五十. 1862年、肥州~緒方 小太郎という男~
―――人の入れ替りの激しい時期である。新人も多い。
九州、とりわけ薩摩と肥後は郷党(郷中)教育が伝統的な地域であった。郷党教育とは詰り、地域教育の事を謂い、薩摩では「党」の「お先師」、肥後では「連」の「長老」の下で新人は徹底的な教育指導を受ける(言葉は違えど粗同じ意味を指す。神風連の連はこの郷党に於ける「連」の意である)。其は思想を染め変える程で、藩士の人格に非常に大きな影響を与えた。この郷党教育の伝統が残された背景は夫々(それぞれ)の藩で種々あるが、矢張り軍事力増強の感は否めない。只、肥後は薩摩を見ているが、薩摩は飽く迄徳川を見ている。
衆道と結びつけられる事も多い郷党教育だが、薩摩(および日向)が士道や藩士同士の絆といった見方から衆道を肯定的に捉えるのに対して、肥後(および豊後)では細川 忠興以来男色を嫌悪する風習が続いていた為、そうではない。
が、思考を支配する点では両藩ともそう違いは無いのかも知れない。
「・・・・・・」
佐々は轟道場へ赴き、緒方が轟 武兵衛の弟子等に拠って鍛えられているのを感情の読めない視線で見ていた。轟道場は藩内屈指の厳しい道場だ。振り落しには丁度よい。
この場合、佐々が緒方の「長老」であり、轟も叉武術に於ける緒方の「長老」となる。
本来の「連」はもっと住む地域に縛られ、「長老」も現代で謂う町内会の長的なものであったが、人の往来が激しくなった幕末に於いてはその限りでなくなった。
―――緒方が如何様な人間であるかは判らぬが、塗りかえて仕舞えばよい。
之が佐々の戦略であり、最も得意とする分野であった。若いというのはその分、脳みそが柔軟、悪くいえば思考が未熟である。世界も知らない。子供は実に染まり易い。
其に、この若者は如何いう理由があれ自らの意思で来ている。即ち聴く耳を持つという事だ。
教育とは宗教の様なものだ。知らぬ内に染み込んでいるもの。体罰、訓練、精神論。現代となっては問題となる方法も多いも、九州および四国の南では極めて無意識に有効な方略として駆使していた。野蛮だと思われるかも知れないが、統制をとるに最も実際的なのだ。戦いの地となる以上仕方が無い。
佐々も疑問に思わぬ者の一人である。頭脳派でさえその手法を駆使する程の、生れながらの武断派なのだ。
つらい時に人間は染まり易い。轟道場で相当しごいた後に佐々の教育が始る。
「・・・・・・容赦の欠片も無かな。淳二郎も、・・・・・・貴方も」
・・・・・・永鳥が遠くで緒方を監視したのち、轟とともに別室に入った。
「加減なぞする理由が無い」
相も変らず、轟からは殺気が漏れ出ている。緒方が少しでも怪しい動きをすれば、本当に斬る心算であろう。轟自身は緒方を木偶としか見ていない。
「・・・・・・まあね」
永鳥はクスリと笑う。轟のもつ気に怯まないのは、彼等の師・桜園を除いて宮部と永鳥だけである。
彼等は勤皇党三羽烏または三強と呼ばれ「宮部の徳行、永鳥の智略、轟の豪胆」と称されていた事が明らかとなった。
「手はどう取る」
「念の為、宮部しゃんと彦斎には接触させん様にしましょう。彼等はあの件には直接関っとらす。彼等に会わなければ当面は問題無かかと」
永鳥は緒方の身辺について探りを入れているところだ。轟の言う通り怪しきは斬るのもいいが、暗殺の面倒さは萩で述べた通りである。其に、最近は勤皇党員が狙われる事案も増えてきている。
「俺は確証が持てるまで緒方の前には姿を現さない様にしますよ。・・・酒の席にだけ出ないのも不審がられるでしょうけん」
永鳥は慎重だった。轟が鼻を鳴らしたのが聞える。構わず注がれる酒の音と匂いに、永鳥は瞳をぐるぐるさせた。
「・・・・・・武兵衛、武兵衛」
・・・・・・永鳥が轟の着物の袖を引っ張る。よだれがたれそうになるのを必死で抑えながら、焼酎を飲む轟に懇願した。
「・・・・・・1杯。1杯でよかけん」
「・・・・・・何ゆえ身を隠すかわからぬぞ、おぬし・・・」
「今日はもう店仕舞す。泊めてはいよ」
「・・・・・・」
豪胆の轟 武兵衛も、永鳥には如何やら振り回され気味だったのだと云う。
という訳で、内容を叩き込む迄は合宿形式である。佐々の家には布団を二つ並べて、緒方を其処に住まわせた。緒方は毎日くたくただ。
もぞ・・・
緒方は布団にもぐってうつらうつらしている。この師弟というのはなかなか揃ってずぼらなもので、朝早く出夜晩く戻る事を理由に布団を干す日以外は万年床と化していた。上下関係ぐちゃぐちゃなのも、当時の師弟より現代の親子みたいだ。
「よぉ気張りよるなぁ」
佐々が蝋燭を手に戻って来て、室内を暗く照らす。後は眠るだけの襦袢姿であった。眼鏡を外し、幸せそうに微笑む緒方を見下ろした。
「嬉しかです」
心地好さそうに目を細めて、か細い声で緒方は言った。
「そこまで根気の続く奴は初めてたい」
率直な感想を言った。佐々の言う事はいつでも嘘偽り無い。佐々に限らず、この藩の者は心にも無い事をする事には慣れていない。
「本当ですか」
「あぁ、そぎゃんばい」
佐々も布団に身体をくぐらせ、頬杖をつき緒方を流し見る。丸眼鏡が顔に張りついていない分、容赦の無い顔立ちが明瞭とあらわれる。
「其は屹度、兄者に鍛われたけんですよ」
「兄者?」
佐々は聞き返した。
「あぁた、兄のおったとね」
「はい」
と、緒方は答えた。
「兄者ちいっても殆ど同い年とですが、兄者が二男で僕が三男です。尊皇攘夷の志が強く、京・江戸の方に行きなはりましてね」
「其は・・・島津公の挙兵を聞いてね?」
「その様です」
緒方はうとうとと肯いた。
「僕に黙って行ったとですよ。悲しか・・・」
「ばってん、尊皇攘夷ならこん勤皇党があるのにね」
「兄者は江戸に居った時期のありましてね、其でですよ、僕が鍛われたのは。若しかしたら、黒船の見たのかも知れん」
「黒船なら俺も見たばい」
「本当ですか?」
緒方は重い頭を上げた。
「―――其から兄者の頭の中は、若しかしたらずっと肥後から離れとったのかも知れん。佐々先生は、なして肥後で活動しよんなはるとですか?黒船ば見て、全国ば見て、藩を離れる気にはならんかったと?」
緒方が興味深そうに尋ねる。傾けた顔に前髪が一房落ちて、片方の眼が隠れた。印象が随分と静かになった。
「ならんなぁ」
佐々は低い声で言った。
「他の者は知らん。ばってん、佐々(オレ)にとって肥後は特別な藩だけんな。元々佐々は、戦国の世でばらばらになったこん藩を助くる為に細川・加藤の前に他所から入国した一族たい。二回離散して肥後を離れたばってん、結局二回とも肥後に回帰って来た。全国ば見る程案ずるのは故郷ばい。故郷を心配しながら全国を駆けるよりも、故郷を手許に置いて故郷を守る方が俺の性に合っとう」
・・・・・・藩境は徳川幕府がつくったものだが、そこまでを問題とはしていない。肥後藩として存在するより前に、肥後は既に肥後として在った。成政の血がこの男には教えてくれるのだろう。
「・・・・・・そう思いよなはる方の居るけん、勤皇党が各地にあっとでしょうな」
「な」
佐々は片眼を瞑り、燈りを消して顔を伏せた。
「地方に勤皇党のあれば、藩を出る余裕の無か民達も立ち上がれますもんね」
・・・ん、と佐々は相槌を打った。緒方は夢現である。
「僕は嬉しかですよ、先生・・・」
ゴトリ、と脳に響きそうな音がして、微かな寝息が聞えてきた。緒方が遂に寝落ちする。
「その考えば聞いて、先生の事が好きになりました」
・・・・・・。佐々はぞぞっとした。相手が女だと無骨に照れる事頻りなのだが、男だと薄ら寒くなる。幾ら疲れて気が弛んでいるといえ、本当に火の国の男か。
「・・・・・・」
緒方・・・・・・謎な男である。多すぎる名字故に、特定がし難い。抑々緒方が本名であるか否かも怪しい。手掛りは和歌に書かれた“緒方小太郎弘國”その名くらいか。
そして不思議な男でもある。この時代、この他人の家で、之程までに無防備に身を晒せるとは。生半な度胸ではない。
或いは本当に信頼しているというのか。佐々でさえ疑問に思った。
だが其も染めれば早い。彼等はそこは徹底していた。意思は勿論尊重する。が、其は意思や共同体をまるで異にする相手に対してだ。自らの意思で染まりに来る者には、ある程度の秩序が出来るまで徹底的に厳しい。
肥後の徒党は派閥違えば家族の絆さえ消えると云う。其程に徹底した教育であった。だから素性も関係無いといえば関係無い。
佐々の“教育”が早いか緒方に“懐柔”されるが早いか。本質は其だけなのかも知れない。




