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四十一. 1862年、 萩~襲撃~

「久坂さんと話せて良かったぜよ。なんか希望が見えた気がした。長州は俺の第二の故郷き」

「第二って言えるだけまだ救いがあるな。くれぐれも武市さんには無理しないよう伝えてくれ。まだ命を張るべき土俵じゃない」


おう!坂本がぬくぬくのぐるぐる巻きの格好で明倫館の寮へと帰ってゆく。くるりと振り返り、指先まで覆った重い袂で手を振った。

山口は久坂が心配ながらも坂本を送りに行く。坂本も一応風邪ではあるのだが


「この雪の絨毯に転がりたいぜよー♪」


(この人は風邪でも騒がしい・・・・・・;そしてなんとクサい台詞を・・・・・・;)



「・・・・・・」

久坂は玄関先まで坂本を見送った。坂本等が去り、がらがらと扉を閉めるも、段差に腰掛けて顔を埋めて仕舞う。(ふみ)が通り掛り

「―――旦那さま?」

慌てて久坂に駆け寄る。呼ばれて久坂は頭を上げるも、血の気が引いて顔色は真っ蒼だった。文は少し焦った。

「大丈夫ですか!?旦那さま!!」

「文・・・・・・」

ごほっ、久坂は咳をする。はぁー・・・と、鼻に掛った溜息を吐いた。あの野郎、うつしやがって・・・と内心文句を言いながら

「寝る・・・悪いが布団を敷いてくれないか・・・・・・あと薬・・・・・・」

「は、はい」

坂本が自分の手から離れた事で気が抜けた部分があったらしい。一気に風邪を引き込んだ。元々(こじ)らせていたからか、余計に悪化した。



「其で、熱は・・・?」


山口が明倫館から帰って来て、久坂の容体を訊く。久坂は既に薬を飲み、眠りに就いていた。

「この人は余り熱が上がりませんで・・・御蔭で、一度重くなると長引きますの。お風邪を召しても周りは気づき難いですし」

文は初めこそ少し取り乱したが、今は非常に落ち着いて看病の手も早い。之は、兄の松陰が風邪っ引きでよく寝込んでいた為、幼い頃から看病をさせられていたからである。昔は看病中、松陰にうつされ布団を並べて寝込む事もあったが、現在は文自身が体調を崩す事は少なく、風邪のタイプをある程度自分で判断できる迄になっている。

(あの人がとどめか・・・・・・)

隣の部屋で久坂が咳き込むのが聞えて、山口は坂本 龍馬のお茶目な笑顔を思い浮べた。坂本はこの時から旋風を巻き起している。

「でも、もう之で無理は為さらないかと。どちらにしても動けませんでしょうし」

「は、はぁ・・・」

・・・文さん、意外と精神的に逞しいよなぁ・・・と思い始めたのは最近の事である。見た目は小柄でこんなに華奢なのに。

山口は知りもしない事だが、文が見た目其の侭だったら松陰の妹なんて務まらない。寧ろ松陰に近いからこそ今を生き永らえている。

「今夜は別のお部屋を用意しますわ。山口さまは其方でお休みくださいませ」

「わ、済みません、何だか逆に気を遣わせて仕舞って。今は久坂先生に気を配らないといけないのに」

「いえいえ」

湯を沸して参ります、と文は言い、膝を着いて襖を閉めた。時刻は亥の刻(午後10時頃)になっていた。



家の主である久坂が眠ると、杉家は()うも静まるのが早いのか。いつもは夜は之からとでもいう様に(あかり)を焚いて、書物でも議論でも愈々(いよいよ)熱を上げ始める時間帯なのだが、今日の杉家は闇の(うつつ)でひっそりと雪を被っている。

「―――――・・・・・・」

薬が効いている様で、咳も止り、規則正しい寝息を久坂は立てている。熟寝(うまい)できている様である。

一方で、文が居るであろう部屋からは僅かに灯が漏れている。看病の為か、今夜は眠らない様だ。

「・・・・・・」

髪の乾くのを待ちつつも山口は、ひとりの刻を持て余していた。そういえば、ひとりで過す刻など江戸以来である。彼此5ヶ月位は萩に滞在している。

燭を点けて書物でも、と思うも何だか憚られる気がした。久坂夫妻は別に何も言わないだろう。逆に、勉学なのだからがんがん灯せと言うに違い無い。其でも、居候の身としては気にはする。何より、書物は全て久坂の部屋にある。

山口の今夜の(ねや)には月光が届かない。辺りは闇であった。目が慣れ、うっすらと物が視えてくるも、闇である事に変りはない。

―――斯ういう日は早く寝るべきだが、何と無く目が冴えて仕舞う。別にこの日に限った事ではなく、気持ちに余裕が出てきた時にそうなる。

萩に向かう直前、彼は江戸に居る家族と関係を絶った。一方的に縁を切り、逃げる様にこの萩へ来たのである。


『家業を継がぬどころか、結婚さえも嫌だと!?許さぬ、許さぬぞ圭一・・・・・・!!』


「・・・・・・・・・」

暗闇は嫌いである。だが仕事の有る時は違う。だから暗闇での仕事は嫌いではない。




ドンドン




玄関の木戸を叩く音がした。山口はふと我に返る。―――はい。文がぱたぱたと玄関に駆けてゆく。山口は耳を傾けながら、今夜は来客の予定があったか如何かを思い返していた。

―――(いず)れにしても。


「―――文さん」


山口が部屋を出、玄関へ向かう。萩と謂えど女性一人に夜中に玄関先に出させるのはとこの都会人は思ったのである。


山口が玄関に続く廊下へ出た時には、文は玄関の戸に手を掛けて

「まぁ!大楽さま!お名前の方はお聞きしておりますわ。今開けますわね」

と、言っていた。


山口はどこか引っ掛る。(やが)て其が「大楽との会合にはいつも久坂が家に赴いている」事に気がついた時、山口ははっと眼を見開いた。



「開けたらダメだ!!文さん!!」



山口が叫んだ。―――え? 文は驚いて山口の方を振り返る。戸は細く開きかかっていた。その隙間からにゅっと太い指が割って入り



がらっ!



戸が一気に開かれた。


「きゃっ!」

「文さん!!」

山口が玄関先まで駆け出し、文の手を引いた。刀を抜いた男が仁王立ちしている。剛腕から振り下ろされる一太刀の刀を、山口は持っている刀を鞘から抜いて受け止めた。

「ここは俺が喰い止めますから・・・!文さんは先生を起して安全な処へ!―――早く!!」

「は―――はい!」

文は動転している。流石に夜襲という形での命の危機を経験した事は無い。転がる様に廊下を抜け、久坂の眠る部屋の戸を開き



「旦那さま!旦那さま!!」



久坂の身体を揺すり、泣きそうな声で叫んだ。

併し久坂は薬の影響か、なかなか目を覚まさない。文は剣を掴み、久坂の許へ戻った。

程無く、久坂が掠れた声を出して起き上がった。されど、意識が朦朧としている。


「・・・・・・ふ・・・・み・・・・・・?」


「旦那さま・・・・・・!」


文が唇を噛みしめて涙を堪えている。久坂は文の恐慌具合から尋常で無い情況である事を感じ取ったが、薄靄がかかった様に思考が働かない。

「表に・・・!訪ねて来た方が居まして、戸を開けましたら刀を抜いて襲い懸って来たのです。山口さまは今、その方のお相手を」

目的は俺か・・・疼く頭に苛まれながらも、直感的にそう想った。文より刀を受け取って、杖代りにふらふらと立ち上がった。

「取り敢えず奥だ・・・此処に居ると裏庭から入って来られた時に不味い」

久坂の部屋は裏庭に面している。外は騒がしくなりつつあった。本当は2階から高見で様子を確認できればよいのだが、生憎杉家は平屋である。

此の侭奥で山口と合流し、玄関より脱出できれば其が一番だが、山口が無事とも限らない。余り奥へ行き袋小路に陥っては、文を道連れにする事になる。

目が翳む・・・久坂はこの時、初めて“暗殺”とは何かを真に知った。


ヴア・・・!



ガラン・・ガランガランガラン!!



バタバタバタバタ!!



―――障子を蹴り破り、中へ侵入する音。文は身体を震わせながらも、久坂の傍を離れずに居た。久坂は剣を抜き、鞘を捨て身構える。大太刀と其に反比例した小さな影が、闇の中で動く。



「先生!!」



唯一つ玄関に続く廊下と直接繋がっている襖を開いて、山口が奥の間に合流した。併し直後、眼前の襖が破られ刺客が突入して来た。山口が久坂の前に身を投ずる。掌に柄頭を突き当て、鋒を敵の懐に向ける。捨て身の一刀だった。


「―――・・・・山口・・・・・・!」


刺客は(こうべ)を垂れて突っ込んで来る。―――併しその面を再び上げる事は無く



ドオッ



―――・・・地蔵が転げたかの様な重い音を立てて、山口や久坂等の眼前で倒れた。刺客の運んだ砂埃がぶぁりと撒き上がる。

「・・・ごほっ、ごほ、ごほっ・・・」

「旦那さま・・・・・・!」

よろよろと崩れる久坂。文は目に涙を溜めて彼を支えた。だが山口は刀を即座に構え直し

「まだです!油断しないで!」

と、怒鳴った。・・・砂埃の向うに、まだ影が在る。其程大きくはない影だが、音を吸収する雪の様に聴覚をこの影に集中する為に持っていかれる。しんとした気の無い殺気が、山口の五感を狂わせる様であった。


―――下弦の月が雪を照らし、反射して奥の間まで光が入ってきた。舞う砂埃が光を更に反射して、影の姿をくっきりと形づけた。



「―――(おそ)くなったばってん、其でも寄って良かった(ごた)るな」



「何者だ」

山口が厳しい声で問い詰める。併し、その声は徐々に威勢を失くしていき、最後には声そのものが失われて仕舞う。月の反映する影の正体に、山口は遂に視覚まで奪われる。



・・・・・・女―――?



「―――肥後熊本藩士・河上 彦斎」



―――影・・・では最早ない。文と鏡合わせに泣きぼくろをもつその優男は、素直に自らの名を口にした。


河上―――・・・!?山口は眼を更に見開き、背後の久坂を振り返った。久坂は肩で息をしながら


「・・・ああ・・・・・・コイツがあの彦斎先生だよ・・・・・・」


と、苦しそうに言った。

「久し振りだな彦斎・・・・・・2年振りか・・・・・・其にしても旅装束似合わないな・・・・・・今迄赤い着流しか茶坊主の格好しか見た事無かったけどよ・・・」

「他人の事言っとう余裕あったとね。ばってんぬしにゃまだ仕事あるとよ。眠る前にせにゃん仕事たいね」

ん・・・? 久坂は完全に気を許しているが彦斎には全くの隙が無い。彦斎は文に挨拶し、自分が宮部の弟子である事を説明すると


「―――今から仕事の話をばしますけん、席ば外しては戴けませんか。女子は聞かぬがよか話ゆえな」


と、きっぱりと久坂と離れるよう言った。押入れが一番安心ばってん、と杉家で最も奥まったこの部屋の押入れを開ける。

・・・は、はい・・・と、文は呆気に取られ促されるが侭に押入れに入った。ス・・と押入れの戸を閉めると、彦斎は目の前に倒れる刺客の身体を納刀した剣の鞘と足で押し、奥の間から出した。久坂の寝ていた部屋には三人の刺客が転がっていた。

彼等は目を覚まさないものの、彦斎に蹴り出された刺客はう・・うぅ・・・と微かな声で呻く。

「―――!」

山口と久坂の顔に緊張が走る。彦斎はそんな二人の反応を片刻も眼を逸らす事無く視ていた。

「あと二人、外でこんな感じで伸びよんなはる。誰もまだ死んどらんよ」

「へぇ・・・お前が殺さないなんてな」

「何ば言うか。知らない(もん)を殺せる筈なかね。其に、少しは修行して加減学んだとよ。殺すが遙かに楽ばってんね」

彦斎の訊く事は極めて簡潔である。併し其とは裏腹に、答えを出すには極めて重い。



「―――仕事は之ね・・・玄瑞。彼等殺すか殺さないか。彼等目覚める前に、択びんしゃい」



「――――・・・・・・!」


・・・・・・久坂は息を詰めて、一列に横たわる刺客達を見下ろした。先程の呻き声が脳内で再生される。・・・生きていた。彼等が生きていたとわかった刹那、自分は何を感じたか。

「何をさせようとしているんですか!」

山口が肩を震わせて叫んだ。彦斎は山口の方を向き正面から睨みつける。初めて見る人殺しの眼に、山口はゾクリと背筋を凍らせた。

「・・・別に殺せ言うてないね。嫌なら殺さない選ぶだけとよ。()るのは僕たい。他に遣れる者いなかろう。ばってん―――僕この人達知らないし私怨も無かね。あったら自分で決めるばってん、遣るべきか遣らざるべきか判断の仕様(しよん)も無い。僕は先を急ぐ・・・此の侭に捨て措けば玄瑞は叉命ば狙われる・・・・其だけよ」

「・・・・・・叉・・・・・・!?」

山口は息を呑んだ。山口も叉、気絶させられているだけの刺客達に視線を送る。この者達が、叉起き上がって遣って来る―――・・・

「先越されたね玄瑞。彼等多分俗論派の者達よ。暗殺(これ)が長州藩内部俗論派の出した、正義派への―――」


彦斎は刺客の傍にしゃがむ。刺客の頭を押し上げ、覆面の布を握り、ずっ、と剥す。晒された素顔に、久坂は顔色を失った。



「答えばい」



―――萩城下の世間は狭い。親しくはなくとも、大抵の藩士はお互いに其形(それなり)には知っている。今回の刺客は、そういう類の人物だった。

「僕にも得意不得意はある・・・殺すのはいい、ばってん、死体の後始末は苦手よ。殺して見せしめに晒す事が多いけんな」

内部抗争が武力衝突に発展する最悪の流れであった。彦斎の十八番とも謂える領域でもある。

最早捲き込む、捲き込まれぬの問題ではなかった。其を謂うなれば、文を含んだ此処に居る全員が既にこの闘争に捲き込まれている。喰うか喰われるか―――・・・その様な修羅への一線を、長州藩は越え始めていた。



「―――・・・如何するね、大将!?」



黒稲荷が訊く―――・・・奇しくもこの事件と同じ頃、江戸では坂下門外の変が起き、討ち入りした水戸浪士全員が現場にて闘死した。

歴史は未だ、否之から愈々盛んに、人の流るる血を求める。

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