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十九. 1860年、肥州~教育とは~

「え・・・・・・?」


宮部は漸く聞き返した。



「以蔵を置いておけぬのならば河上さんを連れてゆきたい。以蔵めは使えぬ」

「いや―――・・・河上君は御城に勤めておりましてな、おいそれと藩外に出られる様な立場では・・・」

「肥後に置いておく事が其程重要な事で御座ろうか」

宮部は苦笑した。

「弊藩は或る一人さえ暗殺(しまつ)すれば全て勤皇へ引っ繰り返る。失敗は許されぬが、成功すれば総てが土佐勤皇党(われら)のものとなる。暗殺(それ)を河上さんに遣って戴きたく御座る。・・・僭越ながら、尊藩は各々が意思を持ち過ぎて、決して纏まるとも思えず、才能を有する者等が潰し合うばかりと御見受けする。肥後に留まらせるだけ、河上さんは腐ってゆく様にしか思えまい」

・・・・・・。宮部は、その言葉に二・三、思う事があったが、例の如く言わなかった。其に、宮部としても武市に訊いておきたい事がある。

「土佐藩の要人暗殺を河上君に?其は叉・・・そこは岡田君じゃないのですか?」

「以蔵めに要人の暗殺など任せられぬ」

武市は再びすぐに以蔵を切り捨てる。武市は以蔵に対して、土佐の上士が郷士以下に接する態度並みに非情であった。

一方で武市は、彦斎に対しては既にある程度の敬意を表していた。以蔵よりも明らかに付き合いの短い人斬りなのに―――である。

とはいえ、田中 新兵衛の時とは違い、この時はまだ人斬りに対する軽蔑が見て取れた。ただ、只のけだものから賢い狐程度に格上げはされた様だった。武市は自分のものにして、其を自分の思う様に操作したがるタイプだが、彦斎ほどの知能と腕が有れば、自分の構想を恙無く忠実に再現してくれるであろうし、彦斎自身に他に支配を拡める力がある。

殺人に対して自覚と正義を持ち、配下として動かすに申し分無い。教養もあり接待も出来る。


武市も叉、阿吽の呼吸で計画を実行してくれる“同志”を求めた。


「何故」

と、宮部は敢て問うた。

「岡田君だってあの腕を持つ。命令すれば完璧に遂行するでしょう。いや、命令無くともあなたの顔色一つで斬る。健気なものだ」

宮部が珍しく皮肉った。まぁ、武市の(あん)なる指示で以蔵に斬られかけたのだから無理もあるまい。

以蔵は以蔵なりに、気難しくて潔癖な武市の構想を実現しようと斬っている。だが、武市からのフィードバックは無い。

寧ろ武市は、以蔵が刀を抜くとぴくりと嫌悪に眉根を寄せる。すぐにその表情は消えるのだが。一体、何が不満だというのか。

「阿吽ではありませんか」

「阿吽ですと」

武市は表情にこそ出さないが、随分と以蔵を毛嫌いしていた。

「あれは阿吽に非ず。只の獣だ。否、人斬りは左様な生き物であると思うていた。されど、其は以蔵に限った事かも知れぬ」

武市は我儘だ。要求水準が総じて高い。其なのに、自ら教える気は無い。

以蔵は口で表す事が出来ない。武市は口で表さない。意思の疎通など、図れよう筈も無い。

武市は恐らく、以蔵の意思の無いところを嫌ったのであろう。意思というのは人間の意思で、要は知識から得る思想や主義の事を指す。当然である。以蔵は足軽という差別から、教育を受ける事が出来なかった。以蔵が剣でここまでくる事が出来たのは、以蔵自身が自らの力で剣の才能を開花させ、武市の門戸を自ら叩いた努力の賜だ。拾ってくれた武市に恩も感じていよう。

その教師の無い学習、いわゆる我流、教養の無さが、之迄自身も(こうむ)ってきた土佐の差別を武市に突きつける。

だが、土佐で唯一革命の剣を遣える男である事に間違いは無かった。だから以蔵の性質を利用して教唆の証拠無しに斬らせようとした。併し宮部が受けた様な事例が度々続いた。

そんな時、肥後にも人斬りがいるらしいと長州の桂 小五郎から坂本を経由して聞いた。刀を元々好きではない坂本は軽く笑い飛ばしたが、武市は大いに興味を持った。坂本はそんな武市を酒を飲みつつも疑わしげな眼で見たと云うが、不思議と二人の友情は崩れない。武市は肥後へ以蔵を連れる決心をした。通常の剣術修行ではない。人斬りの育て方と(くに)の乗っ取り方、後は四方八方を囲む諸藩の動向を探る。武市が之迄体験した事の無い、特殊で卑怯な手法を学ぶ為の旅であった。


坂本は愈々武市が肥後へ行くと聞き


『天誅に手を染める気か、アギ?おまんに其が務まるとは思わんき』


と、言った。天誅の遣り口を根本的には嫌う武市に、天誅が務まるとも想えない。


が、そもそも武市には以蔵自身を育てる気は無く、肥後の人斬りと云われる河上に教授役を任せるか、以蔵に見込が無ければ河上を迎える肚心算でいた。武市は、周囲には神聖な人間を置いておきたいのである。武市は結局、己は綺麗な人間でいたがる。

以蔵を殺人機械に仕立て上げておきながら、動作不良を起せば別のものに乗り換える。河上は意思を持つ。武市の求める性能であるがその意思も、自分なら上手く活用させる自信があるのだろう。結局は、自らを穢れた人間に堕ちず目的を達成する為の道具に過ぎぬ。

「ふむ・・・」

宮部が懐手をして考えた。何と勝手な飼い主だ、とは別に思っていない。師弟関係というのは、斯ういうものである。

時に犬と飼い主の関係よりも非情なものだ。この時代の弟子は師の所有物の様なものである。師は弟子をどう扱ったって構わない。

拾って遣ったのならば猶更。

「・・・さればとて、河上君を手放すのは肥後勤皇党としても相当な痛手になりますからな・・・」

宮部にもその自覚がある。故に武市の遣り方に異を唱える気は無い。逆に言えば、宮部も彦斎や佐々をモノの様に使う事は出来るのだ。実際、能々(よくよく)観察してみると、人形(モノ)である。自分と全く同じ意思を持つ者。自分の意思を迅速に、寸分の狂いも無く体現してくれる者。一体どう躾をすれば、人斬りという獣を吽形(うんぎょう)にする事が出来るのか。

「―――・・・隣国の豊後岡藩に、轟先生の(よしみ)で堀 加持右衛門さんという方がいます。あそこも佐幕藩ではあるがうちの藩ほど厳しくはない。轟先生に頼んで貰うよう言ってみましょう。だから連れてゆかれるのは如何か勘弁してください」

宮部は柔和な顔つきで言った。併し幾ら柔和に見えても、この男こそが弟子達を吽形となるよう叩き込んでいる。

坂本から聞いた桂の話では、肥後より遠く離れた彼の同志達も阿吽の呼吸で動いているのだという。

その(わざ)、其に拠って生れた吽形(モノ)、そして、その吽形が具える力。

何れもが、この土佐人が得たいもの。

「河上君を随分とお気に召した様ですな」

「河上さんのみに非ず。貴公にも興味を持った。貴公は優れた教育者の様だ」

「何を言いなはる」

宮部は思わず方言が出た。苦笑しながら朝鮮飴を口に運ぶ。武市は今回も出された菓子に手を着けない。土佐人の真面目さを全部持っていったのではないかという位、土佐人では滅多に見ない固い男だ。

「・・・私が彼等を教育した訳ではありませんよ」

宮部は朝鮮飴を茶で流し込み、水気を帯びた声で言った。

「我々は既に学芸を修めていた彼等を引き込み、活動するにあたって必要な部分を補っただけです。この藩は、如何様な立場の人間であってもある程度の教育は保障されています。即ち、武士も農民も、佐幕も反幕も、この藩の者の土台は皆共通している。根本的な教えは皆同じなのです。我々もそう、藩に育てられた。故に、我々の根底に流れる思想は基本的に同じという事になる。

発達には臨界期がありますからな。幼い頃に受けた教えは内面に深く刷り込まれ、その教えから逃れるのは本能的に不可能に近い」

・・・ぴくり、と武市は湯呑の縁を口につける前に一旦、手を止めた。だが、何も気にするそぶり無く、ずず・・・と音を立てて飲む。

「藩としては、熊本藩の未来を想い、藩の役に立つ者を育てたかったのでしょう。さればとて、高度すぎた教育は、藩士達の思考力を藩の思惑を超えたところに迄成長させて仕舞った。そして各々が独自の道を開拓し始めた。其が我々です。・・・河上君のあの判断力は藩が藩の為に手塩に掛けて育てた者を、我々が横から掠め()り勤皇の考えを説いたからこそ出来たもの。一から十迄の凡てが勤皇党の力である訳ではないからこそ、短期間であの人斬りが誕生した。・・・藩にしてみれば、我々の事が恨めしい事この上無いでしょうが」

―――武市は昏い瞳で湯呑の底を見る。宮部は溜息を吐いて、遠い視線で光の差す縁側を見た。

「我々は、我々をここ迄育ててくださった藩に感謝しています。今は藩の不穏分子としてしか働いていないが、いつかは藩に報いたい。故に我々は藩にとどまり、藩を内側から腐らせる者の血溜りの中で生きる。藩がこの不安定な時代を乗り越える迄は―――

・・・特に、河上君はその考えが強い。だから、河上君は言っても暫くは藩を出ませんでしょう」

俟つね以蔵。・・・宮部先生! 彦斎の甲高い声が通路で響き、とたとたと慌しい足音が近づく。

「岡田しゃん来ますね、刀抜かんて!」

ぴくりと武市が通路の方に眼を遣った。以蔵が彼等の前に現れ、刀の柄に手を掛ける。長い下まつげが縁取る金の眼が、宮部を睨んだ。

「武市先生を、おんしは叉も悲しませるか」

んもーっ。彦斎が茶の一式を抱えて漸く追い着く。宮部はにっと口角を上げる。が、武市は依然として厳しい視線を向けた侭だ。

「何をしに来た。以蔵」

「まあまあ」

宮部が(なだ)める。彦斎がぶつくさ言いながら以蔵に茶の一式を渡している。随分と馴れているではないか。

「岡田君が茶を淹れてくれる様ですよ。良かったですな。初めてでしょう」

「何をくだらぬ事をしている」

宮部と彦斎は驚いて武市を見る。武市が初めて彼等の前で見せた憤然たる姿であった。武市はすっと席を立つ。

「・・・退け。足軽の淹れた茶など飲めぬ」

と、武市は言ったが、突きつけられた教育の格差、宮部の言葉の端々、そして自らに対する忠誠心からきた事と言えど以蔵が導かれるが侭茶を淹れるなどという雑用をしようとした(おもね)りこそが、土佐を掌握する者としての矜持(プライド)に懸けて許せなかったのである。誇りも無ければ節操も無い、其が足軽の茶に染み込んでいると、この男は捉えた訳だ。

「・・・・・・!」

「あた・・・・・・!」

以蔵が俯く。だらんと腕が垂れ、急須や菓子、茶葉が盆ごと床に落ちた。破片や湯が足元に飛び散り足袋を濡らすが、誰も反応しなかった。

「・・・あたは以蔵をどうしたいとか」

・・・所詮は足軽。所詮は人斬り。所詮は人間として見られなくとも、然るべき教育を受ければ、其形に出来る事は増える。

其を茶の淹れ方で示した心算だった。武市が以蔵に求めているものは剣の中には無い。其でもまだ、武市は剣にしか以蔵を見出さない。

「最初は以蔵に問題ある思っとったですが、あたの方が大問題ね。・・・いつか以蔵に謝るですよ。飼い犬に手、噛まれる前に、ね」

彦斎は一時程の烈しさは無く、冷静な眼で武市を睨むにとどめる。互いの師に無闇に刃を向ける事が無くなっただけ、学んだといえるのではないのか。この男にだって成長の余地があるのではないか、というのがこの受身に生きてきた者達の言いたい事であった。

併し、武市が求めているものは、彼等の言いたい事とは次元の違う処に在る。この違いは指導する者にしかわからない。

「武市さん」

「厠を御借りする」

「其はいいが」

宮部は大股に進む武市を珍しく止めた。言葉を重ねて。

「岡藩に頼んで河上君が岡田君の相手をするのはよいが、岡田君は決して河上君にはなれない。其に、なれたとしても決してあなたが思う様に扱う事は出来ない。・・・力にはなろう。だから、かれの様な者を外に求めたり、つくろうとなどとはしない方が身の為だ」

ばっ!?割れた唐津物の片づけをしていた彦斎が不服そうな声を上げる。彦斎がぎゃんぎゃん言う隣では以蔵が憮然たる面持ちでいる。武市はその忠告には応じなかった。宮部としては友人として言った心算であったが、差別の下に生きてきた武市にその発想は無い。

寧ろ、実際に年上といえずっと下手にい続ける事が、武市には屈辱であった。優位に立たれているよう錯覚される。―――力になろう。その言葉を恃みとすれば、自身が藩の実権を握った時、肥後者に借りを作ったとして土佐は土佐の意思で動けない。

「―――御厚意のみ感謝する」

「・・・・・・」

・・・・・・武市が去った後、宮部の表情が少し曇った。宮部も叉、同じ教育者である武市の考え方に、仄かに心乱されかける。

(・・・・・・私も、河上君(ひと)の事は言えなかったな)


・・・この数日後の万延元年冬、武市は土佐へ帰藩の途に就き、岡田 以蔵は豊後岡の堀 加持右衛門道場へと旅立つ。宮部と彦斎は彼等の出立を見送ったが、其以降交流は無い。岡藩の道場に彦斎が赴く話は立ち消えとなり、彼等の出会いはいつの間にか無かった事にさえなる。尤も、落ちてゆく肥後と伸し上がる土佐。久坂等とも関りを持つ様になってゆく武市の活躍と岡田の暗躍は、逐一と言ってもよい程に宮部や彦斎の耳に入ってくる事になるが。


武市と岡田の立場が失墜するその日まで。




肥後人が次に歴史の舞台に現れるのは翌年1861年中頃。年が跨るその前に、我等が久坂 玄瑞の話をしておこう。

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