五十一. 1862年、再び京都~少女・佐倉 真砂~
一方、長州藩はそこまで徹底していない。山口の件からそうである様に、思考に柔軟性があり、自由だ。軍隊じみた上下関係の煩さも無い。
只、意識しなければ、斯ういう事が偶に出てくる。
「佐倉も大変だなぁ。長州藩邸に連れて来られたと思ったら、早々にその連れて来た奴居なくなって放置」
久坂がけらけら笑いながら書簡を漁る。こんな一面も松陰から継いで仕舞ったのか、部屋中が継紙だらけで足の踏み場も無い。
「あんた人のコト言えんでしょうに・・・・」
山口が継紙を拾い上げ、一つに纏める。皆さん既に御存知の様に、彼は久坂等三人から2年間ほったらかしにされていたクチである。そう、彼等は淡白なのだ、全体的に。
いや、日本全国津々浦々を敵に回しつつある長州藩が内戦をしているという大ピンチにそんな余裕は無いのだ、と言いたいところだがどうも之が長州人の性質なのではないかと疑わざるを得ない。
稔麿であるが(久坂が行けと言ったので元凶は久坂と謂えるが)暗殺者をスカウトしてすぐに江戸へ発ち、おまけに体調を崩して京へすぐには戻れない情況となっていた。あの稔麿がである。而もこの病状は結構酷かったらしく、とある日世話になっている柴田 東五郎宅で倒れ、死を予感する程の高熱に魘されたらしい。
まぁ、実際久坂が変な絵を描き始めたり稔麿が倒れたりする程に激務である事には間違い無いが。
(しっかしなぁ・・・15か)
15で殺しか。久坂はシャカシャカ歯を磨きながらぼーっと思った。どうも山口が来た辺りから、彼等の年齢の時に自分は何をしていたかと過去を振り返って仕舞う。之も齢を取った証か。
久坂 玄瑞、この刻21歳。
(犯罪の低年齢化・・・・・・)
久坂は途中完全に歯磨きの手を止めて、手拭を用意している袴に着られた感じの少女をぼーっと見ていた。
ん?少女?
「歯を磨くくらいきちんとして下さい」
女に見える。其も、鋭さはあるがまだ可也若い。あれだけ性別詐欺や年齢詐欺に遭ってきたのだ。だまされると思うてか。
が、其でも久坂はだまされて仕舞うのである。この娘は見たまんまの女だ。其も、御下がりか何かの袴を穿いて男装なぞしている。
(吉田のヤツも常識の壁を越えてきたよな・・・)
まさかこの封建社会の世で、声を掛けたのが偶々(たまたま)男に扮した少女だったとは、稔麿も凄まじい籤運の強さを見せつけてくれる。
「おはようございます。ちゃんと起きたんですね」
「起こされたんだよ!佐倉に」
最近の若者はよく働く。男も女も。久坂は何だか親の様な気持ちになって、少女と山口を相手していた。
―――この15歳の少女が、稔麿が新しく連れて来た人斬り、佐倉 真一郎―――・・・・・・本名を、佐倉 『真砂』。
斯う見えても本人は必死に隠している心算の様なのでこちらも気づかない振りをしているが、隙がありすぎるので遠からず露見よう。依って、急遽検分役を引かせ、山口との二人組にし、他の長州藩士にも会わせないという異例に異例を重ねた対応策を取る事となった。御蔭で暗殺の手腕を持つ者同士が組む事となり、効率としては然程変らぬものとなって仕舞ったが、其を差し引いても、・・・・・・思想の無さを脇に措いても、この少女を手放したくはなくなった。―――・・・否、手放す事に惧れを抱いたという方が正解かも知れない。
―――天にその才能の限りを与えられた者の存在を、最早疑いようが無かった
只、神に愛されていないと感じるのは、彼女が女として産み落された事であった。そして、この様に、発掘されて仕舞った事である
斬ッ!!
―――津軽藩士・中畑 四郎殺害。少女の天誅の現場に初めて赴き、少女のもつ将来の可能性について久坂は覗き見た気がした。
『――――!!』
―――尤も、久坂はこの時は少女を女と知って見ていた訳ではなかった
この齢で淡々と而も確実に、人を斬り捨てるさまは其だけで充分驚嘆すべきものであった。稔麿が乗り越えさせたのだろう。短期間で相当な教育力だ。
併し其以上に潜在能力だった。15にしては確かに凄い。だが良くも悪くも齢にしてはだ。甘い部分が残るのは久坂にも判る。
が、我流であったと知ると断然話は変ってくる。且つ、其であの若さである。
――――場合に依っては、彦斎を超えるのではないか――――・・・?
『其処に隠れているのは何者だ』
『!』
安全圏に居る筈なのに気配を察知される。・・・なるほど、之が才能という事か。久坂は最早呆れ果て、溜息は出ても口角は上がらない。
『・・・検分役ではないな』
佐倉が血振いをしてずんずんと此方に近づいて来る。検分役の方が狼狽え、
『・・・止れ、佐倉。その御方は』
・・・飛び出し、佐倉の後を追う。併し佐倉の歩は速い。角を曲り、己の眉間に刀を合わせ、敵の喉笛目掛けた突きの姿勢に突入した時
『よぉ、佐倉』
―――久坂の方が先に声を掛けた。
『・・・・・・!?』
『俺は長州藩士・久坂 玄瑞。お前を雇ったヤツ、吉田 稔麿の友達だよ』
「佐倉、お前には久々に仕事やるよ」
咥え箸をしつつ久坂は佐倉に切紙を渡す。佐倉はやけに嬉しそうな顔をして切紙を受け取った。仕事を与えるといやに活き活きし出すから困ったものだ。別に殺しをしようとせまいと、仲間である事に変りは無いのに。
「明後日その刻限に来い。大体でいいぞ」
「はぁ・・・」
渡した切紙には『未の刻 寺田屋』と書いている。
「昼間ですか?」
「殺しじゃねぇぞ」
ややこしいが、今度は薩摩藩士が犠牲となった寺田屋ではない。否場処は同じである。薩摩藩より見舞金を受けて改装した寺田屋だ。内容としてはそっちより寧ろお龍さんだとかお登勢さんとかがキー‐ワードとなる。お龍さんはまだ寺田屋の養女にはなっていないのだけれども。
「その時間には大体話終わってると思うから」
久坂はその日、坂本 龍馬と逢う約束をしていた。半年ぶり、2回目の会談、と謂うとちと大袈裟か。初対面から45000字程度で半年が経過した。
その坂本 龍馬を、佐倉に会わせて遣ろうという考えなのである。
余り他の志士と交流させる訳にはいかない佐倉だが、まるで誰の目にも触れさせないのは息が詰るだろう。坂本には山口も紹介しているし、仮に佐倉の正体が露見ても坂本ならば面白がって応援してくれる。土佐勤皇党とは別個に動いているから、広まる心配も小さい。
「久坂先生、髪結の方後半刻程で着くそうです」
遣いを頼んでいた山口が戻って来て、報告する。経緯は判らないが、いつの間にか久坂は謹慎が解かれていた。
「あー?結構かかるな」
久々に白日の下に身を晒そうと思っていたのに。
「今日の今日ですからね。しかもなる早」
「仕方ねぇな。ゆっくり飯でも食ってるわ」
別に急ぎの用でもないのに気が急いている自分がいる。久坂は気を取り直した。斯ういう思考がくせになって仕舞っている。
「佐倉」
「はい」
「お前攘夷って知ってる?」
折角だから気になる事を訊いてみた。あの短期間で稔麿はどう遣ってこの娘を刺客に仕立て上げたのか。若い。その上、女子である。松陰の妹である文を除いて、女子が分別弁える様な学問の教育機会に久坂は出会った事が無いのだが。会津藩が若しかしたら遣っていたかも知れないが、あそこまで強固に親幕を掲げる藩に久坂が足を踏み入れられようが無い。宮部や松陰は会津藩校・日新館の敷居を跨いだ事があるも、矢張り時代が其を許したのだとしか謂えまい。
孰れにせよ、佐倉は該当しないらしく
「え?まあ、一応は。なんとなくですが」
と、少し困惑した表情で答えた。
・・・・・・久坂は仏さまの様に穏かな表情になった。
「尊皇は?」
「?天皇を敬う事です・・・」
佐倉はだんだん萎縮してきた。
ううん、合ってるよ。だいじょうぶ、ちゃんと合ってる。
「そうか」
合ってるけれども。
(―――吉田!?)
内心こんな心持ちであった。
思想が“無い”とは斯ういう意味か。年齢を聞いた時に少し嫌な予感がしたが、ものの見事に的中した。
山口がうわー・・・という顔でこちらを見ている。
「じゃ、後よろしく」
教えて遣れよ。先輩だろ。久坂は悟りを啓いたが如き柔かな笑顔で山口に圧力を掛ける。実際、ある意味で悟りを啓いている。
吉田よ・・・其は思想が“無い”とは謂わんぜ・・・
併し、稔麿ばかりを責める訳にはいかない。稔麿に突如全く違う役目を与えたのは自分なのだ。自分にも非がある。
稔麿の眼に全く狂いは無い。恐ろしい程に剣の手腕に優れた人物を連れて来た。佐幕に拾われていれば水戸・薩摩の犠牲では済まない。手放したくない理由はそこに在る。
自身と稔麿とでは、天誅に関して全く別の捉え方をしていた事を悟る。
『剣の腕が達つのなら、利用させてもらうさ。それがたとえ子供でも』
―――と、稔麿は言ったらしい。其に対して異論は無い。・・・・・・久坂に言う資格など無いからだ。
・・・只、久坂は再三この様な忠告を受けている。
『智に明暗はあったとて、意思の無い生き物など存在しない。思いの侭に動かしたければ、一より教育し直せよ』
都合のいい様に利用するだけでは寝首を掻かれる。利用するのであれば相応の覚悟と責任を持てという事であろう。当然の事を言っている様にも思える。自身が利用されていただけと気づけば、憤る方が自然である。
―――だが、暗愚であれば気づかないと、武市が教えた。
武市は謂わば自身の部下達に、剣しか与えなかった。知識が無ければ不満を懐く事も無いと、そういう理屈だろう。
以蔵等の如き人斬りと、彦斎の如き人斬りのどちらが正しいという話ではない。前者が手軽に利用でき、後者が裏切り難いというだけだ。考えように依っては、後者の方が人格を無視している様にも想える。
只、久坂がこの様に考える事が出来るのは、思想ある人斬りと出逢い、御節介な程の助言や庇護を受けた上で武市等の天誅を見たが故。自身が教育機会に恵まれたからこそ、土佐勤皇党の遣り方を冷静に視る事が出来た。
稔麿は・・・違う。
あの男は凡てをひとりで遣ってきた。松陰以外に師など在らぬと謂える程に、教養も知識も・・・人を斬った感触も―――・・・ひとりで呑み下した。死に対する恐怖さえ、そうだろう。
佐倉に乗り越えさせたのも、専ら独力で越えるよう厳しく接したと聞く。
天誅の場面も、武市の方針しか結局は知らない。生真面目な性格であるが故に、佐倉のみならず自身の事も『駒』と見做しているのかも知れない。
だが、佐倉には将来性がある。思想が無い訳でも暗愚な訳でもなく、只、若く学問の機会に恵まれなかったが故に無知なだけだ。
成長し、世界を知るに遵って、あの娘は己の意思で動く様になるだろう。あの娘は長州藩の中で育ってきた訳ではない。外へ出る術を知っているも同然である。由って、土佐勤皇党の様な手は利かない。
―――だから、今の内に同志に引き込んでおきたいというのが久坂の個人的意見であるが。
ばたばたばたと慌しい音が聞えてきて、すまんちや。ばーん!と襖が全開する。
「遅れてしまった」
ふと、久坂は思考を已めて、声の方を向く。本作で最も明るい男の登場といっても過言では無かろう。
「おーー、久方ぶりだな」
久坂は脱藩したのちも元気そうな男の姿に、安堵の表情を浮べた。
「坂本」
「久坂も元気そうでなによりじゃ」




