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三十四. 1861年、長州~古高 俊太郎の正体~

「彼が古高 俊太郎君―――・・・前に言った、梅田 源次郎の弟子だ」



周囲がどっとどよめいた。梅田 雲浜の名は他の松下生も知っている。中には松陰の遊学プログラムで会った者もいるかも知れない。

「其だけではない」



実はこの古高 俊太郎、長州藩と無関係でないどころか、大いなる関係にある。



「彼は近江の生れだが、彼の御父上の再婚相手が徳山藩(長州藩の支藩)藩主であらせられる毛利 広鎮公の側室なのだ。その側室は再婚前に御子息を産んでおられ、その御子息は広鎮公の正室との御子息である現藩世子・毛利 定広公と腹違いの子に当る。彼の義兄(あに)上と定広公は義兄弟になるのだな」



・・・久坂、入江を始め彼等はぽかんとしており反応が極めて薄かった。一回では先ず聴き漏らさぬ事からして難しい塾生もいる。

太郎坊は何度か聞いていた様だが其でも頭を抱えて



「えっ・・・と、其って、詰り、あきんどは次代藩主の義兄(あに)だって―――言ってたよな・・・前?」



と、訊いた。

「そう!それそれ!」

宮部が随分砕けた口調で肯定する。助け船に全力で乗っかった形だ。宮部は宮部で皆の反応が薄い事に焦っていたのかも知れない。



「「「「「「えぇえええーーーーーー!!!?????」」」」」」



―――時間差で大声が上がり、宮部と太郎坊が愕く。古高なんてもう二人に張り付いて泣きそうである。


「あ、兄!!?」

「義理の、義理の、兄!?」

「ギリギリの、兄!?」

「ギリギリ、兄!?」


塾生達がどっと古高に詰め掛ける。「ふええええええ!?」古高が塾生の波に(さら)われてゆく。縋ろうとする古高の手を、宮部と太郎坊が同じポーズでひらりとよける。ええぇぇぇん太郎さーん! 古高子供の様に泣く。

「楽しそうだな。お前も交ってこいよ、山口」

「何でですか!;」

ぽかんとひとり置いてけぼりを喰らっている山口に久坂が促す。宮部と塾生の中では年長に入る入江が傍では会話をしている。

「若いんだからもっと交流してこい」

「いえ、久坂さんも充分若いですよね!?」

はっはっはと久坂が笑う。いや確かに年齢は近くとも纏うオーラは伊藤等とは全く異なるが。伊藤等はまだ新参者の香りがする。


「し・・・っ、併しっ、わたくし現在は近江商人として、湯浅 喜右衛門の名で過しております・・・古高ではなく、湯浅の名を呼んで戴きたい・・・・・わたくしは一介の商人として、ひっそりと暮していきたいのです・・・・・・」


久坂は宮部にめくばせをする。・・・・・・定広公の義兄弟なだけではない。古高の母は公家の家系、詰り、古高には朝廷との繋がりもある。併しながら古高は、雲浜の逮捕後相当な苦労を強いられたらしく、尊攘活動を行なう事に対して消極的になっていた。この様子では宮部も未だ説得しきれてはいなさそうだ。

久坂は其を宮部に確認した。其は別に仕方無い事だと。

()てもういいでしょう、久坂」

入江が非常にあっさりとした声で言った。久坂がん?と問う。

「感動の再会ももうここ迄で。酒持って来ちょる。早よう飲もう♪」

「お前・・・・・・」

山口が唖然、宮部が苦笑する。塾生達が久坂の貌を久々に見た先刻よりも高いテンションで同意した。久坂そのものとの再会を歓ぶというよりは、酒を飲んで語らう事に目的がある様である。

「文」

遣れ遣れと、久坂が動き始める。

「いらっしゃる事は聞いておりましたので、用意は出来てございますわ」

久坂が文を探しに行くと、文は台所から出て来た。両手で持ったお盆にはズラリと萩焼の器が。


松下(ここ)には皆、おりますわ」


文が人数分の萩碗を示して目を細める。・・・久坂は一瞬、瞼を大きく開けるも―――・・・・・・文と同じ様に、目を細めた。




萩焼の茶碗を届けられ、塾生達は無造作に其を取ってゆく。その割に手に取る器が重ならない。

「―――まだ残してあったとは。(かたじけな)いな、文さん」

宮部も器を取り上げて見つめる・・・如何やら、自分用の器がきちんと決っている様だ。

山口と古高が呆然としていると、夫人が傍へ来て、湯浅さま、どうぞ。と古高に個別に器を渡す。この器も叉、真白な色をしている。

「・・・あのー」

山口が遠慮がちに文に話し掛ける。

「この湯呑、湯が少し滲み出てきて仕舞って・・・ほら」

そう言って、湯呑から離れた己の掌がしっとりと水分を含むのを示した。・・・ほ、本当だ・・・ 古高がおどおどながらも好奇心に満ちた瞳で山口の手を見る。素直な男だ。併し

「山口・・・さんの器は、粗めの(ひび)が多いですね・・・お茶の色が浸透し始めている・・・元々は之と同じ色だったのではないでしょうか・・・・そうすると、皆さんの器も元々は同じ色の物・・・・・・?」

「よく見ていますね」

観察力が鋭い。古高の真新しい茶器と並べて初めて気づいたが、山口の茶器はもう休雪の白さではない。山口の飲んだ緑茶の色が器の表面に浮び上がり、彼自身の若さを表す様な若竹色に染まっている。


「よくお気づきですのね。この漏れ易いのはわざとなのです」


「わざと?」

「ええ」

(すす)いで参りますわ、と文は山口から湯呑を引き取る。


「旦那さまは渋めのお茶をよく飲まれるので深い茶渋の色に、宮部さまは肥後藩の御国酒である赤酒をその器では飲んでおられたのでふんわりとした赤色に、入江さまは清酒を好んで飲まれるので萩焼本来の休雪白に。飲む方の嗜好や気持ちの変化に合わせて色や深みを変えてゆくのが萩の器の特徴なのです。使う方の色に育ってゆく、その方だけの器を差し上げる事が、寅兄さま―――吉田 松陰の頃からの松下村塾の風習となっておりまして」


「え」


と、二人は思わず声を上げた。と、いう事は。


「その器は湯浅さま、此方の器は山口さまの物ですわ。大切に為さってくださいね。―――其に、この萩の器を差し上げた方は、もう塾生(かぞく)の様なもの。この器を持つ事で皆さま仲良くなってゆきましたわ。気兼ね無く寛いで、他の塾生とも気軽にお話をしてくださいな」


山口と古高は慌ててそんな価値の高そうな物は受け取れないと断ろうとしたが、文の続ける言葉の絶妙さにタイミングを逃して仕舞う。流石は世に聞く松陰の妹。

・・・・・・併しながら、夫人の心遣いがくすぐったい。

と、背中に突如突き刺さる様な痛みが山口を襲う。


之は・・・文の夫・久坂の視線。


「お前また人妻を―――・・・・・・。油断も隙もありゃしねぇなぁ」

「だから違いますって!!;」

最も近くに居る古高が両手で口を押え、見てはいけないものを見て仕舞ったといった視線で山口を凝視する。

「少しは久坂さんの言った事を疑ってください、古高さん!」

山口が叫ぶ。伊藤等松下の末弟子達が(ことごと)くきょとんとした顔で山口を見遣った。山口がツッコミをする事が如何も意外だった様だ。久坂が悪党(さなが)らの凶悪な表情で(わら)

「―――お前達。たっぷり遊んで遣りな」

と、之叉宛ら悪党のボスの口調で末弟子達を(けしか)ける。ノリのいい伊藤や品川 弥二郎が先頭に立って山口と対峙した。如何やら、山口が別に独りでいたい人間という訳ではないと気づいたらしい。山口は従兄である山崎 烝と同様、周囲から一匹狼と見られ易い。否、山口の場合は孤高と謂ったが適切か。

「・・・やれやれ。漸く僕と気の合う人間が来たと思ったのに、がっかりなのだ」

山縣 狂介が如何にもエリート然とした空気で嫌みたらしく言う。山縣は今正に否定したが、山口は冷静に山縣を自分と同じタイプだと思った。

山縣も山口と同じで、一見優等生で周囲から一歩引いているも、何だ()だで人に手を貸さずにはいられない。塾生が囲う部屋での山縣の馴染みっぷりが其を物語っている。

伊藤 俊輔はドン=キホーテ高杉の子分を務めるだけあって機知に富み、そして掴み所が無いと思える程に鷹揚であった。語学に堪能で全く訛りの無い標準語も話せ、更に感情の乗せ方が巧いので非常に聴き易い。聞き取り易いし、自然と耳に入ってくる。

品川 弥二郎は山口と同い年である。彼はある意味で背伸びをしている山口と違って、等身大と謂うべきか。勉強が出来る訳でも突飛な発想力がある訳でもなさそうな平凡な少年だが、猪勇でお茶目なのもあり、故に人の共感を得易かった。先駆として何かを創り出す事は少ないだろうが、二番手としての引き立てを受け、既存を万人の心に即した方向へ緩やかに変容させてゆく事だろう。

長州人は群れるのだと云う。其は確かにそうかも知れず、似た様な事については之迄も本作内でも何度か触れてきた。

孤高でいたがる山縣でさえ、山口の眼から見れば周囲を信頼している。

だが、だからこそ個人では成し得ぬ大業を果すのではないか。協調性があり、他を赦せる度量の広さ、懐の深さが革命家を援け、過去を水に流して同盟を結び、遂には300余藩をこの日本という一つの国に纏めて仕舞った事は後世に生きる私達が知っている。


塾生達に囲まれ、慣れない馴れ合いにたじろぎつつも、山口は

(・・・こういうのも別に悪くはないかな。(たま)には・・・)

と、ほっこりする感覚を味わわせられた。彼が之迄経験した事の無い感覚でもあった。



「人妻か・・・!そうかそうだった。文さんは久坂君の御新造さんだったな」

宮部が苦笑し、文も袖で口を隠してくすくすと笑った。因みに之より先はアダルトな世界の為、太郎坊には御退場頂いた。

「なんでだよー!」

「ほら、太郎ちゃん」

・・・・・・次に出演機会があるといいですね。

「慣れないですか。俺も慣れないです」

「其は萩を離れて遣らかしてばかりいるからではないかね」

はっはっは。宮部と久坂が声を上げて笑う。入江が宮部の器に赤酒を注ぎ

「先生は文さんともお知り合いで?」

と尋ねた。当然の如く稲荷寿司が側にある。赤と金でお供え物にしか見えない。

「ありがとう。ああ。文さんが七・八つの頃から知っているよ。知っている分、大きくなって嫁いだと知っても実感が湧かなくてな。其に、まさか久坂君に嫁ぐとは」

「其については俺も愕きましたよ。入江はまだ入塾していなかったか。忘れもしない、4年前の冬な、いつも通りに(ココ)に来たら松陰先生が紋付羽織袴を着て門の前に立ってらしたんだよ。流石に関るとヤバいと思って一礼して通り過ぎようとしたら義弟になってくださいと告白されて。ココは妹をお願いしますじゃないのかと思ったんだが」

松陰至上主義の入江がうんうんと彼の伝説を肯きながら聴いている。宮部が何か言いたげだが、例の如く言い出せない。

やべぇ、ツッコむヤツがいねぇと久坂は初めてツッコミのありがたみを認識した。

「松陰先生の事だから、宮部先生に相談したんでしょう、色々と」

「色々とというか、文さんを君に遣ってもいいかという書簡が寅次郎から届いてな。其は私ではなく杉家の方々に許可を取るべきだと助言はした」

「その結果がコレですか」

はっはっは。今度は三人で笑った。宮部は松下村塾生の事もよく知っている。塾生の知らざる松陰を知る第三者で今や塾生の重要人物である宮部だが、最早其だけではなかった。


「・・・・・・塾生(かれら)を繋いではおいた」


「―――ありがとうございます」


久坂が礼を言い、入江が頭を下げた。フフ、礼など。宮部はいつもより気分が高揚しているらしく、赤らんだ頬を無邪気に綻ばせた。

「・・・済みませんね、長州藩の問題に捲き込んで仕舞って」

「我々のどちらかが藩内で自由に動けたら、意見する事位は出来たんでしょうけど」

「気にしなくていい。肥後の門人(もの)達を相手にするより遙かに遣り易いし、いつもの事だ」

宮部が幸せそうな表情で稲荷寿司を頬張る。久坂と入江は顔を見合わせる。「いつもの事」で済ませて貰えるのなら有り難いのだが、併し「いつも」遣らかしていた松陰の直弟としては責任も感じる複雑な心境である。

「後は君達が塾生(かれら)を導いてくれればいいとは思うが、其だけでは一度引っくり返った藩論は元には(かえ)らないだろうな。長井さんも、寅次郎の弟子である君達の扱いは分っていよう」

宮部は長州藩の内部事情についても大方把握している様であった。長井の事も知っている様である。

「宮部先生の眼から見ても、今の長州藩の状況は厳しいですか」

入江が正坐に背筋を伸ばして尋ねる。一方で久坂は寛いでいる。・・・併し、視線は遠く、固定した侭動かず、故か何処と無く昏い。

「―――厳しい。尊皇攘夷の(さき)をいっていた藩が斯うも根底から覆されたと思うと不思議な程だ。矢張り、寅次郎が処刑され、長井さんに対抗できる人間が在なくなった事が大きいか」

とは言うが、長井だって元は攘夷論者なのである。併し、宮部はそこは別に問題としていない。村塾の若者は血気盛んでまだ理解できぬだろうが、攘夷論者が開国論に転じる事は侭ある事だ。

長井は宮部より年上である。詰るところ老猾である。松門下の若者がどれ程理屈を捏ねたところで長井に勝ち目は無い。

入江は久坂を見たが、久坂でも無理である。齢を重ねたある程度の才能の大人が相手ならば何の事は無いが、長井には松陰さえも説破していないのだ。


―――尤も、凡て“口先”での話だが。


「・・・・・・私は長州(よその)藩の事に口を出す気は無い」


・・・・・・宮部は斯う前置をした上で


「―――只、同志として助言できる事ならば、一つ」


・・・・・・と、言った。



「月性さんを知っているかね?」



「!」



懐かしい名前を聞いた。兄・玄機の友人で玄瑞が松陰に従学する事を強く奨めた一人である。玄瑞が九州遊学より帰って以後も何かと気に掛け、世話をしてくれたが、病を発症し、1858年に亡くなった。

「知っているどころか―――・・・昔馴染で書読を教えてくださった先生(かた)です。月性さんが如何かしましたか?」



「君達は“御癸丑(ごきちゅう)以来”という言葉は知っているか」



「え―――?」

久坂と入江は言葉を呑んだ。

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