二十一. 1861年、江戸~招かれざる客~
今回の会合は大所帯であった。通常秘密裏に集まっている長州・肥後の他に、過ぎし桜田門外の変で井伊 直弼の首を奪った水戸藩の浪士達も来ており、初対面である久坂・高杉は永鳥の紹介を受けて新たな同志の挨拶を交す。
・・・・・・そんな中。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
桂と稔麿は交流の輪に入らず、二人だけの会話の機会を設けていた。
「・・・・・・」
併し、正面で向き合った侭、彼等は一言も交さない。ずっと無言でいる。其は、水戸藩士と交流中の久坂や高杉が気にする程に静まり返っており、居心地の悪い空気が彼等の許に迄及んでいる。
桂は口を開く気配が無い。元々が啖呵を切る様な性格ではないが、今回は何処か様相が違うと、奔放放胆な高杉でさえ胆を冷す程であった。
・・・・・・桂は完全に、怒っている。
「・・・なぁ、やばいんじゃね・・・・・・」
滅多に激しい感情を表す事の無い桂の険相に、久坂・高杉のみならず水戸の若き志士達も完全に慄いている。
(脱藩だもんな・・・・・・そりゃあ、桂さんでも怒るか・・・・・・)
之はもう、稔麿が謝る他に機嫌が直る術など無い。謝って如何にかなるかもあやしい問題なのだから。
藩外の者も多いし口に出すとややこしい事になりそうなので、桂の怒りの理由は己の胸の中だけにそっと隠しておく事にした。
「久坂。高杉」
永鳥が久坂と高杉を引き入れる。流石に年長者はどっしり構えており、彼等をそっとして、広げられた料理を肴に議論に興じている。
(えっ)
「てか、酒飲んでる!?永鳥さん!」
永鳥が至極ご機嫌な様子で水戸浪士と盃を酌み交している。いつの間に。一応形だけ久坂と高杉が止めに入った。すると途端に腹黒い表情になる。この人は周りがどうあってもゆがみない様だ。
「・・・・・・」
・・・・・・一方、険悪な情態が続くこちらでは、松田が二人の間に坐って、稔麿にいつでも加勢できるよう見守っている。
「・・・・・・桂さん」
・・・稔麿が漸く口を開いた。沈痛な面持ちを遂に上げきれず、土下座に近い姿勢で頭を下げた。桂の表情の厳しさは緩まない。松田も口を挿む事無く、稔麿がこの先を自分で言うのを桂と共に俟った。
「申し訳無い・・・・・・・・・!」
稔麿が絞り出す様に声を上げた。桂は彼にしては非常に冷めた表情で、頭を垂れる稔麿を見下ろしている。
何も言わない侭刻だけが過ぎる。
「・・・桂」
松田が遂に口を出す。いつまでもこんな屈辱的な姿勢をさせるのは如何なものか。遣った事は大きいが、矜持を捨てさせる程のものでもない。
「そんな大事な事を独りで勝手に決めるな・・・・・・!」
桂が珍しく激しい言葉を浴びせる。稔麿は俯いた姿勢の侭眼を見開く。松田も眼をぱちくりさせて桂を見ていた。
「長州藩に相談すればもっと有効な手を打てた筈だ。何の為に藩が存在する。長州藩士であるという自覚を持て。君が独りで抱えきれる程、長州藩も、日本も・・・・・・君の家族も、軽くはない」
・・・・・・ 桂の叱咤に、久坂と高杉は議論を忘れて思わず其方を見つめていた。“家族”・・・稔麿は或る事を思い出し、はっと顔を上げる。
「桂さん・・・!」
「今回の件については、こちらが今調整している。もう二度と、無茶はするなよ」
・・・・・・ 稔麿は瞳を潤ませて桂を見る。桂の声は、やや感情的ながらも日頃の平静なものへと戻っていた。桂は感情的になった己に決りの悪さを感じたのか、ごほん。と咳払いをして仕切り直そうとする。
「・・・・・・いい藩じゃないか」
―――松田が稔麿に耳打する様に、耳触りのよい、低く小さな、柔かな声で言った。
「一度は藩からそう言われてみたいもんだ」
松田にしてはしっとりとした声だった。同じくしっとりした長い髪を揺らして、既に酒に議論に盛り上がっている方向に顔を向けると
「晋作。『試撃行』は如何だった」
と、訊いた。之迄二つにすっぱりと分れていた会話の輪が一つに纏まる。
「如何って?」
高杉が手酌で酒を嗜みながら訊き返す。この男は酌を取られる事を嫌い、親睦を深めようとする水戸浪士の気遣いを全て断わっている。
「誰の下についたんだ?」
松田はより具体的に言った。この世界は広い様でいて実は狭い。其に松田は脱藩以降様々な地を転々としており、知り合いが多い。名を聞けば大抵の尊攘家は一発でわかる。
桂や水戸藩士達も興味津々で待っている。大した質問でもない筈だが、高杉はひどく苦々しい顔つきになった。俄かに変化する高杉の表情を見ると、松田は
「・・・わかった。当てて遣ろうか」
と、愉快そうに言った。
「佐久間 象山先生だろう」
佐久間 象山は非常に先駆的な発想力の持主で、彼の下につけば百万力の力を得る事が出来ると噂される程の大豪傑であるが、性格も能力に相応しく抜きん出ているというか、その性格が故に門弟の回転率が異常に高かった。要は、皆百万力の力を得んと象山の許を訪れるのだが、象山の恐ろしい迄の傲岸不遜・癇癪持ち・自己陶酔の前に修得できずに去って仕舞うのである。松陰は佐久間 象山の弟子であり、大層崇敬し切っていたと聞いたから訪ねてみたものの、象山を素直に尊敬できるのは其こそ松陰の様な聖人君子くらいだと悟り、ある程度は高杉も我慢したが、結局「この大法螺吹きめ」とめちゃくちゃに喧嘩した。思い出すだけでもムカムカしてその矢鱈彫りの深い顔に一発でいいから浴びせて更に顔を減り込ませて遣りたいと想う。
「象山先生の塾とは大変だったな」
松田は笑いながらも憐れむ様に言った。松田も嘗て象山の弟子だった事がある。経緯は高杉と全く同じで、松陰の紹介を受けて入った。彼も叉莫迦だの無知だの小物だのと単なる罵詈雑言を言われ、喧嘩別れした口だ。そして思想が完全に違えた事も相俟って、現在でも象山の事は嫌いな侭である。
「でも、もう一人いる」
と、高杉は言った。こちらは何故か嬉しそうにしている。
彼はいつの間にか結構な肥後人好きになっている。宮部が人目を忍ばず松陰の為に涙を流した事や、同郷の長州藩士でさえ諦めて結局機会を失った松陰の墓参りに、危険を顧ず同志総出で来た事が高杉の心を震わせたらしい。日本男児の典型は長州人ではなく肥後人だと云った松陰の影響もあるかも知れない。
「横井 小楠」
高杉の声は無邪気だった。彼等と同郷の者に会ってきたという報告であり他意は無い。同郷の話題が出ると気持ちが浮上するものだ。
「知ってんだろう松田さん。肥後熊本の人だってよ。今は福井越前藩の城下の留守居役の家に居んだって・・・」
・・・・・・ 高杉は思わず黙った。稔麿が隣で胡坐を組んでいる松田の横顔を動揺の眼で見ていた。深く切れ込んだ目が冷たく光っている。
「―――・・・なるほど。留守居役の家に居るという事は、福井城か府中城のどちらかに居るんだ、横井は」
永鳥が冷やかな目つきで松田に哂いかける。高杉は後悔したに違い無い。・・・横井を想う彼等の眼は、少なくとも同胞に対する其ではない。
「ああ、その様だ」
松田が低い声で答えた・・・この辺りの事情や心情は他藩者には解らない。長州藩士も、水戸藩士も、肥後藩士の二面性を只臆した面で見ているしか無かった。・・・逆ならば誰もが理解できるのに。
―――一度は藩からそう言われてみたいもんだ
其とも、この藩は其程迄に内側で乖離しているというのか。西国の事情をよく知らぬ稔麿は、混乱に目を瞬かせるのみだ。
「―――久し振りに、今度会ってみる事にしますか」
「そうだね・・・手筈を調えておくよ。有り難う、高杉」
あぁ―――・・・と久坂は想った。台詞を其の侭受け取れよう筈が無く、高杉や稔麿は鼻白んで只肥後者を見ていたが、何度か遣り口を見ている久坂は
(―――遣るんだな)
と、感じた。高杉としては、長州人同士が仲が良いのと同じ様に肥後人同士にも繋がりをと思いたかったのだろう。だが、見事に逆に作用しそうである。
・・・・・・。桂は何か言いたげな表情をして肥後人を睨んでいたが、引き結ばれた唇は結局開く事は無く、拳を固く握らせただけだった。
「桜田門の件では世話になった」
水戸藩士の武田 魁介が改めて肥後細川屋敷に水戸浪士が匿われた事への礼を述べた。―――保護された桜田門外の変での生き残りは結局のところ細川家も幕府方の引渡し要求に応じぬ訳にもゆかず差し出され、他藩の邸へ盥回しにされた後、伝馬獄へと送られたが。
「いや・・・・済まん。俺達の力不足だった」
松田が苦渋の表情で返した。松田は脱藩者である為、細川屋敷での出来事には全く関っていない。確かそちらには彦斎が応対していた筈だ。
永鳥も屋敷での件には関っていないが、指揮官であった関からは深く感謝されている。
身柄を移される事となった彼等は決して細川を恨まず、寧ろ礼節を以て別れの際まで武士の扱いを受けた事に甚く感激したと云う。中には、之が赤穂義士が受けた恩恵かと涙する者もいた。細川は大石 内蔵助率いた元禄赤穂事件でも討ち入りした浪士達を丁重に持て成し、切腹を見守っている。その人望は天下に響き亘り、同じく赤穂浪士を預った長州藩の毛利が考えを改めた程だと逸話が残る。
「・・・否、ここにきてあれ以上の待遇は無い筈べ。他藩にあんな芸当は到底できん。細川の御殿様にも礼の言いたい程だ」
―――不思議なものである。肥後者のその情け深さは、身内に対して向けられる事は無い。
松田の親身に揺れる表情は、本来は横井に向けられるべきではないのか。
「いつも邪魔しかしないからな。あの藩主」
「偶には役に立って貰わないとね」
当の肥後人達は藩主に対してめっさ辛口である。要求水準が高すぎると取れなくもないが。てか、反乱分子はあなた達の方なのだから寧ろ立ちはだかって当然では。
「長州藩はどうな」
同じく水戸藩士の岩間 金平が桂に近況を尋ねる。桂と水戸藩士達は割と以前から誼がある。個人的な結びつきとして桂と松田 重助は水戸と深い交友を持っていた。
「長州は・・・」
はっ。桂が松下の三秀をちらと見て、若干頬を引きつらせる。三秀は身を乗り出して、ガッツリと桂を射る様な眼で注目していた。
三人が三人とも之迄現在の長州情勢を把握しない環境にいたのだ。仕方が無い部分も侭あるが、皆桂に何かと色々恃りすぎだろう。
長州藩では確か長井 雅楽とかいう男の台頭に依って藩論が公武合体と尊皇攘夷の真っ二つに割れていた。
長井の出方を見る為に桂と周布 政之助が協力し、其と無く見張り牽制を掛けるという事で前回は話を終えたが、其から如何なったのであろうか。
「・・・良くない方向へ進んだぞ」
桂は僅かに眉をひそめ、三秀に向かって言った。肥後・水戸の志士達も険しい顔をして長州の近況に聴き入った。
「長井さんは密かに公武合体の建白書作成を進めていた様だ。つい先日、江戸長州藩邸に長井さんが敬親公に提出した『航海遠略策』の写しが届いたのだ。原本は長井さんが5月に京・江戸へ上り朝廷・幕府方へ直接提出するらしい。敬親公は既に裁可したとの事だ。―――原本が正親町三条 実愛権大納言の許に渡って仕舞えば、我々長州藩の藩論は公武合体で決って仕舞う」
日本で最も反抗的な藩である長州藩が精々幕府の権威づけだけの公武合体論に賛成など、幕府方は芋版でも何でも捺して喜ぶだろう。長井は今、長州藩本国で直目付をしている。久坂が長州に居た時には目立った変化を感じられなかった事から、長井が大っぴらな行動を起したのは久坂が長州を離れて以降であると思われる。
「―――久坂。君は目を付けられているな」
「・・・・・・」
桂もそう察したらしい。・・・ある種必然ではある。長井は松陰と犬猿の仲であった。のみならず、安政の大獄で松陰を江戸送りにしたのは長井であると実しやかに囁かれている。実際は誤解であったのだが、其が解けたのは明治が明けてからで、久坂は長井が遣ったと誤解した侭死んでいる。
況して「村塾の双璧」「松下の三秀」「松門四天王」と名に事欠かぬ久坂である。長井も警戒したであろう。・・・そして、現に長井を死に追い遣るのは久坂に相違無い。
水戸は諸生党と天狗党、肥後は時習館党と実学党、勤皇党。長州に於いては俗論派と正義派。それぞれに対立した敵が在る。
「―――桂さん」
久坂は上目遣いに桂を見る。相変らずの垂れ目だが三白眼になっている所為か視線は鋭い。声色も日頃と違い、硬質で低かった。
「俺達も、出そう」
―――例外無く全員が久坂に注目する。
「・・・・・・何を考えている?」
桂が怪訝な顔で問う。久坂が何を考えているのか、最近は桂にも読めない事が多い。久坂の頭脳は或るところで自身が追い着かない部分があるのを感じ、其に対して桂は一抹の不安を懐いていた。
「要は出し抜かれたという事だろう?じゃあ、長井が権大納言に提出する前に俺等が提出すればいい。雛形はもう作ってあるし、策も長州に居る間に殆ど文章化してある。後は条項を皆で確認して、清書して、そうせい候にそうせいと言って貰えばいいだけだ。長井の上京に関しては、弾劾書なり送ればいいし、出立そのものを遅らせる手も幾らかあるだろう」
久坂は過激とも取れる言い方をした。・・・桂は手荒な真似は好まない。特に身内同士で争うなど、長州藩士には発想すら浮ばないが、長州藩士に限らず巷では最近、武士がやけに息巻く風潮となっている。
「長州に居る間、俺も何もしなかった訳じゃあないんだぜ」
久坂がにやりと口角を上げた直後、襖の向う側で拍手がした。弾かれた様に室内に居た全員が立ち上がる。時世の変化に従って、この頃は誰も刀を預けない。
「何者だ!」
松田が前面に立ち、例の梢子棍を懐から抜き出し、怒鳴った。高杉も刀を引き抜いて松田と並ぶ。構えた。
拍手は止まず、パチパチと手を打ち合わせる音が襖が開かれる事に依って大きくなった。
「っ!」




