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二十五. 1861年、肥州~人斬りの意思~

河上 彦斎が立ち上がる。


白鞘巻の刀を手に持ち、清河の居る処まで出て来る。


「彦斎・・・・・・!?」

「―――先刻(さっき)から黙って聞いとれば、見当違いな事ばべらべらと。何処から情報ば入れてきたか知ゆんが、あたほど言う事が虚しく響く奴初めて会うよ。同胞ば斬っとるのは僕ね。僕の意思で肥後人ば斬っとると。此処に居る人達は関係無かよ」

彦斎は今にもその白鞘から刀を抜いて斬り(かか)らん剣幕であった。(しか)しながら、その白鞘は切腹用の短刀だ。

神を祀りし清浄なこの神宮家で、人を殺したくなどはない。だから彼等は、己の刀を預けて来た。

併し。

「あたを薩摩に行かせる訳にはゆかんね。別に僕達は、藩が無くなる事を望んどる訳では、なか。幕府を倒す気もありはせんと。只、売国奴ば斬り夷狄を追い払い、之迄通りの平和を取り戻せればよかだけの事―――・・・世の中、要る人間も要らん人間も存在せんよ。皆其処に生れてきただけね。其処に生れてきた事は、其処に生きるべき人達いう事よ。その理を邪魔する事は許さんばい」

彼等は“反幕”派ではあるが、決して“倒幕”派ではなかった。尊皇ではあるが、幕府を丸っきり否定している訳ではない。肥後が薩摩に侵略されずに済んでいるのは幕府あっての事だと彼等は理解していた。だから、公武合体にも然して興味を示さなかったのである。

「ぬしが薩摩に行く言うなら―――・・・」

―――・・・彦斎は白装束には浮いて見える唇を噛んだ。“ 斬 る ”の二文字が言えない。

「―――・・・貴様が『黒稲荷』か。女の腐った様な面をしているな」

清河が悠然と立ち上がる。

「俄かには信じ難いが、情報に依れば上座で飲んでいる奴よりは確かに近い」

上座で飲む者とは轟 武兵衛の事である。彦斎が短刀を鞘から抜いた。清河が近づいて来る。が、清河はその腰に差した大小に手を掛けない。

「―――そんな短刀(もの)で」

―――無論、斬れなどしない。元より彦斎は短刀を扱う機会など無い。突けば其形の威力は有るだろうが、清河が抜かぬ以上遣っても意味の無い事だ。

―――人斬り彦斎の本質は何処か。其さえもこの男は暴こうとしている

清河が彦斎の腕を掴んだ。彦斎は甘んじて受けた。斬り合いならば決して負けはしない。一騎討ちも然りである。だが今は剣が無い。


ぐっ!


「っ!?」

突如清河が握る手に力を入れる。彦斎は短刀を取り落しそうになる。思わず上げたもう片方の腕も取られ、彦斎は血相を変えた。

・・・振り払えぬ。

「・・・フン、『黒稲荷』の本体は刀の方か」

「―――・・・っ!」

清河は力が強い。体格(からだ)も6尺位ある。北辰一刀流免許皆伝の腕を持つが、何よりも人を殺している。同じ北辰一刀流を修めた坂本 龍馬や伊東 甲子太郎とは全く質が違うのだ。

清河は人を殺したが故に幕府に追われているのである。

―――人を殺した事のある者は、同じく人を殺した者が嗅覚で判る。

「まぁいい。だいぶ()っているのは間違い無いし、従わせるなら(なり)のいい奴の方がいい。その形なら薩摩人が喜ぶだろう。薩摩では衆道の価値がまだ寺並みに高いらしいからな」

・・・・・・!血を舐めた様にぬらぬらと紅い彦斎の唇を見つめて清河が言った。彦斎は屈辱に顔を紅くする。

「俺のもう一つの用は貴様だ、黒稲荷」

!! 佐々と宮部の顔色が変る。矢張り何処かから情報が洩れている。武市が九州視察に来た時も、武市は彦斎の事を知っていた。

「俺と共に薩摩へ下れ。俺は別に浪士どもをだましている訳じゃない。之から島津を挙兵させるのだ。俺が島津に言って利かない様だったら、貴様が島津を斬れ。薩摩を夷狄と同等に見る肥後人(きさまら)なら、貴様の理では薩摩人を斬る事に抵抗は無い筈だろう?」

――――・・・・・・ 一同は最早、くるくると転じてゆく清河の理論についてゆけなかった。清河はとんでもない策士であった。

良く言えば柔軟な発想で、誰もが及ばぬ奇策を生み出す天才である。併し、逆に言えば節操が無い。全ての素材をごちゃ混ぜにして全く別の料理を作ろうとしている様にしか、素材の一つ一つの味に意義を見出している保守的で頑固な肥後人には見えなかった。

「・・・あた人斬った事あろうもん。(わが)で斬らんね」

彦斎には道場の剣が優れている事が如何に価値の高い事なのかは判らない。清河の剣を実際に見た事も無い。だが、清河が()れる事は判る。



「何で俺がそんな汚れ仕事をせねばならんのだ。其は貴様の仕事だろう――――『人斬り』」



・・・・・・。彦斎はずっと疑問に想っている事があった。武市が訪ねて来た頃からである。―――何故、彼等は自分に人を斬らせたがる。

「・・・言う事なら岡に居る岡田 以蔵がよく利くとよ。土佐の犬は聞き分けいいね。(なり)も逞しゅうて其形にいい男ばい」

彼等に共通していたのは、人斬りを人として見ていない事であった。加えて、恐ろしい迄に他を操作したがり、其等が物事を具現化する事・可視化する事を異様に求めた。

人は、人斬りが人としての意思をもつ事を許さない。或いは、他の者が持ち得ぬ能力や人格、血、遺伝子を持つ者は人間的価値が極端に落ちる。皆、財物としてその者等を見る様になるからだ。利用する事を考える。材“物”に、意思などあっては堪らなかった。

・・・だが、人斬り―――斬る事そのものが行動原理で意思など無いと思われる者―――に意思があるならあるで、希少性を増す材料とも謂えた。其が財物としての価値を上げる。その手綱を引く事は、清河等の様な軍師の間では一種の優越(ステータス)である。

「フッ。只の犬なら躾けたところで、ずぶの脳味噌だから忘れるわ。まぁ、其こそ犬だ。其は其で相応な振舞いだろう。だが」

―――『黒稲荷』の権威(ブランド)を持つ者を、只の犬に引き摺り下ろす。『黒稲荷』の権威(ブランド)を、手中に収める。今の清河に必要なのは、権威と、話が解って手足となってくれる者だ。

その為には一度、立場を解らせなければならない。

「―――己を“神(稲荷)”と勘違いしている聞き分けの悪い犬には教育が必要だ」

「っ!」

彦斎は片腕を振り解いた。すぐさま清河の腕を掴んでもう一方の腕も解こうとする。併し清河は解かれた手で猶も捕えている彦斎の腕を掴むと、両腕でかれを自らの許に引き込み、泣きぼくろに向かって囁いた。



「―――自分の意思で人を斬っていると言ったな・・・・・・貴様は、本当に自分で斬る相手を択んでいると思っているのか?」



「!」


彦斎の踵が床から一寸ほど、離れる。

「彦斎!!」

「例えば、この神官(へんな)装束だってそうだ。俺は之迄いろんな自称志士達に会ってきたが、肥後勤皇党(きさまら)の様な全員が直垂なんぞいう異様な集団は初めて見た。他の志士(ヤツら)はそんな事はせん。貴様は既に宮部(あやつ)等に洗脳させられているのだよ。

貴様は人斬りにさせられたにも拘らず、丸で自ら望んで人斬りになったかの様な言い種をする。そう言わされている事にも気づかずな。彼奴は悪い、某は横暴私欲の佞臣だ、あの男が生きていれば世を毒する―――そう聞かされて育ち、刷り込まれた価値観で人を見、言われた条件と似ているから斬る。其のどこが己の意思だというのか。貴様は此奴等の都合のいい様に吹き込まれ、利用され、人斬りなんぞという穢れた仕事を進んで遣るよう仕向けられているだけだ。でなければ貴様の如き小柄な奴に何故剣など教えると思う?―――何故貴様の様な茶坊主に思想など語ると思う。貴様は所詮釈迦の掌の上の孫 悟空、宮部(あやつ)等が巧妙に手懐けて稲荷に見せかけた哀れな犬だ」


―――人斬りと呼ばれる剣の正体。黒稲荷と云われる神の意思。其等は何れも価値があるが、誰の御蔭でそうなれたのかを知らしめなければならない。


「貴様は今でこそ判断力がある様に振舞い、其形に筋の通った論を言うが、思想について学ぶより先に人を斬らされたのではないか?―――貴様の習った学問や教養が人を斬る口実の為に後付(あとづけ)されたものだとしたら?到底人を斬らぬ様な優男に人斬りを遣らせる欺きを施すのと同じ様にな」

「・・・・・・!」

彦斎の師は、宮部である。轟の道場で剣を学ぶよう斡旋したのも宮部だ。林 桜園の塾に通うよう手配を行なったのも宮部であった。


・・・・・・初めて人を斬る瞬間(とき)、宮部は現場に立ち会っていた。


「・・・・・・・・・」

・・・・・・宮部は何も言わない。



「もう宜しいでしょう、清河殿」



―――第三者の声が宮部の隣の座から放たれる。


「左様、其処な河上は力も意思もあったものではない。よう判りましたな。さればとて“教育”というものは上の者が己が受けた経験を元に下の者を導くが常・・・己が受けた事の無いものを他者に与える事は出来ませぬ故、その点では皆、誰かしらの犬・・・・・・河上のみならず、此処に居る皆が細川の犬である事は否定はせぬ。肥後人(われわれ)は皆細川の教育を例外無く受けてきました故な・・・謂うなれば、細川の飼い犬にござる」

轟 武兵衛が、酒を帯びた吐息に哂いを含ませる。盃が畳の上に置かれ、跳ねた酒が小さな弧を描いて甘い匂いが拡がった。

「拙者も(かつ)て、志士の真似事をしていた時期がありましたが、水戸以北の志士には終ぞお会いした事はあらなんだ・・・出羽(くに)という縦の繋がりが無い事には些か同情はするが、自身が野良犬である怨みをうちの河上と宮部にぶつけてくだされぬな。その者等、そうは見えぬかも知れぬが、莫迦に真面目な所があります故。くだらぬ事で思い詰める。


―――河上は、貴殿が薩摩に行く様であるなら斬る、と言いましたな。今の河上では残念ながら果せませぬでしょう・・・が、一度言った事は必ず果さねばならぬのが我が藩の流儀。彦斎が師は拙者ゆえ、貴殿が此の侭薩摩に行くというのなら、拙者が代りに貴殿を討ち果すが宜しかろうか・・・・・・!?」


轟が清河を見て露骨に哂った・・・翳が差している為に、轟の表情は矢張り視えない・・・が、轟の眼が確実に清河を捉えていると判る。



ざわ・・・っ!



―――解放した轟の殺気に、流石の清河も息を呑む。・・・・・・轟の其こそ、本能の求むるが侭に人を斬ろうとする獣そのものだ。

「・・・・・・」

清河は黙って、彦斎の腕を放した。

「・・・フン。肥後の輩に亜米利加式の遣り方は通用せんか」

清河は短い人生の中で、日本国内色々な処へ行っている。北は蝦夷の松前藩、南は肥後の下薩摩藩まで。外国や国防に興味を持って、対ロ南下の海防の実態、ペリー来航後の浦賀、出島のオランダ商館等を彼自身の眼で見てきた。各国から開国を迫られた際の幕府の対応についても調べている。その際に衝撃を受けたのが、ロシアが交渉という穏便な方法で開国を求めてきたのを攻撃で以て振ったのに対し、アメリカが軍艦で突っ込んで来ると無条件に開国する幕府の有様であった。―――幕府とて犬畜生と変りが無い。清河の尊攘主義に倒幕が加わったのは、恐らく()ういう経緯があっての事だろう。

「―――だが、効く奴には矢張り効く様だ」

清河は宮部に視線を向ける。宮部はすっかり平常の表情に戻っていた。併し、深く考え事をしている様であった。


『勇気はあるが、浅薄の人物にて困る』


が、清河が残した彦斎に対する評である。彦斎は腕を摩りながら、例の如く細眉を八の字に下げ、

「何ねそれ」

と、ばっさり斬った。

「フッ・・・土佐の客人といい、あの弟子は遂に外から声が掛る様になったか・・・・・・黒稲荷(ひときり)を利用しようとする向きもある様だがな」

「・・・・・・」

見た目が逞しければ、斯ういう様な事は無いのだろうがな。轟が宮部の方に視線を向けながら言う。宮部は何も言わず、神妙な顔つきの侭神酒で喉を潤した。




併し、此処に来た全ての人間が清河に同調しなかった訳ではない。真木和泉や平野 国臣などは清河のこの呼び掛けに応じて京に上りこの出来事の後日譚となる寺田屋事件に遭遇する事になる。




永鳥は冷静な男である。だが、言う時は臆せずきっかりしっかりはっきり言うので、更なる禍根を生まぬ為にも佐々が清河を外に送り出した。

玉名を浪士の通り道とする話は決裂した。轟や彦斎がああ脅しはしたが、清河は結局薩摩へ下る、と佐々は見立てを持っている。意見の相違は大きいが、志は本物である。清河はあれしきの事で屈しはせんだろう。恐らく宮部や轟も判っている事ではあるが。

―――今夜中に山田しゃんに鹿児島に発って貰うか

(其と―――)


あればいな


――――・・・・・・ 佐々はふと顔を上げ、松村家を囲む景色を見廻した。松村家の周りは何も無い。小岱松(しょうだいまつ)が風に吹かれて揺れているだけである。


(・・・・・・誰かに見られとる(ごた)気がしたばってん―――・・・気のせいか―――・・・・・・?)


かむろ山の方面よりバサバサと、白鷺が空を飛び佐々の頭上を通り過ぎてゆく。・・・鳥の気配だったとか?佐々はぼんやりと空を仰ぎ白鷺の飛んでゆくのを見送る。そんな彼が想い馳せる事は。

「・・・・・・鳥じゃなかけんこぎゃん長か袖要らんばいなぁ・・・・・・直垂()も舞うごつ目立つわ」

結構くだらぬ事であった。流石は勤皇党一何気に精神が自由な男である。因みにこの男、明治の世も生き残って天寿を全うする。

勤皇党で一番清河に近いといったら確かにそうかも知れない。

・・・佐々はもう一度周囲を見廻し、奥へと戻る。ガラガラと引戸の閉る音がした後は、辺りは風の(そよ)ぐ音だけが残るのであった。


音に関しては。



――――・・・



・・・・・・葉と葉の擦る微かな音。葉は樹の全体を覆うものではあるが、意外にも幹から枝先にかけては葉が少ないものである。

佐々が松村家へ戻るのを、樹の陰から見下ろしている影が在った。

「・・・・・・」

・・・その貌にはまだ少年であった頃の面影を残していた。だが江戸の山口少年と同様、表情が年齢の印象を上げている。

打刀が腰の左右にある特殊な刀の差し方。虹彩を真黒に塗り潰した虚ろな瞳が上へ向き、今や遠い影となった清河 八郎の姿を追うのだった。

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