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四. 1858年、京都

「1858年、京都」



新選組の話を書く時等と比べると、彼等倒幕派の物語は書くのが結構面倒くさい。新選組もまぁ、ちいちいぱっぱで個性豊かな隊士が揃い踏みであったが、組織なので新選組の史料を調べるだけである程度は話が書ける。が、彼等については志こそ同じであるが、基本的に個人行動である。松下村塾や肥後勤皇党といった派閥はあっても、背景(バックボーン)が其なのであり、行動は派閥に縛られていない。或いは分業制なのかも知れない。故に、個人個人の史料を地道に当るしか無く、誰がこの時期何処に居るのかを調べて書くのに時間が掛る。中には、或る時期の行動が明確に書かれていない志士も存在する。

この時期、彼等は地元残留組と江戸遊学組、京都出張組にそれぞれ分れていた。

久坂は京都と江戸へ向かった。肥後の時と違い、今回は藩命である。高杉も藩命を受けて江戸へ発った。

因みに、地元残留組にはのちに佐倉 真一郎を発掘する吉田 稔麿が在る。久坂や高杉が不在のこの時期、長州藩に激震が走る大事件が起るのだが、其については後で記述する事になろう。

一方、江戸にはこの時期桂 小五郎が居る。


「じゃあ江戸でな」

「おう!」

久坂は京へ行った後、江戸に向かう。江戸にて再び落ち合う約束をし、高杉と別れた。高杉は剣術遊学であったが、久坂は名目上、医学遊学である。

京にて久坂が誰に師事し、どの様な活動を行なったのかは定かでない。併し、この京都・江戸遊学こそが、久坂を尊皇攘夷の牽引役としての立場へ引き込む切っ掛けとなった事に相違は無い。

「おろ?君は」

久坂が初めての京の街並みにきょろきょろして歩いていると、何処かから声を掛けられる。声の所在を探してきょろきょろしながら振り返ると

「あっ」

「矢張り久坂君ではないか!久しいな」

「宮部先生!」

宮部 鼎蔵が笠を外して、礼儀正しく辞儀をしてきた。久坂はついつい色々な言葉が口を衝いて出そうになるのを慌てて呑み込み、笠を外して礼を返すと

「その様子では、京に遊学かね?」

と、自分が言葉を発する前に尋ねられる。久坂は一瞬まごついて

「はい」

とだけ先に返すと

「松陰先生が藩に斡旋してくださったのです。京で勉強した後、江戸へ行く事になっています」

と、口から出そうになっていた言葉をこう変換させた。会話のリズムを思いっ切り狂わされるが、之が落ち着きというものなのだろう。

「そうか。君はもう、寅次郎の弟子だものな」

宮部は目を細めて微笑んだ。

「宮部先生も本日上洛されたのですか?京にはどの様な御用で」

宮部も久坂と同じ旅装束で、一目で京に来たばかりだと判る。久坂はやっと、自分が本来言おうとしていた言葉を口に出せた。

・・・宮部は笠を再び被り直しながら、人の好い烏の足跡を更に深く刻み込んだ。人の好い笑みが意味深なものへと変る。

「・・・久坂君。この後時間は空いているかね?昼飯でも御一緒しないか。・・・一見、京は平和な町だが、旅装束姿の者が二人して道端に立ち止っていると悪党に目をつけられ兼ねない。何処か店に入ろうではないか」


宮部は相当、旅慣れしている。京にも結構来ているらしく、手早く店を見つけると

「うどんでいいかね?」

と、訊く。久坂が肯くとすぐに暖簾をくぐった。

「しのだうどんを頼む」

宮部は壁の品書きを見る事もせず注文する。全く聞いた事の無い名前だが、しのだといえば平安時代の『信太(しのだ)の森の葛の葉狐』の伝説が有名である。まさか・・・と久坂は思った。

品書きには『しつぽく』『あんぺい』『けいらん』『小田巻』と耳慣れぬ名前しか無かったが、そういう者も上方京では結構いるのだろう。それぞれの品書きに説明が付されている。其でもしのだは最低限の基礎知識らしく説明は付されていなかった。

(・・・・・・けいらん以外全部同じ具じゃね?)

久坂が上方京に挑戦する様なツッコミを心の中でするが、作者はこのツッコミを全力でスルーする。

素うどんが16文、しつぽく・あんぺいが24文。けいらんが32文で小田巻が36文。贅沢なタイプではないが只腹を満たすだけに食うのも味気無いと思う久坂は、4種の中で一番スタンダードそうなしつぽくを頼んだ。

程無くして宮部の処に運ばれて来たうどんには大きな油揚げが乗っていた。まさかである。師弟ってこういうところも似るのか・・・と久坂は妙に感心した。

「今回は彦・・・河上さんは一緒ではないのですか?確か、先生の用心棒だったのでは」

「用心棒は藩内での話なのだ。彼は藩に雇われているから、藩内では割と羽振りがよいが藩の外には簡単には出せない。だから彼には留守を任せている」

宮部はつゆを一口啜った後、箸を割った。肥後はこの時期より既に分業制であった。彦斎と、もう一人佐々 淳二郎という男が肥後に残った。佐々も宮部の門人の一人で、肥後勤皇党に於ける頭脳(ブレイン)とは彼である。宮部の預言者とも謂える生き写しの思想と説得力は、一時藩論を勤皇に統一する迄になる。佐々の思想教育と、彦斎に拠るそこから漏れ出た者達の徹底的排除が肥後に於ける勤皇党の役割である。

江戸・京都では松田 重助と永鳥 三平。松田が撹乱活動を行ない、永鳥が隠密活動を行なう。安政から文久へ年号が変ると、愈々宮部の先輩である轟 武兵衛や松村 大成等も表舞台へ出て来る事になるが、この段階ではまだ宮部と彼の直接的な弟子だけが暗躍している。

「永鳥君が京に来る事になっていて、私も共に江戸へ向かうが、君と私とでは余りに目的が違いすぎるな」

ふふ、と可笑(わら)いを含みながら宮部は油揚げを噛み千切った。松陰と接してわかったが、人に対して穏かな、いわゆる懐が深いと言われる論者ほど、実は他人を狂う程に逆上(のぼ)せあげて仕舞う狂った情熱家で、容赦が無い。妥協が無いと謂った方が妥当か。

「―――話は変るが、無事に君が松下村塾に入塾できて安心した。寅次郎が呼び出して、君に道を歩く異人を斬らせようとしたという話は本当かね?」

この狂った弁舌家は、同じく狂った友人の事を時候の挨拶かの様に気軽に訊く。とはいえ、宮部も松陰のこの行動に関しては可也胆が冷されたらしい。

「はい。入塾前の松陰先生との文の遣り取りで、私は夷狄を排撃すべしと論じたのですが、世迷言と突き返されまして。其から幾度か論を重ねましたが埒が明かず、お会いしたいと送ったところ―――」


『明五ツ半、亜米利加の使いが辰巳の道から来て僕の家の前を通る。僕はその日、家の門に立ち、貴方がその使いを斬るのを見届けよう。論というものは実行が伴わなければ何の意味も成す事は無い。貴方が僕に今迄言ってきた事を実際に見せてくれなくば、君は只の嘘吐きだ。―――()っています。僕は必ず、門の前に立っている。貴方が異人を斬った後は、僕がその後の手助けをしましょう』


久坂が本当にアメリカの使いを斬っていたら、と考えると身の毛が弥立つ思いだが、久坂自身にとってもそうだった様である。あの熱狂的な男は死さえも恐れない。「僕が唆したのです」と言って、久坂の代りに処刑台に立つ事も構わないのだ。

―――之は玄瑞の本意ではない。

玄瑞は定刻通りに松陰の家の前に行き―――・・・併し異人を斬らなかった。矜持も意地もかなぐり捨てて、悔しがりながらも負けを認めた。そして、素直に弟子入りを志願したのである。

併し松陰は赦さなかった。僕の才略は貴方に到底及ばない。寧ろ僕の方が、貴方に教わる事が多かろう。


『―――僕は、塾生とは師弟ではなく同志や友人の様な間柄だと思っている。良き友人となりましょう。共に学び合い、この国について考える、その様な仲に僕はなりたい』


「―――寅次郎らしいな」

宮部は麺を平らげて、丼を持ちつゆを飲んだ。久坂ばかりが話していたので彼の丼の方は少し麺がのびている。

「其で、今は高杉君が寅次郎の洗礼を受けていると?」

宮部は松陰からの手紙で近況を知っている。久坂が入塾してから、とかく今度は高杉の方を鍛え始めた。高杉は松陰が最も基準としている実行力の面では満点だが、論など知らない。詰り最も男らしいタイプなのだが、馬車馬の様なこの男には手綱が必要なのだ。

―――其には客観的に視る学問が必要だ。

学問とは手綱であり、どう使うのかこそが重要である。高杉と付き合いの長い久坂は高杉の扱いをよく心得ているし、松陰の目的にもすぐに気づいた。

松陰は久坂を当てつけて褒めるが、久坂が時々高杉を挑発する。御蔭で高杉は松陰に対して陰気な感情を蓄える事無く、久坂と堂々と競争して勝負を楽しんだ。今では単なる幼馴染ではなく戦友の様な意識が互いに芽生えてきている。

「高杉も俄かに伸びてきています。松陰先生の洗礼ももう終りですよ」

久坂はずるずると麺を啜った。だいぶ柔かい。

宮部は水を飲む。・・・君達が長州から出て来ているという事はその様だ。水を含んだばかりのせいか、声が湿っている。

「君達は(いず)れ志士として、こういう風に長州を出る事が普通になる。寅次郎はその予行練習にと、今回君達を遊学させたのだな。

活動の前に下見の機会を与えられた事は幸いだ。今後は其が活きてくる。

出来る限り沢山の情報を郷里に持ち帰り、塾生と共有するといい。君達松下村塾生は若さもある。すぐに行動に起せるだろう」

・・・宮部は席を立ち上がった。久坂はまだ食べ終っていない。急いで詰め込もうとすると、宮部はゆっくり食べていてくれ。と言った。

「―――永鳥君が来た様だ」

宮部は懐より銭を出し、卓の上に置くと

「ここは私に奢らせて貰おう。・・・・・・今の段階では、君と私は共に行動せぬ方が良さそうだ。ともあれ、久々に話が出来てよかった。まだ、君達若者を活動に捲き込む訳にはいかないが、刻が来たら共に活動できればよいな」

―――では、江戸で叉会おう。宮部は最後にそう結び、久坂に背を向けて店を出た。

「・・・かっけー・・・・・・」

一人になった久坂は、口をあんぐり開いて薄っぺらい感想を呟いた。のびたうどん麺が箸から落ちてつゆが跳ねる。



だが、再会した宮部との会話は久坂の尊攘精神に更に深く根ざした。

この旅は単なる医学遊学ではない。自分も高杉も、松陰が情報収集の為に全国へ放った志士の一人だと思うと、心が弾んだ。

久坂が使命感を抱くのとは別に、松陰は現に塾生達から得た情報を資料として纏めており、之を飛耳長目帳(ひじちょうもくちょう)と云った。塾生の見聞が増えてゆくにつれ日々厚くなる帳面は、長州に残った塾生達の間で争って読まれ、全国各地の情報が塾生達に共有されていった。松陰がどういう思惑で彼等を萩から出したのか、其は松陰以外の誰にも判らないが、結果的には宮部の言った通りになった。



熊本藩の藩論が纏まっていない事は先に述べた。この時点で藩党は佐幕(この頃は之だけで開国をも表す)の時習館党・公武合体、そして開国の実学党・尊皇攘夷の勤皇党の3つが在ったが、実学党の中心である横井 小楠がこの時期、熊本を離れた事も以前に書いた。宮部等が属する勤皇党はまだ発展途上にあり、優勢なのは藩校から生れた時習館党。

彼等にとって邪魔なのも、幕府の狗である時習館党―――・・・



「焼き討ちたぁかんなし怨まれとごたるな」

「ああ・・・・・・」

―――肥後の役人達が焼野原となった敷地に群る。消火活動を終えたばかりで火消は現場に居り、土は黒く濡れ、焦げた木材の間から煙が立ち上っている。

「うっ」

役人達は焼跡に近づくと、思わず口を押えて目を背ける。男女の区別も出来ない様な黒焦げの死体が層を築いている。その孰れもがくびが無く、くびは別に首塚として、火の及ばぬ処に無造作に積み上げられていた。

―――狂気じみている。

「皆殺しだんなこら」

首が焼かれていない御蔭で、身元はすぐに特定がつく。家人や女だけでなく小さな子供の首迄も、焼け焦げた身体と引き離され、明瞭(はっきり)と顔が判る様にされている。

其だけでなく、この邸に住む藩士は城下町界隈では其形に名が知れていた。

「緒方 文兵衛先生(しぇんしぇい)―――・・・あた達ゃ()っか(もん)は知らんかも知れんばってんな、御城に長く勤めなはっとって、俺達も昔お世話になったとよ」

「緒方家の事がちーと判りました」

若い坊主に宮部と同い年位の役人が話している時、彼等の間程度の年齢の者が報告に来る。役人はその者の方を向いた。

「なんな?」

「文兵衛先生は隠居しよんなはって、今は長男の小太郎(しょうたろう)しゃんが家ば継いどらすそうです。ばってんこん小太郎しゃん、時習館党の偉か人て。最近各地で尊皇攘夷ば掲ぐ輩が人ば斬る事件が多からしかけん、(そっ)で襲われたち思います」

「ばってん、其でちゃこぎゃんまちごうとる事はせんどたい。よっぽど怨みんなかこぎゃん子供まぢ殺して首だけ取ったりせんよ」

まちごうとるというのは熊本の隠語で「気が狂っている」事を指す。其だけ今回の事件が不可解で、常人には及びもつかぬ背景の下に行なわれている事を示した。

「―――ばってん、時習館党に対する見せしめちいう風には受け取れまっせんかねえ」

遺体の確認を行なっていた別の役人が、首塚に刺さる刀に縫いつけられた布切れを持て上ぐ。布は襤褸切れで土気色に汚れていたが、(あか)い、恐らく被害者の血で


『 天 誅 』


と、書かれていた。

「――――・・・・・・!」

・・・・・・役人達はゾクリとする。

「・・・遺体の引取り手は」

「―――そぎゃん遠くなか(まえ)に養子ん出された子がおるごたっです。(そる)ば当っちみましょう」

時習館党は宮部が池田屋事変で闘死する迄、その影を潜める事になる。

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