?』



―――京に戻って堤の死を知り、久坂は高杉を責め立てた。高杉は充分反省し、傷ついていた。其でも、久坂は高杉を非難しない訳にはいかなかった。・・・心情的にも、肥後人の為にも。

高杉が髪を落し、「東行」と名乗って出家したのはあの事件の後の事だ。大楽を追放処分としたが、高杉も叉長州へ帰り、


『―――10年間の暇が欲しい』


と、嘗て松陰の居た山に引き篭った。

其から下関戦争まで、活動の路線から遠ざかる事となる。

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