二十三. 1861年、江戸~山口少年、再び~
原作者より受け取った吉田 稔麿の年表が、わりかし凄い事になっている。
その年表の特に初期は、まさに久坂づくしといえるもので文久元(1861)年のみをそこから列記してみると
3月15日 稔麿、江戸着。
3月21日 江戸の京橋の上にて、久坂と再会を喜び合う。
3月23日 京橋にて再び久坂と会う。
4月10日 四谷にて久坂と会う。
4月15日 久坂の周旋にて・・・
6月9日 四谷で久坂と会う。
7月3日 久坂に会いに行き・・・
7月25日 久坂と会う。
8月12日 久坂を訪う。
8月18日 朝、久坂を訪う。
8月後半 柴田 東五郎(薩摩の人)の周旋に由り、牛込大久保の旗本・妻木田宮家に勤務。
御納戸役兼中小姓として妻木家に入ったが、その精勤ぶりから当主の絶大なる信頼を得て給人となり、のちに用人となる。
11月25日 久坂に書簡を送る。
以上。
筆者は生粋の熊本人であるが、なるほど、この年表を見るだけで長州人というか久坂は忠実で協力的な性格だったのだなと尊敬する。肥後人にはとても出来ない真似である。同郷の友人にすら、之ほど頻繁に逢わなくていい。
この年表の久坂率の高さに筆者は若干引いているのだが、そういった理由だけでなく、幾ら本作が久坂の物語といえど、用紙の都合上稔麿との行動すべてを記述する訳にはいかない。併しこの文久元年の年、久坂と稔麿は共によく行動した様である。其だけを憶えていって欲しい。
何故ならば、久坂が名実共に過激派へ転じるのと、稔麿が過激派の道を歩み始めると同時に“影”の部分を負うようになるのはこの時期からだからだ。
「・・・あ、そういや」
稔麿は脱藩浪人である為長州藩邸には居れない。まぁ、長州藩なのでそこも何とかなりそうだが。
「何だ、久坂」
真面目な稔麿が反応する。併し、久坂が用が有ったのは高杉の方だったらしく
「おい、高杉」
と、稔麿の声を遮る様にして久坂が続けて喋る。稔麿が呆けて珍しく間の抜けた顔をする。
昼下りの微睡む時間帯。
「あーん?何でい」
高杉がめっちゃ気怠げに返す。めっ
「ちゃじゃねぇだろ。お前そういやアイツどうしたんだよ。俺が前長州に帰る時お前に預けた。ほら、お前が向島の思誠塾に居た頃の」
「あぁー?」
「・・・預けた?」
稔麿の表情が真面に戻った。
現在彼等の状況をきちんと手抜きせずに記述すると、先ず休日の昼下り、彼等は昼食を店で済ませ、かといって留まって何処かに居る事も出来ず、陽が照りつける下ぶらぶらと歩いた。脱藩というものは遣らかすと結構厄介だとわかる。そういえば、宮部との旅行の約束に遅れぬが為に脱藩した松陰は旅行後長州藩邸に帰れなくなり、そんな松陰を心配して宮部もなかなか肥後藩邸に帰れなかった、と宮部本人が語っていた事を思い出す。あれは前例の無い遣らかしようで可也のごたごたとなり大変だったらしい。そのごたごたは叉も宮部が捲き込まれる関連のもので面白いが其は措いておいて、脱藩人を連れているのは想像していた以上に神経を使う。
この時季は夏日に気温が近づく日も侭ある季節。何気に虚弱体質である高杉が音を上げ、稔麿が匿って貰っている薩摩人柴田 東五郎宅にて休憩する事になった。
びしっ
桶の水を絞った布を、久坂が高杉の顔面に投げつける。何てスパルタなお医者さん。
「あぁ―――あいつ」
高杉はこの度、そうせい候こと毛利 敬親の世子である第14代藩主・元徳の小姓となり、藩邸勤めとなっていた。どこまでも坊ちゃん。
「―――?人か?江戸に久坂達の与り知る藩士でも」
稔麿は久坂の周旋にて柴田家の一室を借り、現在は絶賛就活中である。文久元年年表の通り、8月後半に旗本の用人として仕え始めている。
「長州藩士じゃねぇよ。江戸の子供。もう16になるか」
「俺も江戸を離れていた時期がちょくちょくあったけぇな。よぅ知らんや」
「―――は・・・?」
「いや知らんじゃねぇよ。俺が江戸に居ない間任せるっつったろ。知っとけよ!」
「は?知るめぇよ何俺に丸投げしてんだ」
稔麿はぽかんとして二人の遣り取りを見つめていたが、段々と表情に翳りが差し、仕舞いには頭を抱え込んで仕舞った。何だかよくわからないが、人っ子一人を捲き込んでいる事には如何も間違いは無い様だ。
而も、長州藩士では、ない。
「ああー仕舞った。可也いい線いきそうなヤツだったのに!童っぱながら!」
「そうかぁー所詮他藩民の子供だぞ?」
久坂と高杉は暢気なものである。稔麿一人が二人の分まで懸念を抱え込んでいる形になっている。
「・・・・・・いつの話だ・・・・・・?」
稔麿がようやっと口を利いた。呆れてものを言うのもやっとだった。其程労力を使って声を絞り出したのに、この村塾の双璧ときたら
「俺が向島に通ってた頃だろーまだ先生が生きてた頃か」
「じゃあ彼此2年くらい前の話だな」
(2年前―――!?)
―――稔麿、最早開いた口が塞がらない。幾ら相手が子供でも、幾ら感情の行き違いがあったといえど、2年もほったらかしなのは長州男児の誠意が問われるのではないか。
いや逆に、2年もほったらかしだったら長州藩の問題に捲き込まなくて寧ろ良いのかも知れない。
「・・・諦めろ。寧ろ、何故預った」
稔麿が当然の疑問を口にする。
ともあれ、この話は之で収束した。少なくとも稔麿はその心算だった。稔麿はまだ、この刻は過激な緋炎に心を焦れてはいない。
併し
「吉田さん、久坂さん」
―――柴田 東五郎本人が稔麿を呼びに来た。薩摩人であるが、日向(宮崎県)出身である。現在の宮崎県に該当する地域は当時薩摩藩の領地であり、一応は佐土原藩と呼ばれる独立した藩が存在したものの、薩摩藩に取り込まれて支藩とされた悲しい過去をもつ。だいぶ前にどこかで述べた気がするが、薩摩は琉球侵攻も果し、最終的にはこの日本という国迄手に入れて仕舞う恐ろしい藩だ。この歴史を知った時、作者は戦慄を覚えずにはいられなかった。よく生き残った我が故郷よ。
・・・好々爺に見えて、柴田も大概な遣り手である。そうでなければ稔麿を先ず受け入れないし、薩摩藩はこの時点でまだ柴田の味方ではない。
「わいたぁ御客さんの来よったど。こらまた若っか客どんの」
柴田は方言は薩摩だが、九州男児とは少しイメージの離れた「いもがらぼくと」(宮崎県の県民性で、気が長く少し頼りなげな男性の事)の態度で客を既に入れている。目の前に現れた客人の姿に、久坂と高杉はおぉお~~うっ?と変な声を上げた。
「――――」
稔麿も二人の声につられて客人を凝視した。
「――――!」
―――少年である。齢は16、7。久坂等が言っていた年齢の少年に該当する。
「―――何故此処を?」
久坂がしたり顔で訊く。余程少年を買っていたのか、とても嬉しそうだ。そもそも、元服をしたかしていないかといった年齢の“只の少年”が、久坂等の所在を特定して他藩人の宅へ単身で訪れるだろうか。
ん~じゃゆっくんな。柴田が浅黒い肌を健康的に輝かせて笑い、部屋を去った。
「・・・・・・忍の業を使ったのか?」
久坂がからかう様に言う。すると少年はむっとした表情で久坂を見遣り
「・・・日本の為ならと割り切りました」
と、ぶっきらぼうに答えた。声は完全に大人の其へと変っている。が、ひどくへそを曲げている。
「・・・・・・彼が、例の・・・・・・?」
稔麿が息を呑んで久坂と高杉に問う。少年が稔麿の方を向く。業前のせいか、少年と言うには大人っぽく視える。ひどくへそを曲げている割に落ち着いており、対象以外への態度は極めて普通で感情の制御も出来ている。
「ああ。2年前に会ったヤツ。久坂に弟子入り志願した変ったヤツ」
「ちげぇよ。高杉お前名前憶えてなかっただろ。コイツは山口 圭一。2年前に、同志として一緒に活動してみないかと誘ったんだ」
「そうなんです。誘われて高杉さんにも会わせて貰ったというのに、まさか其から忘れられていたなんて。而も二人とも。まぁいいですけどね。その間俺も色々遣っていたんで」
山口は久坂と高杉を睨みながら頬を膨らませて言うが、稔麿に視線を移すと、にっこりと達観した表情で笑いかけた。
「其で、此方のお兄さんは?」
「あ、ああ」
稔麿の方が少したじろいだ。謎に包まれた少年である。久坂との出会いがあったにせよ、自分から長州藩に接近して来ようとは。
「―――吉田 稔麿だ」
稔麿は僅かに微笑んだ。こんな子供、よくいたものだ。
「・・・併し、よく来たな」
高杉が嘲笑する様に言った。高杉も一応攘夷志士ではあるが、何を考えているのかは判らない。高杉はこの時期、攘夷志士等の行動をひどく醒めた眼で傍観している様に見えた。
「・・・だって、長州藩はもう立ち上がらざるを得ないでしょう?最近ではいろんな人達が立ち上がっていて、長州藩士の味方が増えていっている。そんな追い風の時に、あなたたちが何も遣らない筈がないし、遣らない訳にもいかないでしょう」
!稔麿は山口の冷徹とも謂える分析に愕かされる。山口はそこから久坂達が現在も活動している事を推理して此処に来たのだと言う。
「2年前も言ったでしょう、俺も活動したいんだって。あなたたちを捜すのに嫌な手を使って仕舞った」
少年が久坂と高杉に文句を言う。久坂も高杉も何処吹く風で適当に聞き流しているが、16にしてこの視野の広さは凄い。
「聴いてます!?」
「あーハイハイ」
「あッ。崩れた。お前のせいだえ」
久坂は何やら叉画伯の名に相応しい画を画き、高杉は爪楊枝で三角形を作りその二段目に移行しようとして失敗した。どちらも最早曲芸の域である。
「・・・久坂」
稔麿が赤本作りにハマる久坂に耳打ちをする。
「・・・・・・あの少年、かなり出来るぞ」
すると、久坂は意外にも
「だろ~?」
と、あっさり認めた。稔麿は呆気に取られる。
「・・・・・・如何する心算だ」
「如何って、仲間になって貰おうぜ。折角来たのを無下にする理由はねぇし、若い力は必要だろうさ」
・・・・・・。高杉は表情の無い顔で片耳二人の会話を聞いている。
・・・・・・? 山口が自分に背を向けて会話をする二人を訝しげな眼で見始める。久坂は振り返って、大きな声で
「長井は5月に京へ上るんだったよな」
と、確認する様に言った。稔麿は驚きつつすぐに肯いたが、高杉は一拍置いた後ああ。とも、あん?とも取れる曖昧な返事をした。
「何だよ。調子狂うな」
久坂が思わず気の抜けた声で高杉にツッコむ。
「長井?」
山口が早くも輪の中に入ってくる。三秀の反応は夫々(それぞれ)であった。稔麿は自藩の事情を教える事に抵抗を示し、高杉は他人事に説明の判断を残り二人に委ねた。そして久坂は。
「―――長井 雅楽。公武合体を主張して藩を引っくり返そうとする、長州藩の親玉さ」
―――・・・久坂の素っ気無い口許が緩やかに弧を描く。
「そして高杉の上司でもある」
久坂が口から出任せに言って高杉を指さす。山口もそこはまだ少年。久坂の冗談を真に受けて
「え!?」
と、敵を見る様な眼で高杉を見る。併し冗談とはいうものの、強ち、久坂の言った事も間違ってはいない。
「久坂」
稔麿が久坂の悪ふざけを止めさせる。久坂は山口の反応を見てにやにや愉しみながら、はいはいと如何にも適当な風に返事した。
「―――動き出したいのは山々なんだがな、長州藩もいっぱしに、内部抗争というのが出てきた様だ。長州藩士はそっちの問題から暫く手が離せん」
山口は目をぱちくりさせて久坂の話を聞いていた。其が段々と唖然とも呆然とも謂える様な呆けた表情になり
「・・・・・・今更ですか?」
と、呆れた声で言った。本当に今更である。
「乗り後れますよ。というか、今は何処の藩も意見が割れているらしいじゃないですか。その人達はもう放ってますよ、藩の事は」
山口は如何にも江戸っ子っぽい意見を言った。他藩人が沢山集まる都会のせいか、江戸っ子は藩への拘りが薄い。若しくは山口の家柄のせいかも知れぬ。
「だが俺達はほっとかない。一旦藩を引っくり返されたら後が大変だ。その前に手を打っておく。其に・・・長州藩を恃みとしてくるヤツが出てくるとも限らんしな」
「・・・?」
山口はよく解らないといった顔をした。その斜交けに坐る高杉は何故か微笑む・・・とても、優しく。
「まだ俺達は返せるもんな」
「ああ」
・・・・・・。稔麿も何度も瞬きをして、彼等を見ていた。
「其に、乗り後れなんてしねぇよ」
「?」
訝しむ山口に、久坂は軽薄な笑みを浮べて言った。
「山口がいるからな」
肥後人が姿を消した。
元々歴史の表舞台に立っていないではないかと言われて仕舞うと形無しなのだが、久坂や桂等長州人の前に誰の肥後人も姿を現さなくなった。松田 重助や永鳥 三平もである。
永鳥 三平は、肥後に戻って来ていた。
「・・・重助」
―――ストッ
・・・遊行僧の変装を解いた松田 重助が、永鳥の隣に着地する。如何した松田。どんな時でも変装せずに活動する剽悍さが売りなのに。
「・・・巧く遣れたかい」
永鳥が立ち上がる松田を見遣った。自然と上目遣いになる。松田は深く被っていた笠を指で押し上げると
「・・・ええ、何とか。ばってんなかなか苦しかですな」
と、御国言葉で返す。逃走に慣れている筈の彼にしては珍しく、冷汗を掻いている。
肥後国玉名。熊本城より約20km北に位置する、有明海に面した年貢米の流通で賑う港町。玉名は九州の中でも歴史が古く、数々の古墳や『延喜式』にも載っている疋野神社が存在し、菊池一族所縁の寺社が処々に建てられている。
永鳥と松田は玉名の町並みを、筑紫国八女から続く古墳群に囲まれた低山群の一つ・かむろ山から見渡した。此処は現在の和水町である玉名市との境で、少し歩けばすぐ隣の山に行き当り、山頂毎に祠が祀られ、神聖であり不気味でもある独特の張り詰めた霊気が山全体を覆っていた。此処は、九州王朝の本拠であったと云われている。
只管に、緑で、青い町。
「―――重助は肥後は何年ぶりね?」
永鳥も御国言葉に返る・・・玉名は、彼の生れた地である。
「5年ぶり・・・ですかな。余り変ってなかですね。天下はあぎゃん揺らいどっとに、長閑なもんばい」
「・・・良か事よ。こん平和ば守る為に、俺達は動いとっとやけん」
永鳥は縮尺模型の様に小さく映る建物や、豆粒が転がる様に動く人々を見て目を細める。その視線は愛おしそうだ。
「・・・そぎゃんですね」
・・・松田はそんな永鳥を見て、整然と部位の並んだ表情を和らげる。
「―――其で、脱藩者である俺まで呼び出されるとは、一体どぎゃん状況になっとっとですか」
併しながら、脱藩者である松田にとって之程の危険地帯は無い。松田は現在、単なる脱藩者ではなく尊攘過激派として強く認識されている。彼自身は昔から遣っている事は変らないのだが、追い着いてきた時代の流れに熊本藩も彼の逮捕に心血を注ぐ様になっている。松田としては、飛んで火に入る夏の虫状態で自分からこんな時期に帰郷しようとは思えない。
「大成から文が届いてね・・・大事な客が玉名に来るけん、勤皇党総出で出迎えばせなんて。筑前の平野 国臣や筑後の真木和泉も大成の家に来て迎えるて」
「!其は―――」
永鳥の兄・松村 大成はこの地玉名の安楽寺村に居を構えている。即ち永鳥の実家だ。彼等は之から其処へ行き、或る人を出迎える。宮部 鼎蔵や河上 彦斎も其処に居る。
「・・・誰です?」
肥後勤皇党が宗教色彩的要素が濃い事は既に述べた。彼等にはとある儀式が存在する。
「―――清河 八郎・・・・・・」
―――・・・永い歴史をもつ地に仕える神官の子は、霊妙な響きを含ませて云った。




