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四十三. 1862年、松本村~一つの転機~

「ばってん、長井どのとの決着も早よつけないけんのも確かね。来原しゃんが先鋒で()んなはるとやろ。若し来原しゃんが失敗しなはったら、余熱(ほとぼり)が冷めた頃に僕がサクッと遣っとくけん安心しなっせ」

「サクッて・・・確かにお前なら遣れそうだが、お前には長井を斬る大義名分が無いだろう」


だから俺にあの夜選ばせたんだろう。久坂は半分恨めしげな眼で彦斎を見つつ言った。彦斎はふん、とそっぽを向いて視線を逸らすと


「―――大義名分ならある」


と、答えた。・・・細めた眼は極めて冷徹であった。

「・・・ま、別に怨みある訳違うし、殺る事自体は簡単だけんな。寧ろ内情が混乱する程殺人は遣り易くなる。色々試してみるがよかよ。手を尽して駄目だったら人斬り(ぼく)の出番たい」

「・・・・・・いいのか」

・・・・・・久坂は控えめに訊いた。本当は大楽から聞かされた話は全て忘れてくれと頼む心算(つもり)であったのだが、最早そんな次元の話ではなくなって仕舞った。彦斎を捲き込まぬどころか、山口まで完全に捲き込んだ。

「他藩は他藩ばってん、ぬしらは癸丑以前から連なる友だけんな。他人の様で他人でなか」

「!」

久坂は彼此6年前になる九州遊学を思い出した。あの刻に初めて彦斎と出逢い、宮部と出逢い、松陰の門を叩く切っ掛けと出会った。あの頃既に宮部は“友人” 松陰について語っていた。

少なくとも―――あの頃から全く、肥後側の方針は変っていないという事か。

併し、長州側は風化を始めている。口伝する松陰は此の世に在らず、長州藩は之から友情どころでない状態に追い詰められてゆく。

其でも。

「あた達が困る事はあっても僕等が困る事はそうそう無いね」

―――肥後が忘れる事は無い。彦斎は最期まで、長州人の味方で在り続ける。

彦斎がこの萩に来た事で、薩摩や土佐と比べどこか遠かった肥後人の存在が、急に近くなった気がした。


「・・・・・・山口は、人を斬れると思うか」


・・・・・・久坂は、目の前に正坐(すわ)る人斬りに問うた。山口は彦斎の後輩になるかも知れない。恐らく、久坂が気づくだいぶ前からその必要性を薄々感じていたのだろう。

悪を正当化して世を変えようとする者達を軽蔑する一方で、そうせざるを得ない世にある事に勘付き(なが)ら、その者達を踏台にして立つ後ろめたさに(せめ)ぎ合っていたのかも知れない。

「はぁ?知るか」

「おまっ・・・」

彦斎が目尻をつり上げて一蹴する。そのすげなさに玄瑞は思わずツッコんだ。さっきのさっきまで友とかいいコト言ってたクセに。

「剣やってるなら知っとけよ彦斎先生。弟子の事くらい」

「僕は剣の先生を遣っとう覚えも弟子を取った覚えも無かね!」

彦斎がムキになって怒鳴る。彦斎は彦斎で今日の玄瑞の相手には遣り難さを感じているらしい。何しろ、シリアスな話を面と向かってするのは何気に今回が初めてなのだ。而も、そう無視する訳にもいかぬ程度に玄瑞は弱っているときた。

「お前もうちょっと人に興味持てよなー。優しくなれよ優しく」

「馬鹿言わないな、人に興味あって人なんて斬れるか。そういう細かいのはあたの仕事ね」

ふん、と彦斎は顔を逸らした。興味が無いから斬れるのか、斬るから情を失うのかは判らぬが、玄瑞はあぁと納得して仕舞った。

矢張りこの男も通った道なのか、と想ったと同時に、この男に矢張り相談すべきだ、と確信した。

「・・・・・・あた次第じゃなかと」

彦斎はひどく醜悪な眼つきで玄瑞を流し見た。いつもは童顔と泣きぼくろが其を緩和するのだが、この刻に限っては、陽が高いにも拘らず非情な眼で人間を観察する、まさに“黒稲荷”であった。

「単独の“殺し”なんて只の自己満足に過ぎないな。彼の“殺し”の片棒はあたが持つとよ」

「・・・・・・元よりその心算だが、お前は単独だって聞いたぞ」

玄瑞は敢てそこを濁さなかった。自己満足とは少し意味合いが違う様に聴こえたからだ。彦斎が自己満足の為に人を斬っているとも想えない。

案の定、彦斎は猛烈に怒り出した。

「何ば言うか。遣るのは単独(ひとり)ばってん、決めるのは独断(ひとり)じゃなか。遣る遣らざるも決行の日時もすべて勤皇党の掟に従うと!」


其が白い神官装束である。


(―――なるほど、(ソレ)がお前の責任を分散しているんだな)

聡い玄瑞は先回りして安堵した。玄瑞には、先程の彦斎の台詞が山口の精神を案じている様に聴こえてならなかった。

―――孤独(ひとり)では殺しの責任の重さに耐え切れまい。そう案じるのを自己満足という言葉で隠している。

だから訊いたのだ、“お前は大丈夫か?”と。

「はいはい」

玄瑞はひとりで納得して含み笑いを浮べた。

「いやーここ数日有意義だった」

「・・・殺されかける事がね?」

彦斎が心底不思議そうな表情をした。流石の人斬りも自らの命と引き換えてまで学べて良かったと思う心理は持ち合わせていない様だ。

「あたもつくづく異風(いひゅう)な男ね。その異風ぶりに免じて桂しゃんに悪い扱いにせんよう頼んでみよばい。此の侭では危険な事は桂しゃんも解ろうけんな」

「本当か」

玄瑞は思わず声が弾んだ。肥後人が何かと長州人に弱いのに同じく、長州人も叉、肥後人に弱かったりする。

「江戸に居る吉田 稔麿という男にも会ってやってくれよ。アイツもお前の弟子だから」

「はあ?勝手に弟子にするなかね!・・・ばってん、時間があれば様子ば見に行ってもよかよ。僕に全く責任が無いかと問われれば其は判らんけんな」

「お前のそういう義理堅いトコ、好きだぜ」

久坂がとことん褒める教育をする。彦斎としてはこそばゆいし舐められている気しかしない。ぬし・・・!と拳を握りしめる。

「・・・併し、何で江戸なんかに」

久坂はふと疑問を漏らした。長州にとって、肥後は最も近くに在り乍ら何処か謎めいている。尤も、松陰が肥後人の性質に感銘を受けなければ関係が続く事はまず無かった。理論的な長州人と武士道由来の義理人情に生きる肥後人では、性格が余りにも違いすぎる。肥後人の性格に“感嘆”し“理解”を示した長州人は後にも先にも松陰しか在らず、松陰の影響を最も受け肥後人を特別にみた高杉でさえ、最終的には肥後人の理解を諦めている。

(したが)って、久坂に肥後人への謎が解ける刻は永遠に来ない。只、肥後人にとって死は非常に身近であり、敵味方問わず常に誰かの死と向き合っている事はわかった。


「―――遺体を引き取りに往く。勤皇党(じもと)の仲間が死んだけんな」




―――肥後人の切腹というのは、しばしば介錯が無い。詰り、即死には至らず、苦しい、壮絶な死を彼等は遂げた。

その為、死体は凄まじい顔をする。苦しんだ表情の侭硬直し、肥後人以外は遺体の凄惨さに衝撃を受け、その運搬を怖がる者も在る。叉、肥後人も多くは絶句し、涙を流した。

・・・・・・彦斎も四斗樽の蓋を取り


『・・・・・・・・・堤さん――――・・・・・・』


・・・・・・変り果てた仲間を見下ろし、暫く立ち尽した。

―――死んだのは、横井 小楠の暗殺を誓った堤 又左衛門であった。彼は勤皇党の掟に従い、その命を散した。

脱藩浪士である為に、藩では弔えない。

彦斎は神官の真似事をした。白装束に着替え、白装束を着せ、神道式の簡易な葬儀を行なった。棺には、この男が片時も離さなかったきじうまの面を添えた。

きじうまは、江戸では雉子車(きじぐるま)と呼ばれた。“人斬り彦斎”の名には、彦斎の動きだけではなく彼より先に肥後の外にて刃を揮ったこの雉子車の働きが上乗せされている。現代に伝わる人斬りのイメージは、斯うして形成されて往った。


『・・・・・・有り難う御座います』


・・・す。音も無く彦斎の背後に何者かが立った。・・・只、声は震えていた。雉子車と同じ背格好で、成仏できない魂が実体化した様に酷似した貌が礼を述べている。

『・・・・・・兄の遺志を継ぎ、之からは私が江戸(こちら)にて活動させて頂きます』

―――堤 松右衛門が頭を下げた。この男は、雉子車こと堤 又左衛門の弟である。双児であった。この男も叉、兄と同じ切腹で非業に死ぬ。

『―――横井 小楠の暗殺(けん)よりも』

彦斎は完全なる国言葉で言った。

御癸丑(ごきちゅう)以来が関って、長州藩が今、大きく変化しつつある。おぬしは自由に動ける身だから、松陰先生の弟子と一緒に行動して何かと援けては遣れないか。殺す事はいつでも出来るが、死んだ者を援ける事は出来ない』

―――堤は右手できじうまの面を受け取り、肯いた。左手には、今や兄の形見となった同田貫(どうたぬき)上野介(こうづけのすけ)の剣を持っている。




(―――あの家老(おっしゃん)も、何ば考えよるかいまいち見えてこんな・・・・・・)

佐々 淳二郎は八代に行っていた。八代城に松井 佐渡という肥後藩の筆頭家老が居る。肥後藩家老はこの松井 佐渡と長岡 監物、そして有吉 四郎右衛門の3人がいたが、彼等こそが藩内分裂の元祖である。肥後藩の藩論は3つに分れたが、夫々の筆頭が彼等でもありペリー来航直後から藩を挙げての三つ巴状態の元凶であった。特に松井 佐渡と長岡 監物の対立は熾烈で、長岡家の先代家老の時代が最も彦斎が手を汚した時期であった。

佐々はその藩論統一の為の根回しで熊本城下と八代城下を行き来している。松井は佐々の尊皇攘夷論に一見乗り気であり乍ら、どこか手応えの無い感じがした。

建白書の草案提出までは果したが、はてさて江戸に持って行って貰えるか。


―――其はそうと、佐々の格好は熊本でも八代でも異様に目立つ。


いつもの様に人々の注目を(ヘンな意味で)掻っ攫い乍ら熊本城下に帰って来た佐々。流離(さすら)う様に飲食店に入り、揚げ豆腐という油揚げとも言い難い之叉一筋縄ではいかない好物を注文し、のんびり食べていると、音も無くひらりと着流しの男が佐々の向いに座った。甘味を持っている。

「―――こんにちは」

―――男は静かな微笑を浮べて、佐々に挨拶をした。佐々はきょとんとしつつ、揚げ豆腐を齧り乍ら会釈をする。他人に声を掛けられる事が余程珍しいそぶりだ。

片や、男は見目とは対照的に人懐こい性格らしく、皿にある牡丹餅(ぼたもち)を一つ手に取ると

「僕は一つで充分ですけん、一つは貴方が食べまっせんか。この店の牡丹餅は美味かですよ。辛か酒にも合います」

と、差し出した。

「佐々 淳二郎先生(しぇんしぇい)

佐々が細い眼をぱちくりさせて男を見た。男は首を傾けてにっこりと笑う。長い前髪がさらりと揺れて素顔が露わになると、意外にも若く、少年らしいあどけなさがあった。



「僕の名は緒方ちいいます。僕もこの日本(ひのもと)の為に働きたいち想っとりまして。先生の御高説ば聞かせち戴きたかとです」



「・・・なるほど。其で“酒”つか」

佐々は揚げ豆腐を噛み切って言った。

「よかばい。折角だけん酒でん飲み乍ら話そか。そん方が確かに話し易かもんな」

居酒屋にでも入ろばい。佐々はあっさり了承した。熱い息を吐いて顔を上げると、ぼんやりと他所を見た。

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