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二十二. 1861年、江戸~肥後の引き倒し~

「・・・誰だ、あんた」

襖の向うに居た者達は、刀を腰に差した鞘に納めた侭であった。


男が二人。そのどちらもが無防備で只立っているだけである。



「―――長州の怜悧、勤勉な性質とは、事実である様だ」



高杉や松田、水戸藩士達はその貌の持主が何者か知らない。久坂と稔麿も勿論の事。併し唯一人、桂は

「・・・・・・武市さんか――――?」

と、驚きの眼差しで聞いた事のある名を口走った。

「武市―――?」

「武市 瑞山の事か!?」

「この男が・・・・?」

拍手をしていた方の男である。男は拍手を止め、重厚かつ仰々しい声で

「作法を違えた非礼を御赦し願いたい。―――何分、高明な論に聴き入って御座った。拙者は土佐藩士・武市 瑞山に御座る。其方の大石 弥太郎の紹介にて、本会合に参加させて戴く手筈であったが、遅れて仕舞い大変悔恨している」

と、こちらがぽかんとする程に畏まって言った。歌舞伎役者の様にいい男で違和感自体は其ほど無い。

大石 弥太郎は、久坂や桂とは旧知である。

「・・・・・・。大石さん―――・・・」

と、桂は力の抜けた声で責めた。大石に本日の会合の事は教えたが、大石が来るとも、況してや武市 瑞山を連れて来るとは聞いていなかった。

土佐勢力の認知は江戸以北ではまだ其ほど高くない。水戸藩士や稔麿は武市 瑞山の名を聞いても余りぴんときていない様であった。

「済まん済まん。水戸の(もん)が来ると聞いて豪い気になって仕舞ってのぉ。居ても立っても居られんで来たんじゃ」

その割、未だ武器を下ろさない松田(肥後人)と高杉(長州人)と不躾に肩を組む。水戸じゃない。触るな!!と松田と高杉が大石をボコった。

大石は馴れ馴れしく細かい事を気にしない典型的な陽気な土佐人である。その陽気さを武市に分けて遣って欲しい位だ。そして何気に大物。

「・・・知っている人とそうでない人が藩(ごと)に違うだろうから、一人ずつ私から紹介していこう」

桂が観念した様に溜息を吐いて言った。矢張り彼が場を仕切る事になる。今此処に居る全員と面識があるのは彼だけなので当然か。


先ずは水戸藩士と土佐藩士。


「武市さんは、私が一時西へ遁れていた時に世話になった人です。土佐には武市さんと大石さんの他に、坂本君という攘夷家がいましてな。南国での尊皇攘夷の牽引役が彼等なのです」

水戸と土佐の間には予め何も情報が無い。完全に一からの対面となる。

「武田 魁介さんは、水戸の三田と云われる水戸学の三大指導者の一人で、天狗党の首領でもある武田耕雲斎先生の御子息です。海後(かいご)磋磯之介(さきのすけ)さんは桜田門外で井伊大老を討っている。海後さんはまだ追われの身なので、くれぐれも会った事は内密にお願いします」

序でに武田 魁介に関して豆知識を加えると、新選組隊士の武田観柳斎は尊敬した武田耕雲斎の名に(あやか)って『福田 廣』から名を変えたのだが、之は余計な情報であったか。

海後 磋磯之介は桜田門外の変に参加したが、後に魁介や武田耕雲斎が処刑される天狗党の乱にも加わり、猶生き延びている。

桜田門外の変の参加者は尊攘志士にとって赤穂義士にも(なぞら)えられる英雄である。武市は取り乱す事は滅多に無いが、その実激情家。熱烈に彼等を信奉し、尊敬していたので、ずっと面を伏せて言葉を交していた。


次は、肥後と土佐。

「肥後の松田 重助さんと永鳥 三平さん。勤皇党の宮部 鼎蔵さんの同志です」

松田等と武市等が顔を合わせた事は無いが、松田と永鳥は武市が熊本に滞在した事を知っている。武市も叉、熊本に滞在し、その際に宮部と会っているので何かしら反応があるものだと思われた。併し、武市はぴくりと眉を動かしただけで

「―――肥後とは叉遠い」

とのみ言った。肥後滞在の話はおくびにも出さない。

とはいえ、武市が熊本に居た事は肥後勢のみならず長州勢にも共通の情報である。おろ・・・と呆気に取られたのは肥後勢だけでなく長州勢もであった。

(宮部先生何か遣らかしたな・・・)

(宮部しゃんは無自覚に人の自尊心を踏み躙るからね・・・武市も自尊心高そうだからな、何だか)

宮部の弟子や弟弟子はどうも心当りがあるらしい。(ゼロ)からのスタートである水戸藩士よりも会話の少ない負数(マイナス)からのスタートとなった。

(おーおー・・・)

久坂も覚らぬ筈が無い。宮部は物腰穏かで現に松陰と近い無償の優しさをもつが、反面相当食えない或る部分が存在する。そう、其は肥後人のもつ二面性の様に。

外から覗いている分には面白くて宮部がどう遣らかしたのか気になるところはあるが、併し久坂は他人事ではないのである。


最後に長州と土佐だが、長州人は全員が土佐人に対する認知度が違った。低い順より述べると、稔麿は水戸人と同程度であり、高杉は肥後人と同程度、久坂は武市に会った事は無かったが武市の情報は聞いており、大石とは面識があった。桂は先述した通り、何れとも顔を合わせた事がある。

「武市さん、大石さん、彼等は私の後輩に当る者達で、萩の松下村塾なる処にて吉田 松陰たる者より教育を受けている。“三秀”と呼ばれる三名です。手前から、高杉 晋作・吉田 稔麿・久坂 玄瑞」

「“吉田 松陰”氏ならば、我等も存じている」

不思議な事に、武市は松陰に反応した。彼等の決起は松陰の活動時期と全く重ならない筈である。久坂と高杉、稔麿の三秀のみでなく松陰と親しかった肥後勢も武市を見る。

「そうかいのう。わしゃ知らんが」

大石がポロリと横から突き崩す。武市はじろりと大石を眇めた。松田と永鳥は面白いなー・・・と思いながら彼等を見ている。

武市が気張りすぎなのだ。其を大石がいい感じに肩の力を抜いて遣る。斯う見ると、土佐も性格的には大概ちいちいぱっぱな様だが。

「久坂さん」

と、武市はいきなり名指しした。!? 久坂は愕いて肩を跳ね上げる。久坂には武市に指名される心当りが無い。

「貴殿とは話が合いそうにある。話の続きを語って戴きたい。出来る事であれば次なる機会を設け、尊藩の攘夷計画の源泉(でどころ)と、吉田 松陰氏の教えを我等にも教授しては戴けぬか。志を共有し、一丸となって攘夷を決行したく存ずる」

源泉(りくつ)を問われる事と吉田 松陰に興味を持たれる事ほど長州人にとっての好物は無い。特に後者に関しては、彼等の行動原理そのものでありながら、新しく出会う者達はその若くして国の犯した罪に依って散された命の名を知らない。新しく出会う者達の口から松陰の名が出てくると、松陰はまだ歴史の中に風化されてはいないと感じる事が出来る。

其は長州人の主観であり。

「・・・・・・ええ。ぜひ!」

久坂は大いに喜んだ。久坂は長州人の内でも特に理屈を重視し、勘などを当てにする事は無く、好き嫌いも無い。人見知りもしない。この点、高杉の方が他藩嫌いで人見知りである。

そこが同じく理性的な武市と投合したのだろう。二人はこの会合を機に、急速に接近し始める。

「併し―――・・・」

再開した酒盛の場で、桂は酒の入った吐息と共に言葉を発した。お疲れさまとしか最早言えない。

「武市さんは久坂の事をよく知っていたな。まだ全国に知れる程名は揚っていないと思うのだが。大石さんが武市さんに久坂を紹介したのか?」

心労が溜っているのか、少し虚ろな眼で桂は水戸の重鎮や武市と議論を行なう久坂の姿を見る。久坂は年長者から可愛がられる様だ。対して、高杉は水戸の若者達を聴衆に既にカリスマ性を現し始めている。

「いんや、半平太にゃ何も言うちょらんぜよ。そもそも半平太が久坂さんを知っちょったんじゃあ。其で、会いたい言うもんじゃき、ちょいと急とは思ったんじゃが次にいつ会えるかも知れん、そう思うて此処に連れて来た。久坂さんの事を何処で知ったと何遍か訊いたがアイツは答えようとせん」

桂は大石と杯を交している。桂も大石も首を傾げた。武市の行動が謎である。


ざ、、、


と、肥後勢が立ち上がった。桂と大石の思考が停止する。松田と永鳥、両人ともが立ち上がっている。九州人だからというべきか、特に松田は結構飲んでいた様に思うが全く素面と変らない。

肥後勢(オレたち)は、帰る」

夫々(それぞれ)の場で議論が白熱している。気づいたのは稔麿だけで、はっと松田と永鳥を見上げた。桂が慌てている。

「え―――!?」

「粗方の情報交換は済んだ。此処に残っていても仕方が無い」

“論”を語らぬ、というのが熊本人の基本姿勢(スタンス)であった。いわゆる一言主義である。その実理屈っぽいのだが、議論倒れという特有の悪癖を自覚しているのか議論の場に余り立ちたがらない。その不器用さを松陰は好いていた。

「議論の邪魔になってもいけないしね」

永鳥も大石を見下ろして言った。大石はちゃちゃちゃ、と独特の滑稽な声を上げると

「居心地を悪うして仕舞ったかいの!?済まんき!」

と、謝った。永鳥は微笑んで

「気にするな」

と、言った。

「待ってくれ」

と、桂が彼等を引き止める。額には汗が浮んでいる。緊迫した表情に、稔麿と大石は息を呑んだ。

「・・・もう酔いが回っているのか、桂?だらしがないな。鍛練が足りないんじゃないか?」

松田が笑い飛ばす。永鳥も隣でくすくす笑っている。笑いながら構わず、スッ、と永鳥の手が襖を開いているのに

「・・・茶化さないでくれ。先程の件について、矢張り肥後勢(きみたち)に言っておかねばならない。この場で聞かれるのが嫌なら部屋を他に貸し切ろう。話をしたい。君達を此の侭帰す訳にはいかない」

と、声荒げた。・・・併し、声量を抑えたので周囲には響かない。

「・・・・・・二人残る必要は無いだろう」

・・・・・・永鳥の表情から笑みが消え、片足の足袋が敷居を越える。柔かな毛質の髪が彼の体躯を覆い隠した。

「―――俺はお前の話に耳を貸す気は一切無いよ、桂。お前達は所詮藩で動いている。敵だらけの藩の中、個で戦う俺達とは本質的に違う」

―――永鳥は背中で逃げた訳ではない。この刻、桂の顔を見た。肥後人特有と云われる冴えぬ土色の貌である。只・・・病的に白い。

笑わぬ永鳥は末期患者の様な血色の悪さで、死んだ人間の様に凍った眼をしていた。




冬の寒い時期は疾うに過ぎているのに、ひゅーひゅーと北風の通る様な音がする。同じく、冬の寒い時期は疾うに過ぎているのに、首に襟巻(マフラー)を巻いて江戸の夜に佇む男がいた。男は薄い唇を襟巻から覗かせ

「―――・・・まさか、俺も誰かを指導する齢になるなんてね」

と、呟いた。唇が闇に浮び上がる程青白い。


「堤」


―――――・・・

永鳥の背後に、背が高く全身を柿色に染めた衣装の男が下りて来た。右手には、彼が託した自身の家刀肥後玉名同田貫(どうだぬき)上野介(こうづけのすけ)正国(まさくに)、左手にはきじうまの面。

堤 又左衛門。何代目かははっきりしないが、元禄年間から続く八代(やつしろ)長岡(松井)家家臣の家系としてこの名が遺る。この男個人の本名は不明だが、代々探索を生業としていた。

「・・・呼吸が苦しそうですが、大丈夫ですか?」

「ああ参った。たった数杯で斯うなる様になるとはね。之から増える会合の席で、いやに目立ち易くなりそうだ」

永鳥は口許と胸元を襟巻で覆い、喘鳴(ぜんめい)を抑えようとする。

「・・・・・・聴いていたかい」

「ええ」

堤は肯いた。

「―――横井 小楠は越前に」

・・・・・・永鳥は冷たい笑みを浮べた。

「俺からは何も言わないよ」

永鳥は突き放した。遣るのは永鳥 三平ではない。あれこれ口出ししたところで反発するのが肥後人だし、担当が永鳥でない以上、その必要性、実行の有無、凡てに於いて自分で考えて動いて貰わねばならない。―――藩に育てられた思考力を生かして。

「―――やめてもいいんだよ、今なら」

その選択肢も在る。だが、一度決めれば途中で引き返す事は叶わない。失敗すれば死、成功しても―――・・・死を選ぶ者が多い仕事だ。其でも、この藩の者は、生来もつ過激な性質からその血を抑える事が出来ない。

「―――あの奸賊は、同胞から生み出して仕舞った我等肥後藩士の誰かが(いず)れ天誅を下さねばならぬもの。其ならば私が、私の意思で横井 小楠に天誅を与える」

「・・・・・・・・・では、計画を立てようか」




「横井さんを殺すなど、断じて見過す訳にはいかない」


―――別室を設け、桂は松田に訴える。だが、引き止めに応じて別室に入った松田も、永鳥同様に聴く耳は持たない。

「他所の藩の事に口出しはしないで貰おう!」

松田も厳しい口調で怒鳴る。松田の姿勢は一貫して強硬であった。翻る気配さえ無い。

「どこまで頑固なんだ・・・・・・!」

「せからしい!!お前もいい加減くどいぞ!!」

松田が遂にブチ切れて席を立って(わめ)き散す。頑固に加えて短気なのである。肥後もっこすの九州男児の典型例だ。その時点で桂の勝率は低い。

「・・・自藩に拘泥しているのはあなた達の方だ、松田さん。一言こちらが言えば“他所の藩の事に口出しするな”とばかり言う。

自藩の恥だ、あなた達はそう言って、天誅と称して無駄に血で血を洗う。如何して君達は藩の中で争い合う!?同じ(くに)に生れ、共に同じ環境で育った者同士ではないのか!同胞を排除する事で、平和な新時代など訪れるものか・・・・・・!」

「“同胞”だと?ふっ、笑わせてくれる」

松田は台詞とは裏腹に昏い眼で返し、すぐに目尻を上げて桂の言葉を一蹴した。

「最も自藩に拘泥しているお前に言われたくないな桂。同じ藩の者ならば何をしてもいいというのか。其で藩が引っくり返っても!?お前は藩が引っくり返る事の意味を解っていない。其に、攘夷と開国は別ものだぞ!松陰もそうだったが、お前達が勤皇党(われわれ)攘夷派と横井の開国派の双方と繋がりを保とうとする姿勢は甚だ疑問だ!お前達は、攘夷か開国かではなく、如何すれば“長州藩”という国が生き残れるか、そんな事を考えているんじゃないのか!?その為に両方につき、勝った側の波に乗ろうとしているんじゃないか!?」

「違う!!」

桂は強く否定した。今の松田の反論は桂にとって非常に屈辱である。争い合う者達はこんな不幸なものの考え方しか出来ないのかと思うと哀れにさえ感じた。

「攘夷か開国か・・・どちらか一方につく事など私には出来ない。其はそんなに単純な問題じゃない!其に、長州藩が生き残れば其でいいなど思う訳がないだろう!この国が滅びれば長州藩の存在だって在り得ない!・・・只、藩は国の縮図であると考えている。

松田さん、あなた達自身は気づいていない様だが、肥後藩はあなた達が思っている以上に有用な人物が揃っている。あなた達は両者とも()くなってもいい存在にはならない!互いに芽を摘み合えばこの国は大きく衰退する。其では攘夷も何もあったものではない!自藩の者を守れぬ者にこの国が守れるか!?同胞の死の上に成り立つ国など、夷狄に支配された国とどう違うというのだ!!」

「同じ(くに)に生れたとて、仲間ではない!!」

松田は桂の言葉を斬って捨てた。同胞や仲間など、長州藩毛利家260年の悲劇が生んだ傷の舐め合いであると考えている。松田も叉、長州藩という国が生き残る為に個を殺して一致団結せざるを得なかった彼等に憐みを抱かずにはおれなかった。

「いいか、桂。守るだけでは何も果せんぞ。其に、この際だから言っておくが、お前達長州人はどうも人を動かしたがる(へき)がある。如何にも肥後人(オレたち)の事を知った風な口だが、お前に俺や横井の何がわかるか。有用な人材がいて其が何だ。同じ藩の者で如何に有能かろうと、志違えば異人も同然なのが我が藩だ!我が藩から夷狄に恭順する者を出して仕舞った事は恥だが、其が横井の意思である以上、その意思を捻じ()げようとは思わん。意思を枉げ、志を捨て犬の様に生きるなど、肥後人には出来んからだ。・・・そんな生き方をする位なら、死を選ぶ。横井とて其は同じだろう。武士の情けを以て、横井の意思は尊重する」

「・・・・・・だから殺すのか。其でこの国が亡びる事になろうとも」

「その程度の国ならいっそ亡んで仕舞え」

な・・・! 桂は言葉を詰らせる。松田の意思は変らない。この男は後にも先にも、命を捨てて懸っている。乱世の中でしか生きられぬ男だ。新たな世界の訪れを確認した後、腹を切る心算でいる。

「只“在る”だけでは意味が無い。其こそ夷狄に呉れて遣れ。大事なのは“斯くあるべきか”だろう。夷狄だろうが横井だろうが我等には同じだ。奪われた世界の中で生きるなど微塵の価値も無い!!」

・・・・・・。桂は遂に黙り込んで仕舞った。言い知れぬ虚しさが桂の心に立ち込める。肥後は黒船来航以前より現在に至る迄、長州人と最も気心の通ずる人種の一であった。友を救えぬ様な感傷に包まれる。

松田は再度、厳しい表情で念を押した。

「・・・いいか、肥後藩(オレたち)に構うな。オレたちの事はオレたちが決める。誰の指図も受けはせん。其に―――他藩の事を気にしている暇があったら、もう少し長州(じぶん)の後輩達の事を気にして遣れ」

「!?如何いう事だ、松田さん―――?」

桂はふと言葉に引っ張られ、我に返った。松田の声は長州の後輩が言葉に出てくる以前より随分と落ち着いている。

「お前個人がどう思おうが、世は攘夷に向かっている。南国にも遂に攘夷の一派が出てきた。武市さんは随分と玄瑞を気に入っている様だったな。勤皇党(オレたち)としては嬉しい限りだが・・・・・・孰れ近い内、玄瑞は過激派に転じるぞ。晋作については何を考えているのか判らんが、稔麿も此の侭だと玄瑞と同じ道を辿るだろう。長州藩に攘夷過激派の烙印を押されたくないというのなら、玄瑞の之からの動きを能々(よくよく)見ておく事だ。流石に肥後勢(オレたち)はそこまで関知はせんし、寧ろ玄瑞が動き始める事を歓迎している」


窓を開けて話をしていた。彼等は今、2階の部屋に居る。


松田は追われる身である。逃亡犯(かれら)が旅籠に入る時は、可能な限り斯うして上階の部屋を取り、窓を開けて外の様子を見ながら話し合う。捕り方が見廻りで迫っている時逸早く察知する為だ。特に陽が落ちてからは、捕り方は提燈を持ってぞろぞろ遣って来るので上階から発見し易い。

「!」

松田はぴくりと身体を震わせ、床に置いていた刀を掴んで立ち上がった。

「今日はここ迄だ、桂。とはいえ、次はいつ会うとも知れんがな」

・・・幕吏か。桂も顔を険しくした。久坂達を置いて来た別室には桜田門外の変の犯人の海後 磋磯之介が居る。

「まだ(あかり)が遠いから()()は気づいているか・・・桂、お前はまだ動くな。俺達があの部屋を離れてから合流するんだ。・・・じゃあな」

松田が足早に部屋を出た。この男は自らの意思でこの様な生きざまを択び採っている。桂ものちに「逃げの小五郎」という有り難くない異名を頂戴する逃亡犯となるも、その印象が薄れる程に、松田の逃亡歴と非業さは調べてみると凄まじい。

・・・・・・藩が纏まらぬとはこういう事なのか。桂は哀しげに眉をひそめ、長く、重苦しい息を吐いた。

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