弐. 1856年、肥州~宮部 鼎蔵邸~
―――玄瑞が目覚めた時、四面は白い和紙が貼られた壁に囲まれ、自分は敷かれた布団の上に仰向けに寝かされていた。衾に身体を包まれて何とも温かい。
併し、此処は一体何処なのだろうか。
「・・・・・・」
玄瑞は寝返りを打った。コトッ,と玄瑞の頭に何かが当る。気怠く伏せた瞼を開くと、其処にはきじうまの円らな瞳が死んだ魚の様にこちらを見つめていた。
「!」
「玄瑞、此処で乗り換えね。まだ先生ん処には着いてなかよ」
・・・・・・辺りが凡て暗い。何刻経ったのかは判らぬが、まだ夜の様で、自分は駕籠の中に居た。詰り先程の感覚は全部夢。
きじうまの面はまだこちらを凝視している。
「・・・・・・やぁ、姐さん」
「誰が姐さんね!寝惚けとるなあた!」
彦斎である。玄瑞は寝惚けてなどいない。家族に姉など在なければ、只々からかう為だけの科白である。だって暗闇の中であの面に睨まれるのはとても怖かった。眠気も吹っ飛ぶというものだ。
そして、その怖ろしさを何気に増長させているのが、微かにしか判らないが面倒見のよかった先刻と纏う雰囲気が違う事。
玄瑞が駕籠を降りると、背後に何かが覆い被さって来る様な圧迫感を覚えた。振り返ると、木板に真黒な色がのる程年季が入った立派な武家屋敷が建っており、玄瑞等の居る処は屋敷の裏側の様だった。目の前は川が流れている。玄瑞は無論この川の名を知らないが、この川が熊本城の内塀を流れる坪井川。坪井川の流れの先を視線で追いかけると、スーパームーンの如く巨大な天守が、城からの距離を無視して幽玄に浮び上がっていた。城下町から見えない位置に天守がある萩の城しか知らぬ玄瑞は、思わず目を輝かせる。
坪井川を挟んだ向うは寝静まった町人町。彦斎の生れ育った地・新町の風景だ。
「そちらさん駕籠に乗り。話ついたね。之から先生ん処に行くよ」
彦斎が屋敷の角からひょっこり顔を出す。彦斎は着替えていた。きじうまの面以外は闇に紛れる様な暗いタイトな服を纏っている。
「乗り換えの駕籠を手配してくれるなんて意外だな」
「此処から駕籠は予定通りよ。今から通る処余り治安よくないね。浪人いっぱいいるけんな」
「宮部先生は城下にいらっしゃらないのか?」
「しっ。その名前出すいかんね。肥後基本人間仲良くないよ」
肥後は江戸時代を通じて百姓一揆が一度も無く、農民にとって非常に住みよい藩であったと云う。併し、尊皇佐幕を巡って武士同士の対立は激しく、番所もああであったから熊本藩士でない如何わしい者も交っている。嘗ては城に召し上げられる程実力を買われていた宮部 鼎蔵も、住いを移して身を隠す様に暮していた。
一気に話がきな臭くなってくる。政治色が濃くなるこの展開に、玄瑞がどれだけ感化されたのかはわからない。併し、反幕府一色であった長州にいるだけでは感じ取れないこの小さな藩の瓦解は、将来の国の瓦解を想起させるに充分な現実だったろう。
「彦斎、お前も駕籠乗れよ」
玄瑞は今一度彦斎に言った。というか、こんな事を言われるとそういう風に言わざるを得ない。だが、彦斎は仮面の紐を前に回して
「何言っとっと」
と、眉を寄せた。
「之からが僕の仕事よ」
そう言って、仮面を装着する。
「子供は籠に揺られて安心して寝るね。大丈夫よ。あたは先生の大事なお客さまだけん、万に一つも危険な事無いな」
・・・道中、蛙が踏まれた時に啼く様な声が聞えた気がしたが、玄瑞は夢だと思う事にした。
「―――玄瑞!着いたね!起きるとよ!」
彦斎がひょこっとまた顔を出す。夜は完全に明けていた。光が駕籠の中にまで射し込んでくる。柔かいというより、痛い。
ほら、ほら。彦斎は仮面を頭の後ろに回して素顔を見せている。やっぱり八の字眉に糸目。仮面の白い部分に赤い液体の様なものが飛んでいるが其には触れない。
山の中にある家であった。この地域、現在は国道57号が通っている。
田代という地域で、現在も古民家が建ち、林が多く自家栽培とみられる畑が見られる田舎道である。山の中にある所為か、アスファルトの道路が出来ても段々畑の様に家が建ってくねくねした細い道が続いている。現在の御船町に当るこの場所に、宮部 鼎蔵の生家は嘗て存在した。
此処にも川が流れている。途中で二股に分れた川が。
極めて質素な民家であった。玄瑞の実家より小さいかも知れない。家の中の構図も簡素なもので、お邪魔しますと玄関を上がってすぐ気を引き締める間も無く
『―――宮部先生。久坂 玄瑞を連れて参りました』
―――彦斎の放った科白で人名しか聴き取れなかった。目の前の襖を彦斎がつつ・・と開く。驚いて腰を落し、手を床に添えるも辞儀の方は間に合わない。
視界に真直ぐ、此方を見つめる宮部 鼎蔵の双眸が入る。
「―――ようこそいらっしゃった。君が久坂 玄瑞君だな。私が宮部 鼎蔵だ」
宮部は片田舎にはそぐわぬ怜悧な両眼を細めて微笑んだ。この出逢いが、志士として目覚める久坂の転機となった、と言っても過言ではなかろう。
「改めて紹介しよう。私が宮部 鼎蔵。君をこの家に連れて来た者は私の用心棒で河上 彦斎と云う。以後、是非とも君との交流を持ちたい」
宮部は非常に流暢な標準語で、極めて丁寧な言葉で玄瑞を迎えた。玄瑞も藩医の息子であるから、礼儀作法の一通りは弁えているが、宮部の真摯な態度に立居振舞も忘れ只唖然と宮部を見上げるだけであった。・・・深い眼の色をしている。澄み切って透明な底の視えぬ眼で真直ぐに玄瑞のみを捉え、玄瑞は内面を見透かされている様な感覚に陥った。
現に宮部は玄瑞の根底に眠るものを看抜いていた様で
「扨ては、貴方は吉田さんの門人ですな」
と、嬉しそうな声で訊いた。この時期、宮部の言う“吉田”と吉田 松陰が若き玄瑞少年には結びつかない。
「吉田殿・・・ですか?」
「寅次郎の事です。号を松陰。・・・御存知ではありませんか?」
宮部が不思議そうな声で補足を加える。すると、漸く玄瑞にも内容が通じ
「いえ、御名前だけは存じております。兄の友人が松陰先生とは親しい間柄ですので。併し、私自身は一度たりとも松陰先生にお会いした事はありません」
と、正直に答えた。宮部を前に虚栄や嘘など通用しない。逆にいえば謙譲や尊敬、丁寧さも不要な只の修飾であった。この男は、常に相手の赤裸々な部分を掴んでいる。豪傑であった。
「・・・・・・」
宮部は暫しぽかんと玄瑞を見ていたが、軈てひとりで納得した様に肯き、隠せぬ哂いが表情に漏れていた。
「ならば、私から言える事は唯一つだ。君、即刻萩に帰って吉田さんの門弟になりなさい」
「・・・・・・え?」
宮部の突拍子の無い助言に、玄瑞は間抜な声を上げた。
「併し、私は此度の旅で、宮部先生のお話を賜りたく」
「君はまだ“学”が無い」
と言われたのは、玄瑞にとっても心外な事であった。仮にでもなく玄瑞は藩医久坂家の当主である。幼い頃より英才教育も受けてきたし、玄瑞の秀才ぶりは萩城下では有名となっているは事実だ。誰かと競って勉強する訳ではないにせよ、学が無いと言われる覚えは無いと玄瑞は少しかちんと来た。
玄瑞が悔しがるのを、宮部は何故か愉しそうな表情で見ている。
「・・・如何いう事でしょう」
「学が無い、とは少し語弊があるな。済まない。だが、現段階で私が君に何かを教える事が出来ないのは本当だ。否、そもそも他藩の私が君に教えられる事など無い。私が君に出来る事といえば、論ずる事と、我々の方針を示す事と、・・・吉田 松陰が如何に素晴しい友人であるかを知らしめる事しか無い」
意外にも宮部は学を語らず、非常に人間臭い事を言った。兄の友人達もであるが、松陰の事を先生や同志ではなく“友人”と呼ぶ。
宮部も松陰もこの頃から既に強硬な攘夷思想を持っていたが、国を語るというよりも友人を語るという方が近かった。身近な人を守れぬ人間が国を守れるか。そうした意識が彼等の根底には流れている。
そこから先は最早学の話ではなく宮部と松陰の友情物語であったり今日に伝わる松陰の逸話であったりを聞かされていたが、聞いている内に玄瑞には宮部が学を語らぬ真意が視えてきた。何の為の学問か。学問から入らざるを得なかった玄瑞は、頭では理解していながらも之程に納得した事は無かった。玄瑞自身はここまで勁烈な性格ではないが、そういう生き方は潔くて好きだ。
(―――おもしれぇ)
高杉に対して懐く感情と何処か似ていた。高杉 晋作とは10年来の付き合いだが、一度も退屈した事が無い。遣る事は一見めちゃくちゃで、自分を凌駕して運にも恵まれた筋金入りのお坊ちゃんであるから甘やかされてどんどんエスカレートしていくばかりだが、呆れる程の理想家でよく順を追ってみると1→4→5→3→2→6といった感じで計画は進んでいるのである。一応筋は徹っている。おまけに理想が過去と今で殆ど変らず、この齢になっても海賊王になるだとか言って木を伐り倒して舟を造ろうとしているものだから、気が休まった刻には玄瑞もつい
『手伝って遣るよ』
と、悪乗りして仕舞う。高杉は大真面目に遣っているものだから玄瑞に賛同されると益々調子に乗る訳だが、玄瑞の煽てる才能か、若しくは高杉の能力が褒められて伸びるのか、いつか本当に実現するのではないかと思わされる程の熱意と質の高さを見せつけてくれる。吉田 松陰はその様なタイプの人間なのか。高杉に、そして宮部にも魅せられ始めている玄瑞は、果然、松陰に興味を持った。
「先程は神経を逆撫でる様な真似をして済まない。然ればとて君なら大丈夫だろう。松陰に教えを乞いなさい。其と、いつでも便りをこの寂びれた家に送るとよい。河上も俟っているし、私も君と論を交したい」
宮部は落ち着いた顔で哂っていた。想像していたより宮部も彦斎も、随分と温厚だし、親しみ易い。
肥後の男はとかく過激で九州男児の典型だと聞いている。
「論は交してくださるんですか」
玄瑞は拍子抜けして逆に食いついた。宮部は益々頬を綻ばせる。
「当然だとも」
と、宮部はすぐに答えた。その柔かい態度の背景に存在するものを玄瑞は無論、知らない。
「国を越えた議論ならば今からでもしたい位なのだ。然ればとて、各々藩の事情がある。君の藩の事情について他藩の者が口を出す訳にもいかないしな」
藩の境界は明瞭と引くのが、宮部のスタンスの様であった。かといって、排他的な訳ではない。寧ろ自藩の分裂具合からか、他藩の人間に対する態度の方が優しかった。肥後の引き倒しという言葉が存在したり、他県出身の加藤 清正が熊本を治める事で漸く民衆は落ち着いた歴史が在ったりと、自藩の者に対する態度の方が熊本人は厳しいらしい。この時代では、本節より2年後の1858年に宮部等と対立する実学党の横井 小楠が熊本からの締め出しに近い状況で福井藩へ移った。横井は熊本県では余り評価されず、福井県にて高い評価を受けている。
「―――私と河上は、此処熊本で」
宮部は冷めた茶を飲んで一息ついた。乾いた声が湿気を帯びる。
「天誅―――を行なっている」
天 誅 。 ―――この時期、天誅などという言葉はまだ殆ど使われていない。玄瑞自身もこの刻が初耳であった。
「―――とはいえど、私は手を下さないが」
かたん―――、と、庭先にある添水が鳴った。
其以外の音は無かった。
「―――君は、今後上に立つ人間となるだろう」
―――玄瑞にとっては当然の未来を、宮部は至極神妙な顔で言った。併し、玄瑞の想像している未来とこの男が視ている未来は別物である様に思えた。
「―――その際、部下は最低でも自藩の者を選び、君自身の手で再度一より確と教育し直してから使う事を奨める。仮に単なる刺客や用心棒として使う者に対しても。教育はその者の基盤をつくる」
宮部は如何にも高水準教育の藩らしい事を言った。併し之こそが、廻り廻ってのちの久坂 玄瑞の明暗を暗示する言葉となる。
「―――即ち其は、同志をつくる事と同義なのだ。河上は私が育てた。生き物を殺す事しか知らぬ獣も、教育すれば立派な同志となり得る」
『僕は―――』
という一人称は、長らく「やつがれ」としか訓読れてこなかった「僕」を「ボク」とも音読ると知るだけの教養をもつ事を示している。故に、彦斎が其形の教養を持ち併せている事に玄瑞は気づいていたが、「僕」を「ボク」と読み一人称として一般化させたのが松陰である事は矢張り知らない。
彦斎が駕籠を呼んで来た。
今回の九州遊学で宮部から得られた助言というのは粗この一点のみであったが、その一点さえも玄瑞少年にはまだ咀嚼し難かった。
「――――」
・・・・・・玄瑞が背筋を伸ばした侭、正坐の姿勢で真直ぐ見ても目線が胸の辺りにぶつかる背の彦斎を見つめる。な、何ね。と彦斎は気味悪がる。
より正確には、文を宮部より、武を宮部の先輩である轟 武兵衛より、国学を宮部の師である林 桜園より教わったハイスペックな人斬りが河上 彦斎である。只の人斬りで、之程迄に教育機会に恵まれていたのは彼くらいであったと伝わる。
大半の人斬りは、教養が無いから人斬りという職業を選ぶ。
果して、人斬りに教養は必要か。其が本作のテーマといえよう。
孰れにしろ、この頃の玄瑞にはまだ早い話であった。が、年齢的にはまだ早くとも、性急すぎる情勢の変化は玄瑞の成長を待ってはくれない。
「まぁ、君はまだ之からの人間だ。学びながら考えるとよい」
彦斎が提燈を駕籠者に渡し、見送る。彦斎は帰りは玄瑞と共に行かぬらしい。代りに
「・・・・・・帰りは、松田 重助君がつく」
「俺は此の侭京に向かうけんな、長州まで送って遣るよ」
松田 重助。彼も宮部から直接兵学を学んだ、熊本藩士である。過激な尊皇攘夷志士で、宮部が旅行や遊学など各藩の偵察にとどめているのに対し、この男は既に京や江戸等に移って大暴れし、人相書まで貼り出されている。その為、この時期は宮部よりも全国的には有名な男だ。御年26。のちに、宮部と共に池田屋事変に遭遇する。
宮部は松田に紙を渡した。
「―――宜しくお願いします。宮部先生、有り難う御座いました」
玄瑞が松田と宮部の夫々に言って駕籠に乗り込む。宮部はにっこりと優しい笑顔で返すと、次に松田に視線を移し
「・・・・・・武運を」
と、重厚な声で言った。彦斎と組んで藩内の邪魔者を陰で排除しているのと同じく、松田とも組んで何かをしているのかも知れない。
「はい、先生」
熊本では先生の事をしぇんしぇいと発音するらしい。
『―――久坂君は、なかなか骨がありそうだ』
―――室内に戻ってからも、提燈の灯りが遠くなってゆくのを障子を開けて宮部と彦斎は見送る。
『・・・・・・頭も良い。之ならば、寅次郎の眼鏡に適う事が出来るだろう』
宮部はリラックスした様に眼を細め、肥後訛りが所々で出てくるのを気にせず言った。夜なのに何故か紋白蝶が縁側を飛んでいる。
『・・・吉田先生はそんなに気難しい方なのですか』
彦斎は宮部に尋ねる。彦斎も肥後弁、というより肥後語である。宮部からよく松陰の話を聞かされるが、彼も松陰との面識は無い。
『気難しいというか・・・頑固なところがあるのだ。藩内の者の評価を容易に受けつけぬところがあってな・・・藩外に通用する者でなければ寅次郎に師事する事は難しい。ばとて、久坂君の才は間違い無く非凡だ。其は、松田君に届けて貰う寅次郎宛の手紙に認めてある』宮部直筆の松陰への手紙を手に入れただけで今回の遊学は最高の収穫だったのだが、玄瑞は無論その手紙の事を知らない。
『・・・・・・後は、久坂君次第だ』
・・・宮部は口角をきゅっと上げて、愉しそうな表情をした。
『他にも何か関門が?』
彦斎には人の才や評価のしようなどわからない。興味も無いが、久坂 玄瑞という少年が今後深く関ってくるであろう事は宮部の言い種から強く感じた。宮部は想い出す様に哂うと
『―――いや、寅次郎の悪いクセでな』
と、言った。
バサッ,バサッ!
―――机に、床に、巻物の如く長大な継紙が至る処に転がっている。足の踏み場も無い程にばさりばさりと広げられ、畳などあって無い様なものであった。
「―――――・・・」
身の置き場が無く、床の間にまで継紙が乗り上げその隣に腰を下ろしている。・・・・・・暗い部屋だ。まるで座敷牢の様な、格子状に組まれた木枠に透光性の悪い厚めの雑紙が貼られて空間が完全に断絶されている。
左手には真っ新に白い継紙を投げ出した状態で握り、右手には墨の乾き切った筆を持つ。影が朧に、唇が淡く、月の様に動いた。
「―――奇士が、もう一人」