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十二. 1860年、江戸~解散~

どぼどぼと盃に酒を入れられる。


「有り難う御座います。状況は・・・余り芳しくありませんね。松陰先生の入牢以来、軍配は俗論派に上がっており、正義派、殊に松下村塾一門への弾圧は凄まじいものがあります」

久坂は言った。正義派とは其処の高杉が命名した自分達を指す言葉―――詰り、尊皇攘夷派長州志士を示す。如何に倒幕運動の中心となる長州藩であろうとも、尊皇攘夷一色といった一枚岩ではなく、幕府の影に怯え切って恭順しようとする一派も存在する。その輩の事を、高杉は俗論派と蔑んだ。もう少し後の時期になって組織される奇兵隊もそうだが、高杉のネーミング‐センスが清々しい程中二病なので久坂も面白がって呼んでいる内にどれも定着した。

「まぁ・・・君達以外に誰も此処に来ない事から大体の事は想像できていたが・・・・・・」

桂の酒はなかなか減らない。宮部が長州産の清酒を新しい盃に注ぎ、赤酒の隣に置いた。いつの間にか各々の歓談は已み、全員が一つの話題に耳を傾けている。

「栄太郎(稔麿)が寅次郎の江戸送りの見送りすらせんじゃったちゅうのは本当か!?」

「アイツの家は少し複雑なんですよ。松陰先生に師事する事を元々反対されていましたし。萩に戻った時に俺も高杉も何度かアイツに会いに行ったんですが、家の人が絶対に合わせてくれないんだよ、な」

「ああ。あすこの母親が特にすんげえおっかねえ」

高杉がマイ‐ペースに口も手も止めずに飲食を続けながら相槌を打つ。

「入江は松陰先生の遺志を継いで弟の和作と間部の暗殺を実行に移そうとし、投獄」

「伊藤(俊輔)君は吉田先生の亡骸を引き取った事で、本国に呼び戻され」

「松門一門は、解散」

「―――困ったものじゃー」

周布が最後に一言で纏めた。

「・・・伊藤君は、本国に戻って何もされなかっただろうか」

桂が伊藤 俊輔(博文)を案ずる。伊藤は久坂より一つ年下で稔麿と同い年だ。早い段階から江戸や相模を転々と働いており、桂が江戸に戻って来てからは彼の付き人を遣っていた。桂が松陰の遺体を埋葬した為、其に伴っている。その数日後、帰藩命令が出た。

「アイツはピンピンしてますよ。大体、師匠の埋葬に立ち会っただけで罰を受けるんだったら、其こそ井伊大老でしょう。松陰先生の亡骸を見て江戸で変な気を起されない為の処置だろ。長井(雅楽)あたりが動いたんだろうさ。俗論派に一泡吹かせて遣ったんだからうちの俊輔(しゅんぽ)にしては良く遣った方なんじゃねぇか」

「御蔭で遣り難くなったけどな。別にお前の俊輔でもお前の手柄でもないだろ」

伊藤は今でこそ桂の付き人であるが、高杉と幼馴染で小さい頃から高杉に(したが)って(というか連れ回されて)きた。その関係がずっと続いていて、高杉は現在でも伊藤に対して子分の様に接している。伊藤も叉朗かな気性で、高杉のドン=キホーテの様な奇行を楽しんでいる節があるから、そんな扱いを受けてもにこにこして怒らないからもう如何しようもない。(さなが)らサンチョ=パンサである。

桂が高杉に対して変に(へりくだ)っているのも、高杉の子分を拝借しているという負い目があるが故か。先輩に妙な気を遣わすな。

「・・・・・・」

久坂は赤酒を飲んだ。少し考え事をしていた様だが

「・・・・・・こりゃ、仕切直しだな」

と、へらへらと笑った。

「いつだって緊張感が無ぇーのはお前達のええとこじゃが、そんな悠長な事も言うちょられんぞ」

周布が珍しく彼等を戒める。桂も、・・・そうだ。と焦燥気味の声で言う。

「幕府が朝廷に接近し、和宮内親王を徳川将軍家の御台所にという動きが水面下で進んでいるそうだ。長州藩がこの情報を手に入れる事が出来たのは、長井さんの様な公武合体派が藩内にいるからとも言える」

久坂、高杉、大村が黙って桂を見る。彼等は初耳だ。無論、公武合体の成功をアピールする為の和宮の降嫁であるからもう少し後になると全国に知れ渡っているが、この頃は桂や周布の様な上級役人だからこそ入る情報である。

「長州藩が幕府に()り寄っても、幕府が長州藩に味方する事は在り得ない。朝廷にまで幕府の息が掛れば、長州藩の拠り処が無くなって仕舞う。・・・敵が多い分、一丸となって戦うべきだ。藩内で分裂している場合ではない」

肥後勢が冷静な眼つきで長州藩士達を見る。彼等は長州藩にとっていい反面教師であろう。彼等には“一丸”という言葉すら手段から抜け落ちている。

「・・・・・・其は、何としても阻止しないとな」

・・・・・・久坂の笑みが引きつり笑いに変った。・・・桂がこくりと肯く。桂は肥後藩士達の方を向き、同調を求む様に斯う尋ねた。

「・・・我々は、公武合体を阻止すべく和宮内親王の将軍家御降嫁の反対運動を行ないます。水戸にも声を掛ける心算でいる。

宮部さん達は―――・・・」

・・・・・・宮部は左手を顔に当てて考える仕種を暫く取っていたが、首を横に振り

「―――いや、肥後は今回はやめておこう」

と、言った。桂と久坂が眼を円くする。まさか“ノー”の答えが出るとは思わなかった。

「殿下の将軍家御降嫁は其ほど重要な事柄ではないと考える。其に―――朝廷に関する事柄は私の独断では決め兼ねる」

「こりゃあ。あんさんが一番偉い人じゃ思っちょったわい」

「京や江戸で活動する者達の総括をさせて貰ってはいますが、九州では私の先輩に当る方々が運動を行なっております。うちの党は叉神官が多くてですな」

「松村さんもそうでしたもんな」

松田が片手でどぼどぼと高杉の杯に酒を注ぐ。

「・・・松村?」

高杉がぼっとした顔で聞き返す。松田がお前な・・・と呆れた。松村 大成とは筑前平野 国臣・筑後の真木和泉と並ぶ九州尊攘派の重鎮で、西国の志士で知らぬ者はないと言われる程の人物だ。遊学中に会う事こそ出来なかったが、久坂も勿論知っている。

「俺の実兄(あに)だよ」

永鳥がさらりと言った。えっ。長州勢は口を揃えて愕きの声を発する。

「何だ何だ。皆、知らないのか?」

松田が長州勢を見て首を傾げる。流石に久坂も之は知らなかった。以前兄が肥後に居ると言っていたが、その“兄”とは松村 大成の事を指していたのか。

「隠していた部分もあったから知らなくて当然な面もあるよ、重助。でないと俺の技量を問われる。尤も、あの兄者(あんじゃ)は宮司の仕事も碌にしないで議論に明け暮れているから、神道に然して煩くはないし外への影響力も其ほど無いと思うけど。重助の方が全国的にはよく知られているし」

言いながら、小豆を(つま)んで口へ運ぶ永鳥。なるほど、神官の家の子と言われるととても納得できる。

肥後勤皇党の思想の根幹を担う人物との距離がこんなに近い処に在ったとは。而も、鎮西には宮部も畏れる強者がゴロゴロ控えているという。実に頼もしく、実に恐ろしい、特筆すべき個性派の人材が揃っていると改めて実感した。

「・・・其では、宮部さん達は之から如何する心算ですか」

「永鳥君と松田君には之迄通り此方で動いて貰いますが、私が少し旅に出る予定で、肥後からも江戸からも離れます。―――私の友で梅田 源次郎という男が寅次郎と同じ様に安政の大獄で殺されたのですが、彼にも弟子がおりまして。源次郎は弟子を余り採る男ではなかったので、若しかすると独り路頭に迷っているかも知れません。その弟子を捜しに行き、あわよくば同志として引き込む事が出来れば―――・・・と」

梅田 源次郎こと梅田 雲浜。否、雲浜が号であるので雲浜こと源次郎か。その弟子というのが古高 俊太郎の事だ。

「・・・さればとて、その前に肥後に戻らねばならない用事が出来ましてな。―――土佐の武市 瑞山さんを知っていますか」


―――武市 瑞山。通称・半平太。土佐藩郷士。


「武市さんともお知り合いなのですか」

桂は武市の事をよく知っている様であった。そういえば、この男は土佐に身を隠していた時期がある。

情報にまめな久坂も名くらいは知っている。最近(にわか)に知名度を上げており、南国期待の新星と取り沙汰されているのである。

剣術者としての名の方が有名で、土佐では道場を開いている。叉、剣だけでなく学識・教養も高く、土佐藩では郷士に対する差別が甚だしいが、そうであるにも拘らず上士格をその実力で以てもぎ取ったとの事である。優れた教育者でもある様だ。

「以前、全国を旅歩いていた時期がありまして、その折一度」

宮部の話は有名な名前が次々と出てくるから聞いていて面白い。

「その武市 瑞山さんが肥後に来ていると、向うに居る同志の佐々 淳二郎より書簡が届いたのです。至急戻って接待せねばならない」

宮部は困惑した様に天井を仰いで酒を嗜んだ。

「―――・・・其で・・・・・・―――河上君、君はいつ肥後に戻る予定かね?」

盃から口を離すと、出し抜けに宮部は、一言も発さずずっと静かに話を聴いていた彦斎に訊いた。

「家老しゃんの仕事はもう終んなはったけんですね、近い内江戸出るち思いますばってん―――?」

彦斎が自分に何か用か、といった様に例の目を瞑り眉に弧を描いた表情をする。この見目は超然としており、その点で少し人間らしくない空気をもつ人物は、話をきちんと聴いていて中身も確り呑み込んでいる様なのだが、どこか何処吹く風である。まるで他人事の様に冷めている。尤も之は、此処に来てからだんまりを決め込んでいる大村にも共通しているが。

「いや・・・・武市さんが、君に興味がある様でな」

彦斎が狐に抓まれた顔をする。

自分が女狐だか子ぎつねだかの様な貌をしているくせに、とは誰もツッコまなかったが、彦斎と初対面の長州人は皆

「へぇー。お(みゃー)、結構すげえんだ。今度剣術勝負しようぜ」

「嫌よ。あた、言うとこそこね」

高杉が即座に感じた侭に口に出した。流石。ゆがみなくズレている。併し、前半部分は皆が思った事を代弁している。

「―――叉、何故彦斎を?」

()てな・・・河上君は其程知られていない筈なのだがな」

熊本勢は首を傾げる。久坂は赤酒を味わいながら唯一人

(―――そりゃ興味も持つさ)

と、誰も読み取れないであろう顔で思った。

―――考えてもみれば、美味い料理を食い(なが)ら議論なんて、能天気もいいところだ。

松陰が論を語りたがる者に怒り、玉砕覚悟の性急さで強行した意味が今になって理解できる。

日本(ひのもと)がいつ大国清の様になってもおかしくない局面にいて、ああでもない()うでもないと馳走を食い乍ら国の在り方を今更論じている。而も、足を引っ張り合っているだけに過ぎない。

長州藩なんてその土俵にすら上がっていない事に何人の者が気づいているだろう。長州藩はこの260年、国の一員と見られていないのである。その中で藩がどう遣り過していくか。国など彼等には視えていない。凡て藩の事情である。被植民地みたいな全体を俯瞰()る事の出来ない思考が、すっかり染み着いて仕舞っている。

(・・・・・・長井・・・・邪魔だな―――・・・)

・・・要職に就き藩を牛耳る俗論派である長井 雅楽(うた)の名を聞いた時、久坂はぼんやりとそう考えていた。

己に実行力が無い事を久坂は()じていた。本当は別にそう恥じる事ではなく、頭脳を担当する事が多いが故に形となる以前のものも思案して知っていたり、形となるを見届ける前に次の構想を練っていたり、別の形となって実行されていたりするのである。其はよい。―――只、自らの意志を実行する時間が無い。

そんな時、最も欲しいのは―――・・・

・・・彦斎が立ち上がった時の背が、其の侭前回に来た時に一膳飯屋で出会った少年と重なった。

「もーせからしか!余計な事言って来んで!あたの事よ、高杉しゃん!」

・・・・・・確かな眼、確かな教養、確かな心。

そして――――・・・・・確かな、手腕(うで)

「・・・・・・・・・」

・・・・・・宮部は久坂の彦斎を見る視線の違いに気づいたが、何も言わなかった。

「土佐では武市さんの他にも面白い人物を知っています。まだ名は志士の中に挙がってはきませんが、必ず大物になる。武市さんを通じて、その人物とも繋がりを作っておいた方がいいと思いますよ」

桂は珍しく少し弾んだ声で、逃亡中に会った坂本 龍馬の事を宮部に紹介する。宮部もすっかり高揚して耳を傾け、南国にも遂に牽引する存在が現れましたか、と頬を綻ばせて喜んだ。残念ながら、坂本の台頭と肥後勢の活動は僅かなズレに依って重ならず、歴史的共演を見る事は出来ないのだが。

「―――私は明後日にでも江戸を出立する予定でおりますが、長州勢(あなたがた)はどう動かれる。国許に一旦帰られる方はおられるか」

宮部は長州藩士達に訊いた。和宮降嫁阻止運動を行なうにしても、おいそれと実行に移せる訳ではない。

「私と周布さんは江戸に残り、通常通り藩邸の業務を(こな)します。行動を起すにしても、藩内や御上の動きを把握せねば如何しようも無い」

「私は之迄通り私塾で兵学・医学を教え、翻訳や豆腐の製造を行なう。長州藩の問題には捲き込まんで貰いたい」

大村がすげない口振りで言った。筆者は大真面目に放たれたこの台詞に敢てツッコまない。高杉に至っては更にその上をいっており

「俺ぁ北に行く」

などとほざいていたが、之が史実通りなのだから驚きである。彼はこの旅を「試撃行」と名づけ、尚且つその後には上海視察という日本の枠組まで越えて仕舞うのだから、最早伝説としか言いようが無い。

「俺は」

と、久坂は言った。別に高杉以上に斜め上の回答をする必要は無いのだが、妙に期待や不安を滲ませて仕舞うのが桂、松田、永鳥。

「―――一旦長州へ帰りますよ」

―――之は、彼等の期待に沿う回答ではなかったが、全員にとって予測し得ない意外な回答であった。

「―――。では、折角なので共に帰ろう」

宮部は久坂をそう誘った。宮部には久坂の考えが読めなかった。久坂は初めて、宮部の魂胆(かんがえ)が視えた様な気がした。


夜も晩くなる。一同は「そろそろ御手を拝借」と手締めを行ない、肥後人がばらばらに分れて料亭を出た。


盆の月が満月に輝いている。

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