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三十. 1861年、江戸のつづき~肥後が来る~

肥後人への手紙の返事は、河上 彦斎の方が先であった。


河上 彦斎は久坂の手紙の内容を咀嚼していた。彦斎からの返信は、例の言伝(桜田門外関係者の水戸送還の報せ)は言われた通り宮部に転送した事、宮部は現在長州に居る事、今回送った字筆の方がまだ読み易いから今後はそちらの草書体で書いて(よこ)せという注文が記されていた。


叉、宮部の長州入りに関連してか



『宮部先生に書簡を送られても先生が困るので、長州の先生の元に送るのは控えて欲しい』



と、直球の表現で書かれており、混ぜっ返して冗談にする余地も、意味を歪曲して捉える隙間も無かった。



「・・・・・・」

そのつっけんどんで愛想の無い文字の羅列の次の行に



『書簡は僕が承る』



と、あった。




彦斎の手紙が来てから一週間ほど経って、長州藩邸に宮部からの返信が届いた。

「・・・・・・」

久坂は障子を閉め、どっかと畳の上に坐った。

昼間であるにも拘らず室内が薄暗いのは、矢張り障子が開いていないが故か。若しくは、今日は中に人が居ないというのが大きいのかも知れない。

宮部からの手紙はいつも武骨だが、その武骨さに何故か温もりを感じられる。彦斎とは対照的とも謂えるその文字は、彦斎の手紙からだけでは読み取れない事が記されていた。


宮部から届いた手紙の構成は


先ず、水戸浪士の処遇について教えてくれた事に対しての礼。

次に、自分は現在長州で塾の講師をしている事。長州で梅田 雲浜の弟子と会い、雲浜の弟子を助手として、密かに長州の尊攘活動を進めている事、併し長州藩での立場や俗論派の事もあり、身動きが余り取れず、久坂達若者に協力する事が難しい事。

ここ迄は彦斎の手紙や桂に告げられた事と同じである。だが、以降は宮部の手紙にしか記されておらず、且つ久坂等にとって非常に重要な事項であった。



『長井 雅楽、長月七日江戸に(いる)



「――――!」


宮部の手紙には、萩出立から京、江戸入りの長井の行動が短いながらも克明に書かれている。長井が江戸を去る予定の日まで。

長州藩から充分に情報の下りなくなりつつある久坂は、長井の動向についての情報に靄がかかっていた。


―――長井が江戸に来る。


結びに、宮部は



『自分は協力できないが、河上君なら屹度力になろう』



と、文を締めていた。




―――カタ,ッ

宮部は手許の行燈の他に、戸を開け放して月光を明りにこの文を書いていた。この男は月というか風の流れや川のせせらぎなど、花鳥風月をこよなく愛して真冬でも関係無く窓を開けていたらしい。松陰が九州遊学で宮部の家を訪問した際、油が尽きて点かない灯りの代りに月光の下で談合を続けて驚かせたと云うから相当なものである。因みに虚弱体質の松陰は翌日風邪を引き、宮部が医師の子の名に恥じぬスキルで看病したとかしなかったとか。君も何だかんだで()らかしてるよね。

「いやはや、恥かしい・・・・・・」

えっ今、読者(こっち)に向かって話し掛けた?てか、照れんな。

「・・・・・・」

宮部はコトリと磨った墨を硯の上に置いた。宮部は元々左利きである。矯正を受けて一通り人前では右で行なうが、独りの時はふと左のくせが出る。

(久坂君は遠からず、長井さんを何らかの形で殺すだろう・・・・・・其が良いか悪いかは後の世しかわからぬ。併し―――長州藩が彼にしようとしている事は)

―――久坂君が寅次郎の思想を忘れていなければ、恐らく今の勤皇党(われわれ)と同じ情況に立たされている事だろう。

内々で争う事の不毛さや虚無感は、彼等がよく知っている。血が争いたがるが、早く終りを迎えたいのも本心であるし、他人が同様の争いをする姿を見るのは、(しか)も其が友人であるのは、決して気分がいいものではない。


(・・・・・・寅次郎)


だからといって、宮部が長州藩に積極的に関与する心算は今でも無い。他藩者にはわからぬ事情が必ず存在しよう。只、久坂と長井の戦いは果して公正か、とちらと思っただけであった。


(君なら、久坂君達をどう導く―――?肥後勢(われわれ)は所詮、味方になる事は出来ても当事者(きみたち)と同じ様に戦う事は出来ない・・・・・・君はもう少し、彼等の為に生きるべきだったのでは)




―――手紙を受け取ってから久坂は長州藩邸に引き篭り、渾々(こんこん)と考え事をしていた。ここ迄部屋から出て来ないのは松下村塾入塾前に松陰と手紙で激論して以来ではないだろうか。

()ういう時って山口は大抵ほったらかしである。・・・いや、報告もあるので山口が自分から久坂の処に赴くのだが。そして気がついたら身の回りの世話っぽいのをしている。

久坂は一度考え事を始めると石の如く全く身体を動かさない。そのくせ其の侭寝入る事が無く己の中で一段落つく迄いつ眠りに就くのか判らぬ。行き詰ってくると睡眠不足からか振れ幅が大きくなって発想だけでなく発言まで自由になってくる。完全に行き詰ると今度は行動が自由になる。赤本(えほん)描きという趣味もそこから発生してきた。



山口が障子の引手(ひきて)に手を掛けると、力を入れていないのにするすると扉が開いた。危うく出て来ようとする人物とぶつかりそうになる。

「おう、山口」

・・・まぁ、久坂以外には在り得ないのだが。

「あれ、今日はお出かけですか?」

全身を見ると外行きの格好をしている。一応一段落はついた様で、ちゃんと寝たらしく顔色は良い。もうお八つ刻を過ぎているが。

「ああちょっとな。山口、お前留守番な。てか、別に帰っていいぞ。其とも独り俺の部屋に居るか?」

「確かに今日は特に変った事ありませんでしたけど!あなたの方が変り果ててそうで心配だったんですよ!」

久坂のからかいに山口が的確な反応とツッコミをする。久坂は物凄く無邪気な顔で笑った。めっちゃ愉しそうだし嬉しそう。

「じゃあ、帰りは背後に気をつけるんだぞ。気になって若し振り向いて仕舞ったら・・・」

「わかってますって!」

あっはっは!久坂が笑いながら去ってゆく。はっ。扨ては、門の前でくどくどされたお説教は酔ってたからじゃなくてわざと・・・・・・?

は~~っ。山口はもう、考える事をやめた。考えてわかる様な人種じゃないああいうのは。



「吉田」

久坂が単身で向かったのは大塚の柴田 東五郎宅。吉田 稔麿を訪ねた。

「・・・久坂?」

稔麿は髪梳きをしていた。その描写に特に意味は無い。長州屋敷から歩いて来ればもう夜だから珍しくもないし、後は筆者の趣味だ。(こと)にこの男は髪が長く几帳面な性格なので割とよく遣る。

「山口が居ないなんて珍しいな。何かあったのか」

稔麿は手早く髪を結んで久坂の前に坐る。口をあんぐり開けた珍顔を披露する久坂に?を浮べる。

「アイツは長州藩士じゃないからな」

そう言ってどっかり腰を下ろす久坂に、稔麿は正直、長州藩士でない者を捲き込んでいる自覚はあったのか・・・と思った。

―――そう、尊攘活動などと息巻いて言ってはいるものの、国事奔走など、夢の叉夢。現在遣っている事は結局、藩内部の政権争い。

「―――肥後さんから手紙が来た」

・・・久坂は声の調子を落し、着物の胸倉から二通の書簡を出した。

「肥後・・・?」

稔麿は慣れぬ響きで言った。稔麿にとって、肥後はまだ其ほど身近な存在ではない。松田や永鳥としか、未だ接触していなかった。

「あの、行方不明の肥後・・・・?」

「あのな・・・肥後はいつだって九州の真中にあるぞ・・・・・・?行方が知れないのは松田さんと永鳥さんくらいだぞ・・・」

「いや其は流石にわかっている」

稔麿が即座に首を振って修正する。久坂は眉を八の字に下げて、そうか・・・?と如何にも心配そうに言った。

「松田さんや永鳥さんと同じ肥後勤皇党の人達で、もう5年前になるか、俺が九州遊学をした時にお世話になった。其から度々国事活動で一緒になる」

差出人の名を表にして久坂は書簡を床の上に置いた。稔麿が覗き込み、名前を見る。



『宮部 鼎蔵』と『河上 彦斎』―――・・・



「・・・・・・・・・;」

・・・・・・。久坂が哀れむ様な視線で稔麿を見る。大丈夫だ稔麿。彼等のフル‐ネームを一発で正確に読み切れる人はそんなに多くない。


「宮部 鼎蔵(ていぞう)先生―――山鹿流の兵学者で、松陰先生同様に早い段階から日本の国事について談じ、肥後熊本藩の要職に就いて後一歩のところで藩論を引っくり返していた人だ。現在(いま)長州藩(オレたち)の様な状況には、結構慣れている」


! 稔麿はその名を見下ろす眼を大きくした。慣れている、なんて事があるとはと思う一方で、其でも猶覆らぬ藩も叉強固だと思った。


「こっちは河上 彦斎(げんさい)―――・・・宮部さんの弟子で、昼間は熊本藩家老の茶坊主として情報収集に当る傍ら、夜は佐幕派、開国派のヤツらを斬って回る凄腕の暗殺者だ。彦斎の働きで、藩論は再び攘夷に傾きつつあるらしい」


「暗殺者―――」


稔麿が少し湿った手で書簡を開く。松陰先生の親友という光と暗殺者という影を同時に知り、其等の共生を認めなければならない事に些かの躊躇いが生れたからであった。

「―――!」

―――併し稔麿は薄々ながら気づいていた。『藩内での抗争に慣れた者』が『暗殺者』を紹介するその所以を。

「・・・っ、長井が、江戸に来るのか―――?」

「その様だ」

久坂は何て事の無い様に言った。時期が叉、絶妙である。

「その河上さんとやらに長井の暗殺について相談をする心算(つもり)か、久坂―――?」

稔麿は声を落して訊いた・・・宮部から長井の上府の期日を示されて、暗殺者がその力になると書いてあれば詰りはそういう事だろう。

「まさか。其じゃあ俺だけじゃなくて彦斎まで処分を食らうだろ。言ったろ、アイツは藩勤めの茶坊主なんだって」

あっさり久坂が否定する。

「暗殺依頼でもねぇよ。アイツは国許を自由に出られる立場ではないしな。言っておくが吉田、あの教育立国熊本藩の人間で宮部先生の弟子だぞ。手腕(うで)だけでなく学問(あたま)もある。お前よりも学はあるかも知れないぜ」

? 稔麿は久坂の真意を測り兼ねる。暗殺者に暗殺の話をせずして何をするというのか。稔麿も叉、河上の事を只の暗殺を稼業としている人間という風に見ていた。

「俺は、兵法は村田先生(大村 益次郎)に教わったが、殺人刀(せつにんとう)剣術については学んだ事が無くてな。彦斎先生が体系化して一流派として興してくれる事を密かに期待しているんだが」

併し、久坂は必ずしもそういう眼で見ている訳ではない様だ。剣術創始者としてや教育者・指導者としての素質も見込んでいる様である。


恐らく後の物語で触れる事が無いのでこの機会に書いておくと、確かに彦斎は剣客であると同時に創始者でもあり、教育者でもあり、指導者であった。明治2(1869)年、彼は豊後国大分郡鶴崎(現・大分市)に設置された兵学校・有終館の創立者陣に名を列ね、国学を教え、兵隊長として兵を率い、文武ともに後進の教育・指導に当っている。猶、之は本人の意思とも限らなく熊本藩の命令で行なっている。

叉、之も本人の意思とは関係無いが、戊辰戦争後に起った長州藩の内乱に捲き込まれる形で有終館を舞台に国家反逆事件が起り、其が「熊本藩に国家転覆の陰謀あり」と伝わって明治新政府が肥後討伐を実行しようとした。九州征伐以来の存亡の危機に立たされるも、彦斎の首を差し出す事と横井 小楠門下四天王の一人で民部省(旧・大蔵省の一部で当時は国内行政管轄を行なっていた。現在の財務省に繋がる)監督大佑であった嘉悦 氏房の尽力に依って熊本は何とか亡ぼされずに済む。



「俺は彦斎に『玄斎流剣術』の教えを仰ぐ気でいる」



久坂は彦斎の剣をそう呼んだ・・・この男が明治を過ぎても生き残っていれば、彦斎の末路はもう少しましなものであったろうが、所詮我流の殺人刀剣術は只の暗殺法であり、彼の剣を剣術と認めるのはこの男くらいのものかも知れない。

「・・・・・・」

稔麿は何と返せばいいのかわからず、黙った。修得した先に見えるのは暗殺の唯一点のみである。修得して、如何する。

「・・・・・・肥後まで修行(ならい)に行くというのか」

「まさか。座学だよ。何せ長井は江戸(ここ)に来る。動向を知るのは大事だが、()るのは別に必須じゃない。今江戸に居る志士は俺達だけだから、知識を増やすのに丁度いいと思ったのさ。知識としては必要だが、実践力はまだ伴わなくていい。其に、玄斎流を其の侭暗殺に使ったら、いつか彦斎に結びつくかも知れないだろ。玄斎流を参考に、俺が方法を色々考えるさ」

取り敢えず、今回も動静の確認程度で行動を起す心算は無いらしい。出来る力もまだ持ってはいないが。

まぁ、抗議文くらいは書かせて貰うけどな、と久坂は言った。

「・・・内部抗争を何度も経験した者が最終的に暗殺に手を染めるという事は、穏便な解決など矢張り出来ないという事なのだろうか」

・・・・・・。久坂はぼんやりとした視線で稔麿を見た。稔麿はどこか、思い詰めた表情をしている。

(・・・・・・)

「・・・其はまぁ、藩に依るんじゃね。()らなくて済む方法があるんならそりゃそっち取るし、飽く迄最終手段だろうよ。尤も―――すぐに道理や志を()げる程度の人間だったら、殺る必要は無いわな」

まぁ気分的には複雑だわな、と久坂は思った。答えはもう出ている様なものだから。肥後は極端な例だとも思うけれども。

大物ほど手に掛けなければならない現実がそこにはある。

久坂が言うと、稔麿は何故か肯いた。納得したというよりは、踏ん切りがついたといった感じである。



「じゃあ、俺がお前の剣術を体現しよう」



稔麿が、唐突に言った。―――。久坂は彼が何の事を言っているのかを呑み込むのに少し時間が掛った。


江戸(ここ)ではどうせ出来る事が少ない。其に、(きた)るべき刻に向けて、相応の準備が要るだろう。暗殺作法は(いず)れ必要になってくる。が、お前は長州藩邸に見張られている様なものだから、お前が動けば必ず怪しまれる。

お前は之迄通り部屋の中で書簡の遣り取りで座学を行ない、お前の作った作法とやらをこちらに回してくれ。お前の作法を俺が実践の剣に昇華させ、村塾の後輩に指導できる様にしておこう」


稔麿は既に柳生新陰流と神道無念流を修めている。稔麿自身が之等の剣を振るったのは結局池田屋事変以外に無かったが、暗殺技法を纏い簡略化された之等の剣は1863年に参加した奇兵隊や彼自身が組織した屠勇隊に受け継がれ、剣に覚えの無い庶民や部落民の奇襲攻撃に応用されたと云う。


「―――わかった」

・・・久坂は肯いた。何だか面白い事になってきた。一度消されかけた炎だ。この二人が再び点火し、この二人から叉炎が拡がってゆく。

「河上さんから届く書簡も俺が預ろう。お前が持っていると露見(バレ)た時に色々と大変だからな」

「いや、その場で燃やすからいいさ。証拠はその都度潰していく」

稔麿は少し眼を大きくした。久坂ほどの脳がなければ其は屹度難しい事だろう。読んだ物は全て頭の中で保管しておく。

「其に、暗号ももう全部頭の(ココ)に入れてある」

この男もなかなか気忙しい。

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