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三十六. 1861年、長州~松陰を継ぐ~

「でも―――俺は桂さんとケンカして(こっち)に戻って来ていますからね。桂さんが(うん)と言ってくれるとは思えないし、桂さんに頼ってばかりいる訳にもいかない」


・・・冷めた眼差しを久坂は空中に泳がせる。長州料理に箸をつけていた宮部は顔を上げ、一笑して首を傾けて訊いた。


「・・・・・・なんで?」


「時々ものすごく軽い喋り方になりますよね先生。なんでって」

無表情でツッコむ久坂に、入江がはらはらする。あらゆる意味で久坂はツッコミに向かない様だ。

「・・・・・・君は若しかして、自身が萩へ呼び戻された本当の理由を知らないのか?」

「・・・・・・え?」

久坂は眼を見開く。

「・・・・・・なるほど、長井さんにはそう見せていた方が確かに都合はいいかも知れないな」

・・・・・・宮部はひとり自己完結させ、再び箸を()いて久坂と向かい合った。

「長井さんが強硬手段に出だした以上、長州藩の尊攘派も一刻も早く人数を集め、対抗していかなければならなくなったが、君が萩を離れる隙を狙われたから人を(つな)ぎ留め纏める者が在なくなってね。急遽西国(ちかば)に居た私が呼ばれ寅次郎の築いた関係を繋ぎはしたが、他国人である私が出来るのは結局のところここ迄だ。内部抗争となれば当然だが国許に凡て帰結する。長井さんが長州を出た今こそ国許の志士を纏め上げ、尊皇攘夷に引き戻したい所存だと、桂さんより文を貰ったのだが。その纏め役には久坂君、君が適任だと」


「・・・・・・桂さん・・・・・・」


久坂は思わず項垂れて、落ちてくる額を手で支えた。きちんと説明してくれれば水戸送還の件での喧嘩も水に流して素直に萩に帰ったのに。

「・・・あぁな。だから手紙には私が説明する様にとあったのか。

いいのではないか?偶には。肥後(うち)の様に常に争っているのは問題だが」

事情を知った宮部は愉しそうに笑った。意外と下世話な話も嫌いではないらしい。

「―――併し、まぁ、時習館派との接触は私も余り良い選択とは思えぬところだ。乗り掛った船だし、君等の藩には尊皇攘夷でいて欲しいというのが本音でもある。無論、積極的には出ていかないが、君達がこの先如何にもならなくなり助けを求めて来た時には肥後(われわれ)も其に応じよう。―――・・・内部抗争に関しては、肥後(われら)は幾らか慣れている」

「・・・・・・」

久坂と入江は黙った。



「・・・・・・何故、あなたは之程迄に我々長州藩の事を・・・・・・?」



入江が恐る恐る宮部に問うた。久坂も同感である。幾ら松陰と親しかったと(いえど)も、藩内部の事をここ迄知っているのはおかしい。

「・・・・・・」

彼等は宮部の口から別の答えが出てくる事を期待したが


「・・・・・・寅次郎だよ」


と、聞き厭きた理由を紡ぐのであった。

「不服そうだな」

宮部は彼等の表情を見て、少々面食らった顔になった。

「こちらから見れば寅次郎の方が余程不可思議なものだ。藩政改革の為か其とも単なる学問への興味か、目的は知らないがふらりと熊本に遣って来て、黒船もまだ来ていない頃なのに海防の話を捲し立てるのだ。いつ帰るかと思ったが、一週間経っても居座っている。御船のあの私の家にな」


久坂と入江は表情を強張らせた。松陰のこの手の伝説は尽きないどころか掘れば掘る程どんどん出てくる。


宮部はその伝説の一つを懐かしげに語り始めた。


「海防は肥後より外国との海に面した長州の方が発達している。つい聴き入った。如何やらロシア軍艦が長崎に寄港するのを待っていたらしく発つのだが、数日経つと叉熊本に戻って来るのだ。そして我が藩の要人に会いたいと言い出した」


寅次郎は肥後にある何かを探りに遣って来たみたいなのだ―――と宮部は言った。その何かが何なのかは現在に至る迄判然としない。併し1850年代初頭、肥後、尾張、水戸の三藩が矢鱈と史料に名前を連ねる不思議がある。


「当時の熊本藩家老に会わせた。するとな、今度は之から自分は萩に帰るから、一緒に来てくれと言ってきた。今からかと訊くと今からすぐにと言う。流石に数日猶予を貰って後から追って萩に着いたら、長州藩の要人に会いに行こうと、友人の家を訪問するかの如く誘う」


・・・・・・。之には身体の内側の血がスーッと引いていく。萩まで来て遣っちゃう宮部もすごいが、何気に松陰に会ってあげちゃう熊本藩家老もすごい。この頃の熊本藩家老は有吉 市郎兵衛という人である。

真に恐ろしいのは之等凡ての事が筆者の創作でない点だ。更にいえば、松陰は全く同じこの事を宮部だけではなく横井 小楠にもしている。

「其で―――・・・」


「長州藩の要人に会った。長井さんにも会ったし、来原さんや来島さんともその時から知り合いだ。月性さんとも話をした。その出来事が切っ掛けで、有備館(江戸長州藩邸内に存在した藩校)の講師をさせて貰った事もある。私ももう半分長州人の様なものだな」


宮部がはっはっはと笑う。が、二人はとても声を上げて笑う気にはなれない。

――――松陰先生・・・・・・


「之で、謎は解けたかね?」

「ええ・・・・・・」

ここ迄はっきりして仕舞うと、もう納得するしか無い。桂も恐らくこの事迄知って宮部にピンチ‐ヒッターを頼んだのだろうと察した。だが、この肥後人達の故郷と長州藩の関係は、松陰が死んで仕舞った為によく判らない。

「寅次郎が肥後で本来は何を得ようとしていたのかは知らない。併し、私と寅次郎の尊皇攘夷は寅次郎が肥後に来た時に始った。

寅次郎の弟子は私にとってもその様なものだ」

宮部が飲み食い騒ぐ松下村塾生達を一人一人、眼を細めてじっくりと見回す。・・・・・・不思議な言葉遣いだ。松陰は長州藩に於ける尊皇攘夷運動の起爆剤と謂えようが、丸で長州と肥後の攘夷が同時に芽吹いたかの様な響きである。

「・・・・・・」

・・・・・・(やが)て、徐に器を床に置くと


「・・・・・・扨て、そろそろ御暇するよ。後は若者達で楽しみ給え」


と、帰り支度を始めた。

「えっもうですか。稲荷寿司がこなーに残っちょりますに」

「明日の朝一番に(ココ)を発つのでな。稲荷寿司は文さんに容器をお借りして幾つか持って帰らせて貰うよ」

宮部は立ち上がる。其と無く受けた稲荷寿司の(くだり)もスマートに返す辺りに油揚げへの愛情を彼から甚く感じたが、先程何気に目の端で見ていた入江の反応から己のツッコミの素質の無さを悟った久坂は、彼の心を傷つける事を恐れて敢てそこには触れなかった。

「肥後さんは之から如何するんです?」

真面目に肥後勢の動向について訊く。久坂には周旋家の素質がある。この頃攘夷の主力から外れがちな彼等への気配りを怠らない。

宮部はちらりと久坂を見下ろした。

「扨て、な。我々肥後勤皇党もそろそろ京へ―――・・・と言いたいところだが、西国(こちら)でまだすべき事があってな。お客さんの接待の都合で松田君、永鳥君含め肥後の志士達は今全員帰熊(かえ)って来ているのだ」

「あぁ、だから急に江戸であの二人を見なくなったんですね」

脱藩者の松田まで呼び戻す程に接待役が必要というのも凄いが。肥後の土壌は情報や大物の方から飛び込んで来る条件が揃っている。

「松田さんや永鳥さんだけでなく、志士そのものが急に江戸から居なくなってびっくりしました。その志士達は現在京に集結しているとか。薩摩藩島津公が京に兵を挙げるという情報に呼応しての集結らしいですが、薩摩志士の樺山さん曰く、その情報はガセだと」

「そうだろう」

宮部はすんなり返してきた。条件の一つが、薩摩と直に接する唯一の国である事である。

島津(あそこ)の殿さま―――・・・正確には藩主の御父上であらせられる久光公は、確か公武合体派だった筈だ。でなければ細川(うち)の殿さまが黙っていない筈だからな。仮に兵を挙げるとしても、其は尊攘派(われら)に向けられるものだろう。久光公は無秩序な状態を非常に嫌う方だと聞く。無闇矢鱈に京へ入ると、逆に粛清され兼ねない」

情報を流すのも意思ある人間だからな、鵜呑みにする訳にもいかない。宮部はくるりと二人に背を向けた。その所為か、その台詞だけ少し遠く聴こえた。


「あ、そうそう。近く河上君が君の顔を見に(ココ)へ来るかも知れない。その時は如何か相手して遣ってくれ」


宮部が振り返って言った。遣り取りはあるが圧倒的に顔を合わせる事の少ない人物の名に、久坂は驚きの声を上げる。

「彦斎が?」

「ああ。君がちゃんと生きているか確認をしに、だと」

「何だそりゃ」

久坂はけらけらと笑った。縁起の悪い冗談に、入江の顔が引きつった。宮部も豪快に笑ったので入江も少し安堵して笑うも


「併しまぁ、河上君は真面目にそう言っていた。他人の命を狙うという事は、自身も叉他者に命を狙われるという事。その発想に至った時点で、君は以前より死に近づいている。君もそろそろ己の身辺を固めた方がよい。少年期(あのころ)と違って、君は最早長州藩を背負っているのだしな」


・・・・・・最後に釘を刺され、二人の笑いは乾き切った。どう聴けど経験者は語る、である。宮部の言葉は翳のあるものであってもいつでも真に迫っているが、宮部自身に後ろ暗い面がある様には見えないのが叉不思議なところだ。

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